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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

竜の女王の王配令嬢

どうせ破談になるのなら、その本性を暴きたい。

作者: れとると

10000字。

百合とざまぁが微量に入ってます。

 カフェのテラス席でカップを傾けていたメディリアは、香りとともにため息を吐き出した。



(よもや〝Dragon’s(ドラゴンズ) Fortune(フォーチュン)〟の世界に転生するとは……)



 昨夜。夜会が行われていた学園のホールを目前にし、メディリアは突然、前世の記憶を取り戻した。今は乙女ゲームの断罪イベントすれすれで、自身は〝悪役令嬢〟として転生したのだと即時に理解。この夜会に参加すれば、男爵令嬢をいじめていたと冤罪で糾弾され、自分の婚約は破棄される。そう判断した彼女は、踵を返した。

 侯爵令嬢の友に3つの頼みごとをし、情報を収集。現実とゲームの差分を精査。やはりいじめの証拠・証言が集められ、夜会で公表する準備が整えられていたと突き止め、迎えた翌日。

 メディリアは婚約者のブラッド第一王子から、話があると連絡を受けた。



(冤罪でいじめ糾弾、〝ヒロイン〟アネモネへの傾倒。ここまでされてはもう、婚約の破談は避けられない……)



 メディリアは瞼を閉じ、その裏に婚約者の姿を思い浮かべる。

 体格もよく、頭脳も明晰。顔だちも非常に良い。

 瑠璃色の美しい髪と、紺碧の瞳が麗しい貴公子。

 彼女が愛し、愛されようとした〝冷血王子〟の姿を。


 第一王子の婚約者かつ王妃候補となる道は、公爵の娘に生まれたメディリアにとっても容易ではなかった。

 ドラグライト王国は始祖が竜の血を引くと言われ、代々の王の伴侶には極めて優秀な者が求められている。

 5歳のころから親元を離れ、幾人もの令嬢たちと共に、妃となるための教育と厳しい試験を受け続けて来た。しかも監視もある中で、ばれないような足の引っ張り合いも横行し、才気ある令嬢たちは次々と脱落していった。

 そんな選定の最後まで残り、第一王子の婚約者に選ばれたのが、メディリアであった。



(あれだけ苦労したのに、これでご破算とは、癪ですね。結局わたくしは、あのお方の表情1つ変えられなかった)



 だが婚約者に選ばれてから王妃への道が、また遠い。

 メディリアから誘えばブラッドは受けるものの、彼からメディリアが茶会などに招かれることは一切ない。

 時節の贈り物は欠かさず、贈られたものは大事に使って見せたが、彼がメディリアの贈った物を身に着けることはなかった。

 ブラッドの言いつけもあって、他の令息には極力会わず、交友関係はすべて報告している。だが彼は勝手にでかけることも多く、メディリアには何も言わない。

 おまけにメディリアは幼い頃から一度も――――彼の表情が動いたのを、見たことがなかった。

 愛しているつもりではあったが、愛されているとは言い難い。



(かき乱されるのはいつも、わたくしの心だけ。一度くらい……あの方の本性を見てみたい)



 その上。メディリアが苦心するのを尻目に、貴族学園に入って以降ブラッドには懇意の男爵令嬢ができた。連日、メディリアには黙って彼女の元へ通い続けている。このことは人づてにメディリアの耳にも入っていたが、詮索を嫌うブラッドに遠慮し、彼女は沈黙を貫いていた。

 しかもかの令嬢アネモネには、他にも幾人かの上級貴族の令息たちが入れ込んでいて、その存在は彼らと婚約している令嬢方や、メディリアを悩ませていた。


 悩みの原因は〝ヒロイン〟アネモネには何の瑕疵もないことである。

 この学園は乙女ゲームの世界と違い、身分ごとに校舎すら異なる。彼女から王子たちになどそもそも会いに行けず、出逢えるわけもないのだ。王子や令息の方がどうしてか彼女の存在を知り、わざわざアネモネの元を訪れて彼女に甘い言葉を囁き、口説こうとしているのである。

