婚約破棄……そして、求婚
長女ファナの婚約が破談となったのは、ウルー家にとってはまさしく青天の霹靂だった。
ファナは今年、十六になった。茶色に近い金髪に、同じような、けれど奇妙にかがやく色の目で、あおざめたように白い肌をしている。造作自体は、醜くはないものの特段、美しい訳でもない。年頃になっても棒のような手足をしていて、体はうすっぺらく、女らしさに乏しい。背が高いので、髪が短ければ男に見えただろうと、口さがない者らは噂した。
特別美しくもないファナは、大人しい、貴族令嬢らしい娘だ。刺繍とレースあみをたしなみ、物静かでききわけがよい。父母に逆らわず、むやみと出歩かず、折に触れて教会へ寄付をし、弟や妹達とはもめごとを起こさない。
令嬢らしくなく、頭でっかちで勉学好きな一面もあったが、家族の注意が実ってファナはそれを巧妙に隠していた。平凡な外見で、その上貴族令嬢らしくなく歴史書や数学の本など読んでいるとあれば、結婚がとおのくからだ。シーズンに王都へ行って、大きな図書館へはいる機会を得た時には、我慢できずに数回、朝から晩まで図書館にこもってしまったが。
ファナ自身にはそこまで、「結婚」というものに対する望みはなかった。しかし、両親が結婚の為にならないというから、そうしていた。それは、ウルー家の事情もあってのことだ。
ウルーの一族はもともと、他国の出身だ。数百年前、功あって男爵にとりたてられ、それ以降王家へ忠実に仕えている。二心はない。しかし、それは生粋の王国貴族にはわからぬことだった。
それに、ウルー家の領地は王都から遠くはなれた僻地にあり、農地が沢山あるのと漁業がうまくいっていることは自慢できるものの、鉱物資源はない。かといってなにか素晴らしい産物、例えばアオスブルフ地方の繊細な色ガラスだとか、ランケ地方の蔦細工だとか、ファーネの織物のようなものは、ウルー家の領地にはないのだ。
ウルー家と縁付いたところで、貴族達にはうまみがない。精々、食事に困らないくらいだ。この百年以上、戦争も反乱もなく、落ち着いて安定した治世の続いている国では、どこの地域でも農業・漁業はある程度成功している。ウルー家が毎年、どれだけ豊作でも、大漁でも、そしてそれをもとでにどれだけ儲けようとも、目玉の産業がない以上はたいした自慢にはならないのだった。
ウルー家は、生粋の王国貴族と縁付くことは、これまでなかった。ウルー家と同じように、他国出身の人間が功を立て、爵位と領地をもらって貴族に加わった、というような家はある。そういう家も、生粋の王国貴族と、婚姻によって親戚になることは稀だった。他国出身同士で娘をあっちへやったりこっちへやったりしているだけだ。
ウルー家には不満があった。たしかに、めぼしい産物のない領地ではあるものの、農業は成功しているし、農民達もほかの地域より豊かに暮らしている。反乱が起こったこともない。そして、王家へ税を納めている。ほかの貴族達とは比べものにならないほどの金を。
しかし、ウルー家は他国民が祖となった貴族のなかでも、いい扱いをされていなかった。同じような条件であるのに、ウルー家だけ特にはなれた国の人間が祖であることが理由だ。
ほかの他国民が祖となった貴族は、王国の周辺が出身であることが多い。人種として、さほどの違いはないのだ。だから、生粋の王国貴族達と、見た目での違いはほとんどなかった。
彼らと違い、ウルー家の祖は海を越えた向こうの国出身だった。オリーブ色の肌や浅黒い肌が普通の王国内では、あおざめたように白い肌を持つウルーの一族は目立つ。きらきらとかがやく黒曜石のような黒や、或いは深い海のような青や緑の瞳が普通の王国内では、くすんでけぶっているのに奇妙にかがやく茶色や金の瞳は、否応なく目立った。
