仲良くしようぜ
洗礼と言うべきか、余所者には身の程を分からせてやろうという輩は元の世界でもいる。
達人であれば相手の強さが見ただけである程度推し量れるからこうやって喧嘩を売るような絡み方をされることは滅多にないのだが……まぁ、つまりそういうことだ。
多少武器が振り回せるからといって強くなった気でいるから困る。こういうところは人間も魔族も変わらないらしい。
しかし……
「上手いことを言ったな。魔族と人間の壁は高いとはよく言ったものだ」
「お、おう……?」
予想と反応が違ったのか、俺の正面に立つ魔族の大男は戸惑っていた。
それもそうだろう。普通なら萎縮するか反抗するかの二つ。どちらの反応もしなかったら大体混乱するだろう。
このままあやふやになるか仲良くできたらいいんだが……別に喧嘩を売りに来たわけじゃないしな。
「それにしてもここで働いて長いのか?ずいぶん体が出来上がってるように見える」
「お?へへっ、わかるか?俺ぁこの冒険者を物心ついた頃からやってるからよ、依頼の達成率だってかなりのもんなんだぜ?」
「冒険者」「依頼」「達成率」……この短い間にも独特な単語が男の口から出てくる。しかし全くわからないわけでもない。
冒険者というと、よくゲームやアニメにも出てくる。いわゆる仕事を自分で選べる何でも屋か斡旋所と言ったところだろう。
あとは仕事の依頼、その達成率などと言ったところか。
それにこの魔族の男は今、気を良くしているし、周囲の奴らも少し混乱してる。この男を堕とせば大人しく引き下がるだろう。
あともう一押しだ。
「ならその達成率を維持するためにここは引いてくれないか?ケガでもして引退したくないだろ?」
「……あ?」
その場の空気が一気に悪くなる。
……あれ?失敗した?
そこで俺はなぜか爺さんが昔言ったことを思い出していた。
【綾人、お前さんはいつも一言余計なことを言って相手の神経を逆撫ですることばかり言っとるから気をつけるんじゃぞ――】
……爺様よ、もしかしたら俺はまたやってしまったかもしれない。
険悪な雰囲気の中、どうしたものかと考えながらヴェルネが助けてくれないかなとカウンターテーブルにいる彼女を見る。
一応目が合ったが、ジュースっぽいグラスにストローを刺してズズズと音を立てながらテーブルに片肘を置いて眺めてるだけだった。
そして彼女の呆れた目が語っている。「あたしは知らない。自分で何とかしろ」と。
薄情……とは言わない。そこまでヴェルネに好かれてるとは思ってないし。
むしろ逆に聞きたいんだが……自分で何とかしちゃっていいの?
「よぉし、決まりだ。人間、お前はここで死――」
――パァンッ!
弾けた音。同時に背中の武器に手をかけた大男は殴られたように横を向き、ポカンと間の抜けた顔をした。
原因は俺がビンタしたことによるものだ。まぁ、恐らく俺がビンタした挙動はコイツらの動体視力じゃ見えていないと思うが。
「てめ――」
――パァンッ!
後ろにいた男も武器を手に取ろうとしたのでビンタ。
「この――」
――パァンッ!
横にいた女もビンタ。
その後も武器を手に取ろうとした奴は抜く直前にビンタして阻止する。攻撃どころか武器さえ抜かせない男女平等スタイル。
俺の周囲にいた計六名は何度もビンタされてすっかり頬が赤く腫れ上がってしまっていた。
「ほ、ほの……はめるはよっ!」
大抵の奴が座り込んで沈黙するか泣くかのどちらがだったが、最初に俺の前を阻んだ大男にまだ闘争心があったらしく武器を抜くのを諦めて殴りかかってきた。
あと今コイツが言った言葉は聞き取り辛いけど多分「こ、この……舐めるなよ!」と言いたいんだと思う。
にしても遅い。魔物という危険な生物は犬や猫のように、この世界に溢れるほど存在しているとここに来るまでにフィーナから聞いた。
だからその魔物を倒せるくらいにこの世界の人間の強さの基準は俺の世界より高いと思ってたんだが……
「存外期待外れだな」
そう言って俺はその拳を受け止める。
「ほふぇ!? はふべぶぁ!いうはふででもひんへんはうけほめふなんへ……」
ゴメン、長文はさすがに訳せない。とりあえず拳が受け止められたことに驚いてるみたいなのはわかるけど。
とりあえず……埋めるか。
受け止めた魔族の腕を引っ張る。
「おっ?」
「そい」
「ぐおっ!?」
両肩を掴んで本人の腕や足が折れないよう気を付けながらその場に強引に埋めた。
「な……なんぶぁこあぁぁぁぁっ!?」
「はい、チーズ」
――カシャッ
スマホを取り出し、遠くでヴェルネの「あ、またアイツ撮ったわね」という声を聞きながら埋まった魔族の写真を撮る。
題名「反省」
「さて、他にも埋まりたい奴はいるか?」
そう聞くとザッと気持ちいい音を立てて全員俺から離れた。
まるで偉い人にでもなったかのような……いや、違うな。今までと変わらない。
恐怖が人を遠ざけてるだけだ。
ただヴェルネは怖がる様子もなく、むしろ不機嫌そうにして未だに飲み物をストローでチューチュー吸っている。
「待たせたな」
「そのまま来なければよかったのに。むしろあんたが埋まってくれてた方が安心したわ」
「酷いな」
俺もカウンターに座りながらヴェルネとそんな会話をし、受付の少女に目を向ける。
黒い角、黒髪、黒目に赤い瞳、紫色の唇、肌色の皮膚。
髪や肌色はともかく、魔族らしい特徴を多く持った少女は明らかに俺を恐怖の対象として見て震えていた。
「そんで、ここで働き口を探すのか?」
「そうよ、まずは登録からね。イル、お願い」
「え……まさかこの人間を働かせる気ですか?」
「嘘でしょ?」とでも言いたげに驚く反応を見せるイルと呼ばれた少女。
しかしそうじゃなかったらなんで俺がここに来たと思ったのか……フィーナや他の奴らみたいに飯を食いに来たとでも思われたか?
「正解。あとコレ、お代わりもお願い」
さっきまで中身が入っていた空のグラスを見せて言うヴェルネ。
イルは動揺して迷っていたようだが、大きく深呼吸をして仕方なくといった感じにヴェルネの飲み物のお代わりを出して渋々と何かを探し始めた。
「わかりました……それじゃあ、まずはこの書類に記入をお願いします」
「ああ、了か――え?」
差し出された一枚の紙の内容を見ようとしたところで思わず固まってしまう。
文字が……読めない。