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【10】動き出す

 ドルトンは苦痛の中で目を覚ました。

 パチッと薪が跳ねる音がする。日差しが部屋に差し込んでいることから、少なくとも深夜では無いと知る。

 眠っていたはずだが、苦痛を抱えたまま微睡みにいたように、眠った心地がしない――。

 疲れ果てた心身を抱え、傍の卓に手を伸ばした。

 水をコップに注ぎ、ゆっくりと飲み干す。

 昼間だというのに、部屋には誰もいない。廊下も静かで、なんの物音もしなかった。


(以前もこうだった。……病に伏す王子など、誰も見向きすらしないのだ)


 ドルトンはギリッと歯を噛み締める。

 ここにいるのだと、皆に存在を認められたかった。認識されるためならば、なんだってした。

 王子としての地位が特別ならばそれをひけらかし、この顔が特別ならば存分に皆に美貌を見せつけた。

 健康な肉体を得て、初めて人々の注目を浴びたとき。

 ドルトンは歓喜した。

 もう誰もドルトンのことを忘れない、存在を認識させることができる。

 貴族らはドルトンの地位と美貌を褒めそやした。

 彼らの望むままに王太子らしく振る舞うほど賞賛され、そのたび、彼らの心にドルトンは深く焼き付くのを感じることができたのだ。

 だが、病が再発した瞬間、また皆去っていった――。


(いや、それより前からだ。私は王太子なのに……声をかけても、誰も私の味方になろうとはしなかった。婚約者になりたいと望む者も、おらず――)


「――ドルトン様」


 ふと、呼ばれた気がして顔を上げると、ディアンナが微笑んでいた。


「ディアンナ……!」


 手を伸ばした瞬間、彼女の姿は消えてしまう。

 ただの夢まぼろしだと知った瞬間、ドルトンの記憶が弾けた。


 ――「殿下はとても心の美しい方ですわ」

 病で寝込むばかりのドルトンに、ディアンナが言う。

 痩せこけたみすぼらしい姿のドルトンに会いに来るのは、ディアンナくらいだ。

 父王ですら公務で滅多に会いにこない日々のなか、季節の彩を持ち込んではドルトンを楽しませていた。


 病が治って舞踏会に現れたドルトンに、貴族令嬢たちが集まってくる。

 皆がドルトンを見て微笑み、褒め称えた。

 そこに、ディアンナがやってくると、しんと場に静寂が降りてしまう。最初のうちはその理由がわからなかったが、すぐに理解した。

  ――「ポーリッシュ伯爵の娘のような醜女が婚約者だなんて、殿下がお可哀想だわ」

 ディアンナが美しくないから。

 たかだか伯爵家の出だから。

 そういった理由から、貴族らはディアンナを歓迎しないのだ。

 ――「彼女といれば、私まで被害を受ける」

 いつしかドルトンはディアンナと共にいることを恥と考え、彼女を煩わしいと思うようになった。


(……それでもディアンナは、私に微笑みかけてきた……)


 婚約破棄を告げたあの瞬間までは――。


「ディアンナ……」


 ぽつりと呟く。

 もう一度ディアンナと婚約すれば、またかつての日々が戻ってくるのだろうか。

 ならばディアンナが傍にいることを許してやってもよい、とドルトンは考える。

 フッと笑う。

 ベルを鳴らし、従者を呼んだ。

 そして、ディアンナを捜索するよう命じる。

 従者は困惑した様子を見せたのち、父王がディアンナを探して動き始めたと言った。


「父上が?」


 ならば、自分が探すよりも確実たろう。

 ドルトンは従者を下がらせて、ベッドに身を沈める。

 体の痛みに顔を顰めながらも、少しの我慢だと呟いた。


 ◆


「ならば、陛下が殿下の自室拘禁を命じたことは言わなかったのだな?」


 ドルトン付きの侍従長であるアレンの問いに、今しがたドルトンの元から戻った従者は頷いた。


「そうか、ご苦労だった」

「……侍従長、自分も今月で辞めさせて頂きたいのです」


 アレンは頷く他なかった。

 かつて栄華を誇ったアンガストニア王国は、今や国王を必要としない新たな国家に移行しつつある。

 王族の発言力は年々弱まり、王家そのものが廃れゆくのは誰の目から見ても明らかなのだ。

 王族だけではない。

 貴族という階級社会も徐々に国民から敬遠されつつあった。

 ほんの百年ほど前は、貴族というだけで国民は頭を下げたという。しかし、現在は「国民が優れた貴族を領主に選ぶ」時代だ。

 不正や圧政があれば国民は不平を訴えるし、個人的に被害にあったのならば弁護士を雇い法廷で正義の鉄槌を下すこともできる。

 平等の概念が浸透した世では、生まれ持った地位など役に立たないのだ。

 重要なのは、何を成したか。

 どれだけ国民に支持されているか。

 そういった部分となっている。


(その点で、ポーリッシュ伯爵家は殿下の婚約者として適任だったのだが)