結局、見た目が一番の理由なのだ。これで自分達の肌がオリーブ色ならば、きっともっといい扱いをされていただろうと、ウルー家の人間ならば誰もが思っている。
また幾度も、他国民と婚姻を結んでいることも、扱いのよくない原因だった。
ウルー家は肌の白さから嫁取りが難しく、現在王国と友好的な関係を築いている、自分達の祖が生まれた国から、令嬢をつれてきて婚姻する、ということを、数代続けてしまっている。
そうしないと家の存続が難しい、という現実的な理由があるのだけれど、ほかの貴族達には、王国貴族でありながらも他国の血を存続しようとしている、と見えるらしい。そのような意図はないが、しかし実際のところウルー家は生粋の王国民との婚姻が難しく、結果的にあおざめたような肌を維持してしまっている。
何代たってもあおざめた顔のウルー家は、他国出身者が祖になった貴族からも敬遠され、娘が貴族へ嫁いでいくことはあっても嫁が来ない。だから、海外から嫁をとる。その結果、跡を継ぐ男児はいつまで経ってもあおざめた顔で、その所為で貴族の娘達からは遠ざけられ、また海外から嫁を呼ぶ、という悪循環が続いているのだ。
ファナは、とりたてて美しい顔立ちではないが、大人しく、父母に口答えせず、令嬢としての礼儀も、とるべき態度も知っている。勉学好きを隠し、賢い素振りを見せないだけの聡明さもある。勿論、ウルー家の情況もわかっていた。だから、いい縁談をと父母にきつく申しつけられて、逆らう気持ちは微塵もない。
せめて、貴族と結婚しよう、と、心に決めていた。ファナの伯母・叔母にあたる、ウルー家出身の娘達は、皆、貴族とすら結婚できなかったのだ。彼女達は、あおざめた顔だろうが貴族令嬢と結婚できるのならどれだけでも支度金を払う、という大商人に嫁ぐしかなかった。もうお金なら、唸るほどあるのに、商人達はあおざめた顔の連中にはまともな才覚はないと考えていたのだ。
ファナは十四歳になった年、成る丈肌のあおじろさが目立たないガウンを仕立て、宮廷で陛下に謁見した。
謁見は、十四の年には貴族の子女皆がやることだ。いわば、お披露目である。それも特に、女性の。
令嬢達は子息達に見定められ、その場で婚約が決まることさえあった。婚約が決まらなければ、シーズンが来ればまた王都を訪れ、謁見の宴へ足を運ぶ。だから、宮廷の大広間には、圧倒的に男性のほうが多い。
令嬢達は次々と婚約が決まり、来なくなるのに比べ、男性達は女性の品定めだけでなく、単純に社交の場としてもその宴をつかっているからだ。女は基本的に、未婚で婚約もしていない娘しか、そこには足を運ばないのである。
例外として、結婚してすぐの貴族夫婦は、一緒に謁見に訪れた。それは単に、法で決まっているからだ。貴族は結婚したら、一緒に陛下へ報告するのが義務なのだが、公爵や侯爵ででもないと、個人的な理由で陛下の時間をとることはできない。だから、謁見の宴に夫婦で出席し、陛下に報告する。
ファナは、僻地の、おまけに他国出身者の興した貴族の娘として、好奇の目にさらされた。おひげのはえた穏やかな陛下はファナを区別したりせず、勿論ほかの、他国民の祖を持つ貴族の子息・令嬢達もそのような目には遭わず、お披露目は随分和やかな雰囲気で終わった。
以前の陛下は、どのような立場の者に対してでも厳しい態度を崩さないかただったが、唯一の男児である王子のロート殿下が生まれて以来、随分穏やかになられたという。殿下のお体が弱く、また少々かわったかただからだ、と、ファナはそんなふうに耳にしていたが、殿下自身はその場には姿をあらわさなかった。
かわりみたいに、王女達が綺麗なガウンを着て並んで座り、王妃が貴族達と歓談していた。その輪には、他国出身者を祖に持つ貴族も居たし、父も幾らか陛下達と話しているようだった。
