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【5】セラの新しい生活

 セラは、イフ国との国境付近にあるガーシュという駅で降りた。

 この辺り一帯はドラフィルノ辺境伯が治める土地だ。

 国境付近とはいえ、隣国との境界には人が立ち入ることを許さない古代の森が聳えている。

 ガーシュは隔離されたような田舎であり、列車の終点駅でもあった。

 しかし列車の開通以後、利便性の向上によってガーシュもそれなりに発展したようだ。

 

「いやぁ、嬉しいね。若い移住者なんて滅多にいないから」

 

 町の役場で移住手続きをしていると、事務員が丸眼鏡をくいっと持ち上げながら言った。

 歳は四十ほどで、ふわふわと鳥の巣のような頭には白いものが混じっている。

 

「しかも、こんなに可愛いお嬢さんだなんて、っと。この発言はセクハラかな」

「いえ、可愛いのは確かなので」

 

 真面目に頷いたセラに、事務員は目を丸くした。

 しかし次の瞬間軽く笑うと、移住者用の空き家の確認のために席をたった。

 セラはほんのりガラス窓に映った自分の姿を見る。

 以前から思っていたことで、ディアンナ本人にも伝えていたことだが、ディアンナは愛らしい顔立ちをしていると思う。

 髪も艶やかな黒髪だし、大粒の宝石のような瞳は新緑の色によく似ている。

 深く温かい、春の優しさを彷彿とさせる瞳だ。

 確かにドルトンと並ぶと、造形美という点では劣るだろう。だがそれは誰が並んでも変わらないはずだ。

 

(少なくとも、ディアンナを不細工だって言っていた者たちよりも整った顔立ちだと思いますけど)

 

 むにむにと頬を押さえていると、事務員が戻ってきた。

 候補の家を幾つか見てから、セラは一つの家で視線を止めた。

 

「……これがいいです」

「うんうん、家賃も安いし広いからね。家具もついてるし」

 

 セラが選んだのは、集合住宅ではなく一軒家だ。

 古代の森が近く、ただでさえ隔離された集落であるガーシュの中心地からも離れている。

 

「ああ、賃貸ではなくて、この物件を売って下さい」

 

 家賃のところに、毎月の家賃支払いと一括購入の記載があったのだ。

 事務員はぎょっとした顔をしたあと、ふむ、と顎に手を当てた。

 

「ここで即決するのは早計かもしれないよ。移住者には二か月間のお試し期間があるから、とりあえず、二か月暮らしてみたら?」

 

 事務員のすすめで、セラもお試し期間を過ごすことにした。

 鍵と地図を受け取り、セラはお礼を言って役場を出た。

 その足で町の様子を見て回り、小さな神殿の前で足を止めた。

 

(もう、当時の面影もありませんね)

 

 約二百年前、セラはここで生まれた。

 そして兄が亡くなった場所でもある。

 家はとっくに取り壊されて、小さな神殿と神殿に併設された病院が建っていることに、セラはそっと目を伏せた。


 ◇


 魔法使いは今なお珍しい存在である。

 見つかれば、どのような扱いを受けるかわかったものではない。

 かつては重宝された時代もあったらしいが、近年は科学の進歩を阻害する要因として厳しく取り締まっている国もあるという。

 科学が聞いて呆れる謎の理屈だが、己の正義を振りかざす者たちほど恐ろしい者はないこともセラはよく理解していた。

 

 だからといって魔法使いであることを辞めるつもりはない。

 セラはここ数年ですっかり趣味となっていた魔法薬作りをより充実させるために、かつての故郷に戻ってきたのである。

 人の手つかずの古代の森には、魔法薬の材料になる木々や花、動物などが豊富なのだ。

 森には、それぞれ個性がある。

 採れる恵や木々の種類もそうだが、セラがいうのはそういった目に見える意味ではない。

 もっと感覚として感じる、森に生きる生き物や精霊たちが醸す雰囲気のことだ。

 家に向かう道すがら、セラは心地よい空気に心身が落ち着くのを感じる。

 人の体とはかくも鋭敏なのか。

 呼吸する度に鼻の奥から肺を満たすひんやりとした空気が、身体から不浄なものを清めてくれているかのようだ。

 少しばかり道がいびつで歩きにくいけれど、のちのち整えればよいだろう。

 やがて遠くの木々の間に、茶色い屋根が見えた。

 

「これは、なかなか……良いですね」


 聞いていた通り、二階建ての木造建築だ。

 築年数はかなり経っているが、元の持ち主が亡くなる直前まで大切に手入れをしていたという。

 空き家になってからは役場の下請け業者が定期的に清掃をしているとのことで、なるほど、玄関から眺めることができる範囲はとても清潔に保たれていた。

 セラはすべての部屋を見て回ることにした。

 一階を確認したあと二階にあがると、ベッドのある二階の一部屋を自室に決める。前の住人が暮らしていた部屋だろうか。陽当たりも良くて、セラはとても気に入った。

 隣の部屋を研究室と定め、セラは再び一階に降りた。

 今度は屋敷の周辺を確認しよう。

 そんなふうに思って外に出ようとしたところで、開いたままだった玄関ドアから、勢いよく何かが飛び込んできた。

 ギョッとして後退る。

 

(なんですか、今の。茶色だったような)


 視線で辺りを追うけれど、すでに視界に捉えることができない、


(どこに……行ったのでしょうか)


 見間違い、などということはあるまい。

 恐る恐る一階を見て回っていると、唐突に、袖を引かれた。


(ん?)


