第7話 勇者さん魔王城で働きなさい!(前編)
「勇者イリス、あなたにはしばらく魔王城で働いてもらいます」
「……そ、そんなっ!」
フェルナンドから告げられた言葉にかなりショックを受けたらしく、膝をつくイリス。
そんなイリスの周りではやれやれとため息を吐くフェルナンド、何の感情も映さずイリスを見つめるダイアナにこの城の主であるクロガネと子どもたちがいた。
何故イリスが魔法城で働くことになったのか?
それを語るためにはイリスが命乞いをした時点まで話を遡らねばならない。
突如として命乞いをし始めたイリスにクロガネは困惑してしまった。
一体何があったのか?一応、事情を聞かなければならないと思いひとまずイリスの上から退いてやる。
「す、すまないっ! だが、どうしても待ってほしいのだ!!」
のしかかっていた重さが消えたことでプレッシャーが和らいだのか、ほんの少しの安堵と敵に情けを掛けられたことへの羞恥を感じながらも必死に懇願する。
「……で、何だ?」
そんなイリスに対してクロガネはやや不機嫌に問い掛ける。
クロガネにとって命を奪う行為は相応の覚悟を要する行為であり、それを寸前で待ったをかけられ気分を害していた。心のどこかで手を下さずに済んだことに対する安堵を感じる一方、イリスが止めた理由が気になっていた。
先程までは勇者としての覚悟が見て取れたイリスだったが、今のイリスからは何としても生き延びようとする姿勢しか見受けられない。それは前世のクロガネが何が何でも生きようと躍起になっていた時に似ていた。
知らず知らずのうちに命乞いをするイリスにかつての自分の姿を重ねていたのだった。
「じ、実は……」
そして、イリスは語る。
「――本当にこっちで合ってるんだろうなっ」
「ああ! 間違いない!」
小走りで目的地へと急ぐクロガネとイリス。魔王と勇者が同じ目的のために行動するというのは奇妙な光景だが、それ以上に奇妙なことが起こっていた。
いくらクロガネが温厚な日本人であったとはいえ、殺し合いをした相手をそのまま放り出すことなんてあり得ない。
武器を取り上げることはもちろんのこと、イリスは手を体の後ろで拘束され、足枷を嵌められていた。
驚くべきはその状態でクロガネよりも早く動けていることだろう。
……クロガネの体力の無さに驚くべきか、それともイリスの無駄な身体能力の高さに驚くべきか。それが問題と言えなくもない。
さて、二人の目的地に何があるのかだが、それは――子どもだった。
そう、イリスが魔王領に入ってから捕縛したあの子どもたちだ。イリスは死の間際に捉えた子どもたちのことを思い出していた。
自分が魔王を倒すからなんとかなるだろうと楽観的に構えていたのに、殺されかけている。そして、そうなれば子どもたちはどうなるのか……それだけがイリスの勇者としての体面を捨てさせた。
それがなければイリスは堂々と命を落としたことだったろう。
そして、これは後の世に起きる災いへの大きな分岐点となった。――イリスにとっても、子どもたちにとっても、そしてクロガネにとっても。
「てか、普通に逃げられてんじゃねえのか?」
イリスから聞いた話では子どもたちは手足をその辺りに生えている蔦で縛っただけの状態で放置してあるという。子どもは複数にいるというし、協力すればそれぐらい解くことはできるのではないか。クロガネはイリスに問い掛ける。
しかし、イリスは自信満々にクロガネの懸念を否定する。
「安心しろっ! 捕縛の際、私は勇者流捕縛術を使っている。逃げられやしないさ!」
「……勇者流、捕縛術?」
自信満々に言うのだから凄い技術が施されているのだろうなと、前世の縄抜け不可能な縛り方などを思い出していた。
「勇者流捕縛術の一つ正義の楔、それを受けた相手が逃げることなんてあり得ない。何故ならば…」
「…何故ならば?」
ごくりとクロガネが唾を飲む音が聞こえる。
「正義の楔は勇者の正しさを目に焼き付ける技だからだっ!!」
ど~んと効果音が聞こえる見栄だが、クロガネは意味がわからず首を傾げた。
「正しい行動を見れば誤った態度は自然と直される。それこそが勇者流捕縛術――正義の楔だ!」
「…………」
「…………」
「……逃げられてんじゃん」
辿り着いてみれば、人影は見つからず千切られた蔦が散らばっているだけ。
ボソッと漏れた本音に対し、イリスは真っ赤になって体を丸め縮こまるのだった。
「おい! さっさと探さねえとって……駄目だなこりゃ」
