第7話 ゴキブリから不死鳥への華麗なる転身
あと1,2話で終わります。
「なんとも呆気ないですね…」
ヨーファンは全身黒焦げとなり、荒い息遣いだけが聞こえる存在を見下ろしていた。
黒焦げの魔王――クロガネの周囲には何の感情も見せないヨーファンの分身たちも転がっているが、それについては触れず視界にすら入っていないかのようだ。
「〈ルーズ・ルーナ〉」
呟きに呼応するように、小さな光の玉が現れる。
「……行きなさい」
そして、光の玉は黒焦げとなって横たわるクロガネの体へと容赦なく襲いかかる。
「――――」
破裂音を立て、肉を切り裂き内側の深いところまでを焦げつかし、それでも止むことなく動くことのない体へ光の玉は降り注いでいく。
「…………」
ヨーファンはただ淡々とその様子を眺めていた。
「……終わりましたか?」
もはやほぼ消し炭、残っているのは人の形に焼け焦げた煤の跡だけ。
誰が見ても一目瞭然、疑いようのない勝利。
それでもヨーファンは疑念を振り払えないでいた。
(……おかしいですね。呆気なさ過ぎる)
そもそも戦闘開始から、実に呆気ななかった。
魔王は突如現れた無数のヨーファンに驚き、そのまま為す術もなく動きを封じられ、攻撃を受け続けた。
初めこそ罠だったのではないかと思っていたが、致命傷を受けそれでもなお動こうとしない様子を見ていれば疑いたくもなる。
自分は魔王と戦っていたのか?と。
「――いくら魔王でも、ここまでやれば死んでいるでしょう」
経験から、まだ安心できない。
だから、徹底的に痛めつけたが動くどころか原形もとどめていないのだから疑う必要性もない。そう結論付け、ヨーファンは踵を返す。
「――おいおい、つれないな」
「ッ!?」
(なんだっ? たしかに、今……奴の声が!)
あり得ない。
だが、その想いとは裏腹に、手に汗を握り周囲を探っていた。
「こらこら、余所見してんじゃねえよ」
「どこだっ!?」
「……どこって、目の前さ」
「何…?」
目の前と言われるままに、正面に目を凝らすが、あるのは焼け焦げた跡だけ。
どこにも姿など見えない。
「――いやっ、まさか…!」
「よ~やく、気付いたか……」
やれやれ、焼け跡は口元を歪める。
煤が集まり、空中に歯の見えた口元だけが浮かんでいる状態。
それでもヨーファンはそれがクロガネだと直感した。
「一体、どうやって…」
今更たいていのことでは驚かないヨーファンだが、さすがに驚きを禁じ得ない。
「どうやっても何もねえよ。…ってか、やり過ぎだろう」
煤になっているにも関わらず、クロガネは落ち着きはらっていた。
やがて、周囲に散った煤は次第に集まって来て徐々に体を形成していく。
「まったく、こんなに恨まれた覚えはないんだがな……」
呆れているクロガネは、未だに全身真っ黒でそこから修復されていく様子はない。
「……一応、君には最大限の警戒をしている。それだけの攻撃を受けたのは君への敬意だと思ってもらいたいものだよ」
無駄だったみたいだがね…。
軽口を叩くヨーファンだったが、彼はいつでも攻撃を出来る体勢を整えている。
もしも、クロガネが腕を少しでも動かしたら再度魔法がかの魔王を襲うことだろう。
「――それで? どうやったのか教えてもらえるかい?」
「知りたいか? じゃあ、教えてやるよ」
クロガネはニッと口角を吊り上げた。少なくとも、ヨーファンにはそう見える笑みるように口元を動かすと、魔法を紡ぎだした。
「〈灰色の復活祭〉」
魔法の言霊に反応するように、煤となっていたクロガネの胸。その中央部分にポッと赤い光が宿る。
その光は徐々に大きくなり、数秒経過する頃には大火となって内側から弾け飛んだ。
体の中心から広がっていった炎は煤となったクロガネの体を包み込み、全身にいきわたるとより一層輝きクロガネの体を煤から灰へと変換していく。
「……どういうつもりだ?」
ヨーファンは訝しげに、そして苛立ちを孕んだ視線で睨みつけた。
教皇を長くやっていた彼はこの魔法のことを当然知っていたのだ。
「…へぇ、オレと同レベルで魔法に詳しい奴がいるなんて思いもしなかったぜ。たしかに、お前は魔法の腕がよかったからな」
「同等? 君の方が下だと思うけどね?」
「ハッ、言ってろ――」
やっと同等の存在と巡り会えた喜びを噛み締めながら、灰となったクロガネは宙を舞う。
「その魔法は、術者の体を内側から焼き尽くし、一時的な力を得るための魔法。――使用者は死ぬ。まさか、世界のために死ぬつもりなのかい?」
あり得ないだろうという思いを抱きつつも、確かめずにはいられない。
元々、イカれた先人が残した狂気の魔法だ。
作った本人も、その後使用していった者たちも全員の命を喰らっている魔法は強力だが使用できるのは生涯で立った一度だけ。
クロガネが自分の命と引き換えに世界を好くような殊勝な人間にはどうしても思えなかった。
「そりゃあ、死ぬつもりなんてないさ」
当然、クロガネだって死ぬつもりはない。
他人に敗けるのならば仕方がないで諦めることもできるが、まさか自分で自分を殺すなんてことはそれこそ死んでもやらない男だ。
――ではどういうつもりでこの魔法を使ったのか?
