女難の受難
・一人称は『私』を用いる
・なるべく内股で行動する。
・階段を登るとき、屈む時、座る時等はスカートを抑える。
・用をたす際は時間をかける。
・月に一度、体調を崩す。
作戦指示書を読み終えた俺はそれをグチャグチャに握り潰して捨てた。
「おいおいゼロ、ヘリの中を汚さないでくれ」
「………」
「たくっ」
操縦士の話を横目に聞きながら、ゆうゆうと過ぎる雲を眺める。
空は晴れ晴れとしているが俺の心中は穏やかではない。
こんな作戦は初めてだ。
女装して学校に潜入するなんて。
「言っとくが任務の方はガチだからな。相手はお嬢様方の命を狙ってる」
そいつらを守るのが俺の仕事だ。
「おら、見えてきたぞ」
窓から下を覗き込む。
前方に四角と三角の群れが見えた。
「いいな〜、男子禁制の女の花園。しかも金持ちのご令嬢ばっかなんだろ?」
「代わってやろうか?」
「俺じゃ制服が特注になっちまうだろうが」
その後一目で監獄行きだろうな。
「着いたぜ」
俺は移送ヘリから飛び降りる。
「おぱんちゅ丸見えだぜ、気をつけなお嬢ちゃん」
「あ?」
「冗談冗談、ハハハのハ」
乾いた笑いを残してヘリは飛び去っていった。
若草の揺れる平原に俺は一人残される。
正面には黒光りする鉄格子、王立フェランドール魔法女学院の正門である。
この先は女の世界が広がっている。男の俺が入る事は本来、許されない。
まあどうってことはない。
俺は任務をこなすだけだ。
淀みなく門を押し込む。
金属の擦れる音と共に、花園への扉が開いた。
「あなたがリリィさん?転校生の」
「!」
門を押していた手が止まる。
「どうしたの?入っていいのよ」
「は、はい」
俺は少しだけ開いた門の隙間から敷地に入った。
「はじめまして、あなたの案内役を任された三回生のソフィリア・フロイッシュバルトです。よろしくね」
金色の髪を後ろにまとめた柔和な女性。今回の護衛対象。
政治家を父に持ち、その怨恨で狙われている不憫な女だ。
俺は作戦指示書を回想しながら、そこに記入された自身の設定を口にする。
「リリィ・シャーロットです。二回生です。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、よろしくお願い致します」
女生徒は柔らかい笑顔を崩さず応対してくる。どうやら疑われてはいないらしい。
「あなたもご挨拶しなさい」
「私はお嬢様の近衛をしております、サキ・オオタカともうします。」
促されて背後から出てきたのは黒髪の女性。なぜか腰に刀を帯びている。
彼女も指示書に記載されていた。代々フロイッシュバルト家につかえているらしい。
なら俺いらなくない。
前に出るなりこちらの出方をうかがうように視線を飛ばしてくる。
こいつのほうが厄介かもしれない。
しかし俺にはそれよりも気になることがあった。
「あの…それ、ありなんですか?」
指の先にはサキと名乗った少女の下半身。
なんとパンツスタイルではないか。
俺とソフィリアは赤い筋の入った白いフレアスカートを履いている。
サキも上は学校指定の制服ジャケットだが、しかし二足を包むのは白いロングパンツだった。
俺もそれがいい。もうリボンもピンクもいいから、せめてスカートは脱がせてほしい。
「指をささない!」
直後、俺の手をはたこうとしたソフィリアの手をとっさに掴んで、そのまま背後をとり制圧してしまった。
「い、いたい…」
「お嬢様!」
「すいませんっ!」
慌てて手を放すがその場にただよう奇妙な沈黙は残ったまま。
最悪だ、やってしまった…。
体に染み付いた格闘術が裏目に出た。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
俺はただ黙ってみていることしかできなかった。
「…大丈夫、リリィさん、あなた何か護身術を習ってらしたの?」
「は、はい…ごめんなさい」
「謝らなくていいわ、とても強いのね」
どうやら疑われてはいないようだ。内心で胸を撫で下ろす。
「でも人に指を向けてはだめよ、失礼に当たりますから」
「はい」
そうだったのか、知らなかった。
「もう、リボンが曲がってるわよ。リリィさんはおっちょこちょいなのね」
「⁈」
すると彼女は再びその白い手を伸ばしてくる。
また迎撃しようとしてしまうが必死にこらえた。
リボンを直す間、彼女との距離が縮まる。
何か芳しい香りが漂ってきた。
まぶたがピクピクと動き、艷やかな口元からは体温を宿した吐息が吐き出される。
視線を外そうとうつむくが胸元の膨らみが目に入ってしまった。
なぜか俺の脈拍は急上昇した。
「はい、できた」
ようやく離れてくれると俺は大きなため息を漏らした。なんだかどっと疲れたようだ。
「緊張してる?ふふっ可愛いのね」
「かっ」
かわいい!?
