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【9】セラの欲

 病院で鉢合わせたヴィルと共に、看護師の女性に案内されたのは陽当たりの良い個室だった。

 少年の名前はフール、年齢は十歳。

 ひと月以上昏睡状態が続いており、現在は点滴と胃瘻による栄養食の投与を行っているという。


「身体のどこにも異常が見られず、なぜ目を覚まさないのか原因は不明です」

「わかりました。しばらく席を外してください」


 セラの言葉に看護師は露骨に不満そうな顔をした。


「信用できませんか?」

「……いいえ、正式に役場から派遣されてこられた学者先生方ですから、そのようなことは。こちらの患者様はとても高貴なお方です。くれぐれも、失礼のないようにお願い致します」


 看護師が部屋を出て行くのを確認して、セラは少年の傍に寄った。

 ベッドに横座りし、彼の手をぎゅっと両手で包み込む。

 壁際に立ったままのヴィルの視線を感じたけれど、今は目の前のことに集中する。

 部屋に入る前から、セラは強い魔法の波を感じていた。

 部屋に来てこの少年が発生源であると確信した瞬間、昏睡状態となった理由は推測から確信に変わる。


 ――フールは、魔法使いなのだ。


 魔法使いには、生まれ持って魔法が使える者もいれば、成長過程でその力が表出する者もいる。

 後者の場合、コントロールが上手くいかず、自身になんらかの支障が現れる場合もあった。

 フールの場合は、無意識に魔法を使い続けて心身が衰弱し、自己防衛本能が自分を昏睡状態――正しくは冬眠のような状態だが――にしたのだろう。

 これが、じつはとても厄介なのだ。

 冬眠そのものを無意識にしてしまうため、目覚め方がわからず、このまま死に至るケースがある。

 今頃本人は、意識のなかで途方に暮れているかもしれない――。


(大丈夫ですよ、迎えに行きますから)


 手のひらを通して、そっと少年の――フールの意識にセラ自身の魔法の波を流し込む。

 穏やかな大海をゆったりと漂うような心地で、フールの意識に侵入した。

 そこはひと筋の光すらない真の闇だった。

 セラの魔法の波が介入するたびに闇が薄まって、ゆっくりと青空が広がっていく――。


「こちらです。迷っておられたのですね」


 膝を抱えて座り込んでいる少年がいて、そっと手を差し伸べる。

 振り返った少年はセラを見るなり目を見張り、そして、セラの背後に広がる青々とした空に瞳を輝かせた。


 ◆


 セラはそっとベッドから退けると、傍の椅子に座った。

 フールの指がぴくりと動き、ゆっくりと瞼が上がる。

 空中を彷徨っていた視線がセラを捉えるなり、何かを言おうとして、激しく咳き込んだ。


「ゆっくり息をしてください。これを飲んで」


 懐から取り出したのは魔法薬だ。

 少年の喉にそっと流し込むと、彼は促されるままにゆっくりと嚥下した。


「ありがとうございます、()()()先生」

「構いませんよ。あなたのせいではありません」


 フールは自分の身体を見て、胃瘻に顔をしかめている。


「あとは医者と相談してください。それでは、これで」

「待って」


 呼び止められて、振り返った。

 十歳とは思えない、大人びた瞳がセラを見つめてくる。


「あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「セラです」

「セラ先生ですね。以前王都にいた頃、知り合いの医師が持っていた『高品質な薬』を見たとき、あなたとよく似た『魔法の波』を感じました」

「ああ。以前王都の薬屋に薬を卸していたので、それですね」


 セラは、つと目を細めた。


「フール、でしたね。あなたは自分が魔法使いだと知っていたのですか?」

「……はい。大したことは出来ませんが、魔法の波や……魔法の流れを読むことが出来ます」

「感知特化型とは珍しいですね」


 セラはそう言ってから、やや強い口調で続けた。


「ですが、もう少し魔法の制御を覚えた方がいいでしょう。魔法は無尽蔵に使える訳ではありません」

「……セラ先生が教えてくれませんか?」

「困ったら頼ってくださって構いませんが、最終手段にしてください」


 フールは微笑んだ。

 その瞳は真冬の青空のように澄んでいて、物悲しい色をしている。


「わかりました。セラ先生は……もしかして、肉体を盗られた(・・・・)んですか?」

(才能のある子ですね)


