【1】婚約破棄
「ディアンナ・ポーリッシュ。お前との婚約を破棄する!」
婚約破棄を言い放ったドルトン・フィル・アンガストニアがクッと口の端を吊り上げて笑った。
「お前のような身の程知らずを妻にするなど、ありえない。王太子の私には、もっと相応しい者がいる!」
ドルトンの向かい側に立つ女――ディアンナと呼ばれた彼女は、静かに目を伏せた。
ポーリッシュ伯爵令嬢のディアンナと、アンガストニア王国の王太子ドルトンが婚約したのは、双方の利害が一致したからだ。
ポーリッシュ伯爵家は肥沃な土地と銀山を持つうえに、貴族でありながらも商人として大成功を収めて、莫大な財を築いている。
蓄えている資産は公爵家すら目ではないほどで、現在もまだまだ増え続けていた。
一方のアンガストニア王国を治める王族は、建国当初こそ圧倒的な権力を誇っていたものの、現在では後ろ盾がなければ何もできない名ばかりの王族に成り下がっていた。
もはや、王族の血筋などなんの意味も持たないのだ。
(王太子と自らを強調してますけど、意味の無いことだと、ドルトンは気づいているのでしょうか)
ふん、と彼女は鼻白む。
つい十年前、隣国のイフ国で革命が起き、国王含む王族すべてが処刑されるという事件があったばかりだ。
なぜ革命が起こったのか考えれば、このような態度をとれないだろうに自分は特別だと思っているのだろうか。
馬鹿な男だ、と改めて思う。
ふいに、くすくすと笑う耳障りな声が聞こえた。
ドルトンが婚約破棄を告げたのは、王家主催の舞踏会場だった。
まだ始まるまで時間があるため、国王やディアンナの両親の姿はない。王太子のドルトンとその婚約者であるディアンナは、来客たちに主催者側の人間として挨拶するために一足早く来ていたのだ。
「やっと婚約を破棄されたのね、おめでたいことだわ」
「ええ、本当に。麗しい殿下に、ポーリッシュの醜女は不釣り合いでしてよ」
「ははは、当然の結果だろう。聡明で美しい殿下が、こんな不細工を妻にするなど冗談ではない」
「あのようなつまらぬ女を娶るために、神も奇跡を起こされたのではないさ」
会場のあちこちから聞こえてくるひそひそ声は徐々に大きくなって、誰も声を抑えようとしなくなる。
彼らの声を聞いて、ドルトンは満足げだった。
ディアンナは、改めてドルトンを見る。
彫刻家もかくやというほどの美貌に、華奢な体躯。背が高くて、眩いばかりの艶やかな金髪と透き通る空色の瞳を持っている。
彼の体躯を包む燕尾服は貴重な馬の皮をなめして作られたもので、肩口や胸元を彩る房飾りや金糸の刺繍はひと目で高価だとわかるものだ。それだけではなく、彼の燕尾服のそこここには宝石が縫い付けてあって、ボタン一つとっても名のある彫り師が作り上げた一級品である。
そんな超のつく高級品かつ派手な燕尾服を、ドルトンは驚くほどに着こなしているのだ。彼のために作られたものなので似合うのも当然だが、これだけ華美な服となれば、服に着せられるのが通常といえる。
それなのに、燕尾服はドルトン自身を輝かせる宝石の一つのように、彼の引き立て役に徹していた。
彼の美貌を、貴族らは神の奇跡という。
(当然、その服もポーリッシュ家が提供した資金で作ったのでしょうに)
今回の婚約破棄が、このような場でドルトンの口から発せられた時点で、彼の暴走だとわかるというもの。
(ここにいても無意味ですね)
ディアンナは、ドルトンに向かってスッとドレスの裾を広げてみせた。
少しだけ手が震えるのは、怒りを押し殺しているからだ。
(ここにいるのが、私でよかったと思いますよ。そうでしょう、ディアンナ……?)
心のなかで、この身体の元の持ち主に告げる。
先月、この肉体の持ち主であったディアンナは他界した。
婚約者であるドルトンからの冷遇。
貴族からの身勝手な嫌がらせ。
そんな不当な扱いをうけながらも、ディアンナは心優しく純粋な令嬢だった。
愚か者たちの言葉を信じ込み、己の醜さを恥じていた。そして、それを克服するよう努力できる娘だった。
ディアンナが馬車の事故で重症を負ったとき、ドルトンは形だけの見舞いにきて、そして――言ったのだ。
――『死んでくれていれば、よかったのにな』と。
その翌日、彼女はこの世を去った。
彼女の心中がどれほど絶望的であったかは容易に想像がつくというものだ。
(……私は、彼女が事故にあったことすら知りませんでしたが)
そのような経緯でディアンナがこの世を去ったと知ったのは、身体を貰ったあとにディアンナの記憶を読んだからだ。
彼女が死ぬと【契約】に基づいて知らせがくる仕組みになっているのだが、まさかディアンナがこんなに早く死ぬなんて思ってもいなかった。
ディアンナの体を貰った女は、ザッと広間を見渡した。
声高にディアンナを罵っているのは、侯爵家以下の貴族たちらしい。普段は犬猿なくせに、こういうときだけ示し合わせたように罵倒してくるなど、低脳もいいところだ。
分別のある貴族や公爵家の者たちは、ジッとこちらの様子を伺っているだけのようだが……。
「私はここには不要のようです。失礼致します」
「とっとと出て行け」
冷ややかなドルトンの言葉に、ディアンナはにっこりと微笑んだ。
踵を返すと、二度と振り返らずに会場を出る。
ここは放っておいても大丈夫だろう。
今回の婚約破棄について、父であるポーリッシュ伯爵が何もしないはずがないだろうから。
ふ、と彼女は笑う。
(あとは坂道を転げ落ちるかのように、勝手に破滅してくれるでしょう)
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