王家の方々が自分達を差別しないことに、ファナはほっとしたけれど、ほかの貴族は違う。領地が近く、交流のあるフェーダー家の娘はすぐに婚約が決まり、また別の家の娘は貴族の催す宴に呼ばれるなどして、数人で一緒に行こうと約束していた図書館にもファナはひとりで行った。
ファナには、なんのお声もかからなかったのだ。婚約どころか、婚約に足るかどうか見極める為に、多くの貴族がなにかしら名目をつけて開いている宴にさえ、ファナは招かれなかった。
他国民を祖に持つ、あおざめた顔の娘。それがいかに、結婚市場において不利に働くか、ファナは思い知った。
もはや、ウルー家に――というか、ファナに残されているのは、財産だけだった。
さいわい、領地の農民・漁民達は勤勉で、また土地にも恵まれ、税をよそより軽くしてもウルー家に損害はない。税が安ければひとが増え、ひとが増えれば市場は潤う。
それに、多くの貴族が一か八かで愚かしい海外貿易に手を出すなか、ウルー家は地道な方法で稼いでいた。危険の少ない国内・陸路での交易と、金貸しだ。
穀類は恒常的に需要がある。品質がよければ尚更だ。ウルーの領地の穀物はよそよりも丈夫だし、しっかり天日で干してから出荷するので、悪くなりにくい。よそよりも乾燥させても味に影響のない品種は、ウルー家の支援をうけて、領地の農民達が生み出した。
ウルー家の領地は海に面しているから、海産物もとれる。初代がつくるように命じ、今でも職人達がつくり続けているのは、干し魚だ。塩水につけ、潮風にさらして水分のぬけた干し魚は、どこでだって売れる。ウルー家が管理する工場には、怪我で漁師を続けられなくなった者らが、優先的に雇われていた。加工が上手な職人は優遇するなど、地道に産業を育てていたから、海沿いのよその地域が真似をしても、ウルー家のほうが味はいい。
そうはいっても、きらびやかな織物や、色ガラスなどと比べて、干し魚は地味だ。食べてしまえば消えるというのもあって、ウルーの領地には産業らしい産業はないと、そう思われている。
いや、肌と瞳の色が正当な評価をはねのけてしまっている。なにはともあれウルーの一族はあおざめたような肌、金と茶の間のような瞳だ。目の見えない人間しか、ウルー家をはじめから正当に評価することはない。よその地域の産業は、もともとそこで民がつくっていたものを、領主になった貴族がとりたてて、さも自分の手柄のようにしているだけなのに。
貴族だろうとそうでなかろうと、ウルー家は金を貸した。ただし、ほかの貴族よりもぐっと低利で。一時にどかんと稼ぐのではなく、長い時間をかけても少しずつでもいいから確実な方法を選んだのだ。
低利での金貸しは、農民や漁民の利用者も多い。あたらしい野菜や果樹の苗をためしてみたい農民や、あたらしい船を買いたい漁民、あたらしい道具を買いたい職人にとって、ありがたいものだからだ。ウルー家はそういう事情であれば、もっと金利を下げた。勿論、成功しそうにない計画には、決して金を出さなかったが。
支度金名目で金をつければ、ファナは懐事情のよくない高位の貴族へ嫁げるかもしれない。その考えは、ファナの父にとって、「成功しそうにない計画」ではなかった。
父は、付き合いのある貴族達に話をした。ファナが年頃になり、そろそろ縁談を世話したいが、いい相手は居ないだろうか。娘の為に、いい相手に嫁がせたい。相手の人品骨柄がよければ、財産のあるなしは関係ない。そんなふうに。
ウルー家が豊かなのは、皆の知るところだ。父と友人になってくれる貴族達は、出自がどうであれ、そもそも善良な人間が多い。少しでもいい縁談をファナに、と、数人が尽力してくれ、生粋の王国民で建国時からの貴族である子爵のへーレ家との縁談が決まった。二度目のシーズンで、やはり誰からも宴に誘われず、数少ない友人達とつまらないお芝居見物をしていた頃の話だ。
