合戦宣言
目の前の武蔵しか視界に入らず周りが黒くなっていく。
柏木真澄の意識は消えかかっていた。
スポーツや武道に限った話ではないが、実力のある者は特有の雰囲気というものを持つ。
常人には感じ取れないが、実力を身に付けた者なら感じ取れる特有の雰囲気。
柏木は剣道で日本一に輝いた実力者。であれば、当然対戦相手の雰囲気というものを感じ取れる。
柏木は大きなミスを犯したことを、朦朧とする意識の中で自覚した。
武蔵と会った時も、会場に入った時も、対面で向かい合った時も、ずっと武蔵の雰囲気を感じ取ろうとした。だが何も感じる事は出来なかった。
そこに安心してしまった。
"なぜ何も感じ取れないのか"を必死に考えるべきだったのだ。
柏木は実力者である。
試合が始まった瞬間、武蔵の強さを感じ取ってしまう。
結果、"絶対に勝てない"、という結論に至ってしまった。
先程まで湧いていた自信が霧散する。その空虚と化した心に津波の如く押し寄せてきたのは、恐怖であった。
竹刀と視界が揺れる。
「うぉおおあああああああ!!!」
直後、柏木の怒声が会場内に響き渡る。恐怖心を排除する叫びを発し、自分の竹刀を軽く振る。武蔵の竹刀を払うことに成功した直後、踏み込みと同時に小さい挙動の面を放つ。
突きの様な鋭い一閃に対し、武蔵は竹刀の鎬を使って、柏木の竹刀をすり上げる。太刀筋がそれた柏木の竹刀は、結果として武蔵の面に触れもしなかった。
両者はぶつかり、鍔迫り合いの状態となる。
会場内では拍手が沸き起こり、歓声が強くなる。
柏木は先程の動作を思い出し、歯嚙みする。
すり上げ技が決まると、竹刀をすぐに戻すことは不可能。つまり、決定的な隙が生じる。
故に先程の柏木には決定的な隙が出来ていた。しかし、武蔵はその隙を突こうとはしなかった。鍔迫り合いになる前に、柏木のがら空きになった小手や面を打たなかった。
完全な手心を加えられた。そう結論を出した柏木は、眼前にいる武蔵を吹き飛ばそうと全身に力を込めようとした。
その時。柏木は、面の中にいる武蔵の表情を見てしまう。
武蔵は、笑顔を浮かべている。
血走った目に歯を剥き出しにした、狂気混ざる濁り切った不気味な満面の笑み。
まるで獲物を狙う肉食獣のようである。
柏木は感じ取る。
斬られる、と。
柏木は思い出す。
刃華とは何かを。
刀に選ばれた人間。常人とはかけ離れた身体能力と、特別な異能力を身に付けた人間。進化した人間。刀そのものと称される人間。
人間が刀に選ばれ刀に成る。人間が刃と化す。
その出で立ちは、まるで華が咲き誇るよう。
故に、「刃華」。
呆然とする柏木が気づいた時には遅かった。武蔵が腰に力を入れ、柏木を後方に押し飛ばす。先手を取られたため、追い打ちを警戒する。吹き飛ばされた力を利用し、大きく後方に飛ぶ。
武蔵は追撃せずその場に踏みとどまる。
またも武蔵の手心を感じ取る。追撃する必要無しと判断された。柏木は怒りを抑えるように息を吐き出すと警戒を強める。
再び両者、中段に構える。
柏木の瞳に映る武蔵は、まるで仁王像の様に大きく見えていた。恐怖から見えるその映像を払拭するように、すり足で間合いを潰していく。両者の剣先は離れており、人一人が入れる程の間合いが生じている。
武蔵は間合いの広さを確認し、大きく振り被る。両腕を上げ、竹刀が自身の背中に隠れるほどに。
面狙いだという事は誰が見ても明らかな、隙が多い大振りの一打。練習でしか見られないような一打を放とうとしている。
武蔵の右足が、踏み込もうと動く。己の面に竹刀の物打ちが届くと確信した柏木は胴を狙い、打ち抜けようとする。
