【3】従兄弟
ドルトン・フィル・アンガストニアに奇跡が起きたのは、五年前のことだ。
彼が患っていた不治の病が、完治したのである。
それはなんの前触れも無く、突然のことだった。
これまで運動も満足にできず、感情の起伏ですら身体に負担がかかっていたというのに、走ることは勿論乗馬も可能になったのだ。
しかも一時的に治ったわけではなく、一年、二年と健全な状態が続いたことで、貴族らは、神がドルトンに奇跡を与えたと言うようになった。
(私はもう、自由に生きることができるはずだ。それなのに!)
ドルトンはギリっと歯を食いしばった。
なんの取り柄も無い自分とは不釣り合いな婚約者は追い出した。
病が治った際に得た王太子の地位もまた、順調に盤石になりつつある。
(それなのに、なぜ私がこんなにみすぼらしい姿をしなければならないのだ!)
回廊を行くドルトンは、かつての豪奢な服装ではない。
式典や夜会以外でも、ドルトンは常に最高級のオーダーメイドの服をまとい、同じ服には二度と袖を通さない性分だったのだ。
それが王族の嗜みである。
それなのに、ドルトンが今着ているのは、ごくありふれた燕尾服であった。
理由はわかっている。
ディアンナとの婚約を解消したことにより、ポーリッシュ伯爵家からの援助が打ち切られたためである。
(そうなることはわかっていた。だから私は、新たに王妃候補を婚約者に迎えようと言ったのだ。それを、なぜ父上は反対なさるのだ!)
先々月のディアンナとの婚約破棄以後、国王との関係性が良好とは言えない状態が続いている。
国王はドルトンに、ディアンナに詫びて再び婚約を結び直すことばかり命じるのだ。
しかし、ディアンナはどう見てもドルトンにそぐわない醜女であるうえに、王妃として特別に優れた才能を持っているわけでもない。
唯一彼女との婚約で得るものといえば、ポーリッシュ伯爵家の支援であった。
だが、何も支援を望む貴族はポーリッシュ伯爵家だけではない。
後ろ盾になり、支援金も惜しまない家門など探せばいくらでもいるだろう。
なにせ、ドルトンには健全な肉体と、王太子としての立場があるのだから。
(公爵家から妻を娶ればいい。今だけだ、このような貧乏くさい生活は……!)
フッ、ドルトンは笑った。
国王の命令は据え置いて、先に新たな婚約者を探そう。
後ろ盾となり、資金提供を惜しまない者を見つけ、ディアンナより優れた者を見つけたと国王に提示すればよいのだ。
(そうすれば、父上も目を覚ますだろう)
ふと、前方から歩いてくる茶髪の青年に気付いて口の端をあげた。
ドルトンが病弱だった五年前まで、未来の国王と言われていた従兄弟のカルロスである。
「やぁ、カルロス」
「ドルトン殿下。ご無沙汰しております」
そう挨拶をするカルロスは、それなりに整った顔立ちをしているが、到底ドルトンの足元にも及ばない。
髪も茶色だし、背もそれほど高くない。
何より存在感というものが皆無で、王族として必要なカリスマ性が足りないのだ。
「王宮には、何をしにきたんだ? 確か、父上から辺境伯の地位を与えられたと聞いているが」
イフ国との県境にある辺境地で、王都からほど遠い地である。
王都には不要だという意味で、国王が遙か遠くにカルロスを追いやったのだろう。
「陛下より呼び出しを受けましてね。暫くタウンハウスにおります」
カルロスは肩をすくめて見せた。
ドルトンはそんなカルロスを見て、露骨に笑ってみせた。
「残念だったな。俺が病弱なままであれば、お前が国王になれたかもしれんのに」
すると、カルロスは驚いた顔をした。
まるで考えもしなかったというような態度が露骨過ぎて、白々しく見える。
「精々、辺境の地でうまくやっていくのだな」
そう言って、ドルトンはその場を去った。
カルロスの反応をじっくり見たかったが、今は思い立ったことを実行に移すほうが重要である。
――新たな婚約者を見つけるのだ。
ディアンナよりも聡明で美しく、そして資産のある後ろ盾を。