ファナは相手の顔も知らないし、相手もファナを見てはいない。ただ、へーレ家は不作が続き、方々に借金を重ね、どうにかしようと貿易に手を出して失敗し、多額の負債を抱えている、と聴いた。
その額、実に、金貨三千枚相当。
まともな貴族の娘ならば、困窮せぬよう父親が資産を管財人に任せ、年に金貨四十枚程度を自由にできる。要職に就くような貴族の爵位持ちならば、年に金貨百枚弱で身のまわりを整え、生活するだろう。一般階級なら、王都のひと家族が年に、金貨に換算しておよそ十四枚から十六枚くらいで、充分に暮らしている。
金貨三千枚、というのは、豊かなウルー家のファナにとっても、ちょっと想像のつかない金額ではある。
金貨一枚が銀貨千枚、銀貨は一枚がパンひとつほどの価値だ。一般階級の女性が着ている服は、銀貨五十枚も出せばいいものが手にはいるだろう。ファナが常日頃着ているようなガウンなら、金貨一枚もあれば手にはいる。正式な場に出る特別なガウンならば、金貨五枚はかかる。遠くの国から運ばれてくる珊瑚を買おうと思えば、金貨七枚では厳しいかもしれない。
ファナは年に金貨二百枚が自由になるが、かといって、それをすべてつかいきることはない。シーズンになって王都へ行く際、ガウンを数着買うのに金貨が三十から四十枚ほど、付き合いで芝居や詩の会へ行くのに多くても二十枚程度、装飾品だけは年による値段の変動が大きいが、それでも金貨四十枚かかれば多い。自由になるのは二百枚だけれど、実際つかうのは百枚にもならないことが普通だ。
金貨三千枚ともなると、どれだけのものか、考えてもぱっとはわからなかった。船を造るのに、金貨が五百枚必要になった、という話は、聴いたことがある。そのような大きな数字は、長子といえど女のファナには、本来関わりのないことだ。
ファナを迎えるかわりに、その想像もつかない莫大な借金をウルー家が帳消しにすると、そういう約束になったのだ。ファナも、相手の貴公子も、それを一から十まで知っていた。
そんな経緯で婚約が決まったものの、婚約相手となったゼロームは、礼儀正しく折り目正しい、立派な貴公子だった。婚約が決まって数日後、へーレ家の邸で開かれた宴で、ファナを正式に許嫁として発表してくれたのだ。へーレ家は難色を示したが、ゼロームがおしとおしたという。
彼も、家の窮状は、痛いほどにわかっていたのだろう。ファナに対して決して、礼を失した行動はとらないし、無礼なものいいは一切なかった。寧ろ、よそよそしいと感じるくらいに、丁寧だった。実に礼儀正しい握手、軽い抱擁、頬への格式張った口付け、すべてが式典のようにぎこちなかった。
へーレ家を助けてくれてありがとうと、ふたりきりの時にいわれて、でも、ファナはゼロームの気持ちが少しわかるような気がした。彼は、追い詰められていたのだ。今にも、へーレ家の爵位を返上しなくてはならないかもしれない、おそろしいほどの負債に。それをつくって、彼に尻拭いをさせようとしている父親に。
ファナは、その気持ちが少しわかる気がして、ゼロームには成る丈礼儀正しく、そして優しく接した。なにしろふたりは、似たような境遇にあった。
ファナ自身、ウルー家の為にいい結婚を、と考えている。ウルー家が少しでも権威を得る為に、少しでも王国貴族として認められる為に、生粋の王国民である貴族へ嫁げと、両親にいわれてきたのだ。本来、貴族であるならば、優先すべきは王家への忠義だろうに。
親の仕事の失敗を肩代わりさせられたゼロームとは、だから、奇妙に波長が合った。
ふたりは意気投合し、ファナはゼロームを好もしく思った。ゼロームが王家への忠に篤いところも、素晴らしく思った。このひとにならば生涯仕えられる、と思ったのだ。
彼に対してなにかときめくとか、素敵に思うとか、そういうことはない。だがそもそも、恋愛と結婚とはまったくの別物だ。ゼロームを尊敬できれば、ファナとしてはもう充分だった。ゼロームの顔貌は、問題ではない。それが、美しくとも、醜くとも。
