【4】後悔
ドルトンは王族専属医の診察を終えると、医師に命じた。
「さっさと治せ」
ここひと月ほど、頭痛や倦怠感、吐き気などが頻発している。
ずっとどこかに違和感を覚えるため、必然と苛立ちも増して、周囲に当たり散らしていた。
ただでさえ、なかなか新たな婚約者が見つからずに腹が立っているというのに。
本来ならば、とっくに新しい婚約者を決めて父王に紹介している時期だ。
それなのに、どれだけ積極的に声をかけてもドルトンの妻になりたいと望む者がいないのである。
ドルトンが美しいと褒めそやす令嬢も、妻になろうとはしない。
それどころか、ドルトンが妻に望む条件の良い令嬢は皆、辺境地に飛ばされたはずのカルロスに熱をあげているのだ。
「殿下、お尋ねしたいことがございます」
医者が、厳かな声で言う。
白髪に鋭利な目を持つ老齢のこの医者を、ドルトンは好かない。
父王と懇意にしていなければ、すぐに解雇してやったのに、といつも思う。
「なんだ?」
「殿下は、私が処方していた薬以外にも、何か服用されておられましたでしょうか?」
「何を言ってるんだ、そんなわけがないだろう」
意味の無い質問だな、と鼻で笑って、ふと気付く。
「どういうことだ。なぜ、そんなことを聞く?」
「殿下が今患っておられる症状は、離脱症状かもしれぬと考えたものですから。ですが、何も服用されておられないのでしたら、よいのです」
医者はそう言って、部屋を出て行った。
離脱症状といえば、薬が身体から抜ける過程で齎される症状、という認識がある。
ドルトンは、ギリッと怒りに瞳をギラつかせた。
(もしや、ディアンナが私に薬を盛っていたのか? この俺を、殺害しようと……?)
思い返すと、二か月に一度はディアンナの頼みで、二人きりの茶会を開いていた。
些細な願いだったので聞き届けてやっていたが、もしそのとき、薬を盛っていたのだとしたらどうだろう。
(私は、五年間もディアンナに毒を飲まされていたのか。……ハハッ、やはり、婚約は破棄して正解だった!)
部屋のドアがノックされて、従者が入ってくる。
今夜は、ドルトンが主催で舞踏会をひらくことになっていた。
勿論、婚約者を探すためのもので、父王にも内密のため、別邸で開くことにしている。
燕尾服に着替えたドルトンは、早く新しい燕尾服を作らせたいとため息をついたあと、会場に向かった。
――カルロスと会ったのは、その途中であった。
カルロスはドルトンの姿を見て、軽く目を瞬いた。
「どちらに向かわれるのですか?」
「舞踏会だ」
「今夜は、どこの貴族も開いておられないはずでは……」
当然だ。
王太子であるドルトンが夜会をひらく日に被せてくる貴族など、いるはずがない。
ドルトンは極秘裏に舞踏会の準備を進めてきた。
当然、カルロスには招待状を出していない。
彼は、今日の夜会について何も知らないのだ。
「お前には関係のないことだ。私は忙しいので、これで失礼する。さっさと何もないド田舎に帰ったらどう――」
スッとカルロスの隣を通り過ぎた、そのときだった。
鼓動が奇妙に跳ねて、言葉を飲み込む。
よろけてたたらを踏むように、二歩ほと進んで足を止めた。
(まさか。いや、ありえない)
不規則な鼓動。
内臓が引き攣るような違和感。
それから――心臓が鷲掴みにされるような痛み。
「ガッ、ア……ッ」
喉が奇妙な音をたてた。
呼吸すらできず、がくりと床に膝をつく。
全身の血管が収縮しているかのような違和感のなか、小さなガラスの破片が血管のなかを傷つけながら流れているかのような痛みに、ぽたぽたと額から汗が流れた。
カルロスと従者が掛けよってくる。
彼らの声が痛みに拍車をかけて、黙れと叫びたいのに、それすらできない。
ただ心臓を押さえて、蹲るだけだ。
ドルトンは、この痛みを知っていた。
五年前まで、常に自分を蝕んでいた煩わしい病と同じものである。
(なぜ、また……なぜ……)
医者が駆けつけてきて、息を呑んだ。
「再発したのか」
彼は呟くなり、かつてドルトンが使っていた強力な痛み止めを注射する。
(私は、神に愛されている。それなのに……それなのに……!)