 ポーリッシュ伯爵家は、かつての栄光を捨てきれない貴族らのなかで、真っ先に新時代に目を向けた貴族だ。

 働くことを恥と捉える貴族らに馬鹿にされながらも、商業に着目した。

 貴族のためではなく、国民のための――誰でも買うことのできる日用品や服はポーリッシュブランドとして一躍有名になり、莫大な富を築いたのだ。

 その富を、当時開発途中だった列車事業に投資した。

 列車の開通により急成長するだろう国内の重要施設や事業にも投資をし、やがてそのときがくると、ポーリッシュの名は各所で絶大な効果を発揮するようになる。

 実際に、ポーリッシュ伯爵の嫡男であるセザン・ポーリッシュは国民からもっとも人気のある貴族として真っ先に名があがるほどだ。

 今や、ポーリッシュ伯爵家の力は公爵家ですら太刀打ちできないほどに強大になっている。

 貴族らはこれ以上ポーリッシュ伯爵家に力を持たせないように裏で様々な工作をするものの、彼らの愚策が利口なポーリッシュ伯爵に通用するはずがない。

 だからこそ、ドルトンを唆しにかかったのだ。

 露骨に婚約者を馬鹿にして、婚約破棄に持っていかせた。

 普段犬猿な貴族らも、ポーリッシュ伯爵を追い落とす為ならば団結する浅ましさは、見ていて吐き気がするほどである。


(せめて殿下が周りの者の言葉に耳を傾けて下さっていたら……)


 アレンは、深いため息をつく。

 王家に忠誠を誓った身ゆえ、最後まで国王に尽くすつもりだが――。

 息子のドルトンに仕えよ、という国王の命令には、従うことが難しいかもしれない。 

 

 ◆


 セラは古代の森から持ち帰った素材を乾燥させたものを、ゴリゴリと練り棒で潰していた。

 魔法薬に使う素材のため、乾燥後着手を始めてからのテンポが大事である。

 最悪、ここいら一帯が吹っ飛んでしまうだろう。


「よし」


 すでに用意してあった薬品入りのフラスコに、さらさらと粉砕した素材を混ぜると水色の気体が発生する。

 フラスコが熱を帯び、ボコボコと沸騰したかのように泡が出始めたとき、誰かが玄関のドアノッカーを叩いた。

 この叩き方は、ヴィルではない。

 精霊に頼んで玄関に様子を見に向かわせようとしたが、その前にドアの開く音がした。次いで聞こえてきた足音は、セラにも覚えのあるものだった。

 セラはすぐに魔法薬の調合を止めた。

 またやり直しになるけれど、材料がまだあるので問題ない。


(面倒な客の予感がします)


 セラは実験室を魔法で施錠すると、一階に降りた。

 リビングの椅子に腰をかけている男がいる。

 黒い髪を頭に撫でつけた壮年の男で、旅人用のマントを羽織っている。

 背筋を伸ばして椅子に座っている姿からは、彼の品の良さが窺えた。

 男はセラに気づくと、緑色の瞳を細めた。


「久しいな、()()殿」

「……お久しぶりです、ポーリッシュ伯」


 ディアンナの父であるポーリッシュ伯爵が、ニヒルに笑う。


「驚かないのかね? 私は少なからず驚いているが。まさか本当に、娘の身体を得た魔法使いがいるとは」

「よくお調べになったようですね」

「私にわからないことなどないさ」


 ポーリッシュ伯爵はそう言うと、静かに息をついた。


「だが、愛娘が死んだというのはさすがに堪えるものらしい」

「あなたに人並みの感情があったとは驚きです」


 皮肉を言うと、ポーリッシュ伯爵は目を見張った。


「……きみは、私がそれほど鬼畜な人間に見えるのかね?」

「娘を道具扱いするような親が、感傷に浸ることが意外なのです。それとも、道具を失ったことによる喪失感ですか?」

「ああ、なるほど」


 ポーリッシュ伯爵は、おどけた様子で肩をすくめた。


「きみは誤解している。きみは、私がディアンナを道具として扱っていたと思っているのだろう?」

「そのように見えましたが、違うと?」

「いや、違わん。だが、それの何が悪いのだ? ディアンナはポーリッシュ家の人間だ」


 セラは口を開こうとして、閉じた。

 実際にディアンナは両親を恨んでなどいなかったし、本人もまた道具扱いされているという自覚がなかった。

 もしかして、貴族の令嬢としては普通の待遇だったのだろうか。

 セラは魔法に関して詳しくても、人の――特に、貴族の暮らしに関してはそれほど知識がないのだ。


「ディアンナは、セザンと同じで目的の為ならば手段を選ばんやつだ。あいつなりの目的があって、道具に甘んじていたのだろうさ。ディアンナは私の娘だ。きみが思うほど、弱い女ではない」