体裁きで攻撃をやり過ごそうと全身を動かそうとした。
瞬間、柏木の右手に衝撃が走る。
耳には踏み込みの音、竹刀が何かを打った音が飛び込んでくる。
そして、武蔵の咆哮が場内に響き渡る。
何が起きたのか分からなかった。柏木は混乱する頭で状況を整理する。
既に武蔵は後ろにいる。残心も決め終わっている。審判3人の旗が白に上がろうとしている。白のタスキを身に付けた武蔵に軍配が上がろうとしている。
大振りの、ただの面打ちだったはず。打たれるその瞬間まで柏木は武蔵の姿をずっと捉えていた。それにも関わらず、武蔵の打撃は吸い込まれるように小手を打った。その攻撃に全く反応出来なかった柏木は呆然とした。
「小手有り!!」
会場内が湧きあがる。響き渡る声の数々は、賞賛よりも困惑の色を帯びていた。
♢ ♢ ♢
「……何やってんだ? 柏木」
「体全体で避けようとしたみたいだけど、あんな分かりやすい小手に全く反応出来てなかったね」
隣にいた男性同士の会話が橘の耳に入る。場内のいたるところで困惑の声が上がり始めた。
"武蔵は大きく開いていた間合いを、すり足と踏み込みで潰し、竹刀を大きく上げて柏木の小手を打った。"
観客にはそう見えていた。竹刀を思いっきり振り被ったわけではないが、確実に小手に来る打撃だと分かる、大袈裟な一打であった。
「……ん?」
橘はレンズを覗き込む。柏木の様子がおかしいことに気付いたからだ。
♢ ♢ ♢
自分の動悸と呼吸音を不快に感じるのは初めての経験だった。中段の構えをとる柏木だったが、先程の攻撃によって、精神状態が不安定になっていた。
"武蔵は両腕を上げ竹刀を振り被り、踏み込みと同時に面を狙おうとしていた。"
柏木にはそう見えていた。
なのに、当たったのは小手。打突の瞬間は見えず、まるで、見えない何かに小手を打たれたよう。
柏木の呼吸は荒くなり肩が上がり始める。体が傾ぐような感覚に柏木は襲われる。
「始め!!」
審判の声が響くと、武蔵が踏み込む。
同時に柏木の脳裏に、先程の武蔵の笑顔と、自身の首が貫かれ血が吹き出る画が浮かび上がる。
「ひぃい!!!」
会場内に柏木の悲鳴が響き渡り、場内が静まり返る。
全体会覇者であり、凛々しい佇まいを見せていた柏木は、武蔵に土下座をしている。
肩を震わせ、亀となり怯えている。
♢ ♢ ♢
橘はカメラを下げてしまう。普通に剣道をしていただけに見えたこの試合、激しさだけなら前試合の方が上回っていた。
2階にいた観客から落胆の声が少なからず聞こえる。
同時に、柏木真澄の怯える姿を見て皆が悟った。
刃華はまやかしで無い事を。
武蔵正宗は、まやかしで無い事を。
♢ ♢ ♢
勝つ自信を最後まで保てず、敗北を考えてしまう程度の覚悟。
お世辞にも高いとは言えない技量に隙だらけの構え。
殺意を向けたら、こちらの攻撃には全く反応出来ずに固まってしまうという、度胸の無さ。
柏木の実力を知った武蔵は落胆してしまった。
審判の声に耳を傾けず、うずくまり続けている柏木を、武蔵は汚物を見るような目で見続けた。
♢ ♢ ♢
試合が終わった武蔵は防具だけ外し、道着姿のまま足早にホールへと向かっていた。大勢来ている報道陣の前に姿を見せ、ある事を言うために。
武蔵がホールにつくと、大勢の報道陣が押し寄せてきた。
「武蔵選手! まずは一勝、おめでとうございます!」
「武蔵選手、今大会はこれで棄権するというのは本当ですか!? 理由をお聞かせください!」
「感想を一言いただきたいです!」
「各地で暴れている悪の刃華達に一言!」
多くのカメラと質問に対し、武蔵は戸惑ってしまう。このような形で人前に出る事など、彼女は慣れていない。武蔵の顔はみるみる赤くなっていく。