 男爵の娘が彼らに言い寄られて断れるはずもなく、令嬢たちがアネモネに入れ込む己の婚約者に苦言を呈しても止む気配がない。

 アネモネが彼らを篭絡しているのなら、学園から追放してしまえば済む話であったが、そうもいかなかった。


 この状況に対し、メディリアは彼女を妾か側室に加えることを考えていた。ブラッドのものにしてしまえば、それ以上被害が広がらないからだ。

 しかし大人たちと相談して、ことを進めていた最中。つい昨日、メディリアは前世の記憶を取り戻して真実を知った。



(ゲームと現実は、違うのですよね……アネモネとわたくしや殿下は、身分差があって会えないのですから)



 ゲームでは、アネモネからブラッドらに会いに行き、彼らと恋に落ちる。メディリアは嫉妬して彼女をいじめ、昨日の夜会で断罪。婚約破棄されるところだった。

 だが現実ではそもそも、アネモネが王子らに会えず、彼らを篭絡していない。メディリアもまた、アネモネに会っておらず、いじめてなどいなかった。



(にもかかわらず、彼らはわたくしを貶めてまで彼女を得ようとしている。殿下たちがヒロインの〝秘密〟を知り、付きまとっていると見て間違いない。

 深刻です……わたくしの婚約破棄より、こちらをなんとかしなくてはならない。まずは、ブラッド殿下らをあしらって、本命はその後)



 こつり、と扇の角がテーブルを叩く。

 よく手入れされた分厚い木の天板は、心地よい音を立てたが、メディリアの気は沈む一方であった。

 店の外に、問題の婚約者と、彼の側近候補の令息の姿が見えたからである。

 給仕に案内されて入店してきた婚約者を出迎えるため、メディリアは席を立って礼をとった。



「む……他にも客がいるのか」



 王子の発言に、メディリアは姿勢を正す。

 彼に動揺は見られなかったが、隣に控えている令息は居心地が悪そうであった。



「このテラス区画には、わきまえた方しかおられません。ご安心を」


「そうか」



 オープンカフェのいくつかの席には、人影があった。だがここはメディリアの支配する、小さな城である。

 この貴族学園の中庭は、身分を超えた密会の場に成り果てていた。そこに、管理された交流場所として自身が支配するカフェを建てたのだ。メディリアが誰かと密談するのを嫌う、ブラッドの意向を受けて用意したものである。身分や素性で案内される区画が決まっており、このテラス席にはメディリアの認めた者しか入れない。


 それを思い出したのか、透明な顔の王子はそれきり黙って向かいの席に腰を下ろした。

 メディリアも彼の着席を待ってから、椅子に戻る。



「お話があると伺っておりますが」


「昨夜の会で、伝えようと思ったのだがな」


「わたくしが、さる男爵令嬢に無体を働いている、という件でしょうか」



 王子の後ろに控える宰相の息子、クロアがはっきりと表情を変えて、消した。

 ブラッド王子は、少しだけ眉を動かし。それを見たメディリアは苛立った。自分が変えられなかった王子の表情が、アネモネを引き合いに出した途端に動いたからである。



「殿下が人を使い、何やら証拠を集めていると聞き及んでおります」


「君はアネモネ……アンドリュー男爵令嬢に非道を働いたそうだな」


「どなたでしょうか、その娘は」


「メディリア嬢、惚けるのですか……!」



 もちろん誰か知っているが、メディリアは惚けた。

 彼女の発言にいきり立ったのは、控えているクロアの方であった。

 いい機会だと、彼女は王子の側近として育てられた彼に、視線を向ける。



「クロア殿。あなたも殿下も、直接ご存知なのですね? そのご令嬢を」


「それがどうしたというのです」


「結構。以降は殿下とのお話なので、口を挟まないでくださいまし」



 令息が眉根を寄せたのを見て、メディリアは扇を広げて口元を覆った。確認はとれたと考え、彼女はブラッド王子をじっと見つめる。その表情の変化を、見落とさぬように。



「殿下も、アンドリュー男爵令嬢とご歓談などされたことがあると?」


「学園の中で会い、挨拶や立ち話をすることなど普通であろう」


「いいえ。この学園は自由平等を謳っておりますが、それは建前。簡単に身分違いの者が交友を持てぬよう、道も教室も分かれておりますのよ?

