3.初代ドラクエに出会うまで。
ドラクエ10までのゲーム遍歴
さっそく私は、お二人のゲーム遍歴を教えてもらうことにした。
◆まずゲームというものに出会ったきっかけを教えてください。
セブンさん(以下セ)「私はインベーダーゲームですね。でもその前に友達の家でテニスゲームを遊んだ記憶があります。テニスと言ってもバーを動かすホッケーみたいなもので、原始的なゲームでしたけどすごく面白かったです。たしか任天堂のゲームだったかな。」
春鹿さん(以下春)「昔から花札とかトランプでよく遊んでいました。でもテレビゲームに近いものに初めて触れた思い出というと、私はインベーダーになりますね。」
※テニスゲーム
取材後に調べてみると、セブンさんがおっしゃっていたテニスゲームとは「カラーテレビゲーム15」というゲーム機だったということが判明した。
たしかに発売元は任天堂で、100万台を売り上げるヒット作だったそうだ。そして発売はインベーダーゲームの登場より1年早かった。
セブンさんの記憶の確かさに驚かされる。
※インベーダー(スペースインベーダー)
昭和53年(1978年)にタイトーが発売したアーケードのシューティングゲーム。
投入された100円硬貨の回収がライトバンでは間に合わないほどの量になった、日銀がインベーダー用に100円硬貨の発行量を3倍にしたなど、
まさに社会現象と呼ぶにふさわしいほどの大ヒットとなった。
インベーダーのために無数のゲームセンターが生まれ、喫茶店にまでインベーダーが置かれるようになった。
日本のゲーム史・戦後の社会風俗史を語る上で欠かすことが出来ない伝説のゲーム。
◆インベーダーゲームは大流行をしたそうですが、どこでプレイされていましたか?
セ「喫茶店が多かったですね。ゲーム機の上にお皿とかが置けて飲食ができるようになっているタイプの台なんです。当時はとっても楽しかったです。それにしても大人気でした。」
春「私も喫茶店でしたね。あの頃に増え始めたゲームセンターにはほとんど行きませんでした。私の場合はブームが加熱する前に通っていたので、喫茶店でゆっくり遊べたんだと思います。」
インベーダーブームの加熱で、雨後の竹の子のように日本全国にゲームセンターという遊び場が生まれた。
娯楽に飢えた人々が集まるようになると、素行の悪い男子学生が次第に目立ち始めトラブルを起こすようになり、いつしかゲームセンターは「不良の溜まり場」というレッテルを貼られてしまうようになる。
UFOキャッチャーやプリクラの登場からその傾向はなくなりつつあるが、今でも一部の年配者にとってゲームセンターの心証は悪い。
◆インベーダー以降は何かゲームなどされましたか?
セ「ゲームウォッチで遊んでた記憶があります。」
春「その頃は子どもが生まれたこともあって、あまりゲームをしなかったかもしれません。でもファミコンからはしっかりやりましたよ。」
インベーダーブームからファミコン登場までの間にゲームウォッチ(ゲーム&ウオッチ)のヒットがある。
携帯ゲーム機の先駆けともいえる電卓サイズのゲーム機で、外出先でも楽しめるのがウリだった。
開発は任天堂が行い、のちにファミコンを売り出すきっかけにもなった商品である。
◆ゲーム&ウォッチから3年後、ファミコンの登場となるわけですが……
セ「ファミコンは初期の頃に買っていました。すぐ手に入れたと思います。」
春「我が家も早くから買っていたと思います。」
ファミコンの登場で日本の、いや世界のゲーム史は大きく書き換えられた。
それまでゲームセンターでしか遊べなかったドンキーコングなどの人気作が家で何度でも遊べるというインパクトは計り知れないものだったはずだ。
しかし当時は今以上に『ゲーム=悪』という風潮が強かった。
私の同級生にも経済的に問題がないにもかかわらず、親の教育方針でゲーム機を一切買ってもらえない家庭があった。
そんな時代に、既婚でお子さんも生まれていたお二人はすぐにファミコンを購入したという。
大変先進的な考えを持っていたのだろう。
◆1986年(昭和61年)5月27日、いよいよドラゴンクエストが発売となります。
ファーストコンタクトはどのようなものだったのでしょうか?
セ「ドラクエが発売される少し前、ハイドライドスペシャルというゲームをしていたんです。
雑誌で面白いとおすすめされていたんですが、これが全然面白くなくてガッカリしてたんです。
そんなときに今度はドラゴンクエストというゲームが出るというのを雑誌で知りました。
今度こそ面白いといいなと思って買ったんです。読んでた雑誌はファミマガかファミ通だったと思います。」
春「私も発売日に買いましたよ。
あの頃はゲームのCMがテレビで流れ始めた頃で、ドラクエもやってたような気がします。
我が家は1~10までずっと発売日に買ってます。
よく歴代のドラクエを発売日に買えたと言われますけど、うちはヨーカドーのおもちゃコーナーで買ったり予約したりしてました。
街のおもちゃ屋よりもソフトが残ってたりしてすぐ買えたんですよ。意外な穴場だったりしましたね。」
※ハイドライドスペシャル
初代ドラクエの2ヶ月前に発売されたアクションRPG。
ヒントらしいヒントがほとんどない不親切なゲーム設計に加え、RPGというジャンルを知らなかった当時の子供達の受けは悪かった。
※ファミマガ(ファミリーコンピューターMagazine)
世界初のファミコン専門雑誌。創刊はファミ通のちょうど1年前。
ウル技(ゲーム裏技紹介コーナー)の充実もあって、最盛期の発行部数は100万部まで達した。1998年に休刊。
◆ドラクエ1の印象っていうのはどうでしたか・?
セ「とにかく分かりやすかったです!
次に何をすればいいのか、どこに行けばいいのかという丁寧な道標のようなものがドラゴンクエストのゲーム内にありました。
ハイドライドスペシャルにはそれがなかったので、なおさら親切に感じました。」
春「楽しかったですね。
プレイしていて驚いたのは終盤、虹のしずくを使って竜王の城への橋を架けるシーンです。
ゲームにもこんな演出があるんだと感動してしました。」
ドラゴンクエストが国民的ゲームとして定着した理由は1にも2にも「わかりやすさ」だろう。
RPGという馴染みがないものを当時のプレイヤーたちにクリアさせるために、様々な工夫をゲーム内に施した。
・キーボードでしか操作できなかったRPGにファミコンの十字キーでもプレイ可能なコマンドシステムを導入したこと
・王様の部屋からスタートして一通りの操作を学ばないと鍵のかかった部屋から出れないこと
・城を出てすぐに旅の目的地である竜王の城を置いてモチベーションを高めること
・全滅してもお金が半分になるだけで王様の前から再開できること
などなど……
結果、ドラゴンクエストという作品は、日本人のゲーマーに熱狂をもって受け入れられることになった。
そして一作目から虜になってしまったセブンさんと春鹿さんは、30年以上ドラゴンクエストという作品を追いかけ続けることになる。
その歩みは現在進行系だ。
私は取材ノートを新しくめくると、10までのドラクエやゲームの思い出について話を伺うことにした。




