第3話 幼き日の因縁
神VS大魔王パート1!
「――っだはぁ!! 疲れたぁああああ!!」
神をムブラハバの真正面へと飛ばしたブリキッドは、妖艶仙女の魔王城へと戻って来ていた。
役目を成し遂げ、どっと疲れた押し寄せる。
大の字で寝転がる、彼に城の主が声をかける。
「お疲れ様です」
「…あぁ、本当に疲れたよ」
「そうですね。ですが、これで首尾通り。我々の目的を達することが出来るでしょう」
「……それはまだ尚早な気がするがな」
万が一、ムブラハバが負ける事態になればこれまでの計画が台無しになる。それをブリキッドは危惧していた。
「もしもに備えてオレは出る準備をしておくよ」
「……左様ですか? では、配下の者たちに戦況を送らせましょう」
「…? 何だ。眷属を動かしてたのか?」
妖艶仙女の眷属たちは、彼女の小間使いのような扱いで荒事に用いるイメージがなかったので少し意外に思いながらブリキッドは好意に甘えることにした。
「……そう言えば、他の状況はどうなってる?」
「予定通りですね。いくつかの地域では既に教会の支部を落としたという報告も上がっております」
「そいつは重畳。意外と皆気合が入ってるこって…」
それだけムブラハバが信頼されているということだろうが、ブリキッドにしてみればイマイチ信じられないことだった。
「それだけ、ムブラハバ様とあなたが信頼されているということですよ」
「……オレも?」
妖艶仙女は何をいまさらという表情でブリキッドを見つめているが、ブリキッドにしてみればそれこそ何を言っているんだ?という思いだった。
クロガネが魔王連盟に参加したのは結構な後続。それも、一度は断っている。
それなのに、自分のことを信頼していると言われてもピンと来ないのは仕方がないともいえる。
ただし、ムブラハバが信頼されているようにその大魔王が信頼する人物であり、多くの同志をスカウトしてきたブリキッドが信頼されていないと考えるのは当事者だからだろう。
「なんにせよ、賽は投げられました」
「だな。もう後戻りはできない」
「ようやく、ようやくじゃ」
神と対峙するムブラハバは抑えきれない笑みを浮かべていた。
その笑みはどこか、悲しげでそれ以上に獰猛だった。まるで血に飢えた獣のように。
「ん~、ボクチンは君がそこまで嫌いじゃない」
殺したくなんてないんだけど、と。
神は今まで遊んできたおもちゃに対するセリフを告げる。
挑発。あるいは圧倒的な見下し。それでも、神は言葉を止めない。
「それでも、やる?」
「……どこまでも傲慢なセリフじゃ。それを後悔して消え失せよ――神よ!!」
「何っ!?」
ムブラハバの足元から伸びた黒い影のようなモノが、神へと襲いかかった。しかし、大きく口を開いた影は神に容易く止められる。
「あっれ~? この程度?」
けらけらと笑い、大魔王の攻撃を止めることが出来る者など、この世に存在するはずがない。
実力で選ばれたわけではないとはいえ、この世に混沌を引き起こす存在。魔王の中の魔王なのだから。
ならば、目の前の存在はこの世の理を、この世界の理を超越したところにいる存在だということだ。そして、それが神という証拠なのだ。
「――忘れたの? 君たちの持つドロップはすべて、ボクチンが与えた力だよ?」
軽く押すだけで影は何事もなかったかのように霧散。残ったのは、本来あるべき影の姿だけ。
「だから、力についてはすべて知っている」
神は語りかける。
まるで悪魔の如く。誘惑するかの如く。
「――それでも……やる?」
「ぬぅあああああああああっ!!」
ムブラハバは噴き出した汗を止める手段を持たない。
今更、止めるための足も持たない。
だから叫ぶ。
今まで受けた不条理をすべて清算するために。喪った物、すべてを取り戻すために。
「舐めるなぁああああああ!!」
「…いいね。――面白くなってきた」
ムブラハバのドロップ。それは、ドロップを喰らう力。
ドロップを食べて、その力を封じる力。
ドロップを持っていない神には意味のない力に思える。
だが、そうではない。
先程は、ああ言ったが……神はムブラハバの力ならば自分に届き得ると考えていた。
街中でクロガネは目的の違いから傷を負ったが、普通に戦っていても無傷で勝つことは不可能に近い。圧倒的な経験値の差である。
神はこの世界が出来てからすべてを見てきた。
魔法が作られる様も、どのように使われるかも。
神に出来ないことはほとんどない。
では、そんな神にムブラハバの力が届き得るというのはどういうことか?
