【11】決意
ヴィルの屋敷に着く頃には、雪が舞っていた。
「わふ!」
「バーロウ、元気そうですね」
屋敷から飛び出してきたバーロウは、そのままセラに飛びついた。
押し倒されて尻もちをつきながら、バーロウの身体を抱きしめる。
「バーロウ、ヴィルがどこにいるか知ってますか?」
「わふ!」
ぶんぶんと尻尾を振りながらセラの顔をべろんべろん舐め回すと、バーロウは満足したように歩き出す。
ちらちらセラを振り返ってくるので、あとを着いてこいということだろう。
セラの前でははしゃぐ傾向があるバーロウだが、ヴィルの言うようにとても賢い犬らしい。
バーロウの案内で向かったのは、中庭にある温室だった。
ヴィルが花の手入れをしている様子が見えた。
(……私はどうして彼に会いに来たのでしょうか)
答えは直ぐにでた。
心のモヤモヤをなんとかしたくて、つい足が向いてしまったのだ。
気持ちが軽くなるのは、相手にもモヤモヤを背負わせるからなのに、とセラは自嘲した。
帰ろう。
無関係なヴィルに話せる内容でもないし、こんなときに頼るほど親しい間柄でもない。
「ありがとう、バーロウ。私はこのまま帰るので、静かに――」
「わっふ!」
一際大きな鳴き声に、ヴィルが振り返った。
「セラ? どうした……?」
「わふ!」
バーロウが褒めてと言わんばかりにセラに身体を擦り寄せてくる。
帰ると決めたばかりだったこともあって、困惑していると、ヴィルが何かを察したようにどこからか干し肉を取り出した。
さらに、懐から布を取りだしてバーロウの首輪につける。
「わっふ!」
干し肉を食べたバーロウは、心得たというようにキリッと顔を上げると屋敷に向かって走り出す。
「あの、バーロウはどこへ……?」
「あの布は、部屋に戻って休めという意味だ」
「そうでしたか」
「それで、どうしたんだ?」
ヴィルは傍の棚に座ると、向かい側にある別の棚を顎でしゃくった。
セラは棚に浅く腰を掛けて、なんと切り出すべきか迷ったのち、苦笑した。
ヴィルには、ポーリッシュ伯爵の企みを話すわけにはいかない。彼を巻き込むわけにはいかないのだ。
「……アンガストニアでも、厄介な問題が起きているそうだな」
「え?」
顔を上げたセラの前に、スッと一輪の花が差し出される。
花といっても茎にあるのは爪ほどのサイズの蕾だけで、花はまだ咲いていない。
「この花は、開花すると『生涯ともに生きていこう』という意味があって、プロポーズに使われることがある」
「そう……ですか。…………開花すると、ということは、蕾のときはまた違った花言葉なのですか?」
「――運命、という」
ヴィルがさらに花を近づけてきたので、咄嗟に受け取る。
まだ蕾だというのに、引き寄せると花の独特の優しく甘い香りがした。
「俺は昔、王子だったんだ」
「……ヴィルは、あまり自身のことを話したくないのだと、思っていたのですが」
彼の口から過去の話を聞いて、セラは驚いた。
確かに以前、ヴィルを訪ねてきた銀狼の男が身分を明かしてしまったことがあったが、セラの方からヴィルの過去を尋ねたことはない。
「一応、死んだことになっている身だからな。……元の名を、ヴィルリーノ・イア・ハウリエンという。イフ国の第二王子、ということになっていたが、母の身分が低くてな。俺は幼い頃から都の郊外で暮らしていた。兄が王太子であることを明確にするためだ」
セラは頷く。
ヴィルの兄であった第一王子は国王と王妃の子であり、正当な世継ぎである。
だから、第一王子を王太子と定めて余計な混乱を避けるのは当然ともいえた。
しかし、ことはそう上手くいかなかった。
「兄は見目も頭もよく、王太子だった頃は皆から期待されていた。だが……王位を継承するなり、兄は本性を表した。生まれながらにすべてを持っていた兄は、王として君臨することすら、ゲームだったんだ。どこまで非道がまかり通るのか試したり、酒池肉林を繰り返して国庫を圧迫したり。……やがて、兄は永遠の命を求めるようになった」
