第三話「刃華教育-前編-」
4月11日、月曜日の朝は快晴だった。学校では入学式、会社では入社式が開かれ、人々にとって新しい生活の幕開けとなる日に、相応しい天気となっている。
三日月は窓から差し込む陽の光を浴びながら廊下を歩き、目的の部屋へと向かう。部屋は3階にあり、鍵はかかっていない。
部屋の前にたどり着くと、微かに話し声が漏れていた。
三日月は扉を開け中に入る。席についている2つの人影を視界の隅で捉えた後、壁にある時計を見る。午前9時になろうとしていた。
「よし。授業を始めるぞ」
上下ジャージ、上着にカーキのブルゾンを羽織り、ズボンのポケットに片手を入れ、小脇に授業資料を抱えた三日月が、鬼丸と大典太を見ながらそう言う。
「嫌だ!!!」
鬼丸は三日月の姿を見ると机に突っ伏し大声を出す。
「クニちゃん、頑張りましょう。ね?」
「やだ!!! 勉強やだー!!!」
なだめる大典太だが、鬼丸の拒否に対し口を曲げ、困り顔で三日月を見る。
刀人教会内で、特別な授業が開かれようとしていた。
協会内3階に存在する、授業を行うために作られた部屋は、奥行きがあり細長い形をしている。ホワイトボードが壁側に2つ置かれており、中央に4~8人掛けのワークテーブルが置かれている。
そして肘掛けが付いているオフィスチェアがホワイトボード側に1つと、テーブルを挟んだ向かいに同じ椅子が1つ、ストゥールが1つ置かれている。部屋の奥には予備の椅子が2つある。
三日月はホワイトボードの傍に立ち、鬼丸と大典太は2つのホワイトボードが見渡せるよう、テーブルの真ん中付近に椅子を持ってきて座っている。鬼丸は自分が気に入っているストゥールに座って足をぶらぶらさせている。
教科書とノートを広げ、筆記用具も用意し準備万端の大典太に対し、鬼丸はノートだけしか出してない。
「鬼丸。教科書」
鬼丸は自分の指をこすり合わせ、それを見ながら。
「忘れた」
そう、ぶっきらぼうに答える。
大典太が小声で「クニちゃん」と諭すが、鬼丸は頬杖をつき、虫を払うように左手を振る。
「部屋から取ってこい。ここに住んでいる限り忘れ物をする事は出来ないぞ」
語気を強める三日月に対し、フッと笑った鬼丸は自身のこめかみを人差し指でトントンと叩く。
「安心しろよ、三日月。ちゃんと内容はここに入っているぜ」
一度嘆息し視線を右上に向ける。三日月の癖であり、どうやって痛めつけるか考えるときの挙動だ。
そして三日月は鬼丸に近付き、下顎を右手で掴み左手を振り上げる。
「よし、歯を食いしばれ」
万力のような握力で下顎を締め付けられ、鬼丸は言葉を発することが出来なかった。
「ふぁっふぇ! ふぁっふぇ!!」
口をすぼめ、辛うじて息を吐くような言葉を口にする。三日月が力を緩めると、鬼丸は怯えた目で大声を出す。
「ごめんって! つうか利き腕で平手打ちはダメだって!!」
「どうした? 授業を受けなくてもよくなるかもしれないぞ」
「その代わりに、意識飛ぶか、頬骨砕けるか、目ん玉飛び出したりしたら、たまったもんじゃないって」
不機嫌を露わにしながらそう言うと、頭を振って三日月の右手を払う。バツが悪そうな顔をして後頭部を掻きむしる鬼丸を見て、三日月は左手から拳を飛ばす。軽い威力のそれは鬼丸の額に当たる。
「うわぁ、暴力だぁ、体罰だぁ。デンタちゃん、警察呼んで。あと写真も撮ってネットに挙げてくれ」
「本気で打ち込んでやろうか。黙ってさっさと用意しろ」
「ちぇー、冗談が分からない女はつまんねぇわー。ちぇー」
鬼丸はぶつくさと文句を言いながらストゥールをおり、教科書を取りに行こうとする。
残された大典太が小首を傾げ、困り気味の笑顔を三日月に向ける。ローツインにアレンジされたブロンドヘアが揺れ動く。
「教科書、用意するように言ったのですが……クニちゃん、ゲームが忙しそうで」
「大典太。やんわりとした言い方は駄目だ。次から厳しく行け」
大典太の両肩を掴む。
「場合によっては前蹴りかましても構わん。喉か鼻を狙うんだ。わかったな」
