似て非なるもの
似て非なるもの
著者:ハルヤマ春彦
友人の斉藤勇作から電話があった。「橘兼人なる人物がとんでもない主張をしている。TMK帝国主義なるわけのわからない屁理屈だ。春彦は興味がなかったが「なんだ!それは?」と、取り敢えず聞いてみる。「兎に角ややこしい話なので、出来れば早く会いたい。その時に話すよ」と言ってきた。そこで、翌日の昼に勇作の住むマンション近くにあるカフェレストへいくことにした。座るなり、勇作は「SNSで、TMK帝国主義という文字が躍っている。炎上しかねない。」人のいい、ちょっと、おっちょこちょいの勇作の話によるとTMK帝国主義とは概ねこうだ。TMK帝国主義のTとは、特権階級のT、Mとは、特権階級・政権よりのヨイショメディア、Kとは、特権階級ヨイショ国家官僚、政治家をいい、この3者が合体・提携していることだそうだ。春彦が「なんだ。そんな単純な言葉か。」といいかけると、すかさず、勇作は続けて言った。「この3者が文明発祥以来、5,000年前から合体して世界を牛耳っている」と。春彦は誇大妄想もいいところだと思った。さらに、勇作は続ける。「このTMK帝国主義は諸悪の根源なのだ。
簡単に説明するとこうだ。
TMK帝国主義⇒格差社会➦貧困➦テロ➦戦争(核戦争を含む)➦原発➦超格差社会➦精神的幼稚化・反知性化・幼稚化文化への傾斜➦過剰消費社会➦地球温暖化➦異常気象➦コロナ禍という流れになる。
これは、地球にとっての悪夢の予兆であり、終焉に近づきつつある。」と。
そして、これを回避する手立ては、TMK・民衆双方の覚醒・協力、覚悟がなければならないとのこと。
それを聞いて、春彦は「その橘兼人とは何者だ」と尋ねる。「いやあ。実を云うとこの橘兼人は俺たち路上生活者の仲間なんだ。なんでも、リーマンショックで30年経営した会社の売り上げが半減。またコロナ禍で経営がさらに悪化。結果、路上生活するまでに貧困が加速したので、こういう考えに達したのだそうだ」勇作の答えだった。「なるほど、分からなくもないけど、ちょっと、大袈裟だね」と春彦は思った。
その後、勇作の話によると、橘兼人は路上生活から立ち直るべく就職活動を試
そこで、この経験をいかして、「平成貧乏物語」と銘打って出版社へ持ち込んだ。文章は稚拙であったが、担当者の助言もえて、出版の運びとなった。結果、この単純で奇想天外な代物は意外と好評を博し、部数も伸びた。特に、ロストジェネレーションに人気があった。当然、兼人のふところ具合も良くなった。
兼人はこの無骨な春彦と違い、身なりもさっぱりしていて、結構、おしゃれな着こなしになれ、顔も端正だった。当然、女性フアンも多かった。
さらに、この波にのり、彼はかって大手予備校で宅建試験講師をしていた経験をいかし、WEB講義を始めた。〔1週間で合格する秘訣〕と称して、スタートした。コロナ禍でもあり、特別支援サービスとして、受講料を年間500円とした。業界通常受講料は10万円~25万だった。自分の言葉で語り、分かりやすい講義で人気があった。その結果、30万人を超える受講生が入校した。売上は1億5千万円となり、一気に富裕層となった。人件費は0円だった。兼人一人で6畳一間で全て処理していたので。彼独特の講義スタイルでウルトラC講座と称して講義した結果、合格者も多数輩出した。ウルトラC講座は過去問題の解説のみで、一週間で合格できるというものだ。実際、兼人は数年前に1週間で合格したのだ。それも。宅建業界の経験・知識もなしで。このことは、特に、複数回受験者にとっては、コスパ最強の講座として、入校者が殺到した。
そこで、受講料を1万円にした。それでも、受講者数は変わらず、売上は30億となり、さらに富裕層の仲間入りとなった。そこで、パソコンに長けた美人の若手女性スタッフ5名を採用した。また、50坪の事務所を借りることにした。
如何に宣伝効果を発揮するかといったことに注力し、宅建受験の教材の充実をはかった。