消沈して使い物にならないイリスに早々に見切りをつけ、来る途中で聞いた話を試してみる。
「…たしか、〈気配察知〉だったっけ? ……魔法の感じだと――おっ! これか。 〈探知〉」
クロガネは魔法は使えるが、使ったことのある魔法は少ない。
軟禁状態で使えば騒動になることが目に見えているモノが多すぎたためだ。〈探知〉は探し物をしたことがなかったので今まで使ったことがなかった。イリスに言われなければこの先も使わなかった魔法だろう。
発動すると、すぐに引っかかる反応があった。
「……少し拙いな」
反応があったのは門のすぐ傍。
未だに蹲っているイリスを軽く叩き、魔王と勇者は再び歩み出す。
「――クソッ! 何で!? 何で開かないんだよぉ!!」
リーダー格の少年コルトは開かない扉の前で苛立ちを募らせていた。
貴族に捕まり、気が付いたらその女がいなかったから逃げ出したのに、なんとか門まで辿り着いたらそこが開かず出ることが出来ない。
こうしている間にいつあの女が戻って来るかと思うと気が気でなかった。
「コルト! 別の場所を探した方がっ」
「だけどっ、もう目の前なんだっ! あと少しで出れるのに…」
時間が経過すればするほど捕まる危険が高まるのはコルトにもわかっていた。だが、目の前に出口があり、ほんの数メートル進めば出ることが出来る。それがコルトの判断を遅らせていた。
「――残念だが」
そして、決断できないうちに魔の手は追い付いてきた。
「その方法じゃそれは開かないんだよ」
そっと肩に置かれた手。その優しい置き方に反して現れたのは全身真っ黒な衣装を身に纏った――魔王だった。
内心なんとか追い付けたと安堵するクロガネは門を必死で開けようとしている少年――おそらくもうすぐ成人――が目を見開き、硬直していることに気付いた。
その様子を怪訝に思ったが、普通に考えれば捕まっていて逃げた人間なのだからこの反応は当然のものかと納得する。
そして、イリスが追い付いてくると少年はいよいよ追い詰められた。
「あっ――」
駄目だ……そう思って声を掛けようとしたクロガネよりもコルトの動きは早かった。
「う、うわあああぁぁあぁ!」
錯乱したコルトはクロガネの手を払い除け、突進した。正確には胴に体当たりをかました。
元々運動などしてこなかったクロガネは不意を突かれたこともあり、バランスを崩し後ろに倒れ込む。
「アナッ! 皆を連れて逃げろ!!」
クロガネに倒れ込んだまま叫ぶコルト。そのままなんとか抑え込もうとするが、体格に大差はなくともクロガネにはそれを補う魔法がある。
やれやれとため息を吐きながらコルトを魔法で浮かせると、逃げ出す前に子どもたち全員の動きを止めてしまった。
「キャアアアアッ!」
「アナ!?」
地面から伸びた黒い茨に拘束された子どもたちが悲鳴を上げる。その茨の正体は影。常に自分に付き従う分身であり、逃れられない追手。それゆえに魔法名は〈追い払えぬ鎖〉。
「……さて、事情を聞こうか?」
何事もなかったように立ち上がり土を払うクロガネに向けられた視線は恐怖色に塗り染められていた。
クロガネとしては別段子どもたちをどうこうするつもりはなかった。ただ、他人の家に勝手に入ったのだから事情を聞き、それからどこかに突き出すなりなんなりしようと考えていたぐらいだ。こんなところは元日本人の感覚のままであった。
だから、子どもたちに面と向かって圧をかけるようになってしまったのは不機嫌さからでありイリスが子どものしたことだから、自分に免じてと言っているのはハッキリ言って鬱陶しく感じていた。
だが、捕まえ方が悪かった。
圧倒的すぎる力、それこそ認識の及ばない力をそう間を空けずに二度も体験した子どもに正常な判断が出来るはずもない。
そもそも子どもたちはイリスを貴族あるいは騎士と考えており、それよりも偉そうなクロガネはそれ以上の存在と考えていた。元から孤児であり、事情があって孤児院から逃げ出した彼らにとって認識上の敵である二人を前にして正常な判断が出来るはずがないのである。
「…………」
いつまでも口を開こうとしない子どもたちにクロガネは困ってしまった。
(勇者は役に立ちそうもないし、こいつらはこいつらで何も言わない)
どうしたものかと考え込むが特に妙案が浮かぶことはなかった。
いっそのこと魔法でも使って無理やり聞き出そうか思い始めた時、均衡を破る者が現れた。
「わ、私がっ!」
「……ん?」