不老になると言われる秘薬を諸外国から取り寄せたり、東洋の呪いにある『若い女の血を浴びれば若さを保つ』方法を試すために貧民街を一掃したり。
国も民も王の私物として扱われ、王位継承後僅か五年足らずで、イフ国国王は討たれた。
貴族や国民の悪感情をまとめ、王を討つ軍の総指揮を取ったのが国王の異母弟であるヴィルリーノだ。
革命が成ったあと、ヴィルリーノは王族すべてを処刑し、自らもまた命を絶ったという――。
「だが実際は、仲間がそれを許さなかった。俺を隣国であるアンガストニアへ逃がしたんだ。……元々俺は植物が好きで、植物学者としての道を歩むつもりだったから、ここなら過ごしやすいだろうと……」
「……ヴィルに、生きて欲しかったのでしょう」
ヴィルは自嘲した。
こんなふうに笑う姿を見るのは初めてで、セラは静かに体を強ばらせる。
「俺は革命軍を指揮して、多くの国民を死にいたらしめた。革命軍と戦ったのは誰だと思う? 国が雇った国民である兵士だ。俺は彼らをこの手で殺した、仲間にも手を下させて、仲間たちも多くが散った」
ヴィルは拳をふるわせる。
「……革命には、大義名分が必要だ。真っ向から戦うことで、悪と正義を明確にすることも重要だった」
「後悔しているのですか?」
「国民を巻き込んだことを後悔しない日はない」
深く息を吐くと、ヴィルは真っ直ぐにセラを見た。
真剣な深紅の瞳が、セラの奥深くまで見通すかのように見つめてくる。
「考えても仕方がないが、もしあの頃に戻れるのならば、俺はもう間違えない」
「……間違えたということでしょうか……つまり、正解があったと?」
「革命軍など作らずに、俺一人で兄を討てばよかったのだ。国民を巻き込むべきではなかった」
「それではヴィルが、簒奪者として国王派の貴族に討たれかねないでしょう」
「構わん」
国王の異母弟という立場を利用すれば、王に近づき殺害する機会は作れるかもしれない。
しかし、郊外で暮らしてきた第二王子がどんな人物かもわからない状態では、国民からも兄殺しをした残忍な第二王子だと思われかねない。
国王の血縁者なのだから、尚更だ。
「人の命は、決して軽くない。だから……後悔するような真似はするな。アンガストニアはまだ、犠牲を必要としていない」
ヴィルはそう言うと、手を伸ばした。
セラの手に自分の手を重ねる。
ごつごつとした彼の手のひらからは、人の温もりを感じた。
命が無くなれば、このぬくもりもまた消えてしまうのだ。
「……命は決して軽くない」
繰り返すと、ヴィルが力強く頷く。
「そうだ」
(彼は、何をどこまで知っているのでしょうか)
少なくともセラが何に悩んでここにきたのか、その理由を察することが出来るくらいには、セラの周辺を調べたようだ。
彼の立場からすれば、当然のことだろう。
イフ国は、王家が滅んだとはいえ国内が完全に落ち着いたとは言えない。
国王派と呼ぶ一部の過激な上流国民が、虎視眈々と王政復権を狙っているとも聞く。
(その上で、過去を話してくださったのですね)
――後悔するような真似はするな。
ヴィルの言葉を脳裏で反芻し、セラはぐっと顔を上げた。
「ありがとうございます、ヴィル」
セラは温室を出ると、真っ直ぐに帰路へつく。
途中で一度足を止めると、握りしめたままの花をそっと掲げる。
「運命、ですか」
魔法薬をポーリッシュ伯爵に渡せば、あとは彼が動くだろう。
セラの目的は元より人として生きることなのだから、これ以上王侯貴族の争いに関わるのはよくない。
魔法使いと知られるのも、今後生きていくうえでは悪手だ。
わかっている。
それでも、セラは決めた。
――王都に戻ろう。
もう一度、ドルトンに会おう。
そして、すべて決着をつけるのだ。