「デンタちゃんに変な事吹き込むんじゃねぇよ!!!」
扉を開けようとした鬼丸が焦り気味に振り向く。
「冗談だ」
「笑えねぇ冗談言うなよ……」
大典太は視線を下に向け、自分の服装を確認する。ブルーのブラウスに白いロングスカート。シューズは、蹴る行為にあまり向いていないネイビーのパンプス。
「今度はズボンを履いて、スニーカーにしてきますね」
両手で小さくガッツポーズをした大典太は微笑む。
「デンタちゃん、頼むからお前は清楚で優しいままでいて」
鬼丸の言葉を聞いた三日月は口元を隠して笑った。
刃華は様々な事情を持っている。刃華になる人間は、何かしらのトラウマや精神異常、病気、家庭問題等を抱えている。そのためか、特に問題も無く普通に生きてきた人間が、ある日突然刃華になるというケースは、実は珍しい。
とりわけ鬼丸は、刀人教会にいる刃華の中でも大きな問題を抱えていた。
鬼丸は捨て子であり、戸籍が無い。
両親も知らず幼い頃から外でずっと生活をしてきた、と三日月に語ったことがある。今年19歳になる彼女は、4年前はひらがなすら満足に書けず、喋る言葉といえば「しね」「ばか」「きるぞ」「さわんな」といったものばかりであった。
当然教育など受けている訳がなく、常識も欠如している。そのため、三日月は定期的に刀人教会内で学校の授業の様な真似事を行っている。
今日は童子切が高校の始業式に行っている。鬼丸は1人で授業を受けたがらない為、三日月は今日の授業を諦めていた。だが、大典太が"仕事"がなくなったため教会内にいることとなった。それを知った三日月が授業を行うと言うと、鬼丸は嫌そうな顔をして舌を出した。
「まずは歴史の授業だ」
授業の時だけつけている青渕の眼鏡の位置を直した三日月が、黒色のマーカーのキャップを外す。
「あの眼鏡って度が入ってんのかな?最近つけ始めたけど」
背を向けてホワイトボードに文字を書き込んでいる三日月を横目で見ながら、鬼丸が大典太に小声で話しかける。
「アイウェアみたいですよ」
「あいうぇあ? 洒落っ気出す必要ねぇだろ。授業真面目に教える気あんのか? 服のセンスねぇくせに」
大典太はちらと鬼丸を見る。白いロングシャツにショートパンツのシンプルな服装。健康的な生足が揺れ動いている。
「クニちゃんはセンスばっちり、ですね」
「あたり前だろ。あんなババアと一緒にしてもらっちゃあ困るって」
「私語厳禁」
三日月がキャップを鬼丸に投げる。
「あぶね!! ふざけんな!」
顔面に向かってきたそれを、鬼丸は首を傾け避ける。キャップが鬼丸の後方で壁に跳ね返る。
三日月はホワイトボードを一度叩く。その音は気持ちを切り替えろと言っているかのような音であった。
ボードには黒字で「数珠丸恒次」と書かれてある。
「あ? なんだよ、三日月。歴史の授業やるんじゃねぇの?」
「そうだ。歴史だ。刃華に関わるな。昨日話しただろ。私達で"人間狩り"を行っている刃華を探し出す。そのためにはまず、疑わしい刃華を洗い出す」
ボードに書かれた文字を、ペンで数回叩きつける。
「こいつが人間狩りである可能性も充分にあり得る」
「つまりこれは、授業のフリをした情報共有会、と」
大典太が挙手をしながらそう聞くと三日月は頷き返す。鬼丸は甲高い笑い声を上げ身を乗り出す。
「いいねぇ。退屈しない授業になりそう。最初から授業内容言っとけよ。教科書いらねぇじゃん」
先程とは違って熱が入った鬼丸を見て、三日月はホワイトボードに向き直る。数珠丸恒次の文字の下に「1995年1月17日」と書く。
「この前日何があった? 鬼丸」
「関東大震災」
「100年近く戻ってどうする。小ボケはいらん。大典太」
「阪神・淡路大震災ですよね、そして次の日が」
「そう。初めて刃華……数珠丸恒次が人前に姿を見せた」
三日月はキャップを置くと、持ってきた授業資料の中からクリアファイルを取り出す。席に座り、鬼丸に向かってそれを投げる。テーブルの上を滑るA4の紙には、2枚の画像と文字がびっしりと書かれてある。
鬼丸は滑る資料を止め、手元に手繰り寄せる。