 男爵令嬢となど、どこでお知り合いになったのです? 殿下」



 メディリアの言う通り、身分の低い男爵令嬢から王子に接触するなど、同じ学園の中にいても不可能。有形無形の壁があり、挨拶ですら難しい。ここは貴族社会の、縮図なのだ。



「…………才気ある娘だと、人づてに聞いた」


「それで殿下自ら会いに行かれたと? 残念。彼女の成績は中の下です。男爵令嬢としては優れているものの、殿下のお耳に入るほどではない」



 王子の隣の男はわかりやすく表情を変えたが、メディリアは彼を無視した。

 ブラッド王子の顔から、目が離せなくなっていたからだ。普段なら表情は動かずとも、詮索されたと不機嫌な様子を見せる。だがいかにも、常とは反応が違った。



「そう言われようとも、知っているものは知っている」


(間違いない、ご機嫌が悪いのではない。殿下は焦っている……。

 これは良い機会です。彼女を知った理由は、殿下が隠したい部分なのですね。

 では、そこを抉りましょうか。あなたの本性、見せていただきましょう)



 自ら言い訳を口走った王子を目にして、目元にまで感情が出てしまいそうになり、メディリアはぐっと息を呑んでこらえる。扇をしっかりと広げ、その先を自身の目に向けた。扇に焚き染めてあるほのかな香を嗅ぎながら、声が震えぬように心を落ち着ける。



「なるほど……かのご令嬢が情婦の真似事をしているという噂、まことでございましたか」


「何だとメディリア! 彼女を侮辱しているのか……!!」



 ブラッドの目が見開かれ、唇がわななき、明らかな怒りの色を見せている。

 メディリアは〝冷血王子〟の表情が変わったその瞬間を、歓喜をもって迎えた。



(浅ましい――――!

 この男は今、自分ではなくアネモネが貶められて怒りに震えている! 婚約者がいる前で弁えず、〝冷血王子〟が浅ましい感情を露わにしている!

 たまらない、もっと見たい!)



 ずっと王子が隠してきた、仮面の下の醜い本性を見て。メディリアは、喜びで身を震わせた。ぐっと愉悦を体の奥に押し込み、彼女は笑みを扇で隠してブラッドと視線を合わせる。



「侮辱と仰いましても、人にはそう見られているというお話でございます」


「彼女とはっ、何もない。そのような噂も、事実無根だ!」


「では、どのようにしてアンドリュー男爵令嬢をお知りになったのです?」


「む…………」



 旗色悪しと見たのか、ブラッドの表情が無くなる。

 いつもの顔になられて、メディリアは少々落胆し、再び煽りたてることにした。



「なるほど。ではやはり、下賤な噂を知って自らも彼女を求めに行ったと」


「何もないと言っている!」


「先の通り、挨拶と立ち話程度の関係だと? それだけのお相手に心を砕いて、わたくしが彼女をいじめていた証拠を集めさせたと?