それから、ファナは度々、ゼロームとでかけた。たまには、一番上の妹のミンカや、弟のシャマールも一緒に。或いは、やはりやけにかしこまった様子の、ゼロームの叔父や、母親も一緒に。それぞれの父親が一緒だったことさえある。
芝居を見に行き、歌を聴きに行き、詩の会を開き、舟遊びをし、王都の社交場に顔を出した。行く先々で、ゼロームの友人達と顔を合わせた。
自分の友人は、ほとんど居なかった。ファナの交友関係は、他国民を祖に持つ貴族の娘の、ファナの肌に偏見を持っていない子達に限られていて、反対にゼロームは、ほとんど生粋の王国貴族とばかり付き合っているからだ。
へーレ家に嫁ぐ以上、ゼロームの友人とは今後、必然的に顔を合わせることになる。逃げてもいられないから、居心地は凄く悪かったけれど、ファナは我慢した。ファナはまったく、珍獣のような扱いをうけた。
ゼロームの友人達は、彼があおざめた顔の娘を許嫁にしたことに、正直にいって嫌悪感を抱いているらしい。ファナにはそれが、よくわかった。わざと、他国の訛りで話しかけてくる者もあった。顔色がよくないけれどお体は健康なの、と、あてこすってくる令嬢もあった。めずらしい色の瞳をしていると、誉めるふりをしてけなす者もあった。
ゼロームはそれらを、とても煩わしく思っているらしいが、軽く窘めるしかできなかった。ゼロームの家は、多くの家に借金があり、その段階ではまだすべてが清算されている訳ではなかったのだ。
してみると、あれらは友人というよりも、なにかしらの上下関係のある付き合いだったのだろう。古くからの家柄であるへーレ家の跡継ぎと、ざっかけない付き合いをしている、というように、見せつける目的だったのかもしれない。――わたくしが、その為にへーレ家へ嫁ごうとしているのと、同じこと。
愉快な時間ではないけれど、ゼロームが結婚後のことを考えてファナを紹介しているとともに、せめてもの礼に、ファナやファナの妹弟達の交友関係をひろげようとしてくれていることは、よくわかった。彼にとって、借金を帳消しにしてくれるありがたい娘に対してさしだせるものは、それくらいしかなかったのだ。
へーレ家には代々繋いできた地位と名声があり、ウルー家にはそれがない。へーレ家には王国臣民らしいオリーブ色の肌と紺碧の瞳があり、ウルー家にはどうしてもうすめられない他国民と見紛うあおざめた肌と奇妙にきらめく目がある。
そして、へーレ家には金がなく、ウルー家には金がある。
ファナは、借金返済の見返りに、嫁ぐだけで充分だった。だがゼロームは、それだけでは不充分だと考えていた。だから、自分の友人達とファナをひきあわせ、ファナの友人にもしようとしていた。多くの貴族とつながりができるほうが、ウルー家には嬉しいと、彼は理解していた。
ファナもわかっているから、あまり愉快でなくとも、物珍しい動物のように扱われても、我慢していた。それに、ファナ達をきちんと貴族の子女として扱ってくれる者も、居るには居た。伯爵家のフェルジャンスや、男爵家だがウルー家とは桁違いの歴史を誇る――そして、格もまったく違う――ヴォルケ家の跡取り息子、それに子爵令嬢のレーンなど、たしかにファナ達の見た目を気にせず、その後も親しく付き合ってくれるひと達が。
なにより、不快だとしても、ファナは我慢するしかなかったのだ。そういう奇特な人間が居なくても、彼らはゼロームの友人で、将来的に付き合っていかないといけない。わがままをいえる訳はなかった。へーレ家のファナとなるのならば、否応なしに付き合うしかない人々だったのだ。
そうして、シーズンは終わり、ファナは領地へ戻った。次のシーズンまでに、おそらく夏の初めにでも結婚し、尊敬し信頼できる夫となったゼロームと、ふたりで陛下へ謁見するのだと信じて。