 セラもまた、微笑んだ。

 魔法使いはこの世に生まれたとき、その身に宿す魔法の力が強い程何かを失っている――。

 火を扱える者は、声を出せなかった。

 人の心の声を聴ける者は、肌が弱く陽光の下を歩けなかった。

 小石を浮かせる力を持つ者は、足が不自由な者だった。

 魔法使いはハンデを背負って生まれ、そして、魔法を使う度に別途心身を衰弱させていく――。

 セラは椅子に座り直すと、真っ直ぐにフールを見つめた。


「私は生まれた時、意識体だけだったのです。肉体そのものがなかったのですよ。よくわかりましたね。それも魔法の波、ですか?」


 フールは小さく首を横に振る。


「王都にいた頃、その身体の持ち主に会ったことがあるだけですよ。特別な立場の方なのでよく覚えています」

「この身体の持ち主だったディアンナは、友人でした。契約で、彼女の死後に肉体を貰ったのです」

「……どうしてですか?」


 フールは、自らの胸に手を置いた。


「僕は短命です。魔法使いとして生まれた代償だということは、わかっています」

「ああ、生まれた時に感じるんですよね。潜在的な本能が教えてくれるといいますか」


 セラもまた生まれた瞬間、自分は魔法使いだから肉体が無いのだと理解したのだ。


「セラ先生が起こしてくれる前、眠りのなかで知ったんです。意識体ならば、歳を取らずに永遠に生きていけることに」

「……本当に、フールは聡いですね。確かに意識体でいる限り、命の縛りは受けません。実際に私は、二百年以上意識体でいましたから」

「だったら、そのまま永遠に生きていこうと思わなかったんですか?」


 フールがセラの全身を見て、穏やかに微笑んだ。

 言葉とは裏腹に責めている様子はなく、ただ興味があるようだ。

 彼は短命というハンデを背負って生まれた魔法使いゆえに、命に対して考えることが多いのかもしれない。


「意識体が肉体に同化すれば、寿命は肉体に準じてしまう。……その身体が死ぬ時、セラ先生も死ぬんでしょう?」

「その通りです」

「……意識体で、永遠に生きていこうと思わなかったんですか?」


 繰り返して問う彼を、セラは真っ直ぐに見つめた。


「欲が出ました」


 正直に言う。

 視線を交わして、どちらからともなく笑った。


 ◆


「……セラ」


 ヴィルに呼ばれて、少し前を歩いていたセラは足を止めて振り返った。

 病院を出て以後、ずっと後ろを着いてきていることに気付いていた。

 屋敷や役場、市場がある方向とは異なる方向に歩いているため、たまたま同じ方角に向かっているということはないはずだ。


「何かご用ですか?」

「……俺は、魔法使いについてよく知らない」

「それが当然です」


 ヴィルは大股で歩み寄ってくると、セラの隣に並んだ。

 何か言いにくそうに、もごもごとしている。


「すまなかった」

「はい? ……謝罪される覚えがないのですが、これから何かされるんですか?」

「勝手な想像でセラに当たってしまった。魔法使いには魔法使いの大変さがあるんだな」


 ヴィルがしみじみと言う。

 どうやら先程のフールとの会話を聞いて、何か思うところがあったらしい。


(……機嫌は直ったようですね)


 心臓の深い部分で固まっていた氷が溶けていくような感覚に、セラはそっと胸を押さえた。


「魔法というのは、いくらでも使えるわけではないのか?」

「ええ。魔法使いはそれぞれ使える魔法量が決まっています。それを越えて使うと、心身に負担が掛かるのですよ」

「……セラはどれくらい使えるんだ?」

「私はとても強い魔法使いですから、日常使いは普通にできますね」

「そうか。……意識体というのは、どういった感じなんだ?」

「そこにあるのに、誰にも認識されないんです。私は双子の兄妹として生まれたのですが、兄だけは私の姿が見えていました。兄が他界してから二百年、私は各地を放浪したのですが……人として生きたいと、そんな贅沢なことを望んでしまったのですよ」


