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黄泉戸喫  作者: 眞上 陽
1/3

前編

前編・後編の計二話構成です。

黄泉戸喫ヨモツヘグイという言葉は知っているかい」




 そう僕に尋ねてきたのは、父方の叔父であった。


 叔父は民俗学を大学で専攻している学者で、どこか浮世離れした独特の空気を纏ってる人だった。


 そんな叔父を僕は幼い頃から慕っていて、よく長い夏の休みには叔父の家に泊りがけで遊びに行ったものである。


 叔父はよく僕をいろんな所に連れ出してくれ、いろんな話を語って聞かせてくれていた。


 連れていかれる場所は古い古民家であったり石碑であったり、洞窟であったり何もない野原であったり……。あまり一般的に子供が楽しめる場所ではないと思うが、叔父の説明を聞きながらの散策は僕には興味深いものがあったのだ。


 また、叔父の話は多岐に渡った。


 歴史や古物についての説明、統計学や地域独自のエピソード。

 

 その中でも僕を虜にしたのは、妖怪や幽霊の類の話であった。


 人の歴史、その土地を探っていく中で、一見関係性のないように思えるそれらの話は決して切り離すことはできないのだと叔父はよく語っていた。


 今よりも科学が発達していなかった頃、台風や日食や自然災害などの身の回りに起こる不可思議な現象を人は、神の怒りや幽霊の祟り、妖に化かされたなどと何かのせいにすることが多かった。


 人知を超えた出来事は、自分の手の届かぬ何かのせいにしたくなる、人間の当然と心理だと。


 またそれは今よりもこの世に非ざる存在をそれだけ身近に感じていた証拠だとも叔父は語った。


 その理解を深めていくことは、人間を、また人間という存在の生き様を知っていくのにも等しいと楽しそうに叔父は話した。


 そんな叔父の言うことを半分はわからないまでも耳を傾けることは僕にとって楽しい一時ひとときであったのだ。


 その、黄泉戸喫という話もそんな会話の中の一つであった。






「黄泉戸喫というのは、この世のものではない食べ物を口にすることなんだよ」


 そう叔父が話をしたのは、夏の終わりの夕暮れ時のことだったか。


 夏にしては珍しく、激しい夕立の土砂降りではなくしとしとと雨が降っていた日のことだったと思う。



「この世の食べ物じゃないもの? そんなのあるの?」


 首を傾げて尋ねた僕に、叔父は笑って言った。


「もちろん、今ここに出してみせてと言われても出せるものではないがね。まあ黄泉戸喫と言うと何だか難しく聞こえるかもしれないが、この世の食べ物ではないという題材は、昔からの話には割とよく出てくるものだよ」


「そうなの?」


「ああ、例えば日本神話で言えばイザナギ・イザナミが有名だろうな。知っているかな? そうだな……、まだ難しかったか。イザナギ・イザナミというのは古事記という書物の中に登場する男神と女神のことだよ。二人はいろんな神をこの世に産み出したが、火の神カグツチを生んだ時の火傷が原因でイザナミは命を落としてしまう。この辺りは女性の出産は命懸けであったという事実もまた意図する所があると思うが、今回の話とは別なので先に進もう。夫婦であった二人だが、亡き妻・イザナミを諦めきれなかったイザナギは黄泉、ようするにあの世へまで追いかけた。しかしイザナミは既にあの世の食べ物を口にしていて、結論を言ってしまうばこの世には戻ってはこれなかった。この食べ物、つまりはあの世の食べ物を黄泉戸喫というんだよ。因みにこのイザナギとイザナミが戻ってこようとした道のことを黄泉比良坂よもつひらさかと言って現世うつしよと黄泉の境目とされている。……三途の川、であれば知っているかな」


 その問いかけに僕はこくこくと頷いた。


「知ってる! 大きな川で渡ると帰ってこれなくなちゃうって奴だよね? 川の向こうでは亡くなった人が手を振ってたとかきれいな花畑があったとか、怖いテレビ番組でやってた」


「そうだね、それで違いない。また、あの世の食べ物と言えば日本神話だけじゃない。ギリシア神話にも有名な話があるんだ。天空の神ゼウスと豊穣の女神デメテルの娘、ペルセポネーは冥府の神ハデスの妻となるが、これにもあの世の食べ物が関係しているんだよ。ハデスより冥府の果物である石榴ざくろの実を四粒食べさせられたペルセポネーは半分黄泉の住人ということになり、食べた石榴の実と同じ四粒……、一年の十二か月のうち四か月は冥府に留まらなくてはいけない身となったんだ。これがもとでペルセポネーはハデスの妻になるんだが……」


「何で、何で四粒だけしか食べないの? 何で無理に食べさせたような相手と結婚するの?」


 話の途中で割り込んだ僕に、叔父は苦笑してみせた。


「まあ、これはあくまで神話……、物語の中のことだから。ここで言いたいのはあの世の食べ物を口にした者は、あの世の住人となってしまう、というところなんだがね……」


 そこで叔父は窓の方を見た。


 叔父の家には大きな林檎りんごの木があり、その日は外で降り続く雨をその葉が弾いていた。


「あの世の食べ物、とは少し趣がことなるが、旧約聖書の創世記に善悪の知識の木、の話があるのは知っているかい?」


「善悪の知識?」


「そうだね。アダムとイブが永遠の楽園から追い出された原因。知恵の実、もしくは禁断の果実……の言い方の方が有名かな」


「ああ、知ってる! 林檎の実のことなんだよね?」


 僕は知っている話題になったことが嬉しく、ぴょんぴょんはねながら叔父にそう言った。


 しかし叔父は緩く首を振ると、僕の頭をゆっくりと撫でた。


「よく知ってるね。ただ確かに知恵の実は林檎の絵で描かれている題材も多いが、実際には林檎とはどこにも記されてはいないんだ。禁断の果実、それは林檎とも、無花果いちじく、石榴や葡萄ぶどうなどという説もある」


「ええー、林檎じゃないの?」


「そうだね、林檎だったのかもしれない。……ただ、この話の肝心なところは何の実だったかではなく、人の禁断の食べものを口にしたことによって、楽園を追い出され決して戻ることは許されなかったというところにある。先に話した日本やギリシアの神話では食べたことによって出て行くことが叶わなくなるという話だったが、どちらも口にしてはならぬものを口にしたことによる結果の話であることには違いない……」


 そこまで言うと、叔父はどこか遠い目をして窓の外を見上げた。


「……今までは神話や物語の中の話であったけど、一つ、私自身の話をしてあげよう。今まで誰にも話てきたことがない、秘密の話だ」


「内緒の話? 僕と叔父さんだけの秘密?」


 親愛なる叔父の秘密話を教えてもらえると、僕は目を輝かせてそう尋ねた。


 叔父は優しい眼差しで僕を見た後、ゆっくりと瞼を閉じゆっくりと語り出した。


「そうだね……、あれはもう……、どれくらい昔の話のなるのだろうか……。私がお前の年くらいのことだったろうか……。あの日も、とても暑い夏の日のことだった……」


後編は現在執筆中。

今しばらくお待ち下さい……。

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