 ご無理がありませんこと?」



 怒り心頭の王子に向かって、メディリアは話を巻き込んで戻した。

 ブラッドの頬に血の通った赤が宿るのを見て、彼女は密かに身もだえる。



「己の婚約者が非道に身を落とすなら、この俺が正すのが筋だ」


「見知らぬ令嬢を、わたくしが貶めたと糾弾することが、何を正すというのです?」


「知らぬだと? まだ惚けるのか」


「ええ。お会いしたことがありませんもの。

 わたくしがどなたに会って、交流があるのか。それは殿下にもお知らせしておりますし、ご精査いただいても構いませんことよ?」


「ならば手の者を使って、彼女を――――」



 メディリアは扇の下で、たまらず口元を歪めた。

 容易くかかった獲物を食いつくさんと、口を開く。



「殿下。このわたくしが、あなたたちが得た〝証拠〟とやら。まだ把握してないとお思いなのですか?」



 ブラッドの顔から、今度は血の気が引いた。

 メディリアは背筋を何度も震えが駆け上るのを、止められなかった。



「会ったことのないはずのわたくしが、()()ご令嬢を害した証拠、証言。作らせるものを、間違えましたね? ブラッド殿下。クロア殿?」



 がたん、と大きな音が静かな中庭に響き渡る。

 メディリアが扇の陰から視線を上げれば、怒りに震えた様子の婚約者と、彼から目を逸らす青い顔の側近が目に映った。

 彼女は法悦に濡れた目を僅かに伏せ、彼らから見えないように注意深く隠す。



「追って、そのくだらない〝証拠〟とやらについて。沙汰があるでしょう」


「沙汰……だと?」


「ここまでのことをされては、婚約の是非にまでことが及びます。なので、真っ先に相談すべき方々にお知らせいたしました」



 国王や王妃、メディリアの実家にも知らされたのだと気づき、今度は王子の顔が青くなる。

 メディリアは歓喜に打ち震え、うきうきとした。

 しかし。



「婚約、を。破棄、するのか? メディリア」



 その青い顔から零れた言葉を聞いて、彼女は体のどこかがすっと冷めたような気がした。



「あら? 殿下。それをお望みではなかったのですか? わたくしを断罪し、妃に相応しくないと仰るつもりで準備されていたのでは?」


「それ、は」


「そしてアンドリュー男爵令嬢を、妃に迎えられるのでしょう? わたくしと婚約を破談にすれば、その障害は少なくなりますもの。

 我が公爵家が殿下の後ろ盾から降り、怒った父が睨みを利かせますから。殿下には他に妃候補がいなくなりますので」


「君は、それで、いいのか。婚約を、破談に、して。俺を、愛して、いるのでは」


「愛情はありますが、関係を継続できるかはまた別でございましょう。子どもの遊びではございませんのよ?」


「いいのか! 嫉妬など、しないのか!?」



 重ねて不思議なことを聞かれて、メディリアは思わず扇を閉じた。ぽかんと口を僅かに開き、急激に血が冷えていくのを感じる。

 彼女とて、嫉妬はする。むしろ嫉妬深い方である。だが現在の状況は、嫉妬が向くそれではない。


 メディリアは男爵令嬢アネモネに、王子からアプローチしたと踏まえている。彼女は、何も知らずに浮気に巻き込まれた令嬢になど、嫉妬する女ではなかった。むしろ今更ブラッドがメディリアを気にする様子を見せるたびに、彼への気持ちがどんどん冷えていく。



「ブラッド殿下。わたくしがどこぞの身分の低い者にでも恋し、あなた様を貶めて婚約を破棄しようとしたらどう思われます?」



 メディリアは1つ道理を説いてみたものの、王子の反応は薄かった。

 ブラッドの瞳が冷たくなり、顔がいつもの透明な表情に戻っている。



「ご興味がない、といったところでしょうか」


「そうでは、ない……ない、が。君がそんなことを、するなど。想像が」


(なるほど。この方……頭は回るけど、想像力は皆無だったのですね)



 メディリアは、己の中から冷たさが湧き上がるのを自覚した。

 彼女は無作法を承知で、何か〝想像〟がついた様子の、王子の隣で青くなったり白くなったりしている側近のクロアに扇を向ける。



「クロア殿。宰相閣下の息子ともあろうお方が、何を呆けておられるのです。少しは殿下に、諫言なさらなくていいのですか?」


「っ。ブラッド、メディリア嬢は、もう、お前の、ことなど。妃になる、つもりは」



 令息が声を絞り出して告げると、ようやく王子はハッとなった。



「わたくしからは何とも申しませんが。

 その気があるならわたくしが最初に申し上げるべきだったのは、彼女へのいじめの是非などではありませんでした。彼女を側室にするか、妾にするのかという問いかけです」


「お、俺は。君を側室に迎えるという話をしたかったのだ」



 メディリアは、案の定かとため息が出そうになった。

 結局。王子たちは、男爵令嬢を正室に迎えるために、こんな茶番に打って出たのである。メディリアが令嬢をいじめていたと偽の証拠で糾弾し、彼女を貶め、側室に押し込む狙いだったのだ。



