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4.ドラクエ2~9の思い出

いつの間にか、出されたお茶もすっかり冷めてしまっていた。

私はそれを喉に流し込むと、新たな質問へと話題を変える。

初代ドラクエの話が聞き終わったので、10に繋がるドラクエ2~9までの思い出について教えていただくことにした。



◆10以外で思い出に残っているドラクエというと何でしょうか?


セ「2と3ですかね。2は難関のロンダルキアへの洞窟が印象に残っています。

あそこがどうしても突破できなくて、近所のゲームの上手い中学生にクリアをお願いしたんですよ。(笑)

ふっかつの呪文を書いた紙を渡してね。数日後に洞窟を突破したふっかつの呪文を彼が届けてくれたの。

3は元から面白かった作品なんですけど、ある世界に移動した時に1~3のストーリーがつながることが分かって、ゲームで初めて泣いてしまいました。

もう感動でしたよ。(笑)」


私はこのセブンさんの答えを聴くことが出来ただけで、今回の取材をした甲斐があったと思った。

ファミコンのドラクエ2はかなり難しいと言われた作品で、中でも敵の本拠地につながるロンダルキアへの洞窟はシリーズ史上最高難度を誇るダンジョンである。

私もこの洞窟で挫折したことがあるのだが、セブンさんはクリアするために近所の子供に依頼をしたという。ふっかつのじゅもんなので手紙でやり取りをしたのだろう。データ通信が当たり前の現在では絶対に味わうことが出来ない方法だ。子供からじゅもんが書かれた手紙を受け取ったときのセブンさんは、さぞ嬉しかったはずだ。

ドラクエ3のエピソードは、ただただ羨ましいと思った。

私がドラクエ3を初めてプレイしたのはたしか二十歳前後で、しかもスーパーファミコン版だった。すでにロトシリーズである1~3の繋がりや秘密を知ってしまったあとだったので、楽しい・面白いとは思ったけれども、感動して泣くような気持ちになることはできなかった。

発売が社会現象になるほどの盛り上がりを見せたドラクエ3、発売日に購入してリアルタイムで追うことが出来た人だけが感じることができる感動というものがたしかにあったはずだ。

その熱気の中に居たプレイヤーの話を知ることができただけで、私は満足感で一杯になった。



春「私の場合、ドラクエ以外に平行していろんなゲームをすることが多かったから、あまり覚えているのは少ないですね。でもドラクエ6とか良かったですね。とにかくこの頃は色んなゲームをやっていましたよ。

今はドラクエ10だけに集中しているんですけどね(笑)

当時遊んだゲームですぐに名前が出るのはマザー2や聖剣伝説シリーズなどですね。

でも一番やりこんだのはトルネコの大冒険でした。すぐに始められて何度遊んでも飽きない作りになっているので、やるゲームが無い時によく遊んでいました。娘が呆れるほどやってましたね。」


ドラクエ6が発売されたのは1995年。

たしかにスーパーファミコンソフトの発売本数を見ると94・95年でが最も多く、合計で730本(年平均365本)。何の誇張もなく1日1本のペースでゲームが発売されていた。

