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ファナの考え






 建物のなかは、天井がやたらに高く、ひろびろとしている。陽光のさしこむ、居心地のいい社交室のような場所で、やわらかい座面の長椅子(ソファ)へ腰掛け、ファナはお茶を戴いていた。

 向かいには国王夫妻が座っている。背凭れが立派な、豪奢ながらも仰々しくはない、上品な椅子に。

 ファナはからになったマグを置き、頷いた。

「つまり、ロート殿下の後見人をしろと、そうおっしゃるのですか?」

 国王夫妻は顔を見合わせる。それから、どちらともなく、ファナへ向かって頷いた。


 話は、実に単純明快だった。噂には多くの事実が含まれており、実際のところ殿下は計算もまともにできないし、読み書きも子どもと同じ程度にしかできないという。

 乗馬と弓は得意だが、動物を殺すのはこわがってできないので、武勇もない。狩りに出たことは一度きり。鳥を射殺したものの気を失って、それからは狩りに誘っても泣いていやがる。狩りにはいかなくていいと説き伏せて、今も毎日鍛錬だけはしている。体を動かすのが好きではないようなので、それくらいはさせないと健康に障ると医師がいうからだそうだ。

 読み書きや計算も、乗馬と弓同様毎日授業があるけれど、この数年進歩はない。簡単な文章は読めるが、公的な書類などは、どこまで理解しているかわからない。

 それらが終われば、植物園にいりびたり、植物の世話をして、また絵を描いてすごしているという。ただ、彼がなにを描いているのかは、誰にもわからない。日が落ちると、部屋で楽譜を眺める。歌曲を聴くのが好きだが、一音でも間違うと不機嫌になる。

 ぽつぽつと、国王陛下や侍従長が話す内容に、ファナの侍女達の眉間に次々と皺があらわれる。ふたりとも不満そうで、不快そうで、時折同意を求めるようにファナを見たけれど、ファナはそれを無視した。


「むごいことをいっているのは承知だ」

 陛下は渋い顔で、小さく頭を振る。「だが、難しい子でね。気にいらない相手だと、まったく、相手にしない。しかしどうも()()は、君を気にいっているらしいのだ」

「わたくしを? 殿下は先程、わたくしをこわがっていらっしゃいましたが」

「緊張しているだけだと思うわ」

 王妃が遠慮がちに口をはさんだ。「あの子は悪い子ではないの。いいえ、それどころか、とても優しい。ただ少し……子どものようなところがあるだけです。あなたにもすぐに慣れるわ。以前、謁見の宴にいらしたでしょう? あの子はあなたを見て、楽しそうに、にこにこしていたの。あなたがとてもいいお嬢さんだとも聴いて、へーレへ無理をいって……」

 ファナは寸の間黙る。成程、やはりへーレ家は、王家にいわれて婚約をなしにしたようだ。お金の出所も、これは、王家で間違いない。

 王家所有の宝飾品を売り払えば、金貨三千枚なら工面できる。王家がなにかを売ったとか、金をつくっているという情報は、宮廷にごく近しい貴族にしか伝わらない。いつまで経ってもよそ者貴族から昇格できないウルー家には、残念ながら情報ははいってこない、ということだ。

「これは、便宜的な結婚だと、そうおっしゃいましたが」

「ああ、心配は要らない。ロートは男女のこともわからないのだ。もう十八にもなるし、官女達を、その」

 陛下は口ごもる。

 幾ら嫁になるといえ、うら若い乙女に聴かせる話ではないと思ったのだろう。ファナは噂を思い出していた。殿下が、官女や令嬢にからかわれても、こわがって陛下達に泣きつくという、あれだ。


 国王夫妻には現在、ロートしか男児がいない。ロートに妻を、そして子どもを、と願うのは、わかる気がする。王家は結局のところ、そうやって存続してきた。むやみと子どもを得ることはなくとも、少なくとも男児を得なくば、どうにもならない。跡を継ぐ者がなくなり、滅んでしまう。

 十七・八になってもういた話もない、女性に興味を示さない息子に、どうにか妻をあてがいたくて、ロートの状態を知っている娘達に誘惑させたらしい。しかし、ロートはそれをこわがった。なにかおそろしいものだと考えたのだ。

 ふうっ、と、ファナは息を吐く。それから、小さく笑った


「ファナ?」

 ファナは軽く俯いて、それから頷く。顔をあげる。「なんと、信頼できる御方でしょう。女と戯れてほかがおろそかになる殿方は、世間には多いと聴いています。殿下はそういう愚か者とは違うのですね」

「そ……そうでしょう?」

 王妃が救われたような顔で、ふうっと息を吐いた。なにかいいたそうだが、言葉が出てこないようで、結局口を噤む。ファナはまた、頷いた。

「便宜的な結婚というのでしたら、申し訳ございませんが、わたくしには荷が重いように感じます」

「なに?」

 国王がぴくりと、片眉をあげる。ファナはゆっくり、いう。

「わたくしは非才な女、政治のことはわかりません故、できることは少しもございません。ですが、真に妻として殿下を支えろとおっしゃるのなら、喜んでおうけいたします。いずれ玉座を継ぐ御方、殿下に御子がないのはおかしなことですもの」