「えっと……あの、その。試合はまぁ、いつも通りと言いますか……?」
小首を傾げながらもなんとか答える武蔵に対し、報道陣の質問は苛烈を極める。
「鍔迫り合いの時に何か脅したんですか!?」
「何故二刀で挑まなかったのですか! 手を抜いたのですか!」
「他の刃華とは交流しているのですか!?」
口を紡ぐ武蔵。言いたい事が言えずに時間だけが過ぎて行く。
「あれが貴女の本気ですか! 武蔵正宗さん!」
その質問が、武蔵の表情を変えさせた。
武蔵は声の方を向く。低身長な、右手にカメラを持っている女性が必死に武蔵の方を向いている。ネックストラップ名札には「橘 彩」と書かれていた。
その質問を待っていたと言わんばかりに、武蔵の表情からは赤みが消えた。落ち着きを取り戻した武蔵は、橘に向かって言う。
「まさか、本気の訳が無い」
先程とは違う声色に、報道陣が静まり返る。
「先程ご覧になった通り。日本一の剣道選手でも、私には歯が立たなかった。
竹刀をすり上げた際に生じた隙を突かず、体を吹き飛ばされ隙だらけの相手に追撃を行わない、という手心を加えたのにも関わらず。彼女は試合中に蹲ってしまうほど、弱かった。
彼女の実力は”まやかし”でしたね」
何台ものテレビカメラが、クスクスと笑う武蔵を捉える。会場ではまだまだ試合が残っているというのに、殆どの報道陣はこちらに来てしまっていた。そのため、機材の数も尋常ではない。
武蔵はこれを好都合だと思う。この言葉を全国に発するのには丁度いい。そう武蔵は考える。
「これ生放送中ですか?全国?」
武蔵は近くにいたカメラマンに問いかける。
「あ、はい」
「そうですか。では聞いて下さいね」
笑みを浮かべた武蔵は、数多のカメラに視線を送る。
「恐らくこの世にいる人間で、私に勝てる者はおりません」
報道陣から困惑する声が上がる。
「それは刃華も同じくです」
橘の表情が驚きに染まる。
「今日もし、私が人間との勝負を楽しめたのなら。このような馬鹿げた事は言いません。けれどはっきりしました。私は退屈している。全力で闘えない事に。刃華の中で最強の私は、今非常に退屈しております。
けれど、刃華が人間相手に全力で戦うわけにはいかない……」
武蔵の目が細くなる。
「だから、刃華と全力で戦おう」
武蔵は一度大きく息を吸い込み、鬱憤を晴らすかのように言葉を吐き出す。
「正義だろうと悪だろうと関係ない。
もし、私を倒せるという刃華がいるのであれば。
己が最強だと思う刃華がいるのであれば。
生きる事に退屈している刃華がいるのであれば。
東京で会いましょう」
橘がカメラを構える。明日の広告になりえる写真を撮る為に。
「私はここに宣言する! 来年の4月、刃華同士が殺し合う大会を開く!」
シャッターの音が鳴り響く。
「この国で、最強の"刀"を決める!!」
写真に、テレビに、狂気を露わにした武蔵の笑顔が映し出された。
そして翌年の4月。武蔵の宣言通り。
東京にて、"刃華合戦"という殺し合いの大会が行われ。
その様子は、日本全国に生放送される事となる。
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二天の武蔵。名は正宗。
故に、武蔵正宗。
天下無双の刃華なり。
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次回からは主人公が変わります。
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