ヨーファンはすぐにその答えを知ることとなる。
「いくぜ!」
「クッ――!? 〈ルーズ・ルーナ〉!!」
クロガネの体を焼き尽くした光球が十数個。一斉に襲いかかる。
だが、灰となったクロガネの体を捉えることは出来ず、穿ちながらもすり抜けていく。
「厄介な魔法だよ!」
慌てて距離を取りつつも、すぐさま迎え撃つべく次なる魔法を用意する。
「〈ストーム・シェル〉!!」
「――オレが言うのもなんだけど、お前の魔力量もおかしいことになってるな…」
吹き荒れる暴風の檻に囚われた魔王は、呆れたように自信を逃がさない檻へ見つめていた。
「灰では風の牢獄は抜け出せまい? そのまま風化するのを待つというのならば、これ以上手出しはしないであげるよ?」
「――ハッ!」
ヨーファンの提案を鼻で笑い飛ばし、魔法を解除した。
(……〈灰色の復活祭〉を解いた? バカなっ! そんな真似をしたら――)
「ふぅ~、やっぱ実体のない体っていうのは動かづらいな!」
肩を鳴らすクロガネは以前となんら変わらぬ姿で立っていた。
魔法を発動する前の煤でもなく、ヨーファンと戦う前の無傷な姿で。
「さて、種明かしの時間だ」
「――ここまでくればわかるだろうが、オレが無事なのは当然ドロップの力だ」
油断なく一挙手一投足を見つめる最大の敵へ、クロガネは余裕を持って応える。
その姿はまさに魔王。
何者も、森羅万象でさえも恐れぬ物語のラスボス。魔王の中の魔王を彷彿とさせる悠然とした佇まい。囚われていることなど自分にとっては何の意味もない行為だと誇示するように。まるで世界を救うべく果てしない試練と冒険を乗り越えてやって来た勇者を称えるかのように、クロガネは魔王然としていた。
「神がこの世界、ウィンドゥズを去りお前は力を手に入れたつもりだろう」
言われ、ヨーファンはたしかにその通りだと思った。
元々、神がいなくなることでドロップに新たな可能性が見えるのではないかということはファウストが生きていた頃から交わしていた意見である。
だからこそ、目的達成のために長い年月をかけ、魔王ですら利用しようと思い付いていた。
ファウストはそれこそ、ドロップという神の力を解放することを目的としていたが、ヨーファンはむしろ解放された力で何が出来るのかを確かめたかった。
目的に微妙な食い違いがあり、それゆえにヨーファンはファウストを最後まで信用せず利用する方法を選んだ。
その果てに得た力こそ、ヨーファンが望んでいた力。
すべてを自分一人で行えるだけの力。
「――お前は、自身の分身を作り出すことで自分に絶対服従の兵力を確保した。さらには、教皇として長年地上のトップに立っていた信頼、魔王をエサにすることで民衆の支持を集めるカリスマ力……お前は凄いよ」
クロガネは素直に感嘆していた。
自分では出来ない。
思い付いても、やろうと思わないだろうし、やったとしても途中で心が折れるだろうと確信していた。
「だが、お前は一つだけ大きな過ちを犯した」
「……過ち? 私が、ですか…?」
ヨーファンはこの時、侮蔑されたような怒りを覚えた。
心のどこかで彼もクロガネが自分よりの存在だと認識していたがゆえに、共同関係にあった者に裏切られたかのような、あるいは同族嫌悪のようなものを感じていた。
「一体、私が何を間違えたと言うのです?」
もしも、この場にイリスがいればすべてを間違えていると断言しただろう。
神を倒そうとする思想も。そのために魔王を利用する手段も、ましてや何の罪のない女性の人生を狂わせた手法も。何もかも間違えているからこそ、窮地に追い立てられているのだと……かの少女ならばきっとそう言ったに違いない。
だが、クロガネは勇者ではない。
さらに、心に至ってはこの世界の人間ですらない。
