不思議な出逢い
眩しさに無理やり叩き起こされる。意識が覚醒したと同時に感じたのはガンガンと鳴る頭の痛みだった。
「うぅ、痛い……」
頭を押さえてレンは蹲る。最悪の目覚めだ。しばらく痛みに悶え苦しんだ後、ようやく体を起こすことができたが、
「おっ、ぅ」
突然襲い来る途轍もない吐き気。レンは急いで口元を押さえた。こんな場所で戻すわけにはいかない。
バタバタと派手な音を立てながら扉を開けると、ちょうどいいタイミングでトビーと鉢合わせた。
「あ、お、おは……」
「トイレ!どこ!?」
挨拶しようとしたトビーを遮り、トイレの場所を尋ねる。その剣幕にたじろぎながらトビーは廊下の奥を指し示した。
「えっ!あっ、あそこ!」
レンは示されたドアへ急いで駆け込む。危機一髪なんとかギリギリ間に合った。
「最っっ悪だ……」
吐けるだけ吐いた後、レンは広間のソファに項垂れていた。未だに頭痛は治まらないし、倦怠感も酷い。この体はチートじゃなかったのか?
ステータス画面を開いて『スキル』の欄を確認していく。
「…………これか?」
ざっと流し見していくと『状態異常無効』の文字が。使いたいと思った途端今まで感じていた頭痛と倦怠感はさっぱりと消え去った。
「なんだ、あるんじゃん」
スキルを使う時は毎度ステータスを開かないといけないのだろうか。
「面倒くさいな……」
しかし、昨日使った『翻訳』や『サーチ』は態々探さずとも視界の端に現れていた。その差は一体なんだろう。
「何か条件があるのか……?」
レンが一人で首を捻っているとトビーがコップを片手に近づいてきた。
「お、お水、持ってきたよ……」
さきほどは恥ずかしいところを見せてしまったためなんだか気まずい。「ありがとう」の一言をなんとか捻り出し受け取った。スキルを使っても口の中の気持ち悪さは依然残ったまま。清涼な水で押し流して、ようやくスッキリした。
「お、おいら、これから行くとこあるんだけど、大丈夫……?」
「ああ。もう大丈夫だ」
「ならよかった……じゃ、じゃあ、おいら行ってくるね!」
バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。人の気配がなくなり、部屋の中は静まり返った。
ふっと一息つく。これから何をしよう?異世界といえば、思い浮かぶのは……
「冒険、だよなぁ……」
昨日の昼間に見かけた冒険者さながらの格好をした人々を思い出す。冒険者がいるということはこの世界にもモンスターがいるのだろう。
「他にしたいこともないし。冒険者、なってみるかぁ」
そうと決まれば、早速準備をしよう。まずはこの服装をどうにかしたい。昨日は服すらまともに買えなかったが、今は賞金がたんまりある。しばらくお金の心配は要らないだろう。
部屋へと戻り、大きな賞金袋の中から何枚か取り出してみた。金貨だ。この世界では金貨一枚にどれだけの価値があるかは分からないが服を買う分には十分だろう。部屋の片隅にあった持ち運びしやすい大きさの麻袋へいくらか詰め込み、屋敷を出た。
「さて、どっちへ行こう」
全く知らない土地である。昨夜の道を辿るには記憶が曖昧すぎるし、変な方角へ行っても徒労に終わる可能性がある。周りはボロい建物ばかりで目の届く範囲には服屋があるように見えない。誰かに尋ねようにも通っていくのは強面の者や今にも死にそうな不健康な人たちばかりで声をかけづらい。昨夜は暗くて気にしていなかったが、決して治安が良いとはいえない場所だ。
「ここってまさかスラム街ってやつ……?」
メディアなんかでよく見るようなスラム街を思い出す。実際に見たこともないし、よく知っているわけではないが、こんな感じじゃなかっただろうか。
「あれ?レンくん、そんなとこでどうしたんッスか〜?」
明るく元気な声が耳に届いた。駆け寄ってきたのはマクロスである。
「いや、服屋に行こうかと思って」
