第3話「アリアの矜持」
アリア・レヴィノートは、言うならば暗殺者だった。
エルフ族は魔法に長けた種族というのが、この世界の常識だ。
エルフ族は人族よりも大きな魔力量を持ち、長い寿命の中で研ぎ澄まされた魔力コントロールは、多くの人族が願っても届くことのない高みだ。
ただ、これはあくまで平均値の話であって、高度な魔法を使いこなす人族がいれば、逆に魔法を使えないエルフ族というのも一定数存在する。
アリア・レヴィノートは魔法を使えないエルフ族だった。
けれども、それを補ってあまりある程の、近接戦闘技術、潜伏技術、その他暗殺者として必要な多くのスキルを一流レベルで持っていた。
そして、暗殺者として絶対に必要なものである“非情さ”も高度なレベルで持っている……と思われていた。
組織の駒として、淡々と任務をこなす日々。
アリアが、組織を抜け出そうと思ったのは何がきっかけだっただろうか。
任務で殺した貴族に、幼い子供がいることを知ってしまったときだろうか。
対象を殺したことによって、ドミノ倒しのように対象の関係者が破滅していったことを知ったときだろうか。
次回の任務が、自身の“女”を生かした潜入任務であると知らされたときだろうか。
もしかしたら、どれか一つというわけではなく、多くのものが積もった結果だったかもしれない。
経験の無い、“女”を生かした任務には、嫌悪のあまり無表情になってしまったのは、アリアの記憶にまだ新しい。
アリアは後悔はしていない。
物心ついた時には組織に所属していた以上、生き残るためには必要なことであったし、悲劇を生み出すということに関してなら、国同士の戦争なんて規模がその比ではないからだ。
いずれにせよ、アリアは“可能だ”という判断の元、組織から脱走した。
魔法、戦闘、追跡、それぞれ一芸だけだったら、自分より優れたものが組織にはいた。
そもそも魔法は使えもしないが……。
ただ、殲滅するのではなく脱出するだけなら……。
そして、その判断は間違っていなかった。
追っ手を撒くために樹海に入ったことも、アリアは我ながら良い判断だと思っていた。
樹海は奥に行くほど、凶悪な魔物が出ることは一般的に知られるところだ。
追っ手側は、自分たちに損害が出ると思えば、割に合わなくなるから追跡をやめるだろうと考えたのだ。
ここでも、その判断は間違っておらず、追跡を撒くことができたのだ。
一点だけ、間違ったことがあるとすれば、一気に樹海の奥まで踏み込み過ぎたことだろう――。
樹海の入口付近にある国で、危険度Sに設定されているところまで入り込んでしまったのだ。
◆◆
「迷惑じゃなければ、助けようか?」
アリアの目の前に降って来た男が、アリアに向かって問いかける。
アリアは、一瞬どころかニ瞬ほど呆けてしまった。
突然の意識外からの乱入に、反応できなかったことへの驚きがあった。
今まで任務で連携することはあっても、“助けられる”ということがなかったのも原因かもしれない。
アリアの所属していたのは、冒険者パーティではなく、騎士団でもない。
助け合うなんてことは、今まで無かったのだ。
アリアは、徐々に思考を取り戻す。
目の前に現れた一人の男と、一体の魔獣。
その余裕のある態度と、自分が気づかないような接近を行える、その身のこなし。
迷惑じゃなければという言は、一応形として、他人の獲物を横取りしないためだろう。
半ば諦めていた生還の可能性が、アリアの意識にのぼる。
アリアの口をついて出た言葉は、リュートにとって意外なものだった。
「助けて欲しい。けれど、そこの正面右の奴は、私が自分で倒したい」
それは、アリアの負けず嫌いな心情の表れだろうか。
デビルエイプ全てを倒して欲しいと告げるのは、アリアにとって何か違う気がした。
庇護されるだけを望むなら、そもそも組織を脱走なんてしていない。