◆
アンガストニア王国国王ドーガはため息をついた。
ドルトンが倒れたと聞いて駆けつけてみれば、ドルトンは五年前の記憶とほぼ変わらない苦悶に歪んだ顔で眠っている。
このように強力な鎮痛剤と眠剤で強引に眠らせるのは、発作の痛みで心身が持たないときの対処法だった。
ドーガは、傍に厳しい顔で控えている旧知の友に声をかけた。
「アルゼン。先程、ドルトンは離脱症状に苦しめられておると申しておったな?」
アルゼン――王族専属医である――は、ドーガを振り向いて慌てて口を開いた。
「症例として、離脱症状に似ているというだけでございます。私の推測の域を出ません」
「なぜそのような推測に至ったのか、説明せよ」
アルゼンは、アンガストニア国最高の医者である。
常に自己研鑽をかかさず、傲ったところもなく、命を救うことに誠実なのだ。
王族専属となっているが、彼は王都の病院に出張診察へ行くこともあり、多くの弟子を持っている。
そんなアルゼンが、ただの推測だけで症状の理由を口にするとは思えなかった。
「実はここ数年間、王都で高品質の薬が出回っていたのでございます」
「高品質の薬、とはどういう意味だ?」
「薬は、薬を作る薬師の腕によって効能が変わってきます。ほとんどの薬師は同じ調合で作るのですが、以前は薬師各々の調合方法があったと聞きます」
つまり、量産系ではない薬が、腕の良い薬師によって王都に持ち込まれていたということだ。
それで? と先を促した。
「私は、その薬師を探しておりました。腕の良い薬師は医師にも勝る知識を持っておりますゆえ、教授願いたいと思ったのです。ですが、数か月前にピタリとその薬師の薬の流通が無くなったのです」
アルゼンの話はこうだ。
どうやらくだんの薬師は王都を去ったらしい。
なんとか見つけ出そうとしたが、行方知れずとなったため、保管しておいた薬品の成分を調べることにしたという。
「バルツァー公爵の次男、フール殿をご存知でしょうか?」
「名前は知っておる。カルロスの弟だったか」
年の離れた弟がおり、最近は体調を崩してバルツァー公爵領に療養として引きこもっているという話だ。
「フール殿は医学に興味がおありでして、王都に居られたときは時折私の元にこられていました。あれは、例の薬師の薬を調べていたときです。フール殿が、その薬から魔法の波を感じるとおっしゃったのです」
ドーガは目を見張った。
国王という立場上、魔法使いの存在については学んでいる。
「その薬は魔法薬で、薬師は魔法使いだということか……?」
「フール殿は以前から、魔法の波を感じることができるとおっしゃっていました。それが事実かはともかく、魔法薬作りに秀でた魔法使いが王都にいたとなれば、話の辻褄が合います」
ドーガは唸った。
アルゼンがドルトンの不調を、離脱症状だと言った意味を理解したのだ。
魔法薬は、魔法使いが作る効能の高い薬である。
しかし、本来魔法薬は魔法使いのみが使用することが可能な産物であり、人に使うことが出来ないのだ。
使うとすれば、ごく少量。
そうしなければ副作用で気が触れることもあるという。
もし、ドルトンが魔法薬を摂取しており、それを突然止めたのであれば。
身体が何かしらの反応を示すのも、納得できる。
「……ディアンナ嬢は、ドルトンの持病の治療方法を調べていたな。王都にある薬屋を回っては、新薬が出ていないか気に掛けていた」
「私も存じております。ディアンナ嬢は、おそらく早々に魔法使いと接触なさったのではないかと推測致します」
ドーガは頷く。
ディアンナは、魔法使いから魔法薬を手に入れて、かねてより願っていたドルトンの病を治したのだ。
(いや。治したのではなく、緩和したというべきか)
そうとも知らずドルトンはディアンナとの婚約を破棄し、彼女を侮辱した。
ドーガの脳裏に、謙虚に微笑むディアンナの姿が浮かぶ。
献身的で、決して己の有益さをひけらかす娘ではなかった。
どれだけドーガが止めるよう命じても止まない貴族らの侮辱にも笑顔を浮かべ、気に病まないでくださいませ、と言っていた。
あのときドーガは、どれだけ名前だけの王族であることが悔しかったか。
(愚かな息子だ。どこまでも……)
だが、それでも可愛い息子に変わりは無い。