均衡を破ったのは先程コルトからアナと呼ばれた少女。子どもたちの中ではコルトと同い年ぐらいで比較的年齢が上の子どもだった。
「私が説明しますっ!」
影で縛られ、もがくような姿勢になっているがアナはハッキリと告げた。
「ッ!?」
それに慌てたのはコルトだ。やめさせなければっ!と思うが、恐怖と魔法で自由が利かず、ただただ見つめることしか出来なかった。
「……わかった」
クロガネはアナの話を聞くために近付いていく。その間もコルトはもがくが何もできない。
「コルト、大丈夫。大丈夫だから」
そんなコルトにアナの優しい声が届き、次の瞬間アナの拘束が外されていた。
「立ち話もなんだし、とりあえず座って話すか」
アナの拘束を解くと、土を操り椅子を作り出す。その時になってクロガネはアナが背中に少女を背負っていることに気付いた。
「…その娘は? 気を失っているのか」
意識がないことだけはわかったので、アナの座る椅子を柔らかい素材に変更し、少女を寝かせられるようにしてやる。その心遣いにアナは戸惑った様子を見せたが、背負っていた少女をそっと降ろした。
「……大丈夫よ」
コルトに言ったのと同じように優しく少女に語りかけ、アナは魔王と対峙する。
「話をする前にあなたのことをお聞かせください」
そう切り出したアナに対し、クロガネは肝が据わっている子どもだなと思った。
実際には見た目はそんなに変わらないが、やはり精神年齢に引きずられていた。
クロガネは正直に答えた。答えることでアナや子どもたちに更なる恐怖を与えることになろうとも子どもに嘘を吐きたくはなかった。
「……魔王、様に、勇者様っ!?」
告げられた内容は子どもたちに衝撃を与えた。ここが、魔王領だということは知っていたが魔王はいないと思っていた。そして自分たちを捕まえたのが勇者だったなんて…。ましてやその勇者が魔王に敗北したんなんて信じられなかった。
アナたちにとっては勇者は物語の中の人物であり、物語では常に勇者は魔王を下してきた。
信じられない気持ちでイリスを見るが、イリスは首を横に振り事実であると認めていた。
「…わかりました」
この時点でアナは何もかも包み隠さず話すことを決意した。
「私たちはノーキンダムのスラム街に住んでいます」
二大強国と呼ばれるノーキンダムであっても、暗部は存在する。どれだけ栄えた国であっても日の届かない場所はあるものだ。そして、スラムはノーキンダムの法が届かない法や国に触れられたくない人間が多く集まっていた。
それでも子どもがスラムにいることは珍しいが、アナたちはどうしても国にいるわけにはいかなかった。
「私たちは元々ある孤児院に在籍していました」
様々な理由で親や身寄りを失った子どもたちは孤児院で成人までを過ごし、そこから旅立つ。
「しかし、その孤児院は孤児院という名の奴隷斡旋所でした」
孤児院の院長は裏の世界や貴族と繋がり、孤児院から優秀なドロップを持つ者を引き渡していた。その孤児院ではコルトやアナのような年長者はほとんどおらず、大半が十を超えたあたりで里子に出される。その子どもは皆貴重なドロップを持っている子どもばかりだった。
「私たちはそれに気付きながらも住む場所も頼る場所もないのでそこに住み続けていました」
そんなある日、行動を起こさざるを得なくなってしまった。
「この子、ルリーシェっていうんですけど…」
ルリーシェはコルトの妹であり、大変貴重なドロップを持っていた。
「この子のドロップは病や痛みを引き受ける力なんです」
「……どういう意味だ?」
「そうですね、例えばもし私が風邪を引いたとします。普通は熱が出たり体調を崩したりしますが、ルリーシェの力があればそれが軽い症状になるって言えばわかりますか?」
ルリーシェの力を使うと、痛みなどをルリーシェが少し負担してくれるのだとアナは語る。
負担できる回数に制限はあるものの、重篤な病であれば少しでも和らぐのならそれに縋りたくなる。そうしてルリーシェは孤児院で金持ち連中の病気を引き受けさせられていた。
「引き受けた病気がそのまま症状も同じくルリーシェに移るわけではなく、彼女は彼女で体調を崩していくだけなんですけど、あまりにも多くの病気を引き受けすぎてとうとう倒れてしまいました」
それでも院長はルリーシェを使うことを辞めようとしなかった。
だから逃げ出してきたのだと語る。
「何だそれはっ!」
