【半径rの円周上の任意の2点間の距離の最大値がちょうど2rとなる】
アイの証明
「半径rの円周上の任意の2点間の距離の最大値がちょうど2rとなる」
ハルキは唐突に切り出した。
「え? ちょっと、何言ってんのかわかんない」
ミズキは戸惑う。
それはそうだ。
今日は二人の交際開始から三か月の記念日。
ちょうど、ハルキのバイト代が入ったこともあり、二人でささやかな晩餐を開いているのだ。
学生の身分でもあり、毎日の暮らしの豊かさを食を通して提案してくれる、イタリアンワイン&カフェレストランでのほんのささやかな晩餐ではあったが。
「ははっ、ミズキには難しすぎたか」
ハルキは屈託なく笑う。
そこそこの大学にそこそこの成績で入り、そこそこの成績を収めているハルキではあるので、学部は文系だがそこそこの数学的知識や思考力がある。
対して、ミズキは地頭は悪くはないのだが、勉強と聞くと蕁麻疹が出るくらいの勢いの勉強嫌いであったため、ほぼほぼ面接と中学受験相当――というのも言い過ぎなぐらいの小学生の基礎知識レヴェル――の筆記テストでなんとか合格できる高校を卒業した後は、己の趣味を仕事にするべく、専門学校的な機関で学んでいる。
半径や円周、最大値などの用語について意味がわからないことはないが、【r】など、数学用語的な、特に横文字を聞くと虫唾が走るのだ。
「次に【アール】とか口走ったら、刺すよ?」
ミズキは、パスタを食べる手を止めて、スプーンの先端をハルキに向けた。
これは、右手に持つフォークだと冗談にならないから、ジョークを交えて危害を加えにくいスプーンを向けたというわけではない。
ミズキは両親に強制されて、筆記や食事の際は右利きになっているが、ことスポーツや格闘になると、本来の左手が優位に動くのだ。
しかも、氣の扱いに精通しているため、単なるスプーンに切断力を持たせるという特殊能力も持っている。
皮や肉はもちろん、指の骨ぐらいであれば容易に切断できるのだ。
「まあまあ、じゃあもうその話はしない」
ハルキはハルキで、氣の扱いに精通しているため、ミズキ程度が練った氣であれば己の氣を体表面に集めることで、ミズキがスプーンに付与した切断力を相殺し、防御しきれるのだが、場所が場所――毎日の暮らしの豊かさを食を通して提案してくれる、イタリアンワイン&カフェレストラン――でもあるために、痴話げんか――巻き込まれると周囲の人間、半径5mぐらいは致命傷を負う――を避けるべく、話題を変えるような口ぶりで応答した。
「じゃあ、もっと簡単に言い換えよう。恋人同士の心の距離について」
「それなら、今日の記念日にぴったりの話題だね!」
ミズキは口角を上げて笑みを浮かべた。その口元からは鋭い牙が覗いている。
「このお皿……」
ハルキは、空になったポップコーンシュリンプの皿を指さした。
「直径は大体10センチぐらいかな? っていうことは半径は5センチだ」
「そうだね。正確には12センチと5.7ミリだけど」
「このお皿の外周に僕とミズキチが居るってわけだ。付き合う前は、”ここ”と”ここ”とぐらいかな?」
ハルキが指したのは、皿の中心と2点を結ぶと45度角の扇形になるくらいの2点。
「そうだね~、付き合う前からまあまあ仲良かったもんね」
「今は、これくらいかな?」
次に指したのは30度になるぐらいの2点。
「えー? そんなもの? もっと近いよ」
ミズキは、15度くらいになる2点を指す。そうなると両手は必要なく、右手の人差し指と小指で事足りる。
自然と手の形が、スタンハンセンのウィーと叫んでいるポーズになる。
「スタンハンセンみたいだね?」
「誰?」
「ブレーキの壊れたダンプカーだよ。プロレスラーだよ。ちょっとそのまま手を挙げてウィーって叫んでみてよ」
ハルキはおどけてミズキにお願いする。
「あれは、ユース! って叫んでるのよ」
「じゃあ、僕はブルーザブロディだ」
そう言って、ハルキは卓上のピンポンを押し、店員に鎖を注文した。
鎖はメニューに無かったため、ポップコーンシュリンプを再度注文し、丸くなった揚げられたエビで疑似的な鎖を作ることに成功した。
閑話休題。
「とにかく、恋人同士、夫婦になっても僕たちの距離はこの演習場……じゃなかった、円周上を行ったり来たりだ」
「もっと近づきたいよ、あたしは」
「うん、僕ら二人が点だとすれば、距離は限りなくゼロに近づける」
「限りなく?」
「ミズキには腹立たしい表現かもしれないけれど、二人を面積を持たない点だと考えたら実質はゼロだ」
「概念的な点になるわけね。摩擦係数とか無視するようなあれね?」
「そういうこと。そして、二人の気持ちが離れない限り……」
そこで、ハルキはまた皿の2点を指さす。
「どんなに離れても”ここ”と”ここ”。中心を通った直線で結ばれるこの二点」
「ちょうど直径の長さね。概算で10センチ」
「忠心を持ち続けていれば、直系の子孫、つまり僕らの子供が僕らを繋いでくれる」
「誰が、言葉では伝わりにくく、文字にしないとわからない程度に微妙に巧い事言えっていったか!」
ミズキの体からオーラがほとばしる。
「というわけで、半径が5センチのお皿の円周上に居る僕らが、どんなに離れても、その距離は半径の2倍、つまりは直径の長さである10センチは超えない」
「もし、もしだけれど、円周からはみ出してしまったらどうなるの?」
「そんなことはありえない。だって僕らは、ハンセンとブロディ。ミラクルパワーコンビだからね。どんな困難も愛の奇跡で乗り越えられる。場外乱闘になっても20カウント以内には戻って来れるんだ」
「 j の力かぁ」
「いや、今は虚数の話はしていない。初めに決めた【数学用語的な、特に横文字を聞くと虫唾が走るのだ】っていう設定無視しないでくれ」