そんな恵まれた時期に春鹿さんは、ドラクエもしたけど他のゲームもたくさん遊ばれていたのだろう。

ちなみに当時のゲームカセットは新作で1万円に届くものも少なくなかった。お金のない私は何本もソフトを買うことができなかったので羨ましい気持ちになった。




◆スーパーファミコンの役目が終わると次世代機の時代となっていきます。

ドラゴンクエストも新作を任天堂以外のハードであるプレイステーションで7を出しました。


セ「7はクリアしたんですが、そこまで詳しく覚えてないんです。キーファがいなくなっちゃった所と石版集めが面倒だったことは覚えているんですけど。

7と8は裏ボスまで行って何度も倒したはずなんですけど、ボスの名前が出てこないです……

ゲームよりもこの頃は子どもたちが受験で大変だったことのほうが思い出に残っていますね。」


春「7は長いと言われていますけど、私は長いのは苦にならず楽しめました。

この作品は発売日の延期が何度がされたような気がしますけど、延期中はパラサイト・イヴとか他のゲームして遊んでいました。」


ドラクエ7は発売日がなかなか決まらず、ユーザーをやきもきさせていた。

しかも発表された発売日が度々延期になってしまい、発表から3年以上が経過してようやく発売された作品である。

解散してしまったアイドルグループが何度もCMしていたのを覚えているだろう。

しかし延期を重ねただけあってシリーズ屈指のボリュームを誇り、この作品が最も好きという人も多い。

ちなみにドラクエ10初代ディレクター藤澤仁さんのシナリオデビュー作でもある。(ウッドパルナをはじめ、いくつかの村シナリオを担当)

セブンさんも春鹿さんもバッチリクリアしているあたりが流石だ。




◆ドラクエ9はシリーズ初の携帯ゲーム機からの発売でした。

色々勝手が違ったり、すれちがい通信が実装されるなど新しい試みの作品でした。

実は私、9だけは未プレイなのですが、お二人にとってどのような作品だったでしょうか?


セ「特に抵抗なく遊んでいました。携帯機にドラクエは合うのかな?という気持ちもありましたけど、すれちがい通信にハマってしまいました(笑)

毎日の通勤で、人の多い駅を通るのが楽しみでした。乗り換え駅の大通路の柱に3DSを持った人達が立っていて、みんな遊んでいるんだなと思いました。

それとモンスターバトルロードの地図が欲しかったのだけど、私が行くのは恥ずかしかったので大学生になっていた息子に地元のヨドバシに行ってもらいました。」


春「面白かったですけど、私はさすがに秋葉原までは行きませんでしたね。

でもこの頃になると孫もゲームが出来るようになったので、一緒に遊んでたのが思い出です。

最終的には私、娘、孫と親子三代でドラクエ9をクリアしました。」



春鹿さんの親子三代に渡るドラクエ9クリアという話は大変貴重であり、ドラゴンクエストという作品の間口が如何に広いかをうかがい知ることができる素晴らしいエピソードだ。

そしてこの頃はセブンさんの家庭でも変化が起きていたという。

9発売前に長女さんと次女さんが結婚して家を出た。二人が同じ日に実家へ戻ってくると、セブンさんと息子さんの4人でドラクエ9をしたという。

こちらは母親+子ども3人の4人パーティーというわけだ。家族水入らずでの冒険はきっと楽しいものだったに違いない。

そして他人と協力するRPGというものが、セブンさんがドラクエ10を始める敷居を一気に低くしたのだろう。




◆他にこの頃の思い出などがありましたら教えてください。


セ「またドラクエ2の話になっちゃうんですけど、『きんのカギ』という重要アイテムが見つからなくて何日も世界中をさまよった記憶がありますね。

そんな風にドラクエ1~4までは情報一切なしで遊んでました。

5になって長女が学校から持ち帰る情報を得て、ちょっとだけ情報力がアップしました。

6になった頃には私がパソコン通信(※インターネットの前身というべきもの。)を始めて情報集めがとっても楽になったんです。

今のゲームは攻略サイトの情報は充実してるし、とっても調べやすくなってますよね。

でも、情報なしで『きんのカギ』を見つけたときは嬉しかったなあ。」


インターネットの出現によってゲーム攻略本の売り上げは激減したと言われている。

90年代後半くらいまでの一般的なプレイヤーはゲーム雑誌・攻略本・友人知人からの口コミしかゲームの攻略情報を知ることができなかった。

それを良いことに一部の攻略本では記述にいくつもミスがあったり、後半の殆どを紹介していないものまで出回っていた。

口コミも全てが信用できるものではなく、ドラクエ5の隠しボスエスタークを○ターンで倒すと仲間になるという噂は当時遊んでいたプレイヤーなら1度は聞いたことがあるはずだ。