 それは、(つね)から家の為にすごし、いい婚姻をして子をなすのが自分の役目だと考えているファナにとって、おかしな言葉ではなかった。王家は尊敬すべきもの。そこへ加わるのならば、なすべきことを全力でなす。

「殿下も、事情がわかれば、お気持ちをかえるかもしれません。どの程度ならばお話ができるかは、今はまだわかりませんが、少なくともわたくしは妻として、殿下を支えるつもりです」

 王妃が顔を覆って泣きはじめ、ファナはそれに、きょとんとした。
















「よい選択ね」

 東宮殿の一画、王太子の后がつかう部屋で、ファナはくつろいだ格好になり、はちみつを溶かしたお湯を飲んでいる。傍には侍女、それに、殿下の事情も知っていて、特に信頼できるという官女と侍従が居て、ファナの荷物をひろげている。本は本棚へ、ガウンと靴は衣装戸棚へ、化粧品と宝石箱は化粧台へ。室内の秩序はそんなふうにして整っていく。

 ロート殿下は、陛下の唯一の男児だが、正式に立太子された訳ではない。けれど、すでに王太子と同等の扱いをうけ、東宮殿に住んでいらっしゃる。陛下の弟君のことなど、噂はいろいろとあるけれど、官吏や大臣達は、殿下に肩入れしているらしい。

 明日、華燭の典のあと、ファナを王子の后として内外に報せるそうだ。ファナが承諾し、すでに結婚したも同様なので、今日からここをつかっていいといわれている。


 侍女の片方が振り向いて、長椅子(ソファ)に腰掛けるファナを見た。怪訝そうにしている。「お嬢さまが、殿下の求婚をうけなさったことですか?」

「まあ、なにをいっているの。それは当然のことです。よいお話を断るのは愚か者のすることよ。選択の余地はありません。ただし、わたくしの立場をはっきりさせることは必要だったから、あのような無礼な口をきいたの。わたくしは男ではないから、政治はできないもの」

 ファナは姿勢を正し、マグをテーブルへ置いた。

「わたくしがいっているのは、陛下がわたくしを選ばれたことについて。素晴らしいわ」

「それがどうしてよい選択なのです? おかげでお嬢さまは、あの、うす……」

 暴言を吐きそうだった侍女を睨み、黙らせる。侍女は首をすくめ、申し訳ございませんといった。


 ファナは笑みをうかべる。

「陛下のお話が本当ならば、殿下はずっと、子どものようなもの。傍で支える人間はどうしても必要になる。どうせ妻をあてがうのなら、血筋はどうであれ、財のある者にしようとお考えになったのでしょう。子を求めていないのなら、本来結婚なんてしなくてはいいではないの。それを、結婚まで持ちだしたのは、我が家の財もあてにはしていると思うわ」

 侍女はきょとんとし、まだ作業をしていた官女や侍従も手を停めてファナを見た。ファナは小さく頷く。

「わたくしが父さまに頼めば、王家に忠実な父さまは、できる限りのことはしてくれる。へーレ家へこそ、陛下は金貨三千枚をくだされたけれど、あれは何度もできるものではないでしょう。その点、我が家はたいした貴族ではないけれど、財はあります。その上名誉に餓えている。陛下は殿下の為に、成る丈いい道を選択されたの。殿下の為につかうのならば絶対に有益だもの、父さまだって喜びます」

「そうでしょうか」

 侍女は苦い顔で、そう抗弁した。

「折角、へーレ家との婚姻が決まっていたのに、どうして……お嬢さまが、どうして、つらいお役目を戴かないといけないのですか」

「つらくなどないわ。王家へ嫁ぐのだから、本当に名誉なことではないの」

 ファナのきっぱりしたものいいに、侍女は黙る。ファナは心底、そう思っていた。ウルー家へ名誉をもたらす為、素晴らしい結婚をと望んできたのだ。殿下との結婚は、考え得る最上級のものだった。そして、限りなく実現可能性の低いものだった。

 それが現実になったのだ。へーレ家との婚姻に失敗したと思った時には絶望しかなかったが、今は落ち着いていられる。

「父さまに、連絡さしあげなくては。今までよりも一層、財をなすのに力をいれてもらいたいと、ね」


 侍女は下唇を嚙んで、もうなにもいわなかった。かわりのように官女が、少々棘のある声を出す。

「おおそれながら、お嬢さま、それはお考えが甘いのではありませんか」

「無礼な口をきくでない」

 侍従が停めるが、官女はきかずに続ける。「殿下は、正直にいって扱いにくいかたです。男女のことだっておわかりでないのに、子をなすなどと大きなことをおっしゃるし、財の自慢まで」

「やめないか」

 侍従が叱りつけ、官女はそれを横目で睨んで、口を噤んだ。ファナは、かわったひとが居るものだ、と思った。それだけだ。






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