「……確かにディアンナは、泣き言一つ言いませんでした。どれほど周囲から冷遇されても」

「当然だ。泣き言をいう暇があれば、解決策を模索するのが常識というものではないかね?」


 ドルトンの病を治すため、王都の薬屋を回っていたというディアンナ。

 彼女は愛する婚約者のために、死後とはいえ、その身をセラに差し出した。


(目的の為ならば、手段を選ばない……)


 か弱く、だか心がとても強い女性。

 セラはディアンナをそのように思っていたが、実際のところ、彼女もまたポーリッシュ伯爵のように強かな一面があったのではないだろうか。

 ふいにそんな考えが浮かんだ。

 セラは、ディアンナと出会ってほんの五年足らずなのだ。


「まぁいい。本題に入ろう」

「あ、はい。え……本題?」

「まさか、雑談するために来たと思ったのか?」

「ディアンナの死を確認するためかと」

「そんなもの、誰かに命じればいいことだろうが。きみは取り引きのなんたるかをわかっておらんようだな」

「……まぁ、はい」


 セラがディアンナの身体を得てから、一か月間はポーリッシュ伯爵邸で過ごした。

 その間、何度かポーリッシュ伯爵と廊下ですれ違ったことがあったが、寡黙で冷ややかな印象がある。

 更に言えば、ポーリッシュ伯爵家を大事にしており、家名が傷つけられることに激怒する性分だった。

 だが、こうして話すポーリッシュ伯爵の印象は大分違う。


「さて。ポーリッシュ伯爵家の名が、貴族以外の国民から好意的に受け入れられていることは知っているかね?」

「はい」


 ポーリッシュ伯爵家は、とても有名になった。

 平民のための商売や慈善事業、国営さながらの施設経営。銀行や列車を開通させた企業にも多額を出資しており、今や誰よりも平民に心砕く貴族として、ポーリッシュ伯爵家は人気がある。

 ディアンナが王太子の婚約者に選ばれた理由の最たるものが、『平民からの支持が高いこと』だった。

 

「ディアンナをドルトンに嫁がせるのは、ポーリッシュの名を王族に入れることで平民に再び王族への関心を持たせ、本来あった王政国家を取り戻すことが目的だった」


 ポーリッシュ伯爵は、淡々と説明を続けた。

 平等公平の精神が広まりつつある今の時代、平民の支持なくしては上に立てない。

 ポーリッシュ伯爵はそのことをよく理解しており、長い年月をかけて、平民から認められる存在になったのだ。


「アンガストニア王国は、崩壊の時期に差し掛かっている。私はそれを止めたいのだよ」

「つまり、もう一度ディアンナとドルトンを婚約させる――そう、仰りたいのですか?」

「逆だ。王家を乗っ取ることにした」


 あまりにも予想外の言葉に、セラは固まる。

 てっきりディアンナのふりをしてドルトンと婚約し直すように言われるのかと思っていたのだ。


「目的はあくまで、国の再興だ。セザンを次の王位につける」


 セザンというのは、彼の嫡男である。

 ディアンナの長兄でもあり、商才に長けた男で、ほとんど屋敷にいなかった記憶がある。

 

「そのようなこと、可能なのですか? 王家の血筋ではないのに……」

「名だたる貴族はすでに押さえてある。王家がすげ替わっても貴族位を保証するという、約束でな。あとは、正式に王位継承を行わせるだけだ。無理矢理脅してもよいが、さすがに外聞が悪い。陛下には自ら、大勢の前でセザンに王位を譲って貰わねば」


(名だたる貴族を押さえるって、簡単ではないでしょうに)


 ポーリッシュ伯爵の本気具合を感じて、セラは静かに、そして深く息を吐いた。

 

「……それで、私に何をさせたいのですか?」


 フッ、とポーリッシュ伯爵が笑う。


「きみには、陛下を脅す際に使うドルトンの治療薬を提供して貰いたい」


 ポーリッシュ伯爵は真剣な表情で、セラを見た。


「ドルトンがディアンナを捨てた時点で未来は決まった。王子すら御せぬ国王はいらぬ、私どもが国を支えるのだ」


 どの道このまま国が崩壊するのならば、ポーリッシュ伯爵にかけるのも手だろう。

 一瞬だけ、ドルトンのことを考えた。

 ディアンナが心から愛した男であり――そして、ディアンナと婚約破棄した時点で、転落人生が確定した男でもある。


「わかりました」


 薬ならば在庫がある。

 もうセラには関係の無いことなのだから、さっさと薬を渡してポーリッシュ伯爵に帰って貰おう。

 そう思ったのだが――。


「作るまで時間をいただきます」


 口からは別の言葉が出ていた。

 ポーリッシュ伯爵に、明日また来るように伝えると、セラはふらふらと屋敷を出た。


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