エピソードゼロ
暗闇の中で唯一液晶画面のみがギラギラと輝く。画面には大きく映し出された「You lose」の文字。コントローラーを放り投げた少年は大の字になって寝転んだ。そうしてようやく、目の奥がずっと痛みを訴えていたことに気づく。
「……寝るか」
その前に、先ほどから催していたこの尿意から片付けよう。起き上がり、閉め切った部屋のドアを開けた。
ドアの前にはいつものように用意されている、お盆に乗せられた食事。恐らくもう冷めきっているだろう。食事だけ部屋に入れて、傍に置かれた紙は見なかったことにした。
トイレを済ませ布団にもぐり込むと、さっきまでの眠気はどこに行ったのか。目を閉じても全く眠れそうにない。
――いつもそうだ。目を瞑れば脳裏に浮かび上がるのは後悔ばかり。どうしようもない現状に焦っても何もできずに一日が終わる。
何度このような夜を繰り返しただろう。これから何度繰り返すのだろう。この世界から消えてしまいたい、そう何度も願った。死にたくはない。死ぬ勇気なんてない。だから――
「異世界に、行きたい。異世界に行って、異世界特典として貰ったチート能力で無双して、たくさんの美少女に囲まれて、チヤホヤされたい。」
小さく口から漏れ出た言葉は暗闇に溶けていった。カーテンの向こうでは太陽が昇り始めていた。
「おめでとうございます!あなたはこの度、選ばれました!」
ハッと目を開けた。先程までいたはずの狭くて薄暗い部屋とは比べものにならないくらい広い広い空間。真っ白でまっさらな何もない――否、一つだけあった。実際の玉座なんて見たことないけれど、玉座だと一目でわかるほど立派な椅子。その前に――絶世の美女が立っていた。足元まで真っ直ぐに垂れ流された輝く金髪。深海のような青い瞳。見る者全てが魅力されるであろう美しい美貌。女は柔らかく微笑み、口を開いた。
「私は神です!あなたを異世界に転移してさしあげましょう!」
「………………は?」
ようやく出せた音は少し震えていた。
自称神はフェメラルと名乗った。
「日景煉さん、私の世界にあなたを招待します!あなた方の世界で流行っている、所謂異世界召喚というやつですね♪」
「異世界……」
「はい!もちろん、そのまま送り出すわけではありません!あなたが望むもの全てを与えましょう!」
「望むもの全て……」
オウムのように言葉をくり返すことしか出来なくなった少年――レンを気にもとめずフェメラルは話を続ける。
「そうですねえ……例えば、強靭な肉体や高い身体能力!様々なスキルや魔法!さらに……」
次々と挙げられていく魅力的な特典。夢みた展開に気分が高まっていく。
「オレ、本当に異世界に行けるのか……。」
ぽつりと落とした言葉。口に出したことでじわじわと実感が湧いてきた。
「全部だ!」
突然上げられたレンの大声に未だに続いていたフェメラルの言葉がピタリと止まる。
「言ってたやつ、全部くれ!」
興奮で大きく見開かれた黒目。それを見てフェメラルは笑みを浮かべた。
「もう〜煉さんは欲張りですねぇ〜。私、そういうの嫌いじゃないですよ♪」
ウインクをするフェメラル。羞恥によるものか照れによるものか、レンの頬が赤く染まる。
「それではあなた様に、全てを授けましょう。」
今までの愛嬌のあるものとは違う厳かな声に気圧されていると、突然レンの足元から複数の光が出現した。レンを取り囲むようにして現れたその光たちは次々とレンの体へと吸い込まれていく。触れても、熱くも冷たくもない。
やがて全ての光が吸収された。
「お待たせしました!どうですか?強大な力を手に入れた気分は!今のレンさんに敵う人なんてきっとどこを探してもいませんよ♪」
先ほどの威厳はどこに行ったのかまた愛嬌のある仕草をするフェメラル。
「……なんだろ。少し体が軽くなったような……?」
寝ても覚めてもとれなかった体の怠さがなくなった気がするが、正直これといった違いは分からない。
「ふむ。では試しに『ステータス』と唱えてみてください!」
なるほど、マンガやラノベでよく見るやつだ。
「ステータス」
言われた通り唱えると、目の前に文字が浮かび上がった。
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ヒカゲ レン Lv. ▓▓▓
生命力 ▓▓▓
神力 ▓▓▓
〈魔法適性〉
・火属性魔法
・水属性魔法
・土属性魔法
・風属性魔法
・光属性魔法
〈スキル〉
・体力増強
・筋力増強
・防御力増強
・攻撃力増強
・魔法強化
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︙
︙
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「すげぇ……」
ずらりと現れた内容に思わず狼狽える。能力を使う前に読むだけで疲れてしまいそうだ。そして何より気になったのはなぜか読めなくなっているレベルと生命力、神力の欄。生命力がHPだとすると、神力はMPのようなものだろうか。
「なあ、これなんで読めなくなってるんだ?」
フェメラルが表示されている文字を覗き込むためにレンに近づく。いい香りが漂った。
「あ、これ一気に付与したのでバグっちゃってますね!」
フェメラルがてへぺろと舌を出す。
「はあ?どうにかならねえの?」
「一度こうなってしまったらどうしようもありませんねぇ。ま!この顔に免じて許しちゃってくださいよ〜♪」
ずずいと体を近づけられてレンは後ずさる。こんな美女に近寄られたことなど今までない。思わず赤面しながらこくりと首を縦に振った。
「ではでは気を取り直して、さっそく行っちゃいましょう!煉さん、しばらくの間目を瞑っていてください!」
言われた通り瞼を閉じた。
今まで散々だった人生。異世界でやり直して今度こそ理想の人生を歩むのだ。
「いってらっしゃいませ〜♪」
フェメラルの声がだんだんと遠くなっていき――
空気が変わったのがはっきりと分かった。レンはゆっくりと瞼を持ち上げた。