「わたくしを側室に、男爵の娘を正室にということですか。ではやはり破談ですね。公爵家は、男爵家の下につくことなど許しません。

 男爵令嬢を正室に置き、側室に甘んじることを認めてくれる奇特な方など、おりませんよ?」



 顔色悪く、立ったまま黙り込む二人を見て。メディリアはさらなる悪戯を思いついた。



「ああ、でもそう。クロア殿なら、お心当たりがおありでは?」


「なぜクロアが……」


「クロア殿とご婚約されてる辺境伯令嬢。お年上ですが、まだ結婚が進まないと周囲に漏らしておいでです。こんな与太話でも、受けてくださるかもしれませんよ?

 その気がないのであれば、忠誠を誓う殿下にお譲りしてはいかがでしょう?」



 王子が救いを求めるような目で隣を見て、憤怒で赤くなりそうな瞳で睨み返されている。

 メディリアは彼らが結婚できぬ事情を、わかった上で言っている。ブラッド王子の立太子や結婚が進んでいないから、側近のクロアは身動きがとれないのだ。



「代わりというわけではございませんが。クロア殿のリーブス侯爵家は、セラフィナ第一王女殿下の降嫁を願っては? あの方もお相手がおらず……結婚を断り続けているのは、待ち人がいるからとも噂されておりますね?

 王女殿下と懇意と聞く、クロア殿?」


「き、貴様! 姉上とどういう!」


「違う、私は断じてそのような!?」



 今度は王子が赤くなり、側近が弁明しながら青くなっていく。王子が姉と仲がいいのを、メディリアはよく知っていた。

 なおセラフィナ王女が結婚しない本当の理由は、弟のブラッドが片付かないからである。彼女には他国に想い人がいることも、メディリアは承知していた。


 メディリアはしばし、にらみ合う二人の様子を愉快そうに眺めていたが。



(本性の底が浅い……飽きましたね)



 扇を一度開き、ぱちんと閉じた。

 数人の給仕が寄ってきて、王子たちの後ろに控える。



「お二人の間で、どうにもお話し合いが必要なようですね。

 ブラッド王子殿下と、クロア殿はお帰りです。ご案内を」


「め、メディリア! 違う、違うのだ!

 君が不満なら、君を正室に迎える! 俺は君を――――」



 口走る王子に嫌な予感がし、メディリアは扇の先端と冷たい視線を彼に向けた。



「今更それを人前で言ったら、逃げ場がなくなりますよ? 殿下」



 人前、と聞いて。慌ててブラッドとクロアが周囲を見渡す。

 ここにいる客は、メディリアと懇意の「弁えた者たち」。だが彼女は、客たちが見聞きしたことを外で話さないとは、保証していないのだ。



「…………このようなこと、クロア殿に仰っていただきたいのですが。

 ここで言を翻せば、殿下はさらに信用を損なわれる。

 それでも、言われるのですか? ブラッド殿下」



 メディリアの言葉は、ある種の挑発でもあった。できるものならやってみせろ、という。



「俺、は……」



 果たしてブラッドは何事かを口ごもり、幾度か口を開きかけたものの。肩を落として、メディリアに背を向けた。

 結局〝冷血王子〟の血は、メディリアに対しては一度も滾らなかったのだ。


 そして。



(愛しておりました…………さようなら。ブラッド殿下)



 メディリアが彼をまだマシな道へ押し戻したのは、彼女に残された最後の愛情ゆえだった。

 彼らはしばらくためらっていたが。メディリアが立って深く礼をとると、給仕に先導されて店の外へ歩いて行った。



(さて、本番はここから)



