死者の声
列の終わりは唐突に訪れた。前の人の背中が消えたかと思うと、急な下り坂に足を取られる。尻もちをつくとそのまま下へと滑り始める。
巨大な滑り台を滑っていき、急に宙へと投げ出される。赤く濁った粘り気のある池へと落ちたかと思うと、急な流れに翻弄される。
他の亡者と何度もぶつかり、天地がぐるぐると回って、流れ着いたのは白い砂浜だった。
全身についた砂を払い落として周囲を見渡すと、白い砂浜には幾つもの骨が散乱している。
白い砂と思っているものも、骨の小さくなった破片のようだった。
「何なんだ、ここは……」
あれだけいた亡者の姿が見えなくなっていた。見渡す限りの砂浜……骨浜か。
俺はここからどうしたらいいんだ?
「客人とは珍しい」
その声に振り向くと、骸骨が立っていた。黒いボロボロのローブを纏った骨は、虚ろな眼窩で俺を見ていた。
その姿が蜃気楼のように歪み、徐々に青白い肌を持つ女性へと姿を変えていく。
涼やかな目元に漆黒の髪。東洋風の美女になっていた。
「ここはいったい……貴女は?」
「ここは死を恐れず死んだ亡者を後悔させる場所で、私は刑務官といったところだな」
そういえばS.O.の中で死ぬことはあまり良くないという話だった。安易な臨死体験は、脳にもよくないとの事で、死んだ場合には重めのペナルティが課されている。
「別に俺は死にたがりって訳じゃないですよっ」
「ほぅ……魔族の砦に1人で特攻を掛けたとあるが?」
何処からともなく取り出した辞書のような物をめくり、俺の死亡時の様子を読み上げる。
「それはまあD.ゴブとやって、あのくらいならやれるかという過信と言うか、若気の至りと言うか」
「しかし、脳波に死を望む願望が出てないとここには来ないはずだ」
俺が倒された時の様子や、脳波の状態を調べられるって事は、運営に近いキャラクターなのか?
「いや、死に関する知識は欲しいですけど、死にたいわけじゃないんですよ。死んだNPCを復活させる方法を探していて……」
「ああ、ペットロスの方か」
ペットロス……可愛がっていた動物が死んだ時に、心に穴がいたようになる症例の事か。
さすがにルーファをペット扱いは無いと思うが。
「死霊術……ありますよね?」
どこかシステムの深い所と繋がっていそうな女性に、直接的に聞いてみることにした。
GMだとしたら、プレイヤーに有利な情報は出せないかもしれないが。
「あるよ」
あっさりと肯定されてしまった。
「習得したいんです」
「本当にその覚悟があるかな?」
「も、もちろんですよ。死にたがった訳じゃない、俺には彼女を蘇らせるっていう明確な目標がありますから」
「ふむ……まあ、ここまで来てしまった以上、試す権利くらいはあるか」
ポツリとつぶやく女性。その青白い手が俺の方へとかざされる。
「ならばまず死者の声を聞いてみるがよい」
その声とともに、俺の意識は失われた。
「それじゃ、行ってくるよ」
産まれたばかりの愛娘を妻に預けて俺は身の回りのものを詰めたリュックを背負った。
「こんな時に出兵なんて……」
「なに、小国との小競り合いだ。危険は無いよ。それにこれから入用になるんだし、ボーナスと思えばいいさ」
「でも……」
「それじゃ、風邪に気をつけろよ」
俺は未練を振り切るように妻に背を向け歩き出した。
「な、なんだよ、アレはっ」
白い甲冑を着た騎士は、兵士を無造作に薙ぎ払っていく。異常に巨大な右腕から繰り出されるハルバードの一撃は、二、三人まとめて吹き飛ばす。
「何をしておる、早く奴を止めんか!」
隊長の無茶な注文。しかし、逃げ出したら郷に残してきた妻子にも罪が及ぶ。
俺は意を決して前に出た。
何の力みもなく振り抜かれるハルバードが、俺の胸へと吸い込まれる。兵士に支給されている金属の鎧もその刃の前には、僅かな抵抗にもならなかった。
不思議と痛みは無く、身体が軽く跳ね飛ばされる様子がゆっくりと再生されていく。
すまん、帰れそうにな……い……。
「かはっはぁはぁ」
「まだ一つ目だぞ、そんなに動揺してどうする。ほら次だ」
あんな化物の相手などできるかっ。
隊長の一声に、俺達はすぐさま同意した。敵前逃亡は重罪、しかしただ捨て石の様に死ぬなんて嫌だ。
俺達の隊は戦場を離れ、山の方へと逃げ出した。
魔族のテリトリーとはいえ、深く入らなければ強い魔物など出ない。適当な穴を見つけてそこで風雨を凌ぐ。
携帯の食料が底を尽き、俺達は近くの村で調達する事にした。
「貴様ら、逃亡兵か!」
村の老人が声をあげた。
