地下の祭壇
「兄様……本当に大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ここで遅れたら意味が無いからな」
アリスにフルボッコにされて、平衡感覚が戻っていないが、もう時間だ。移動中に何とかなるだろう。
「カミュ、シナリをよろしくな。ゆっくり寝かせてやってくれ。起きる頃には戻ってこれると思うから」
「はい、師匠!」
「リーナも」
コクリと無口な少女が頷く。
ゲーニッツからルフィアを取り戻す為に、俺はイザベラの村へと転送を開始する。
「おおふっ」
転送による揺れに倒れそうになった所をアリスに支えてもらう。
「すまん、大丈夫だ」
何とか足元を確認して立ち直ると、アリスから離れた。
「じゃあ行こうか」
そう言って先導しようとするのはリオンだ。
「まてまて、デスペナのあるリオンは待っててくれよ」
「地下牢への入り口を知らないだろ。イザベラさんの部下を借りるわけにもいかないし」
「そ、それはそうだが」
「ちゃんと送り届けたら満足するから、ね?」
「わかった」
「えー! そんなのずるいです。それなら私も行きます!」
リオンを認めると当然のようにケイトも同行を主張してきた。押し問答するのも時間の無駄か。
「戦闘には連れて行かないからな」
「はい、分かってます」
30分ほどかけて、地下牢へと続く通路の入り口までたどり着く。何とか脳震盪のような平衡感覚の揺れも治まった。
秘密の通路の入り口は洞窟のようだが、すぐに行き止まり。先は暗い崖になっている。
「準備するね」
リオンが崖の縁に楔を打ち込み、ロープを掛ける。上からでは見えないが、崖のすぐ下に横穴が空いているらしい。
慎重にロープを伝って下の穴へ。暗く湿った通路が奥へと続いていた。
「僕達はここで待ってる。少し行った先に石壁があるけど、横にスライドさせれるから」
「ああ、サンキュー」
「アトリーさん、これ」
ケイトからは幾つかのポーションを受け取る。体力回復の他にも筋力増強や麻痺解除などの物もある。
「声を出してくれたら、いつでも駆けつけれるから」
「ああ、人手が要りそうなら頼むよ」
「絶対ですからね!」
リオンとケイトと別れ、アリスと共に通路を進む。確かに行き止まりとなっていた。
壁に手を掛けて横向きに力をいれると、石に見える壁がずずすっと動いていく。
ここからは完全に敵地だ。警戒を強めた。
地下牢はほぼ使われていなかったらしい。埃が溜まっていて、幾つかの足跡はリオンやルフィアの物か。
入り口付近で少し迷うように動いたあと、通路の右側に続いている。壁を再び閉じてから俺達は歩き始めた。
「ふふふ、いよいよ、いよいよだ」
やがて暗い通路を木霊しながら、ゲーニッツの声が聞こえ始めた。
相手に気づかれないように灯りはつけずに進んでいた。俺は魔力の流れを追って、アリスは夜目が効くらしく平然と歩いていた。
声のする方へと近づいていくと、通路が明るくなっていく。そして、地下牢とは雰囲気の違う広間へとたどり着いた。
部屋の中心ではゲーニッツが床に魔法陣を描き、それを見守るように盾を持った騎士、ベネッタ、頭が立っている。
そしてベネッタの前には、後ろ手に縛られたルフィアの姿もあった。
「よし、姫の人形を連れてこい」
ゲーニッツの命令にベネッタが動きはじめる。ルフィアはゲーニッツを睨みつけながらも、ゆっくりと歩き始めた。
「さっさとせんか、ポンコツが」
するとベネッタは、ルフィアの腰に手を回すと抱えるようにして、ゲーニッツへと進んでいく。
これ以上見ているのは危険か。
俺はアリスに確認すると、アリスも頷いた。
「陛下、ネズミです」
俺達が駆け込もうとした時、手前にいた騎士が声を上げる。そういえば、リオンもレイドンに気づかれたと言っていた。気配を察する能力が高いらしい。
「ふん、適当に相手しておけ。我はこれから忙しい」
その命にレイドンはこちらを振り返る。