 メディリアは、王子たちからは死角になっていた、奥のテーブルに目を向ける。そこから二人の令嬢が立ち上がり、メディリアの元までやってきた。



「兄とブラッド殿下、帰してしまってよかったの?」



 メディリアは、先の令息クロアと同じ赤毛の令嬢を見てほほ笑んだ。



「良いのです、スピリア。巻き込んでしまってごめんなさいね。

 3つのお願い、叶えてくれてありがとう」


「いいのよ、これくらい。でも……そろそろ3つ目の理由は聞きたいわね?」



 宰相の娘、リーブス侯爵令嬢スピリアが、隣の桃色の髪の娘をじっと見ている。



「ちゃんと連れて来てくれて、助かりました。

 理由はまぁ……話を聞いていってください」



 メディリアが、昨日夜会直前にスピリアに願ったことは3つ。

 1つ目は、会の様子を仔細に知らせること。

 2つ目は、自分が出席しないことを特定の人物たちに教え、反応を知らせること。

 これらに「思い出した記憶」を合わせ、メディリアは王子への対処を組み立てた。


 そして3つ目。



「メディリアです。あなたは」


「アンドリュー男爵の娘で、アネモネと申します。初めまして、メディリア様」



 他の者に気取られずに、アネモネを探して出して保護し、メディリアの元へ連れてくること。


 アネモネが、深く礼をとる。思う以上に優雅で、メディリアは視線を吸い寄せられた。

 彼女の顔が上がるのを待ち、メディリアは椅子に腰を下ろす。

 スピリアとアネモネもそれに続き、テーブルについた三人の前にはさっと給仕がカップを置いた。


 メディリアは茶にも手をつけず、じっとアネモネの黄金の瞳を見つめた。第二王子のバロックや、第一王女のセラフィナと同じ色のその目を、見た。



「スピリアから聞いていると思いますが。

 わたくしがあなたをいじめていたと、そう吹聴する者たちがいるようです。

 ブラッド殿下もまた、それをお調べになっていた。

 心当たりは?」


「まったくございません」


「ブラッド殿下らと歓談したことがある、というのは」


「事実でございます。第一校舎隅の廊下の角で、連日お声がけいただきました」


「彼らがわざわざ用のない第一校舎まで行き、あなたを狙って声をかけたと。内容は」


「当たり障りないものにございました。名をお尋ねになり、ご挨拶し、私の身の上など少々」


「それ以外のことは?」


「特には」


(王子たちは探りを入れていた……間違いない)



 静かに答えつつも、アネモネの表情は柔らかくころころと変わった。

 そんな彼女を目にし、メディリアはテーブルに扇を置き、姿勢を正して向き合った。



「彼らがあなたのことを知った理由。ご存知ありませんか?」


「殿下方からは何も。メディリア様は、どう思われますか?」



 質問を返され、メディリアは気圧されたように感じ、僅かに息を呑んだ。いつの間にかじっとりと手汗をかいており、テーブルの下、膝の上で両手を握り締める。



「彼らは、竜の血を引く王族にしか出ない、その黄金の瞳に何かを見出したと考えられます。お心当たりは」



 メディリアは、ゲームの知識で彼女の〝秘密〟を知っている。だがそれだけでは、話をする根拠として弱い。だからこそ、王子たちとの会談をアネモネに見せ、こうして尋ねた。

 果たして。



「そう。()()のことですか」



 彼女の瞳孔が、()に細長く開いた。


 〝ヒロイン〟アネモネは、竜の女王。

 王国始祖の転生体と言われる存在であった。単騎で国すら滅ぼす、本物の竜の力の持ち主である。


 前世の知識を取り戻したメディリアにとって、婚約だの正室だの側室だのは全く問題ではなかった。アネモネが「誰の味方に付くか」が肝だったのである。彼女がブラッド王子の妃となり、彼がよからぬことを企んだ場合、大変なことになるのだ。望まぬ従属を強いられるか、実家の公爵家ごと破滅させられてもおかしくなかった。