兼人は、数年前に兼人の女性関係で離婚しており、独身生活を謳歌した。富裕層の常として富士山が眺望できるところに温泉別荘を購入した。周囲は富士山に魅せられた中国人投資家の別荘が多数あった。一方、銀座の高級クラブ通いも頻繁になった。すっかり、反TMK帝国主義の言葉はすっ飛び、おのれ自身がTMKの仲間いりしていた。
その結果、同業他社のこの部門での売り上げがガタ落ちした。
そこで、業界は、なりすましユーチューバーやアルバイトを使って、兼人のウルトラC講座の効果は大袈裟で、コスパ最強などと、強調しているが、そのような事実・実績などないと拡散をはかった。しかし、現実は、多くの合格者を出すこととなり、これ等のユーチューバーが批判すればするほど、兼人のウルトラC講座は人気を呼び、当然のことながら、売上も、右肩上がりで増えていった。
結果、ますます、兼人は浪費癖も手伝って、銀座の高級クラブへ勤しむことになった。
兼人はこの波に乗って、歌手活動を始めた。全く、楽譜は読めなかったが、子供のころから学芸会などで、独唱の経験もあり、音感のいい方だったので、フォーク調の歌からスタートした。これは通常では、ズブの素人がメジャー歌手としてテレビなどに出演できる訳がなかった。兼人は音楽業界の知人を通してレコード会社の役員へこれまでに貯めこんだ中から、数億円寄付と称して、渡していた。フォーク調の歌は、如何にも、世の弱者に寄り添い、清冽な感じのものだった。最初はあまり受けが良くなく、苦しいスタートだったが、先刻の会社の現場担当者から、アングラ的で、世に物申す調へ変更してみたらとの、アドバイスがあり、作戦変更となった。また、兼人のそれまでの生活状況までが、話題となった。つまり、路上生活者から、成功者として、物語れた。すると、たちまち、上位にランクされた。彼が歌い始めると、コンサート会場は静まり返り、シーンとなり、これまでのコンサートのように出演者と聴衆が躍りまくる雰囲気とは違っていた。某テレビ局がこの頃の作曲家を主人公にした朝ドラの影響もあり、100年前の童謡や懐メロを知らしめ、カラオケ業界でもフアンが増えた。日本的なメロディーと歌詞が若者の心をとらえ、一躍、スターダムにのぼりつめたのだ。
また、野口雨情・中山晋平コンビで作詞・作曲された「黄金虫」の替え替歌を兼人は、コンサートの最後で聴衆と一体となり、一斉に唱和した。
歌詞は
小金持ちは 株持ちだ
金蔵建てた 家建てた
株屋で 仕手株 買ってきた
小金無視は 金なしだ
お馬ですったし 舟もだめ
サラ金で お金借りてきた
お邪魔虫は 邪魔なのだ
デートの最中 寄って来て
マツキヨで こんちゃん買ってきた
お金持ちは ケチなのだ
金貸さないし おごらない
子供に億ション 買ってきた
開場は手拍子で盛り上がった。
更に、これらを進化させようと、コンサート+書籍+テレビのバラエティー番組で、つまりメディア・ミックスで、人気は絶頂に達し、面白いように、財布のなかは潤った。兼人は更にさらに超富裕層となり、生活にも、女にも全く、不自由のない甘い生活を思う存分謳歌していたのだ
しかし、ある時、同じ調子で野外コンサートに臨んだ。突然、聴衆からブーイングが起こり、帰れ帰れコールが起こり、石ころを投げつけられる始末。兼人は大急ぎで、スタッフに囲まれて、そそくさと退散するハメになった。
これは、兼人が通っていた銀座の高級クラブのホステスが絡んでいるとのこと。
付き合っていたホステスを頻繁に変えていた結果、裏切られたホステスの彼氏によって、SNS上で拡散されたのだ。彼が弱者に寄り添うという信条と贅沢三昧で、女浸りの実体がかけ離れていた結果だった。
これを契機に、兼人人気は急降下した。売上も急速にダウンした。すっかり、打ちのめされたのだ。