なんだ?なんなんだいったい。俺はどうしたらいいんだ。
「お嬢様、お時間がなくなりますよ」
「そうでした、学院を案内するのでどうぞついてきてください」
その後は敷地内を一通り案内してもらった。施設構造は事前に把握してあったが、現場から見るとまた違うかもしれない。
暗殺に適した場所を再確認していく。
「サキとどっちが強いかしら?今度決闘してみたら?」
「ご冗談を」
レンガ敷きの道を歩きながら二人はそんな話をしていた。
まったく、冗談じゃない。
任務を無事終えるにはあまり目立つものではない。
「ソフィリアさん、ごきげんよう」
「ソフィリアさん、この前の講演ステキでした」
「ソフィリア様、今日もお美しい…」
しかし歩いているだけでなぜか人が集まってくる。
「人気なんですね」
「当然だ、お嬢様は常に生徒の規範となるよう、文武に励み、生徒会を牽引し、教師からも一目置かれているのだ。さらに眉目秀麗で身辺慎ましやかとくれば、請い沿わぬものなど現れようか」
よくわからないが、あの状況はあまりよろしくない。
今、彼女の周りには人だかりができている。
あの中に刺客がいたら、発見はこんなんだ。
「しかし、それがお嬢様には……」
この時、俺は思索に夢中で、サキの言葉は聞こえなかった。
「ここがあなたのお部屋よ」
最後に案内されたのは学生寮だった。敷地内にいくつかあって、生徒が共同で生活している。
「私達の部屋もこの建物だから、何かあったら頼っていいからね」
「はい、おせわになります」
当然、狙い通りの配置だ。
二人とはここで別れた。
ふーー。姿が見えなくなると大きく息を吐き出す。なんだかすごく肩のこる一日だった。こんなんでこの先大丈夫だろうか。
とりあえず荷物を片付けようと、扉のノブに手をかける。
違和感はない。特に罠もなさそうだ。
手首をひねってそのまま押し開けた。
「⁈」
だが、やはりトラップは仕掛けられていた。
それは水色だった。
細やかな刺繍が施され、生白い柔肌にわずかに食い込んでいる。
人はそれを下着と呼ぶ。当然、女物だ。
扉の先では女生徒が着替え中だったのだ。
一日のキャパシティを越えた俺の鼻孔から真っ赤な血液が滴り落ちる。
意識が薄れ、そのまま床に膝をついた。
理解できない。
溢れてくる感情は何なのか。
経験したことのない出来事ばかりで頭がくらくらする。
だがその時、俺の脳裏をある気配が横切った。
殺気。
命の危機を知らせる予感。
慣れ親しんだその感覚に、すぐさま正気を取り戻すと俺は部屋へと駆け込んだ。
「伏せろ!」
女生徒を押し倒して身を潜める。
周囲を確認して危険物を探す。
気がつくと殺気は消えていた。
何だったんだ?
プロが闇雲に存在をバラすはずがない。
相手は素人か、それとも俺を牽制しているのか、だとしたら正体がバレている?まさか愉快犯ではないだろう。
とにかく情報が足りない。とりあえず上に報告しておくか。
「あの……」
「?、………⁈」
声をかけられて思考の海から現実へと意識を向けると、そこには半裸の女。
着替え中だったので当然だが、問題は俺が押し倒してしまっていること。
しかも右手は水色の肌着の隙間に滑り込み、彼女の胸部を鷲掴みしていた。
不思議な感触が手のひらを包んでいる。
「……あ…あああああっ⁈」
慌てて飛び退いて壁に背中を打った。
「大丈夫?」
様子のおかしい俺を心配してか、彼女はすり寄ってくる。
乱れた下着のままで。
「服、前、隠して!」
「?、女の子同士だし…」
そうだけど、そうじゃないの!!
「い、いいから、近寄るな」
「………ごめんなさい」
彼女は悲しそうな顔をしてそのまま隣の部屋へと入っていった。
俺は一息つくと自分のプライベートルーム、もとい寝室に移った。
制服を脱ぎながら彼女の事を反芻する。
名前はイリス・クウォーツァ。もう一人の護衛対象だ。
この学校では珍しい一般家庭出身で、魔法の腕を見込まれて入学したらしい。
だが恨まれる理由もなく、誰に狙われているのかもまだ調査中とのことだ。
あらゆる方面からの攻撃に対処する必要がある。
だというのに先程の騒動、どうもここに来てから思うようにいかないことばかりだ。
今日はどうも調子が悪い、晩飯まで仮眠するとしよう。
しかし目を閉じるとさっきの水色が目蓋に浮かんでくる。手には女の子の感触が残っていた。
「あああぁ、もおぉぉおうっ」
ベッドの上で暴れても事態が好転するはずもなく。
そのまま夜はふけていくのだった。