セブンさんの懐古からは、時代によって入手できる攻略情報の質と速度を知ることが出来た。

まさかパソコン通信まで使ってドラクエの攻略情報を集めていたとは、ただただ恐れ入るばかりだ。

時は流れ現在、人気ゲームが発売されて数日もすれば攻略サイトでラスボスはおろか隠しボスの倒し方まで詳しく知ることが出来るようになった。

また、見つけづらいアイテムなどはマップに印が打たれ、全く迷うことはなくなった。

どうしても倒せない強敵などは動画サイトで懇切丁寧に討伐方法を知ることが出来る。

今では攻略サイトを見ながらでないとゲームをしないというユーザーまでいるという……




◆そういえば、お子さんがらみの事件(?)が多いのはゲーマーのお母さんならではですね。


春「ドラクエ6だと思うんですけど、最後のボスと闘うところまでやってきたんです。物語も盛り上がってくるところだし、この感動を誰かと共有したいと思って娘に声をかけたんですよ。『これからラストバトルだからママを応援して!』って。(笑)

でも、ちょうどその時の娘は大学受験を控えていて猛勉強の最中だったんですよ。勉強中に私が声をかけたものだから怒りましたねえ。

『ゲーム我慢している時にドラクエのラスボスだけ見させてどうするつもり!?私は勉強で忙しいの!』

私怒られちゃったの。当たり前よね。(笑)

その後無事に娘は大学に合格しました。『あの時にお母さんの誘いを我慢したから合格できた』『あの時私が話しかけたのが良い息抜きになったから合格できたのよ。』今でも娘とはその時の話をするんですよ。」



セ「春鹿さんが娘さんの受験期の話をしてましたけど、うちも似たようなことがありました。

息子の受験が近づいている時期に、塾の先生からもゲームを控えなさいと言われたんです。相談して『FF8までは遊んでいいけど、それから受験までは絶対我慢すること!私もそれまでゲームをやめるから!』と約束したんです。

それから息子の方はゲームを我慢して勉強していたんですけど、私のほうが我慢できなくなってしまって……(笑)

深夜こっそりゲームをしてしまったんです。でも遊んでいるところを息子に見つかっちゃって大騒ぎになりました。私が約束を破ってしまった手前、何もいえませんでしたね……」



ここまで取材をさせてもらったところで気がついた。

ドラクエ2から9までの話に合間に、お二人の家庭環境の変化や育児や結婚、娘・息子・孫というワードが出て来るようになった。

ご主人と家庭を築き、働きながら家事育児にゲームまでこなしてきたことはとてもではないが真似出来ない。

お二人に比べ、まだ独り身でブラブラしている自分が少し恥ずかしくなってしまった。

私はポリポリ頭をかくと、取材のメインテーマ『ドラクエ10ライフ』に話を向けることにした。








用語の補足


※スーパーファミコンソフトの価格

ファミコンやスーパーファミコンのロムカセットはCDROMに比べて生産コストが高くなるため、スーパーファミコン後期のソフトには高額なものが多かった。

例を挙げるとドラクエ5/10,080円、クロノトリガー/11,970円、FF6/12,312円、テイルズオブファンタジア/12,390円

この価格帯でもミリオンセラーを連発できたのは日本のゲーム業界が元気であった証左であろう。



※パソコン通信

インターネットの前身というべきもの。

80年代後半から90年代中頃までにパソコンユーザー間で流行したのだが、当時は家庭のパソコンの普及率が大変低く、

またパソコンの価格と通信料金が非常に高かったためにユーザーは少なく、今とは比べ物にならないほどの狭く閉じられた空間だった。

しかしながら、今まで直接交流の手段がなかった全国のゲーマーたちが作品の情報を交換できる場を生み出した功績は非常に大きい。





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