 なのでまず、アネモネの身柄の確保をスピリアに頼んだ。その上で、彼女を味方につけられるように動くつもりであった。秘密を教えてもらえるくらいに、信用を得られればと考えてはいたが。



「驚きました」


「この目に、ですか?」


「いえ。明かされたことです。ずっと秘されてきたのでは」



 竜の女王であることは、ゲームでは、アネモネが両親に言われて秘密にしてきた事実である。彼女はこの秘密を守るために、目立たぬように行動し、成績もわざと落とし、人からは注目されないようにしていたという。

 メディリアは彼女との信頼関係を築くのに、長い時間を要すると覚悟していた。



「先ごろのやりとりを、聞いておりましたので。この場で明かしても問題ないと、判断しました」



 アネモネが厳かに答える。

 このカフェはメディリアの手の者で固められており、それも含めての「竜の女王」の評価だと彼女は悟った。ずいぶんと気に入られたようである。



「殿下らは、ご存知では」


「明かしたことはありません。疑ってはいるようでした。

 だからまぁ、泳がせていたわけですが」


「目的を伺っても?」


「私を狙う輩がいれば、さらに動き出す者が現れるでしょう?」



 黄金の瞳が。竜の目が。

 じっとメディリアを見つめている。

 その柔らかで印象薄く、愛想のいい顔の下から。



「あなたを待っていました、優秀なる者。メディリア様」



 獰猛な笑みが、覗いた。

 メディリアは腰の奥から背筋を駆けあがる、甘美な震えを止められなくなった。扇もなく、隠せず紅潮した顔を黄金の瞳の前に晒す。


 メディリアは、美しい笑みの下で足を引っ張り合う令嬢たちを出し抜き、ブラッド王子の婚約者の座を勝ち取った。単純に優秀だったのもある。だがそれ以上に、仮面の下の醜い本性を暴くのを得意としており、人を貶める者たちを次々葬り去ってきたからであった。

 そんな彼女は、人の見せる本性というものの、虜になっていた。



(これほど痺れる〝本性〟は、見たことがない……!

 完璧な少女の裏に、全生物の頂点に立つ凶暴さが隠されている!

 悍ましく、恐ろしい! 見られたい、この瞳に射抜かれたい!)



 テーブルの扇を手に取ったメディリアは、熱に浮かされたようにふらつきながら立ち上がる。アネモネの椅子の隣に控え、彼女に対して深く深く礼をとった。竜の女王に対して、ただ敬意と恐れを表してのものではない。



「如何様にも、お使いくださいませ」



 両手で恭しく、扇を捧げて差し出す。

 それは、臣従の礼であった。


 座ったままのアネモネに扇をとられる。

 頭を下げ続けるメディリアの両肩が、扇で一度ずつ触れられた。



「あなたがいずれ、私のツガイとなることを――――期待しています」



 ドラグライト王国は始祖が竜の血を引くと言われ、代々の王の伴侶には極めて優秀な者が求められている。

 これは、竜が英雄を好むからであるとも、伝えられており。


 メディリアは自分が〝選ばれた〟のだと、そう直感した。




優秀なツガイ候補を得てはっちゃけた女王様に連れられて、メディリアは(王子たちが)大変なことになる様を、見せつけられることになる。



 ◆ ◆ ◆



ご感想やご評価、ありがとうございます。

遅まきながら御礼も兼ねて、短編集として別視点のものをあと4つほど提供予定です。

こちらで言及のある辺境伯令嬢(クロアの婚約者)と、彼女を王子に捧げようとするクロアの話。

そのクロアの末路と、ブラッドの行く末。

最後はアネモネ視点で「この後どうなったか」を描きます。

よろしければお読みくださいませ。



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― 新着の感想 ―
主人公が興味深い…… こう、じぃっと観察するタイプの令嬢って初めて見ました
めっちゃ良かった!
冤罪を企てた馬鹿王子視点のざまぁを激しく読みたいです。
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