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なぜだか、幼い頃の記憶を思い出した。私は、小さい頃から神社の神様が視えた。そして、声も聞こえた。ともにお参りしていた祖母は「成長とともに視えなくなる、聞こえなくなるから、みんなには内緒にしてあげようね」と、言われた。鳥居を出るまで、神様がずっと祖母の後ろに立っていたことも、何も知らないことにした。
私は学校や市の図書館でこの土地のことを調べたり、自分のご先祖さま、家柄のことを祖父祖母から教えてもらった。もともと、遠いご先祖さまと神様のいる神社はつながりがあって、血が薄くなるに連れて、おとぎ話とされるくらいにこちらの力は弱くなったと聞いた。両親は普通の会社員だし、私にも特別な力は受け継がなくて、祖母いわく視えるのは、「神様に視せれているだけ」なのだと言う。
自分は幼い頃から良くしてくれた神様に恋心を抱いていた。
だから、慣れ親しんだ地元から離れる選択肢を与えたのも、優しい両親の元から離れることも、六月の神様が恋心を天秤にかけて、私に与えた試練なのだ。婚約者さまの手を取ることが幸せになる道だと、諭しているのはわかる。尾を引くような心の中が満たされない寂しさは一体何なんだろうか。
「狐の神様、一度だけ、私だけを見てくださいませんか」
その言葉が臆病な私からはなかなか出ない。
私の顔は耳まで真っ赤だった。
こんな顔、彼にだって見せたことはない。
狐の神様は神社からなかなか帰ろうとしない、もっと遊びたいと駄々をこねる私の頭を優しく撫でてくれた。
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婚約者さまは落ち込んでいる私を見かねてか「気分転換に今日はファッションビルでデートしよう」と言い、一階から四階まで恋人繋ぎでウィンドウショッピングをする。
「淡い色が好き?」「清楚なワンピースも似合うよね?」エスカレーターで上に上がるにつれて、金額も高くなるわけだけど、婚約者さまはにこにこの笑顔で「ドレスも似合いそうだね」とか「何色が好き」とか「宝石はどれが好き?」とか、さり気なく気持ちを聞いてくる。
「地元への執着が消えない限りはしばらく遠距離恋愛、単身赴任でも良いかな」と、パスタをくるくるフォークに巻き付けながら彼はぼやいていた。
私は大人になった今も思い出す。制服姿で学校帰りに神様のいる神社に会いに行ったこと。桜が綺麗だったこと。神様に初めて頬を触れられた手のひら、体温が忘れられずにいた。私が無邪気に抱きつくと、お陽さまの香りがして、「だめ」と叱られながらも尻尾と耳が少しだけ動く。やさしい時間がいつまでも忘れられなくて。
胸に秘めた想いは大人になるにつれて、しぐさも表情も隠すようになっていた。特別に姿を視せていただいているのに、伝えてしまったら、もう逢うことすら許されないかと思って、ただひたすら恋心を隠した。
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高層階の日当たりの良いマンション。落ち着いた雰囲気のお洒落な喫茶店、女のコが好きそうなものを集めた可愛らしい雑貨屋。チョコレート専門店。人気ブランドがたくさん入ったビル。一着一万〜二万のワンピースが入ったショッピングバッグ。八センチのヒール。以前渡された指輪と同じブランドのフルオーダーの……。
「で、どう? 俺の側にいてくても良いかなって少しは思ってくれた?」
自分を大切にしてくれる人たち。幸せな結婚。
あの時、素直な気持ちを伝えていたら、引き止めてくれたのかな。まだ、ずっと、そばにいれたのかな。ずっと、ずっと、貴方の側で同じ時間を過ごせたのかな。
ずっと好きでした。
貴方が私の初恋でした。
そして、その日から私は視えなくなったーー……。
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祖母の訃報を聞き、久しぶりに実家に帰省した。
実家の庭先のたくさんの紫陽花の花は奇麗に手入れをされていて、一つの紫陽花の中に複数の色が混じってグラデーションになっている。
みんなに愛されるとても良いお人柄の人でした。
祖父に十年前に先立たれてからも、あたたかな家族に見守られ穏やかで安らかな時間を過ごしました。
私は、棺おけに入ったおばあちゃんの姿を見て、もうご飯が食べられないこと、空気が吸えなくなったこと、明日が来ないことがとても悲しく感じられた。それでもおばあちゃんの表情はすごく穏やかで。庭先の紫陽花を一輪と枕元に置いてあった狐の神社のお守りを着物の胸のところに挟んで一緒にお別れをしました。
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近頃は自然に咲いた紫陽花を見かけることは少なくなっていて、花屋さんで売られているのを見かけると懐かしく思う。
私の体に新たな生命が宿り、せっかく育児休暇をいただいたのだから、里帰りをしようと考えていたものの、夫が仕事の調整をしてくれたので、地元よりも大きな産院で子を産んだ。子の初宮参り、七五三と兎の神様に見守られて、私にはもうその尊いお姿が視えないのだけれど、やはり娘は何かを感じていて。成人式で子が水色の生地に小さな兎と桜が描かれた着物を着たときに兎の神様のお話をしてくれた。
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子ももう大きくなり、自分は自分の時間を過ごすことが多くなった。自宅から娘夫婦が暮らす場所も近く、午前中は訪問介護の方が、たまに近所のお友達が、週末には娘夫婦が子供を連れてやって来る。娘がお部屋の雰囲気が明るくなるからと、一輪の紫陽花を花瓶に飾ってくれていて、お部屋に来る人たちが紫陽花のことを気にかけてくれるのがすごく嬉しかった。
自分を愛してくれた人は、天国に行って、あちらで私を待っててくれるのだから、あとは葉が落ちるのを待つだけである。
最後くらいは、姿を視せてくれないかなと思ってたけど、まぶたも重くなって、それも叶わないらしい。
先程まであんなに太陽の日が眩しかったのに、雲で姿が隠れ、急に降り出したお天気雨に、風が気持ち良いからと、すこしだけ窓を開けるようにお願いしたのを後悔した。雨音がだんだんと遠くなったので、いただいたばかりの紫陽花が窓から吹き付けた雨でぬれなくて良かったと安堵する。
優しい日の光が当たると、私はもう、眠たくて、しょうがなくて。私は、夢を視たのだ。それは、懐しい幼い頃の姿で……。
「迎えに来てくれてありがとう」とーー。
今なら、好きな人に伝えられるのだ……。
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