「あ~確かに、そのカッコじゃあ不便そうッスからね!」
着ていて楽だし、不便ということはないのだが、否定するのも面倒なので反論はしない。それよりもいいタイミングで来てくれて助かった。
「近くの服屋ってどこにあるんだ?」
これ幸いにと服屋の場所を尋ねる。特にこだわりもないので近い方が良い。
「ん~~、近くって言ってもここを抜けないといけないし口で言って分かるッスかねぇ……」
すぐに返答が返ってくるものだと思っていたが、予想に反してマクロスは頭を悩ませる。そんなに分かりにくい場所にあるのだろうか。
「そうだ!オレが案内してあげるッス!」
名案だとばかりに声を弾ませるマクロスに対し、レンはぎょっとした。
「いや、そこまでしてくれなくていいよ」
「まあまあ、遠慮しなくていいんスよ!ほら、オレに着いてくるッス!」
止める間もなく、マクロスはさっさと歩き出す。きっとレンが何を言っても聞かなさそうだ。結局、説得は諦めてついて行くことにした。
しばらくついて行くこと数十分。入り組んだ建物群を抜け、開けた場所へと出た。さっきまで居たスラム街と違って建物も綺麗だし、通り過ぎる人々も至って普通だ。凄く安心感を覚える街並みである。
「あ……」
ついて行く途中、ふと目についた建物。冒険者らしい格好をした人たちが出入りしており、翻訳スキルによると大きく掲げられた看板には『冒険者ギルド』と書かれているようだった。
「レンくん?どうしたッスか?」
立ち止まったレンに気づいたマクロスが振り返る。そうだ。ギルドも気になるが、今は服を買うのが優先だ。
「いや、何でもない」
服を買った後に寄ってみるとしよう。
マクロスが連れてきてくれたのは周囲の建物より古ぼけている店だった。中を覗くと衣類だけでなく、防具や武器等も取り扱っているようで服屋というよりは装備屋といった方が良いだろう。
「てんちょー!お久しぶりッス!」
マクロスが店中に届く大声で呼びかけると雑多に並ぶ商品棚の奥からエプロンを身に着けた中年男性が現れた。
「おう、マクロスじゃねぇか。いつもの買いに来たんか?」
「それもッスけど、今日はこっちの新入りが用があるんスよ」
親しげに話していた所で、急に話を振られる。レンは突然のことに驚きながら、てんちょーと呼ばれた男へ会釈した。
「あ、はじめまして……」
「おう!見てわかる通り、俺はここの店長やってんだ。よろしくな!品揃えはバツグンだから、何か欲しいもんあったらぜひうちを使ってくれ!」
にかっと白い歯を見せて笑う店長。雰囲気がどことなくマクロスに似ている気がした。
「じゃあ、早速この子に新しい服を見繕って欲しいッス!」
「服か!任せろ!よし兄ちゃん、こっちだ」
そう言って店内へと案内されていくレン。中は思ったよりも広く、たくさんの商品が並んでいる。流石、品揃えを自賛するだけのことはあるようだ。
「兄ちゃんのサイズならこの辺りだな。自由に見てってくれ。そんじゃあ俺はカウンターの方に居るから何かあったら呼んでくれよ」
「は、はい。ありがとうございます……」
ぺこりとお辞儀してカウンターへと向かう背中を見送った後、商品棚の服へと手を伸ばした。
レンは無難にインナーとシャツ、動きやすそうなズボンを数着選んだ。これだけあれば充分だろう。
会計しようとカウンターへと向かう途中、ふと、ある物が目についた。色々な道具が並ぶ中に紛れ込んだ、1つのボディバッグ。何となく気になって、手に取ってみる。
シンプルなデザインで、邪魔にならない軽さとサイズ感。中身を見てみると見た目に反して色々と入りそうだ。いつまでも麻袋のままじゃなんだか味気ないし、買ってみても良いかもしれない。
「レンくーん!なーに見てるんスか?」
突然後ろから声をかけられ、レンは吃驚して振り返った。声の主は案の定マクロスだ。
「あ、ああ。このカバンいいなって思って見てたんだ」