クロガネに言わせれば、利用される人間も悪いのだ。
前世で鉄次郎だった頃、利用されるだけ利用されて捨てられた自分が悪かったかと言われれば、そうは思わない。
けれども、世間はそう見てくれないことを知っている。
それが作られた結果だったとしても、世間というのは総じてみたい物だけを見るものだから。
それをふまえて、クロガネ告げるのは彼が信じる真実でしかない。
「――このオレを利用しようとしたことだ」
「…………はっ?」
これにはヨーファンも呆気に取られた。
一体、何を言っているのだろう?と。
そんなヨーファンの様子には一切囚われず、クロガネはなおも告げる。
「いいか? 誰かを利用しようとするのは正当なことだ。弱く、下等な存在は他者を利用することでしか上には行けない」
クロガネもヨーファンと同じように、彼には一種のシンパシーのような物を感じていた。
ただし、ヨーファンが選ばれた存在としての共感だったことと比べ、クロガネが抱くのは翻弄されたという一種の劣等感に似た感情。
「自分の手を汚さず、他者に踏み躙られず……そんな生き方は理想でしかない」
この世界に生まれてから、常に誰かに利用され続けたような人生である。
生まれついた家に利用された挙句に消されそうになり、それからは神に利用されている。
魔王とは不自由の象徴だった。
「もしも、そんなことが出来るのなら、オレだってお前と同じように行動しただろう。いや、お前よりも手段を選ばずに行動しただろう」
根拠があるわけではない。
ただ、もしも翻弄されるだけの人生だったらクロガネは自分の生き方を押し通していた自信がある。
神はからかうつもりでゴキブリという異名を彼に授けたが、何が何でも生き延び続けるという思考はその表現がぴったりだと言える。
「だが、それでも利用しちゃならない存在がある」
それこそが自分なのだとクロガネは断言した。
「もう一度言う。お前の最大の間違いはオレを利用しようとしたことだ!」
「は、ははっ……」
ヨーファンはいよいよ、目の前の男が何を言いたいのか理解することを放棄した。
結局はこいつも自分のことしか考えていないのだと。
ならば、同類としてこいつを葬り去るのは自分だろうと。
「いいですよ。もう、いいです」
すっと腕を上げ、クロガネを指差す。
「……あん? まだ話は終わって――」
「――終わりですよ。何もかも!」
怒りに満ちた咆哮と共に放たれた魔法は今度こそ、クロガネを消失させた。
「クハハハッハハハッ!!」
クロガネの存在が掻き消え、周囲にはヨーファンの狂ったような哄笑が響き渡る。
「どういうトリックを使ったのかは知りませんがっ、所詮はその程度っ!!」
代償として死ぬ魔法を使って死ななかったのはただの偶然に過ぎない。もしかしたら、戻る際に回復を掛けていたのかもしれない。
ヨーファンの抱く感情を表す言葉としては『希望』という言葉が相応しい。
あり得ない事実を、期待するかのように願う。儚い希望。
当然、それが叶えられることはない。
「――満足したか?」
「なっ……!?」
笑い声をピタリと止め、いよいよヨーファンは目を丸くする。
そこには先程まったく変わらぬ姿で悠然と佇むクロガネがいたのだから。
驚愕で固まるヨーファンを余所に、クロガネは先程伝え忘れたことを告げる。
「――オレのドロップは不死。オレは死なない。何度でも何度でも蘇る!」
「生命力の象徴から、無限の象徴へとオレは進化した!!」
神はかつて、一人の青年を死という絶対的な運命から逃れる手段を持つ男として生命力を象徴する生き物の名を与えた。
しかし、青年は魔王となり成長して新たな力を手に入れていた。
この日、ゴキブリは不死鳥へと華麗なる転身を遂げたのだった。




