4つのウソ
幼馴染との恋愛なんて、あり得ないと唱える人がいる。
確かに。一般的にはそうなのかもしれない。幼馴染はあくまで幼馴染で、恋愛対象ではないのかもしれない。
だがそれなら俺は、世の中には例外だってあると声を大にして叫ぼう。
何故そんなことをするのか。
それはまさしく。俺がその幼馴染に恋しているからに他ならない。
悲しいことに、今だ片思いなのだけれど。
※
幼馴染の彼女とは、小学校以来の仲だ。親同士の関係が良く、家が近かったこともあっていつも一緒に遊んでいた。鬼ごっこやら、かくれんぼやら。家に入ればオセロにトランプ。しなかった遊びは無いように思われる。
おまえら夫婦かよ、なんて同級生から冷やかされたこともしょっちゅうだ。
彼女の髪は微かに茶色がかっている。曰く、母方の祖母がフランスの方なのだそうだ。今のような、男の子じみた喋り方は当時から続いている。
中学までは同じ学校で、高校は別。俺が自分の想いに気づいたのもそのあたりになる。
そして今年、晴れて俺と彼女が、同じ大学に進むことが分かった。ちなみに、今まで俺が彼女に告白したりとかいうことは無い。チャンスが無かったというよりは、単に怖くて出来なかっただけだ。
気まずくなるくらいならいっそこのままで、なんて。どこの少女漫画だと自分でも思う。
※
「私は今日、お前に4つのウソをつこう」
4月1日、エイプリルフール。
1人暮らしを始めたばかりで分からないことが多いから、一緒に町を見て回ろう。という彼女のお誘いから決まった今日の外出だったが、朝玄関で会うや否や彼女は俺に向かってそう言った。
「理恵?」
「聞こえなかったか、拓哉」
彼女――――俺の幼馴染、南 理恵は、俺の目の前で人差し指から小指までの4本を立ててみせる。
「今日はウソをついても閻魔様に舌を抜かれない日だ。だからちょっとしたゲームをしよう。私は今日、拓哉に4回ウソをつく。全部見破られたら拓哉の勝ちだから、その後でドーナツを奢る」
すごくワクワクした、遊園地に行く前の子供みたいな笑顔で理恵は言った。その無防備な表情が、俺以外の人には見せない類のものだと知っているから、俺は少しだけ優越感を感じる。普段の彼女は、騎士のように凛々しいのだ。だから高校では、女子からとても人気があったらしい。
と。そんなことを考えて黙っていたのを勘違いしたのか、途端に彼女の顔がしおれた。
「あ、えっと・・・・ダメ、か?」
「っ!そんなことない。乗るよ、そのゲーム」
「そ、そうか!ありがとう拓哉!」
花が咲いたように笑う。くそう可愛い。
「ちなみに、理恵が勝ったらどうなるんだ?」
「うん。その時は1つ私のお願いを聞いてもらう」
「お願い?」
「まだ秘密だ」
「気になるな・・・・まあ、ゲームには勝つけど」
「随分な自信だな」
「理恵はウソが下手だから」
「なっ・・!」
理恵は顔を赤くして、俺のみぞおちをつついてきた。
「覚えていろよ拓哉。コノヤロウ」
「努力しよう」
「うぬぅぅぅ・・!い、いいからもう出かけるぞ!さっさと靴をはけ靴を!」
刺々しく聞こえるこんなやりとりも、一種の愛情表現みたいなもの。もはや合言葉みたいになっている。
※
特別これといった目的地も無く。気の向くままに歩き回っていたら、俺たちはいつのまにか駅前にいた。
東京や大阪のような大都市には到底及ばないにしても、それなりに発展している。デパートやら映画館。遊ぶには困らないかもしれない。
「あっ・・・なあ拓哉。カラオケがあるぞカラオケ」
「ん?ああ本当だな」
「1時間150円だ。これは安いぞ」
「少し歌ってく?」
俺がそう言うと、理恵はあからさまに嬉しそうな表情で頷く。歌いたいなら遠慮せずに言ってくれていいのにな。でも、そんなところも可愛い。
※
事細かく話していくときりがないから、ここいらで省略。俺たちが何をして過ごしたかは、想像にお任せするとしよう。
あ、そうそう。
その途中、理恵は俺に2回ウソをついてきた。
1つ目は、正午前に立ち寄ったレストランで。
そしてもう1つは、彼女のアパート前で別れる直前に。1つ目は対したことなかったけれど、2つ目の方は少し危なかった。
※
『・・・・拓哉』
彼女の指が、俺の服の裾を掴む。澄んだ瞳は真っ直ぐこちらに向いていて、思わず視線をそらしてしまいそうになった。
『どうした、理恵』
『拓哉。私は―――』
――――――お前のことが好きだ。
「えっ・・・」
突然の言葉に何と返せばいいか分からなかった。頭の中で、彼女の言葉がグルグルと回っている。
それはある意味待ち望んでいた言葉だったけれど、ただあまりにも唐突だった。だからその時の俺は。
嬉しさよりも。
恥ずかしさよりも。
戸惑いの気持ちが、きっと勝っていた。表情にもそれは出ていた筈だ。
数秒―――数時間に感じられたその沈黙は、理恵自身によって壊される。
『な、なーんてな!何堅苦しくなってるんだよ』
『あ、ああ』
『まさか、本気にしたのか?今日はエイプリルフールだぞ』