「へー、カバンッスか!どんなのッスか?」
「これだけど……」
カバンを手渡すと、マクロスはまじまじと見始めた。そして、タグを手に取ると、驚きの声をあげる。
「これ、『一級マジックアイテム』じゃないッスか!」
「マジックアイテム?」
なんだかわくわくする響きだ。何の変哲もないカバンに見えるがそんなに凄いものなのだろうか。
「ああ、そいつか。お目が高いな兄ちゃん。そいつぁ最近手に入った逸品だぜ」
いつの間にやら近くに来ていた店長がカバンを指差した。
「一級の魔道具師が手掛けた代物で、どんな攻撃を食らっても壊れることは絶対にない。そして、どれだけ物を詰め込んでも変わらない軽さだ。さらに……」
店長はマクロスからカバンを受け取ると、「オープン」と一言呟く。そして、中を開くと棚から長めの棒を取り出し、カバンの中へと入れ始めた。明らかに入らないサイズのそれはするすると収納されていく。
驚いて呆けていると店長は声を出して笑いながらカバンをレンへ手渡した。
「カバンの中に手ぇ突っ込んでみろ」
言われた通り、おずおずとカバンの中へと手を入れる。カバンの中は、本来あるはずの底がなくなっており、絶対に入らないであろう位置までレンの腕が入ってしまった。実際に目に見えている現実と違う感覚に脳がおかしくなりそうになりながら、手を進めていくとコツンと指先が何かに当たる。
「これって……」
掴んでゆっくりと引っ張り出してみると予想通り、その正体は先ほど店長が入れた棒だった。
「ははは、どうだ。凄いだろう?なんと、亜空間機能付きだ」
「すっげー、オレ初めて見たッス……」
カバンの中身を覗き見てみれば、中には真っ白な空間が広がっている。何処まで拡がっているかは全く分からない。
「このカバンの口に入る大きさの物であれば何でも入るぜ。手を入れて取り出したい物を思い浮かべたら呼び出せるから、この空間で失くす心配もいらない。閉じたい時はこいつに向かって『クローズ』と言えば勝手に閉じてくれる」
レンが試しに「クローズ」と呟くと、カバンの中の亜空間は歪み、段々と小さくなってパチンと弾けて消えてしまった。後に残ったのは元の何の変哲もないカバンである。
「もちろん、閉じても中の物は無事だから安心しな。あと、ここの記名欄に名前を書いておけば、他のやつが唱えても開かなくなるぞ」
凄い。説明を聞いたことで更にこのカバンが欲しくなった。
「どうだ、兄ちゃん。気に入ったか?まあ、値は張るが、一生使えるだろうからな。それに、他の店で買うなら途端に値が跳ね上がる。うちが一番お得に買えるだろうなぁ」
「てんちょー、営業があからさまッスよ……」
絶対に買おう。そう決めた所でレンはお金のことを思い出した。これだけ凄い物を今のレンの手持ちで買えるだろうか。
「あの、これっていくらするんですか?」
「なんと、金貨20枚だ。まあ、今すぐ全額払えなくてもいい。マクロスの知り合いなら信用出来るしな。ローンを組んで……」
「あ、それなら大丈夫です。金貨20枚ぐらいなら多分あります」
念の為沢山持ってきていて良かったと安堵しながら麻袋を開ける。瞬間、バッと伸びてきた腕によってその動きを止められた。
「ちょっ、何やってんスか!?こんな大金ホイホイ持ち歩いて……バカじゃないッスか!」
マクロスが物凄い剣幕で捲し立てる。まさか、こんなことで怒鳴られるなんて思いもよらなかったレンは思わず固まってしまった。
「はあ〜まさかそんな大金持ち歩いてるだなんて思わなかったッス……この道中でスられなかったのは奇跡ッスね。レンくん、ホントに気をつけてくださいッス!」
「ご、ごめん…………そんなに大金だったなんて、知らなくて……」
レンの言い訳を聞いたマクロスはきょとんとした表情を見せた。
「え?分からないんスか?」
「え?う、うん」
