恋人には不器用で一途な男×溺愛
「僕の婚約者に初恋の人がいる……?」
綺咲は引っ越し先の土地神様にあいさつに来ていた。地元から離れ、一人転勤になる前に上司から言われた。「部屋が落ち着いたら土地神に顔を出しに行けよ」と。綺咲は神とか幽霊だとかそのような類のものは完全には否定しないものの、自分にはあまり縁がなかったので、興味を示したことがあまりなかった。日本の風習で正月は元朝参りに行く。新車を買ったら安全祈願に行く。6年前の厄年にも祈祷してもらった。大人になってからはそれくらいだ。
しかし、今、しっかりと兎の神様の声が聞こえた。正装に兎の耳、尻尾。なんだこれ。しかも、見た目は同じか年下くらいのイケメン。
兎の神様が言うには、自分の婚約者には今も好きな初恋の相手がいて、それが狐の神様だという。
確かに僕は彼女の仕事ぶりや普段の女性らしく可憐な姿、ふと、見たときに魅せる、遠くを見つめる潤んだ瞳がたまらなく好きだった。思い出してみれば、僕が告白した時も首を縦に振ってくれることはなく、大人しい性格の彼女を利用して半ば無理やり強引に恋人にした。
彼女がなかなか僕の方を見てくれないので、少しでも相手から好かれる男性になろうと、自分磨きが増える。会社の毎月ある研修や講習の他に、隙間時間を見つけてはオンライン上で子供相手に家庭教師をしたり、娯楽にダーツ、ビリヤード、週に一回、仕事帰りにジムに通って体を鍛えたりと、涙ぐましい努力もしてきたのに……。
「菜乃花ちゃん、寒いから喫茶店に入ろう」
給与も地元に居た頃よりだいぶ良くなったし、ボーナスだってそこそこ。両親は長男である兄が実家を継いでいて、自分は好きなタイミングで好きなように結婚して良いと言われている。結婚式や家を建てる際の資金だって、そこそこある。それなりに良い物件だと思うんだけど、なかなか落ちてくれない理由は、地元愛じゃなくて、忘れられない人がいるからーー……。
そのことを思い出して、ずーーんと肩を落としていると、彼女がカウンターに行って、珈琲を注文して持ってきてくれた。黒のタートルネックのニットに千鳥柄のロングスカート。ちょっと薄いタイツも足首までのショートブーツも好き。マグを握る手がニットに隠れてて、休日デートなのに自分のあげた指輪が確認できなくて、「自分は仕事中も指輪をしているんだよ」と、わざとアピールする。彼女は「高いのわかっているから、傷つけたくなくて」と、遠慮がちに言う。兎の神様の話を聞いたあとだからか、その本意が聞きたくて、本当、意地悪したくなるね。本当に。……嫉妬。
数カ月ぶりに会うから、実はめちゃくちゃ緊張してて、なのにもっと甘えてほしくて(通訳、向こうで悪い男に言い寄られてないか、僕よりいい男が現れてないか知りたくて)指輪をしてくれないのならば、と、彼女に似合いそうなブレスレットを探した。できれば、仕事中も付けられるようなシンプルかつ可愛らしくてペアのやつ。女のコがもらって嬉しいランキングに入る、有名ブランドの鞄、コート、靴、時計、キーケース、ネックレスはもうすでにプレゼントした。それでも落ちてくれなかった。今なら理由がわかる。プレゼントは遠慮したのに、喫茶店には喜んで入るの本当に無邪気でかわいい。彼女が帰ってから、やり取りを思い出しながらソファーで寝た。……合鍵は言うのを忘れたふりをしてわざとそのまま持たせた。
移動先の部署にはすぐに慣れて、時期的に飲み会に誘われることも増えてきた。でも、行かない。女の子とラインも交換しない。……予定だった。今回は取引先の相手と打ち合わせだから、仕方がないかと、約束をしたら、まんまとハメラレタ。社内のキレイな女のコを集めてのただの飲み会だった。自分は下戸で酒に弱いという設定だったのに、それはバレていてむちゃくちゃ強い酒を注文された。話が違うので「カエリマス」と、早々に帰ろうかとしていたら、そこになぜか他県にいる彼女が現れた。
ねぇ、君は僕のでしょ? 彼氏に報告も連絡も相談もなしに、誰かの飲み会に参加していたなんて、気づかなかったし、疑いもしなかったし、マジで、……何で?
彼女には全然面識のない人たちなのに、すぐにその場に溶け込んでしまったので、何だか寂しくなって、彼女の前に出されたサワーを僕は奪った。
ねぇ、菜乃花ちゃん。僕のことどう思ってる? 好き? あのヒトより好き? 今日、僕がここにいることを知ってか知らずが、他の男の人もいるのに、タイトスカートを履いてくるのは気が緩んでてちょっと許せない。
「ごめん、酔ったカモ……」
そう言って彼女にもたれ掛かる。
「気持ち悪いカモ……」
みんなが見ている前で彼女をぎゅっと抱きしめる。
初めからわかっていた。これは僕の一方的な一途な片想いだから。優しい彼女はほほ笑んで、頷いてくれる。頷いてくれるなら、ずっとずっとその先でたくさんのプレゼントを持って、好きと言い続けるよ。全部知らないふりをして、彼女と幸せな家庭を築いて、長い年月をかけて落としていくから、なかなか二人はあわせてあげられないけど。……それくらいの意地悪は許してくれる……よ……ね?