五体いるのに、一体だけなんて格好悪いなんて言う者がいたら、自分の数倍の大きさの魔獣と戦ってみるといい。
日頃から鍛えている騎士たちが、数人でデビルエイプ一体を取り囲む場合でも、騎士たちが尻込みするような魔獣だ。
アリアがさっき足止めしたのも、あくまで足止めであって、どちらかが倒されるまでの戦闘となったら、勝つ確信なんて全くない。
それでも、アリアは戦うことを選択した。
それは、アリア・レヴィノートの矜持だった。
残りの四体のデビルエイプを任せるという判断は、アリアにとって自然に出た思いであり選択だった。
彼らは負けない……、それはアリアの確信に近い直感であった。
「分かった」
リュートは短く言葉を返したが、その様子はどこか嬉しそうだった。
デビルエイプは、警戒しているのか、襲うのを躊躇うようにその長い腕で地面をガリガリと引っ掻いている。
アリアは先手必勝とばかりに、地面スレスレを滑るようにデビルエイプの正面に向かって突っ込んでいく。
別に正面からの力比べを狙っているわけではない。単純な腕力では、アリアはデビルエイプに及ばないことは自分でも分かっている。
だからといって、俊敏さを生かして戦ったところで、相手は俊敏である上に全身のほとんどを硬い 毛皮で覆われているのだ。持久戦にしたところで分があるわけではない。
デビルエイプはアリアに腕を叩きつけるように振り下ろす。
直撃したら、体が千切れるような一撃だ。
アリアが狙ったのは、この一瞬の中のさらなる刹那。
アリアは、認識できる限界の速度の中、身体をわずかに捻り、振り下ろしをかわし、カウンターになるようにデビルエイプの喉に向けて、逆手に持った短刀を両手で突き込む。
おそらくデビルエイプの全身の中でも弱いだろう部分に、お互いの速度を掛け合わせた渾身の一撃。
デビルエイプの喉に、短刀が直撃する。
生まれた結果は、デビルエイプの悲鳴と、折れた短刀……。
短刀自体が、アリアの絶技に耐えられなかった。
デビルエイプは悶えるものの、致死の攻撃とはならず、怒りを露わにしアリアに歩み寄ってくる。
「くっ!」
短刀が折れたことに、アリアは呆けたりはしない。
どんな時でも次なる手段を模索することが、身に染み付いているのだ。
だからといって、良い手段が浮かぶかどうかは別だが。
「ほら、それを使うといい」
アリアは声がした方に、一瞬視線を向ける。
アリアの手元に向かって、何かが放られてくる。
手に取ると、鞘に収まった短刀。
鞘を外すと、そこにあったのは金属でありながらも、木目のような模様が浮かぶ刀身だった。
とある金属の知識を有する者が見たら、「ダマスカス鋼!?」と叫ぶかもしれない。
アリアはその短刀の美しさに見惚れそうになるが、迫るデビルエイプが視界に入ってきたことで、なんとか気持ちを律することができた。
手に持っただけで理解した、その武器の強靭さ。
これなら、頑丈な岩ですら切り裂けそうだと、アリアは思った。
今度は喉ではなく、逆手で持った短刀で、デビルエイプの胴体を横に薙ぐように振るった。
アリアの手に伝わる硬いものを切り裂く手応え。
直後、アリアは短刀の刀身が伸びたように感じた。
短刀に力を吸われたようにも感じた。
そして……、デビルエイプの胴体が上下真っ二つに分かれた。
「えっ……?」
アリアは、自分でやったことながら、何が起きたか分からないといった様子だ。
答えを求めて、短刀を投げて寄こしてくれた男の方を向くと、そこには既に四体のデビルエイプが倒されている光景があった。
アリアは必死で気づかなかったが、思い返してみると、短刀を放り投げて来た時には、すでにデビルエイプを倒した後だったかもしれない。
「あんた凄いな。その短刀の力をいきなり使えるなんて」
「クルニャー♪」
アリアは思った。
いやいやいや、凄いのはこの短刀とあなた達だと。
とりあえずいろいろ説明求むと――。