第4話 優しさを呑み込みたい
「……ッ!?」
神は全身に噛み付いた十を超える牙に捕まっていた。
「このまま噛み砕いてくれるわっ!!」
影が重なり、埋め尽くしていく。
「……舐めるなよ!」
とはいえ、神もやられっぱなしで終わるような玉じゃない。
「〈サンダーボルト〉!」
神の体から雷が迸る。
「…ちぃぃ!」
いくつかの影が神の魔法によって振り払われてしまった。
(…だが、全部ではないぞい!)
振り払われたのならば、そんなものは無視すればいい。
ムブラハバは払われた影を消し、そこに注いでいた力をすべて残りに注ぎ込んだ。
「ぐっ、があああっ…!」
大きく強力になった影によって、メキメキと音が上がる。
「まだだあっ…!」
神はムブラハバに突進していく。
「ぬぅ…!」
まさかあの状態で向かってこれるだけの力があるとは予想だにしてなかったので、虚を突かれた形となった。
「……甘いわ」
向かってくるならば迎え撃てばいいだけだ。
ムブラハバもまた神へと向かって行く。
――もはや、そこには人智を超えた神や恐怖の象徴である大魔王としての姿などなく、意地を持った生命のぶつかり合いだった。
(こっちだっ!)
神もムブラハバから攻撃を受けていく中であることに気付いていた。
それは一定方向に動くと体が軽くなること。
その感覚は誤差と言っても差し支えないほどの微かなモノだったが、そこはさすがに神。超常を越える存在だからこそ直観的に気付いていた。
進行方向に自分を戒める大元の存在がいることに。
問題はどれほどの距離になれば、ムブラハバに勝てるかというのがわからないということだろうか…。
「ぬぅえええいっ!」
ムブラハバは魔法を使えない。
彼は才能に胡坐をかいているタイプの人間に思われがちだが、修めるべきモノは修めるタイプだった。その彼のドロップが他者の才能を害する力だったというのはある意味では仕方なく、また残酷なことだ。
一時的とはいえドロップを使えなくなるということは、この世界の人間にとってはとても恐ろしいことだ。常人であるほどに動揺は大きく、隙が出来やすくなる。
ムブラハバの戦法としては、そこに付け込むというのが基本的なスタイルだ。
事実、その戦法は魔王や勇者にさえも通じている。
だが、ここでまたムブラハバにとって大きな試練が立ちはだかった。
当然と言えば当然だが、神はドロップを失うわけではないのでそのことに対しては動揺を見せない。たまにムブラハバが突拍子もないことをする方が動揺する。
つまり、正攻法こそが神の攻略法と言えるかもしれない。
ただ、それは強力な神。いくら力が抑えられているとはいえ、神を人間が倒さなければならないとう絶望を与える事実だった。
(……少しずつじゃが、動きが良くなっておる?)
ムブラハバは大魔王として長く君臨した歴戦の猛者である。
戦闘中に動きが良くなる相手と戦ったことがある彼は、神の動きに徐々に違和感を覚えて行った。
「もしや…!」
そして、その事実に気付いた時、バッと後ろを振り返った。
「…っ、近付いておる…!」
徐々にだが、妖艶仙女のいる城へ追い込まれていることに気付かされた。
「よそ見をっ!」
「しまっ――」
ほんの一瞬。ほんの一瞬の油断。
しかし、それはこの戦いにおいては命取りになりかねない致命的な判断ミスだった。
その代償は大きく、ムブラハバは右腹に大きな風穴を開けられてしまう。
「ぐっ、がふっ…!」
込み上げてくる血にむせ、喉から吐き出す。
「――油断したね」
下を向いていたムブラハバに影がかかる。
「……神めっ!」
必死の抵抗で睨みつけたムブラハバに神は笑みを浮かべ、魔法を発動する。
「〈フラッシュボム〉」
光の爆発。
クロガネとの追いかけっこで使用された魔法が四方からムブラハバを焼け焦がす。
(……ああ。儂はなんという勘違いをしておったのか)
爆風に押されながら、ムブラハバはそのように考えていた。
(すまんのう。クロガネよ)
同志に対して謝罪を述べ、神を見つめる。
「…へぇ」
神はその瞳に宿った力を感じ、素直に感心する。
(やっぱり、君はいいよ)