早くに他界した王妃にも、ドルトンを大切に育てると誓ったのだ。
グッ、とドーガは顔をあげる。
傍に控えていた秘書に、アルゼンの情報を元に王都にいたという魔法使いの捜索を命じると、ドルトンの部屋を足早に出た。
◆
ドーガは離宮に向かうと、見張りの兵士たちを下がらせた。
王宮の敷地内にある離宮の一つだが、ここは罪を犯した王族が幽閉される牢獄を兼ねている場所である。
ここには、カルロスを軟禁してあった。
ドルトンが倒れた際、傍にカルロスがいたことから彼を王太子に危害を加えた容疑者として幽閉せざるをえなかったのだ。
目撃者によればドルトンがカルロスを罵倒していたらしく、カルロスには充分、ドルトンに反発する動機があったという。
だが実際のところ、ドーガはカルロスがドルトンに何かしたとは思っておらず、形だけの容疑者とし、ひとまず離宮で軟禁することにしたのだ。
「待たせたな。すまなかった」
カルロスがいる部屋に入るなり開口一番で謝罪をしたドーガを、カルロスはぽかんとした目で見た。
「いえ、とんでもございません。陛下自ら足を運んで頂くほどの誠意を見せて頂き、恐悦至極でございます。……王太子殿下のご容態は……?」
真剣なカルロスの視線に、ドーガは視線を下げる。
「どうやら、病が再発したようだ」
そして、カルロスに侍医と魔法薬について話した内容を、カルロスに伝えた。
カルロスは痛ましく目を細める。
ディアンナに対するものか、それともドルトンに対するものかは分かりかねた。
「その話を私にされたということは、弟のフールに何か……?」
「それもある。貴殿の弟君は、どうやら魔法の波とやらが見えるそうだからな。しかし、協力を仰ぐのは難しかろうことも承知しておる。此度の件で、バルツァー公爵はさぞや激怒しておるだろう」
「父上は、激情的な所がございますゆえ」
カルロスの父でありドーガの弟であるバルツァー公爵の怒りを買ってしまっては、フールの協力も得られない。
ドルトンが倒れた際は、王太子殺害容疑がかかっているカルロスをそのままにはできず、捕らえねばならないと考えていた。仮令バルツァー公爵の怒りを買っても、国王として命じねばならないのだと。
しかし今となっては、それも悪手であったのだ。
「しかし、フールが魔法の波を見ることができるとは、初めて知りました。現在弟は私の領地で療養しております。何か陛下のお役にたてることがあるかもございませんゆえ、訪ねて参りましょう」
「感謝する」
ドーガはカルロスの軟禁を正式に解き、改めて謝罪をした。去っていく甥の背中を眺め、そっと息をつく。
カルロスは実直な青年である。
早々に王族としての己に見切りをつけて公爵家に婿入りした弟に、よく似ていた。
ドーガはここひと月余り、カルロスを王都に引き止めている。
どうしてもドルトンに王位を任せるには心許なく、カルロスに補佐として息子を助けてやってくれないかという打診のためだ。
(やはり、最後まで頷いてくれなかったがな)
名前ばかりの王族側に立っても、得をすることなど何も無い。
多くの貴族にとって王族は、厄介な仕事と責任を背負ってくれる道化師のような存在なのだから、カルロスやバルツァー公爵が明確に王族側に立とうとしないのは当然のことである。
むしろ、適当に持ち上げる口だけの貴族より、必要な時だけであっても可能な限り手を貸してくれるカルロスの存在はとても貴重なのだ。
それ以上に重要だったのが、ポーリッシュ伯爵の存在だった――。
彼にとって王族は無価値なものでありながらも、彼の目的のためには手に入れねばならない手段の一つだった。
だからこそ、娘のディアンナとの結婚と引き換えに莫大な支援金を用意してくれたのだ。
(どこまでも、愚かな息子だ)
ドルトンには、ディアンナに謝罪をするよう命じてあった。渋々ではあるが、本人は受け入れたはずである。
だが実際は、ディアンナを捜索していると嘯き、貴族らから新たな婚約者を見つけようとしていたことが此度の件で判明した。
あげくに、多大な借金と架空に請求していたディアンナの捜索費用を使い込み、舞踏会を開く準備までしたという。
「……いや、すべて余の責任であるな」
病弱だからと、一人息子だからと、甘やかしたのが間違いだった。
ドーガは自嘲した。
ただ笑うしかなかった。