返事をして気づく。この年になってお金の価値が分かってないのは確かに可怪しいことだ。異世界から転移して来たことをレン以外知らないのだから、その反応は当然の物だった。
「はーー、まじでよく今まで生きてこれたッスね。……もしかして、レンくん、どっかの金持ちの箱入り息子だったり……?」
「いや、別にそんなことはないよ」
「はっはっは。すげえなぁ、兄ちゃん。んで、結局買うってことでいいのかい?」
「ああ、はい。お願いします。あと、買った服に着替える場所とかってありますか?」
「おう、奥の方にあるぜ。後で案内してやるよ」
そう言って店長はカウンターへと向かう。その後に続きながらレンはマクロスからお金について教えを受けていた。
「お金の種類は銅貨、銀貨、金貨の3種類ッス。銅貨20枚で銀貨1枚分、銀貨20枚で金貨1枚分ッスね」
「なるほど。ちなみに、この服一着でいくらぐらいなんだ?」
レンは自身が抱えている服のうち1枚のシャツを指し示し、尋ねた。何の柄もついていない、よくあるような触り心地の普通のTシャツ。もとの世界で言うと、大体1000円以内に収まるぐらいだろうか。
「これだと銅貨6枚ッスね」
さらりとマクロスが答える。なるほど、シャツ1枚で銅貨6枚。となると……
「え、じゃあオレが持ってきた金額って……」
「そうッスね。大体馬車が丸ごと買えるくらいの値段じゃないッスか?買ったことないんで知らないッスけど」
投げやりにそう答えるマクロス。具体的な馬車の相場なんて分からないが、流石に持ち歩くにはとんでもない大金だということは分かる。
「まじか……」
「えぇ……本当に分かってなかったんスね……」
麻袋の中身の価値が分かった所で途端に恐ろしさを覚える。マクロスの言った通り本当にスられるようなことがなくて良かった。早く、このカバンを購入してしまいたい。急いでカウンターへと向かった。
「ありがとうございました」
「おう。また来いよ!」
軽く頭を下げ、店を出る。店の奥にあった試着室にて着替えさせてもらったので今のレンはもうスウェット姿ではない。着ていた服、他の購入した服、お金は全て、カバンの亜空間へと収納済みだ。実に便利である。
さて、服も着替えたことだし、気になっていた冒険者ギルドへと向かうことにしよう。
「レンくんはこれからどうするッスか?」
「ちょっとギルドに寄ってみようと思う」
「了解ッス!オレはこれから別件の用事があるんで行かなきゃなんスけど、大丈夫ッスか?」
「うん、大丈夫。色々とありがとう、助かったよ」
「なら、良かったッス!それじゃ!」
マクロスは笑顔を見せるとくるりと踵を返してその場から駆けていった。
石造りの立派な建物の前にレンは立ち止まった。
「ここがギルド……」
これから夢にまで見た冒険者としての生活が始まるのだ。ボンドルドやアレキサンダーとの闘いでこの体のチート具合はある程度分かった。このチートを使って無双して、沢山の人を助けて、持て囃される。そんな輝かしい日々をこれから送れるのだ。
ワクワクとした気持ちで扉の取っ手へと手を伸ばした時だった。手が届くより先に扉が向こう側から開かれる。扉を開けたのは一人の女性だった。
「うわっ」
「ん?おや、すまない。人が居ることに全く気が付かなかった。怪我はないかい?」
「え……ああ、はい。大丈夫です」
亜麻色の髪を短く切った、長身の麗しい女性は同色の瞳でこちらを真っ直ぐと見つめると、わずかに細めた。
「なら良かった。すまないが、今は少し急いでいてね。お詫びはまた次の機会でもいいかな?」
「あ、はい。…………はい?」
「ありがとう。では、私は失礼するよ」
状況がよく分からないまま返事をしてしまったレンを置いて、女性はその場から立ち去って行く。
次の機会とはどういうことだろうか。ここによく来る人なのか。はたまた、ただの社交辞令というだけで深い意味はないのか。
まるで一陣の風のようなその女性はレンの心に深い印象を残していった。