激昂したのはイリスだ。勇者であるイリスは孤児院がどういうものか知っている。孤児院は国や教会の支援を受けて子どもたちを立派に育て上げる使命を課せられているのだ。それが子どもを使った商売をしたり、子どもを売り捌いたり…。とても許せることではなかった。
「ルリーシェは日に日に弱っています。だから、少しでも精の付く物を食べさせてあげたかったんです」
だが、スラムに住んでいてはその日の食糧にも困る有り様。
そこで誰も足を踏み入れないここで密かに野菜などを育てていたのだ。
「…本当は病院などに連れて行きたいんですが、お金もないですし、それにもしも見つかったらと思うと…」
(酷い話はどの世界でもあるものだ)
話を聞いたクロガネは地球でも被害を受けるのは子どもや力ない人間だったことを思い出した。いや、自分も力のない人間だと思ったのかもしれない。
同時に考える。
子どもたちを裁くのは簡単だ。だが、それをしてどうなるのかと。
イリスを解放すればその院長は何とかなるかもしれない。頼りないが、一応は神託を受けた勇者でありあれだけ共感して怒れるのだから問題はないだろう。
ただ、その場合は次の人間が派遣されてくるだけだ。
仮にも裏の世界と繋がっていたのだから権力を使って同じような人間が斡旋されてこない可能性は低く、結局は同じことの繰り返しになる。むしろ一度失敗している分より悪い方向に転がる可能性の方が高かった。
理不尽に直面してそれを耐えるだけなのか?
弱いままの自分だったら、そうすることしか出来なかっただろう。だが、クロガネは力を手に入れた。それこそ神が認める力を。
「――イリス。剣を貸してくれ」
思い悩んだクロガネはイリスから剣を借り受ける。正確にはイリスは両手が使えないので勝手に拝借したわけだが…。
そして、アナの方へ回り込んでいく。
アナは緊張した面持ちでルリーシェを庇うようにクロガネを見つめる。
「!?」
突如クロガネは持っていた剣を握り緊めた。
ポタポタと血が垂れるのもお構いなく、その手をルリーシェに近付け彼女の口内には血が流れ込んでいく。
クロガネの奇行に動きを止めていたアナやイリスたちは吸い込まれるように消えていく血を見つめながら、ようやく正気に戻った。
「何をするんですか!?」
クロガネを突き飛ばすアナと今にも噛み殺しかねない様子で暴れ出すコルト。イリスも必死に拘束を解こうとしていた。
しかし、次の瞬間一同は驚愕の光景を目にする。
「……あ、れ?」
先程までぐったりとしていた少女ルリーシェが目を開いたのだ。
「…成功したみたいだな」
ルリーシェが目を覚ましたのを確認したクロガネは未だに血が流れ続ける手の平に口を近付け、その血を舐め取った。
すると、傷が見る見るうちに塞がっていく。
「…まさ、か、それがお前のドロップか!?」
「そうだ」
奇跡のような御業にドロップ以外はあり得ないと確信するイリス。
そしてクロガネも何でもないように答えるのだった。
もちろん、クロガネの本来のドロップは神が認めた悪運であり、傷を癒す類の力ではない。
では、何故このようなことが出来たのか?
それは魔王の特典が関係していた。
魔王は領地から出れないという制約を受ける代わりに特典も得る。制約がある領地だったり、城だったり普通に生きていては決して得ることのできない物ばかり。制約を受ける代わりにある意味では素晴らしい特典だ。
そしてその中でも最も素晴らしい特典。それはもう一つドロップを得ることが出来るということ。
只人では決して得られない幸運、しかもドロップは自分で望む物を選ぶことが出来る。
勇者もある意味特典を貰えるが、自由と引き換えに魔王と比べるとその価値は低いといえよう。
クロガネはこの特典を使い癒しの力を手に入れた。
本来は血を流すことなく癒せる力を求めたのだが、あの神がそんな都合の良い力を授けてくれるはずもなく当然のように制約が付いていた。
ドロップの名は生命の泉。
クロガネに流れる血液を源泉としてあらゆる傷や病を癒す力を与える。そのために血を流さねばならず、また血を飲んで傷が塞がってもすぐに血が戻るわけではないが、威力は絶大。
もちろん、このドロップを得たのはただ助けようと思ったからではない。
元々死ににくいというだけで怪我は普通にするクロガネ。傷を治すために必要な力ではあることともう一つ。さらに理由があった。
「お前ら全員、オレの眷属になれ!」
ちょっと長くなりそうなので前後編にしました。後編も今週中に投稿予定です。