ファナは、婚約からすでに半年以上経ち、異を唱える者もない為、そろそろ結婚するのだろうと考えていた。あおざめたような肌の/奇妙な色合いの瞳の/他国出身者の祖と母を持つ自分をほしがる殿方はないだろうし、ゼロームがどこかの令嬢に心を動かされたとしても、借金肩代わりの約束が重くのしかかる。誰が邪魔をできるというのだろう。
父が呼んでいると言伝を持ってきた侍女のあまりの慌てように、思わず本を持ったまま玄関広間へ降りたファナは、へーレ家の使者がなにやらいうのを聴きながら、呆然としていた。使者は、ゼロームの叔父にあたる人物だ。数回、宴や、一緒にでかけた先で言葉を交わしたことがある。ゼロームと同じの紺碧の瞳で、やはりゼローム同様礼儀正しい人物だ。
へーレ家は、ゼロームとファナを結婚させることはできないと、そういっている。
父がこちらを見ているのに気付いて、ファナは小さく頭を振った。まったく身に覚えはない。実際のところ、あおざめた顔のファナに粉をかけてくる貴公子はいなかった。貴公子でなくとも、居ない。この肌は他国の印、ものめずらしさはあっても悪い意味合いでだ。だからファナは、誰ともそういった関係にはなっていなかった。殿方はファナに興味を持たない。そして、ファナも興味がない。
ファナは恋愛というものに、興味を持てなかった。友人達が役者や詩人を見て素敵だと騒ぐのも、よくわからない。ゼロームを見て素敵な殿方だといわれても、どうでもよかった。なんの話をしているのかさえわからなかった。彼女は身の潔白を保つ必要があったのだ。なにがあっても破談になどならぬように。
「それだけか?」
婚約を破棄すると述べた使者に、父が苦い顔で訊いた。不思議なことに、使者も苦い顔だった。
「申し訳ございません。くわしいことは、これ以上はわたくしの口からも申せません」
「なにを……では、へーレ家は、借財についてはどう考えている?」
使者が体を縮こまらせた。
へーレ家の借金、商人や貴族達にかりていたものは、ウルー家が肩代わりしている。
しかしかわりに、ウルー家にそれだけの金をかりた、と、そういう体裁を整えているのだ。それは、直前でへーレ家が婚約を破棄しないようにする為、父の友人が助言したことだった。
しかし、へーレ家はこうして、婚約を破棄するという。
失敗した。失敗してはならないことで、失敗した。
眩暈を覚えるファナの耳に、使者が小さくいうのが聴こえた。「すでに、金を積んだ馬車が、こちらへ向かっております」
父が血の気を失い、尚更あおざめた。ぎゅっと下唇を嚙んでいる。
使者は苦い顔のままだ。実にいいにくそうに、低声でいう。
「それから……卿が、ファナさまではなく、妹のミンカさまとなら、是非と……」
わたくしも父さまみたいにあおくなっているのかしら、と考えながら、ファナはゆっくりと気を失った。
夢を見た。ゼロームと、結婚式をするのだ。ファナはありったけの金をつぎこんでつくらせた、あおざめたような顔がそれ以上あおざめて見えない、詐欺にも等しいガウンを着て、黙り込んでいる。ああよかった、とほっとしている。
途中、ゼロームは席を外し、かわりに金貨を山と積み込んだ馬車がやってきて、それがぶつかり、ファナは吹き飛ばされる。ミンカがおぞましい何者かの手でもって馬車へ放り込まれ、泣きながらどこかへつれていかれてしまう。ファナはそれを追いかけるが、あしがもつれて……。
はっと目を覚ますと、自分の部屋の寝台だった。傍らには忠実な女中達、侍女達が居て、ほっとした顔をした。それから顔を曇らせ、ファナがなにかいう前に誰かがいった。
「お嬢さま、なんてことでしょう。あのかわりもののロート殿下が、お嬢さまをめとると仰せだそうでございます」