 何気なく振り向く。


「わふん!」

「ひっ!」


 セラの――ディアンナの身体の――腰まである犬がいた。灰色の毛並みが美しいことや珍しい犬種であることから、野良ではないだろう。

 犬はセラの腰や腹に鼻を押し付けてくる。


「な、なんですか?」


 犬がハッとしたように動きを止めた。

 次の瞬間、勢いよくセラのポケットに顔を突っ込むと、器用に前歯で包みを引っ掛けて引きずり出す。

 犬は、わふわふと呼吸荒く尻尾をブンブンと振りながら、包みを前足と鼻で開く。

 そして、現れたサンドイッチを勢いよく食べ始めた。

 町を軽く見て回った際に、昼食用に買っておいたものだ。

 あっという間にぺろりと平らげた犬は、セラの元に寄ってくると、他にもないのかと言わんばかりに鞄も物色しようとする。


「やめてください! 飼い主はどこですか?」


 慌てて鞄を引き寄せるが、犬は諦めようとしない。それどころかセラの体に乗り上げてくる。

 ふわんとした毛並みごと、犬の体を軽く押す。


(温かい……?)


 血の通った生き物だから、温かくて当然だ。

 今のセラもまた、当然ぬくもりを持つ人なのだし、おかしなことではないのだが――。

 恐る恐る、犬を撫でる。

 生き物の温かさを手の平で感じて、セラは胸の奥からせり上がってくる何かを懸命に飲み下した。

 ディアンナは貴族令嬢だ。

 簡単に他人が彼女の身体に触れることはなかったし、ディアンナ自身も淑女として他者に触れることがなかった。

 当然、それはセラが身体を貰ったあとも同じこと。

 セラは初めて、自分以外の生き物のぬくもりに触れたのだった。

 

「バーロン、何をしている!」


 ふいに玄関から声がした。

 セラに乗り上げていた犬が、名残惜しそうにセラから降りて玄関に走って行く。セラは床に手をついて半身を起こすと、犬が走って行った方向を見た。

 玄関を少し入ったところに、背の高い男が立っていた。


(犬の飼い主でしょうか……?)


 犬が男の言うことを聞いて傍に伏せているのだから、おそらくそうだろう。

 セラは、改めて男の姿を見た。

 男には、闇の王が顕在したのかと見紛う独特の冷ややかさと圧倒的な存在感があった。

 彼が纏っている裾の長いジャケットは緑がかった黒で、すらりと伸びる足を包むトラウザーズもまた、同様に漆黒である。

 それだけではない。

 彼のくるくると強いヴェーブのかかった長髪も漆黒で、無造作に胸元に垂らしていた。

 どことなく禁欲的な雰囲気を醸す、硬派な印象を受ける男である。


「お前は誰だ?」


 つと、男の視線がセラを捕らえる。

 その瞳を見つめ返したセラは、男の瞳が血のような深紅であることに気づいた。

 相手を威圧するような視線に、セラは静かに身体が強ばるのを感じる。

 恐怖は覚えなかった。しかし男の視線は冷ややかで、セラに対して好意的な感情は微塵も見えない。


「お前は誰で、ここで何をしている。そして、バーロンに何をしようとした」

「私はセラ。ガーシュに移住してきた者で、今日からここで暮らします。役場にも申請済みです」

「移住者……?」


 男は訝しげに眉をひそめた。

 初めて視線を動かし、セラの全身と床に投げ出してある荷物に視線を向ける。


「こんな辺鄙な町にか」

「ええ、まぁ。ここには古代の森がありますから。薬師なんですよ、私」


 そう言うと、男は理解したように頷いた。


「なるほど。確かに古代の森には貴重だ。……それで、最後の質問の返事は?」

「最後?」


 思い返して、バーロンという犬の件だと思い至る。


「何もしていませんよ」

「バーロンはとても利口な犬だ。忠誠心が高く、人に危害を加えることはありえない」

「はぁ……つまり、何を言いたいのですか?」

「バーロンを攫うつもりだったのか、と聞いている」

「まさか」


 なぜそうなるのか。

 不満が顔に出たようで、男は眉をひそめた。


「先程、バーロンを捕らえようとしていただろう」

「犬のほうから、私に乗り上げてきたんです」

「そんなはずはない。バーロンは利口な――」

「しかも、私の昼食を強引に奪われてしまいました」


 男は露骨に不快だという顔をした。


「ありえん。自らの過ちすら謝罪できないのか?」

「なんでそう、自信満々なんですか?」


 セラは、床に放置されたままのサンドイッチの包み紙を指先で摘まんで、ひらひらと振った。

 男はハッと鼻で笑うとスッとしゃがみ、表情を柔らかく崩すと、バーロンの頭を撫でた。


「バーロン、怪我はなかったか? 外出の際は、俺から離れるな。そうでなければ、首輪と紐をつけることに――」


 ふと。

 男の微笑が、舞い落ちる雪が地面に触れた瞬間のように、スッと消える。


「……バーロン、なぜ口周りにパン屑をつけている。それに、息からサンドイッチのような臭いがする」


 バーロンは「わふ!」と元気よく声をあげると、スタスタと歩いてセラが持っていた包み紙を咥え、男の元に戻ってきた。

 それを、男の手に押しつける。


「これを食べたのか?」

「わふ!」


 沈黙が落ちる。

 バーロンの尻尾が、ぱたぱたと左右に揺れる音だけが響く。正直に伝えたことを褒めてほしいといっているようだ。


 男の視線が、ゆっくりとセラに向いた。

 セラはすでに立ち上がって男との距離を詰めていた。見上げてくる男の深紅色の瞳を見下ろして、フッと笑う。


「自らの過ちすら、謝罪できないんですか?」


 意趣返しの意味を込めて言い放つ。

 男は低く唸り、ややあってから、潔く謝罪したのだった。



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