「新聞に載らなかった、というより、国に揉み消された、数珠丸を見た者達の証言と画像がそれだ。刃華の存在が知れ渡ってから、世間にはその内容の一部しか公開されていない」
「最初に数珠丸恒次を目撃した、白山学。当時34歳の消防士」
鬼丸は紙に書いてある内容を読み始めていた。大典太が鬼丸の近くに寄り、紙の内容を一緒に見る。
「18日午前7時。倒壊したマンション近くで瓦礫の下に埋もれている遭難者を捜索中、マンションの一部が倒壊。確実に瓦礫の下敷きになると思われた白山隊員は、数分後無傷で発見される。白山隊員の半径5m以内には、瓦礫はおろか欠片すら落ちていなかった。白山隊員は必死に他の隊員に何が起こったのかを説明した。
"突然着物姿の女性が現れ、刀を使って自分を助けてくれた。"
白山隊員以外の反応は冷ややかであり、誰もその与太話を信じようとはしなかった。しかし、信じざるを得ない写真が取られる」
三日月は鬼丸に「右上の画像だ」と言う。大典太はその白黒の、解像度も高くない画像を見つめ、文章を鬼丸に変わって読み始める。
「次の発見者は伊藤真司。当時44歳、某テレビ局勤務のカメラマン。現場の様子を放送するために、18日午前10時にアナウンサーと共に震災場所へ潜入。傷つく人々、倒壊する建物を映す最中、あるモノをカメラに収めてしまう。右図参照。諸事情により白黒とする。伊藤はこう話している。
"桜色の鮮やかな着物、腰に刀だと思われる物を差した美麗な女性が、まるで庭を散歩するかの如く瓦礫の上を歩いていた。周りにいた泥や埃に塗れた人々とは違い、その人物は……綺麗すぎた。塵1つ見当たらない、まるで磨かれた彫刻のよう"
次に坂本、田淵というボランティアの2人が見かけた。それが18日の午後3時過ぎ。それで最後が」
「九条美都。18日午後9時30分頃に目撃したと証言。2つ目の画像に映っている女性だ」
三日月がそういうと画像を差す。色付きである女性の顔写真が載っていた。鬼丸はその写真を見てカラカラと笑う。
「へ~。"若いじゃん"」
「クニちゃん、失礼ですよ。今も変わらないじゃないですか」
「……そして、最後の九条美都以外は、3日後全員死亡している」
三日月がそう言うと、鬼丸と大典太の目の色が変わる。
「死因は刃物で斬られたことによる失血死。遺体は、体中を刃物で無数に貫かれていた」
ふーん、と鬼丸は興味なさげに呟くと、資料を三日月に向かって飛ばす。
「で、4、5年くらい前に見た資料引っ張り出してきて、「だから数珠丸探す」とでも言うわけ?」
テーブルの上を滑る資料は三日月の目の前で止まる。
「最初に言っただろ。可能性がある。そしてこいつが、本当に人間狩りをしている刃華だとしたら厄介だ。知っているだろ、数珠丸の異名」
「「最強の刃華」」
鬼丸と大典太が声を揃えてそう言う。鬼丸は小馬鹿にするように笑うと大きく仰け反り天井を見上げ、言葉を吐き捨てる。
「たかが適正値が異常に高いだけの刃華だろ。おまけに計測していた所を見ていたわけじゃない。つうか、適正値が高い=強い、にはならないって。そうだろ、デンタちゃん」
「そう、ですね」
横目で同意を求めた鬼丸だったが、大典太の返答は渋い。
三日月は眼鏡を外し、2人を見た。
「とにかくだ。こいつと相対した時は用心しろ。私達と同じ”五剣”だが、敵か味方も分からん。もし戦う事になったとしても、1人で絶対に戦うな。特に鬼丸」
「分かってるよ。ただ、デンタちゃんと一緒の時に狙われたら、私は命掛けてデンタちゃん守って戦う。それは構わないだろ」
無言で頷いた三日月は再び立ち上がり、ホワイトボードに文字を書き込んでいく。時折赤と青のマーカーも使い、黙々と描き続ける。数分後、黒・赤・青の3つの円と文字がボードに浮かんでいた。色に対応した文字が円の中に書かれてある。
三日月は黒の部分をペンで差しながら、説明を始めた。
お読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。