それでこそ自分が選んだ大魔王だと自画自賛する。
「……くくっ、くははははははっ!」
「……? 何がおかしいのかな?」
突然笑い始めたムブラハバに、怪訝な表情を向ける。
ムブラハバはそんな様子すら心底おかしいのだと笑い飛ばす。
「くはははっ、何が…じゃとぉ?」
口元の血を荒々しく拭い、ニッと口端を吊り上げる。
「そうじゃのう。おかしいと言えば、儂自身じゃよ」
神には何が言いたいのか理解できない。
それがわかっている――いや、わかってしまったからこそ、ムブラハバは続ける。
「お主を倒したいと思っておった」
幼い頃、何故自分にこんな力を与えたのだとムブラハバは嘆いた。
自分から兄を奪う力を何故与えたのか、と。
「…じゃが、それは思い上がりも甚だしいことじゃった」
「……諦めるの?」
問いに対し、大魔王はいいやと首を振る。
「そもそも、諦めるという次元にはないんじゃよ」
「先程の話をしてやろう。儂は、クロガネがお主をここに連れて来るまで随分派手に暴れておると思ったわ」
姿は見えず、破壊の光景だけが飛び込んで来た。その場面では、どちらが暴れているかなどわかるはずもない。それなのに、ムブラハバは仲間であるクロガネこそが暴れているのだと決めつけた。
「…何故だと思う?」
「さあね」
その問いに対する答えを神は持たない。
だからこそ、率直にわからないと告げる。
しかし、それこそがムブラハバが求める答えそのものだった。
「やはり、わからぬよなぁ…」
表情に浮かぶのは年相応の哀愁と諦観。
この時、ムブラハバはようやく神に抱いていた幻想を捨てた。
「儂は、神が自分の作った世界を破壊するような真似をするはずがないと思っておった。いや、思いたかったのかもしれん」
先程の魔法は街中で見かけた魔法と同一のものだった。
「――実際、お主にとってのこの世界とは何なんじゃ?」
わからない。理解できない。
人はそんな存在にこそ、神を見る。
「世界は世界だよ」
神は人を人とという『種』でしか見れない。クロガネを特に面白いと感じるのは、彼が神にとってはイブであり、『異世界人』という別のカテゴリーで見ているからなのだ。
個を見ずに全体を見る。
だからこそ、理不尽を与えそれを放置するし、放置しても罪悪感なんて一切感じない。
少しばかり構っていれば愛着くらいは湧くけれども、それは自分のすべてをかけるほどのことでもない。
「……夢から覚めた気分じゃ」
清々しい。ムブラハバは生まれ変わったような気分になっていた。
「儂はお主を倒したかった」
先程見せられた幼き日の幻影に向かって、神を倒そうと願う姿に向かって否定する。
「――今はただ、お主を排除したい」
神をとことん見下げた物言い。それこそが大魔王に相応しい姿。
「もう、この世界にお主の居場所はない…!」
それは人類を代表した宣告だった。
「――共に行こうぞ」
「!?」
神は大魔王と自分の立つ地面に黒いモノが渦巻いているのを見た。
「せめてもの情けで儂も同様の道を往く」
どこまでも貪欲な暴食の渦が神と大魔王を呑み込んだ。
「参ったね」
暗い空間に声が響く。
周囲には誰もいない。
「…まさか、ここまで強引にことを進めるなんて。人間を――ムブラハバを侮っていたってことかな?」
しかし、神の眼には暗い空間に溶け込んだムブラハバの姿もハッキリと視認出来ている。
「別に、この中にいても死ぬことはないんだけど…」
死なないからと言って、ただ黙っているわけにはいかない。
「――けど、彼を見殺しにも出来ないか」
残念そうな声を上げ、神は見えない体を動かし、闇の中のムブラハバを回収する。
「どうやら、ボクチンはここまでのようだ。あとは、任せるよ――」
最後に見せたその情こそがある意味、ムブラハバや神に振り回された者たちが見たかったものなのかもしれない。
ただ、それを実行するのがあまりにも遅すぎただけだ。
この日、神は天上へ強制送還され、以後は下界に干渉することはなくなった。
まさに、革命の日となる。
予定ではあと2話ぐらいでこの章も終わりです。お楽しみに!