ある日、兼人が銀座8丁目を歩いていると、200坪ぐらいの空き地があり、連絡先として新宿3丁目所在の管理会社の名前が掲示されていた。興味本位に電話してみた。この土地の価格を聞いてみた。340憶とのこと。また、TMK方式で、販売するとのこと。「それは何ですか」と兼人は聞いてみた。担当者曰く「TMKとは特別目的会社の略称です」このように高額な不動産はTMK方式で証券化して、投資家に証券を買ってもらい、その証券が完売したら、この会社は解散する」とのこと。
さらに、ネット上で調べていくと他にも2.3意味の異なるTMKという俗っぽい文字がみつかった。兼人の言うTMKとあまりにも、かけ離れた趣旨のTMKが存在したのだ。
兼人は苦笑した。面倒くさい、ややこしい時代になったもんだと。
兼人はそそくさと、会社をたたみ、屋久島に移住することにした。安普請の掘っ立て小屋を建てた。村人の人家から10km離れたところにあった。水道も電気も無かった。
鶏を飼って、卵を食べた。時には食肉として、小屋周辺の森で、放し飼いした。野菜、お茶・バナナや桃、梨、ポンカン、タンカン、サトウキビもつくった。つまりほぼ、自給自足の生活を始めたのだ。
水は50メートル下った谷合の湧き水から汲んできた。風呂はドラム缶を改造して入った
大雨になると、湧き水は増水し、プール代りとなり、真っ裸で泳いだ。童心に帰り、亜熱帯の自然を満喫した。時には、湧き水のみなそこに溜まった椎の実を拾ってきて、フライパンで上げ焼きして、食べた。都会では味わえない食感があった。
天気の良い夏などは、1キロ離れた海に降り、釣りを楽しんだ。
また、ヤマザクラは新緑とピンクのコントラストが鮮やかで、ソメイヨシノとは、趣を異にし、島でありながら、太古の大自然という風情があった。
時々、山奥に入り、縄文杉のある所まで歩いた。1日がかりで往復した。この樹齢3500年の巨木を眺めていると、これまでの、ドロドロした無機質な東京での生活を忘れることが出来たし、悠久の自然の息吹を感じた。
また、6月の梅雨の頃、九州で最高峰の宮之浦岳へ登山した。島内で親しくなった若い人達のガイドで頂上まで、登ることが出来た。頂上から、遠くに、鹿児島の薩摩富士と呼ばれる開聞岳とその奥に桜島を望めた。頂上は燕の飛び交うヒューという音以外、耳にするものがなく、静寂そのもんだった。
標高1500m辺りに、可憐に咲き誇る屋久島シャクナゲの花は、白とピンクの絶妙なバランスが織りなす清楚な花だった。穢れを知らない乙女の香りがした。一瞬神の島ではないかと錯覚する程に、神聖な島であった。
大雨のなかを登山することもあった。雨を、身体全体に浴びると、更に、この屋久島の大自然の懐で自然と一体化して、気持ちが落ち着いた。
しばらくすると、兼人は代々木公園のベンチで深い眠りから覚めた。路上生活仲間の勇作からたたき起こされたのだ。「おい!兼人!大雨だ、このままだとずぶ濡れになるぞ。カッパを着な。今から歌舞伎町のごみ集めに行くぞ!」と、兼人は100金のカッパを放り投げられた。
追記
筆者は、ここで、この短編小説を終わりにしようと思ったが、スケベ―根性で、次のように、付け足してみることにした。兼人は歌舞伎町のゴミ集めは止め、本当に銀座の高級クラブへ行ってみたい衝動にかられ、とっさに、かつ、大真面目に、あの世には、高級クラブはないものかと、考えるに至った。そして、高級クラブの正面から堂々と入れる方法を工夫してみた。
つまり、楽しく、あの世へ行ける(逝ける)ルート探しだ。
しかし、ここまで、考えが、及んだ時、兼人はつまらない、ことに気付いたのだ。
なぜなら、何億年前から多くの人間があの世に行った(逝った)わけで、あの世も混雑状態になっているに違いないと。
ある日、兼人は青山墓地へ墓巡りに言った際、隣接する氷屋に立ち寄り、青山墓地の使用料・管理費を聞いてみた。店の女店主曰く「相当な料金です。富裕層でないと払えないですよね。それに、大勢の予約者がいて、何百年先になるか分からない」と。それでは、海へ散骨してもらうか。ただ、これも、ただ、という訳でない。
よく考えてみると、この物語の主人公・橘兼人は所詮、金に縁のない生活をしているのだから、それも不可能というものだ。
まあ、であるから