「ということだ。恨みは無いが、速やかに排除する」
振り向くなり腰の剣を抜き放った。
「アリスはルフィアを」
「はい、兄様」
レイドンは俺が足止めし、アリスが救出に回る。今のアリスなら、ベネッタと頭をまとめて相手しても勝てるはずだ。
問題となるのはレイドンだが、それは俺が抑えておく。
「行かせると思うか」
「止めさせねえよ」
アリスに対して何かしようとしたレイドンを、背中から斬りつける。
しかし、レイドンはその動きを誘っていたようだ。剣を逆手に持って、鋭く突いてきた。背中に目があるように正確に。
ただこちらも相手が達人であると予測している。フェイントのシャムシールを止めつつ、マンゴーシュで相手の剣を受け流す。
「おおっと、と、と」
しかしレイドンの突きは1回ではなかった。背中を向けたまま続けざまに5回もの連突。それをマンゴーシュと体術とで何とか避ける。
アリスとの練習で身に染みた防衛本能が紙一重の回避につながった。
「姉様、そこをどいて下さい」
レイドンの追撃を受けなかったアリスはひと駆けで、魔法陣へと踏み入れる。
しかし、そこにはベネッタが待ち受けていた。既に臨戦態勢で手足の鈴を揺らしている。
「私の任務は王族の警護」
短く言ってアリスへと向かっていく。最初からトップギアの連撃だ。
対するアリスは長時間に渡って俺をサンドバッグにすることで勘を取り戻していた。
手にした杖であっさりとその連撃を弾く。リオンが切り出し、俺が魔導技師の技術で加工した即席の武器だが、流麗な動きでそれを扱うと立派な凶器となる。
「やはり駄目ですよね。ならば容赦しません」
静かに構え直したアリスだったが、その僅かな会話が明暗を分けた。
「ふわーはっはっはっ。レイドンを使うのは勿体無いと思ったが、予備のタンクが届くとは僥倖」
ゲーニッツの足元で魔法陣が輝き始めていた。それと共にアリスの動きが止まる。いや、ベネッタや近寄ろうとしていた頭もその動きを止めていた。
そして見えない何かに押しつぶされるように、地面へと両手をついてしまう。
俺はレイドンから視線を外せぬまま、その魔力の流れを見た。すると魔法陣に向かってベネッタ達の魔力が流れ込み始めている。
「な、何をした!」
「何、ミュータントの魔力で魔法陣を起動したまでの事。さぁ、姫の人形よ。その役目を果たして貰おうか」
まずい。最高の全力で速やかにルフィアを奪還するはずが、そのアリスの動きを止められてしまった。
俺が駆けつけようにも目の前のレイドンは、力を抜きつつ自然体で構えている。この脇を通って抜けることは、完全な敗北を意味するだろう。
「くそっ、リオン、ケイト、すまん! 来てくれ!」
大声を張り上げるしかなかった。暗い通路を通して俺の声が仲間に届くことを願う。
動けぬ俺の前で、ゲーニッツはルフィアを立たせる。暴れる素振りを見せたルフィアだったが、ゲーニッツが首を掴むと途端に大人しくなる。
ルフィアの身体は魔導人形。魔導技師の技術で何かされてしまったのだろう。
呆然と立ち尽くすルフィアの顔へとゲーニッツの手が伸びる。そして、右目を覆う包帯を無造作にちぎってしまう。
人間サイズになって始めてみる空洞は、虚ろにゲーニッツを見返している。
そこへゲーニッツは己の右目をえぐり出すと、はめ込んでしまった。
いや、ゲーニッツの右目は元々借り物だったのだ。それがルフィアの瞳へと移し替えられる。
「う、ぅあっああぁぁぁぁぁーっ!」
ルフィアが声を張り上げる。魔法陣から魔力がルフィアへと集まり、その身体が宙に浮かび上がる。
まずい。
これは止めなければ!
不用意に脚を踏み出そうとしたところに、レイドンが動く。破滅の力を持った剣が無造作に突き出される。
ただそれだけの動き。なのに俺には避ける事もできずに、腹を抉られた。
焼け付くような痛みに身体がこわばる。それでも止まることはできない。一歩、また一歩とルフィアを目指す。
その距離は果てしなく遠くに感じられた。