「やるしかねぇな」
隊長は言いながら、喚き立てる老人の喉笛を掻っ切る。
それを見て動揺する村人達に、兵士は襲いかかった。
ガクガクと震えながら鎌を構える農民に、刃を突きつける。しかし、こういう農民を守る為に兵士になったんじゃなかったのか。
その迷いが判断の遅れに繋がった。
メチャクチャに振り回した鎌が、首へと突き刺さる。
ああ、こいつらも必死に生きたいのか。
そんな当たり前の事にようやく気づいた時には、俺の剣は農民の胸を貫いていた。
俺の人生ってなんだ……た……。
「や、やめてくれ、食料ならだふっ」
「もう遅いんだよっ」
兵士の持つ槍が私の胸を貫いた。
「おっとぉっ」
「ばがっ、でべぶぶ……」
喋ろうにも血が絡み、言葉にならず、息苦しさが増していく。
「おお、中々の玉じゃねぇか」
「やべぼっぶずめに、でをだずなっ」
「うっせぇ、爺ぃ、早くくたばっとけ」
槍を振り回し私の身体は投げ出される。物陰から飛び出した娘は、兵士の手に掴まり乱暴に扱われる。
なんでこんな事に……。
どうしてこうなった。どうしてこうなった。
俺は部下を守る為に仕方なく。
くそっくそっ。
こいつ、ちっこい癖に、なんて力だ。両手に握った剣が、相手の戦鎚を受け止めきれずに流される。
目の前で小柄な身体が一回転すると、速度の増した戦鎚が俺の頭を目掛けて飛んできた。
手を上げて防ごうとするが、止められるわけもない。
メキリと腕の骨が折れ、戦鎚が頭を弾き飛ばす。
どうしてこうなった……。
「はぁはぁはぁ」
短時間で幾つもの死を見せられた。肉体的な苦痛は無く、ただただ殺される恐怖、絶望、不条理、未練。
そうしたものが俺の中へと積み重なっていた。
「死者の妄念、執着、怒り。そうしたものを捻じ曲げ、利用するのが死霊術。それでもお前はこの力を望むのか」
「お、俺は……ルーファさえ、生き返れば……」
「死者の蘇生は何度の高い技術。それを習得するには、様々な死を利用せねばならない。1人の為に数多の死を受け入れる覚悟があるのか?」
「お、俺は……」
「まだ悩むか」
女は俺に向かって再び白い手を広げてきた。
「ひぐっ」
身体の中を熱いものが駆け回る。鼓動は際限なく早くなり、呼吸は浅く多く。息苦しさが増していく。
「……様っ、本当に、助かるっ、んでっ?」
「ああ、お前はもう失敗だ。助からん」
投げかけられた言葉を理解する前にそれは起こる。
腕が大きくなったかと思うほど血が集まり、内側から破裂する。大量の血が辺りに飛び散り、頭から血が引いていく。
「ああ、これか。ここを間違ったのだな」
目の前の男は死にゆく私を見ることもなく、何か書類を眺めている。
その様子に戸惑いと怒りが訪れる。流れ着いた地で待っていた災厄。体内に過剰に注がれた魔力による奇形化。
その治療ができるという男は、私を実験動物としか見ていなかった。
それを知った時にはもう遅い。すまない、リーナ。私はもう帰れな……い……。
「ふむ?」
「死者の声は、辛く、悲しい」
「うむ、その負の感情を利用して術を施すのが死霊術だ」
「そう……か」
まさしく邪法か。恨み辛みを捻じ曲げ、自分のために使う。正しいはずはない。
でも死者の声を聞くこと自体は悪いことじゃないのかも知れない。
執念の中には残す者への愛情も含まれる。娘の為に少しでも生の道を模索した想いもまた未練。
俺の持つ想いもそれと同じだ。
「ああ、腹は決まった。俺は死者の声を聞き続ける」
「はぁ、やれやれ。面倒な奴が来たようだな」
ログインしてそこが地獄だと思い出す。それと共に死者の声を聞いていく。
死してなお欲望に執着する悪人、出世の為に無理をして恨みを買う人、信じた相手に裏切られた人。
一つ一つがそれぞれに重い。
それを受け止め、咀嚼する。
「適当に操霊に移った方が早くて楽だぞ」
「いや、いい。次だ」
「ホント、面倒な奴だな……」
死者の想いを捻じ曲げ操る。その技術を繰り返せば確かにスキルは上がる。
しかし、それで捻じ曲がった想いは元に戻る事はない。対象を失い、ただただ満たされない想いだけが残り、更なる苦しみを味わう。
それが重なれば重なる程に、死霊術は力を増していく。
死者の声などその霊を操るための手段に過ぎない。得られる経験値は極めて低い。それでも死者を捻じ曲げるよりはマシだった。
俺は死者の声を聞き、その無念の元を探る。数多の命が俺を過ぎ去り、様々な傷を残していく。
幾日も時間を掛けて、霊ではなく、己の中へと無念を蓄えていった。