『い、いやそんなことないよ。ウソって知ってたけど、あえて乗ってみただけ』
ざわめく心を押し隠して、必死に俺は笑顔を取り繕った。目の前の彼女が笑っているのだ。こっちも笑わないわけにはいかない。
『・・・そっか。・・・じゃあな拓哉。今日はありがと』
『あ、ちょっ』
引き留める間もなく、彼女は迷いない足取りでアパートへと入っていった。
伸ばしかけた手は、やがて弱々しく垂れる。吹きすさぶ風がやけに冷たく感じる。
ああ、俺は失恋したんだな。
誰にともなく呟く。
自惚れではないが、たしかに俺と理恵は仲良しだった。だがそれはあくまで幼馴染としてで、恋愛対象にはなれなかったのだと痛烈に思い知らされる。
部屋に戻った俺は、それからの数時間を悶々として過ごした。ベッドに寝転がって枕を殴ってみたり、掛け布団を抱きしめてみたり。
そうして行き場のない感情をもてあましていると、丁度12時頃。携帯に理恵から電話がかかってきた。
※
「もしもし」
『私だ。・・・夜遅くに悪いな。何だか、少し話がしたくなって』
その言葉は、嬉しい。でも同時に苦しい。
「いいよ。話そう」
『ん。・・・ありがと』
何故だろう。彼女の声が、ひびの入ったガラスみたいに、今にも壊れそうな危うさを帯びて聞こえる。彼女は平静を保っているつもりかもしれないけれど、長年一緒にいた俺には分かる。
だがそれを訊く勇気は無くて。始まった雑談の話題はやがて、これからの大学生活の事へ移っていった。
「そういえば、理恵はどんなサークルに入るつもり?」
『サークル・・・迷ったんだが、文芸部に決めたよ。物語を書くのは好きだしな』
「中学校だっけ。理恵が小説を書くようになったの」
何気なしに、俺はカーテンを開けて夜空を見る。数時間前は気がつかなかったが、奇しくも今日は満月。月が綺麗な夜だ。
『ああ。1番最初に書いた話――――――――今思うとひどい出来だったけれど、それを拓哉がおもしろいって言ってくれて。それがきっかけだ。結構嬉しかったんだぞ?あの時』
「よく覚えてるよ。たしか、喋る文房具の話だっけ」
『言わないでくれ恥ずかしい・・・・。うん、たしか、その時からだったかな』
「?何のこと」
『・・・言ってもいいか』
うん、と俺は呟く。受話器の向こうで、理恵が息を吸う音が聞こえた。
『―――――私が、拓哉のことを好きになった時のことだよ』
※
その言葉を聞いた瞬間、俺の思考は固まった。
今の言葉は、彼女の本心か。それともエイプリルフールのウソか。どちらなのか俺には分からない。
ただもし後者だったら、たぶん俺はもうしばらく立ち直れない気がする。本心でありますようにと、いるのか分からない神様に向って祈る。
「それは・・・ウソだろ?さすがに分かるよ、理恵」
情けない返事。
保険のつもりか。
それとも、少しでもダメージを軽くするための予防線か。
声が震えているのが、自分でもはっきり分かる。返事を聞きたい思いと、聞きたくない思いとがせめぎ合っている。
永遠の時間が―――――きっと本当は数秒にも満たなかっただろうが――――――過ぎた後。返ってきた彼女の声は、今にも消えそうなくらいに小さかった。
『・・・・・馬鹿』
予想していなかった返しに驚いていると、彼女は少し大きくなった声で続ける。
『時計を見てみろ』
携帯を見た。そこに映っている時刻は、4月2日、0時3分14秒。
『エイプリルフールは・・・・終わってるんだよ、もう』
じゃあ、それなら。今の彼女の言葉は。
拓哉。
俺の名前を彼女は呼んだ。それは甘い響きを持って、こちらを魅了してくる。
『返事を、聴かせて欲しい』
そんなの決まってる。
「理恵。俺は―――――」
区切りが悪いが、ここまで。分かりきった結末なんて、わざわざ語るに値しないだろうから。
※
物事が上手くいきすぎな気もするが、こうして。俺と彼女は晴れて恋人同士になった。
後に訊いてみたのだが、『4つのウソをつく』という彼女の言葉、あれはウソだったらしい。数えてみれば、たしかに彼女のついたウソは4つもない。どうやら最初から、俺は彼女の作戦に嵌まっていたようだ。
※
「ゲームは俺の負けってことか。それで、結局理恵のお願いって何だったの?」
4月2日、俺の部屋にて。
幼馴染としてではなく、恋人として。遊びに来た彼女にそんなことを言うと、彼女はいたずらっ子みたいな笑みを浮かべてきた。
「聞きたいか?」
「聞きたい」
「・・・拓哉と私が、死ぬまで一緒にいられるように」
なんと。
自然と顔がにやけてしまった。やっぱり、彼女には敵わない。
「文句あるか?」
そう言う彼女の顔は真っ赤だ。きっと俺の顔も、似たような感じなのだろう。
※
こんなことを言っていると、それこそウソじゃないのかと疑われてしまうかもしれない。
奇しくも今日は4月1日。だからそう思うのももっともだが、生憎俺は何1つウソをついちゃいない。
そう、これは―――
―――――嘘のような、本当の話だ。