 こんなふうに自分の過去を話す日がくるなんて、思わなかった。

 ディアンナにも話していないことなのに。

 不思議と懐かしい心地を覚えながら、セラはゆっくりと歩みを進める。


「贅沢、なのか? 意識体であっても、人から生まれたのだから人だろう?」

「倫理的にはそうかもしれません」


 なだらかな傾斜を昇っていく。

 古代の森とは反対側の丘へ続く道を行くと、やがて墓地が見えてくる。

 町の人々が眠っている墓地のなかに、セラの家族の――兄の墓もあった。


「ここは、私の家族が眠っている墓なんですよ」


 その墓の前に立ち、途中で摘んできだ紫の野花を添える。


「兄は、私に触れたいと言ってくれました。今ならば、その理由がわかります」

「というと?」

「人として生きるというのは、かくも美しいことだと実感しているからです」


 例えば、食事だ。

 歯で噛み、味わい、飲み込む。

 それらすべてが、美しく心地よい。

 他にもある。

 地面を踏みしめて身体の重さを感じながら歩くとき。

 空気をいっぱいに吸い込み、吐くとき。

 季節の気温を肌で感じるとき。

 肌に触れたものの感触。


「バーロウは温かかったです」


 ヴィルが訝しんでいるのが、気配でわかった。


「初めてバーロウが飛び掛かってきたとき、身体に触れたのです。お恥ずかしながら、あのとき初めて『生きている者のぬくもり』をこの手で感じました」


 人形の身体で王都を歩き、初めて兄以外の人と会話した。

 自分の存在が認知されることに言いようのない喜びが込み上げて、セラは二百年を過ごした今になって、どんどん人に興味を持つようになったのだ。

 そうして、兄のように肉体を得たいと思った――。

 ディアンナと契約したときは、ディアンナが老女となって寿命で亡くなったあと、数日程度身体を借りることが出来ればいいと思っていた。

 その数日間の経験ののち、ディアンナの肉体と共にこの世を去ろうと。

 しかし、ディアンナは事故で早死し、セラは若い肉体を手に入れることとなった――。


 じっと兄が眠っている墓石を見つめていると、ふいに、ヴィルがセラの手首を掴んだ。

 振り返るとヴィルが持ち直すようにして、ギュッとセラと手を繋ぐ。


「……『生きている者のぬくもり』を感じるか?」

「はい、とても。バーロウよりも温かいですね」


 ヴィルの手から伝わってくる体温が、彼がここにいることを教えてくれる。

 ああそうか、とセラは思った。

 兄は、こうしてセラの存在を確かめたかったのだ。

 もしかしたら、自分だけが見える妹の姿が、幻や妄想ではないと確信を得たかったのかもしれない。

 兄はいつも話しかけてくれていたが、セラは答えることができなかったから。

 せめて触れることが出来ればよかったと、彼は考えたのだろう。


(私も、兄さんに触れたかったです)


 きっと兄の手は、とても温かかったはずだ。

 セラは、そう思った。


「閣下、ここにいた! よかった会えて!」


 ふいに坂道の下方から声が聞こえて、セラはゆっくりと振り返った。

 ヴィルがさっと繋いでいた手を離すと、不快を隠しもせずに駈けてきた青年を睨みつける。

 銀色の髪をした、ツンツン頭の青年である。彼はヴィルとセラを交互に見た。


(……この気配。銀狼ですね)


 銀狼もまた魔法使い同様に、人から生まれる希少な存在である。

 特性としては、通常の人間よりも力が強く鼻がきくこと、また、狼と会話できることだ。


「お前は、俺に力尽くで黙らされたいのか」

「ヒッ、な、なんで怒ってんすか! 俺、閣下のためにめちゃくちゃ頑張ってここまで全力できたんすよ!」

「呼び方だ」


 あ、と青年は口に手を当てた。


「あ、えっと……大公閣下、ですね。すみません、ちゃんと呼ばなくて」

「逆だ! 隠せと言ってるんだ!」


 ヴィルがチラッとセラを見る。

 セラは苦笑した。


「急ぎでこられたようですから、よほどの用件なのではないですか?」

「そうっすよ! 聞いてください、閣下……じゃなかった。えっと、ヴィルリーノ様!」

「なぜここで本名を呼ぶんだ。お前の頭は、どうなっている!」


 セラは、ヴィルリーノ・イア・ハウリエンという者がいたなと記憶を探る。

 あくまで流れ聞いた話であって、面識はないのだが。


(イフ国のハウリエン地方の元領主で、革命で崩御した先王の実弟。そして、革命の指導者……でしたっけ)


 十年前に革命が起きたイフ国は現在、革命軍の副官が国の再建に尽力しているという。

 革命軍の先頭に立っていたのが国王の実弟であったことから、最初は謀反だという話だった。

 だが、国王が崩御して王族皆が処刑されたのち、ヴィルリーノは自ら命を絶ち、王家の血筋を途絶えさせたことで、『革命』として大陸中に情報が伝わったのである。

 そんな話を頭のなかで考えたが、すぐに頭の隅においやった。

 それぞれ事情があるのだし、深く詮索する必要もない。


「それが大変なんすよ! ドラフィルノ辺境伯が、捕らえられたんです。今王都の牢屋にいるんすよ!」


 役場でも聞いたことだ。

 何かの間違いだろうと思っていたが、どうやら事態はセラの想像よりも深刻らしい。


「カルロス殿は無事なのか? なぜ捕らえられたんだ?」

「それが、ドルトン王太子殺害容疑らしいっす」


 セラはぎょっとした。

 嫌な予感を覚える。


「ドルトン王太子が倒れたんすよ。そのときちょうど、ドラフィルノ辺境伯と会話をされていたとかで」

「カルロス殿は、そのようなことをなさる方ではないだろうに」

「そうっすよね。でも、今回の件で、バルツァー公爵がお怒りなんすよ」


 バルツァー公爵は、カルロスの父親で現王の弟だ。

 名前だけの王家に生まれながらも公爵家の娘と恋に落ちて婿養子に入ったことで、今や国王よりも遙かに力を持っているという。


(……魔法薬の効果が切れる際に、カルロス殿が居合わせてしまったのでしょうね)


 ディアンナが飲ませていたドルトンの魔法薬の効果は、すでに切れているはずだ。

 まさか、カルロスが罪を被ることになるなんて完全に想定外である。

 セラは、そっと胸に手を当てた。

 ディアンナの記憶がじんわりと流れてきて、人の良い笑顔で微笑むカルロスの姿が脳裏に浮かぶ。

 ディアンナを馬鹿にする貴族らのなかで、カルロスは彼女の味方だった。

 会う機会はほとんどなかったが、周囲に惑わされることなく己で考えて行動できるカルロスは、不遇な扱いを受けるディアンナを気遣っていたらしい。

 読み取ったディアンナの記憶に、セラは自嘲する。


(さすがに、このままではいけませんね)

閲覧ありがとうございます。

更新不規則ですん_(┐「ε:)_

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