それは、ドロップが神の力だということだ。
神はドロップを世界へと落とし、ばら撒き世界中の人間に普及させた。
ウィンドゥズの人間はドロップを神が人間に与えた特殊な力だと考えているが、与えたというよりは貸し与えたと表現することが正しい。
貸し与える――つまりは、貸与している。ということは、大元が神にあるということ。つまり、神は発動させていないだけでドロップの力を持っている。
つまり、ドロップを封じる力。加えて封じたドロップの影響を少なからず受けるムブラハバのドロップは神に対して有効な攻撃手段だった。
さらに、ムブラハバがここに神を連れて来た理由も大きな勝機となっていた。
ムブラハバ自身は気付いていないが、ここで攻勢に打って出たのは正気を掴むための大きな一歩なのだ。
(…ここに連れて来られた時からわかってはいたけど、面倒だなぁ)
神は自分の動きが万全ではないことに気が付いていた。
神は基本的に放任主義者であり、一度手を加えた世界には滅多なことがない限り干渉はしない。今回はダイアナのことがあったので少しルールを変更したが、それ以外は普段通りに世界が回るようにしている。
世界のルールがそのままということは、魔王領におけるルールもそのままということ。
今、神はここを支配する魔王。妖艶仙女から大分離れた位置にいる。それだけ神の動きには制約がかけられるということだった。
だからこそ、ムブラハバは決戦の舞台にここを――正確にはどこかの魔王領を使うことをあらかじめ予定していた。彼には領域というドロップがある以上、影響はない。それだけでもかなり有利に進められる。
それがわかっていたからこそ、神はブリキッドを挑発してまで暴れることを選んだ。
決して、自分が楽しみたいから暴れたわけではない。……とはいっても、暴れたかったというのもまた事実であり、半々ぐらいの気持ちではあった。
連れて来られる方法は強引だったが、連れて来られること自体は予想していたのだから、決して無策で来たわけではない。
(神懸かっているということを教えてあげるよ)
「〈ホーリー・ペイン〉」
「!?」
ムブラハバは突如、足元が発光したのを見た。
そして、その光を起点とするかのようにビームが襲いかかる。
「ぬあああああっ!!」
ふくらはぎを撃ち抜かれ、その場でよろめく。
しかし、神はそんな大魔王に追い打ちをかけていく。
「まだまだ。そこら中にあるから気を付けてね?」
その言葉が真実であると証明するかのように、よろけた先で再び発光。
「二度もやられるかっ!」
同じ攻撃だと思い、ふくらはぎ付近をガードするが今度はまったく別の攻撃。発光している地面ごと爆ぜたのだ。
「ッ!!?」
思わず、膝をついて患部を守ろうとするがまだ攻撃は終わっていないと痛みに耐えてみせる。
その姿に、神も感嘆の意を表するがそれに反応するだけの余裕は持ち合わせていなかった。
(一体、どうやって…!?)
ムブラハバは動揺していた。
一度目も二度目もいつ仕掛けたのかわからない攻撃だったし、魔法を発動させたのは一度だけだったと認識している。
魔法の数と発動した数が一致しないことにも動揺はしたものの、それ以上に動揺したのは発動のタイミングだ。まるでムブラハバがそこに移動すると知っていたかのような連鎖的な発動。その不可解さがムブラハバの心を絡め取る。
「ふふっ、得体のしれないモノを見る目つきだね。素晴らしいよ…!」
興奮し、両腕でしっかりと体を抱きしめる神。その表情は恍惚としており、頬には赤みが差していた。
「――その表情、きっと君のお兄さんもおんなじような心境だったんだろうね?」
「……あ、ああぁ、兄…上……!?」
容赦なくムブラハバの心をへし折りにいく。
兄を喪ったトラウマはムブラハバを幼き後悔の日々へと引き摺り込む。
『やっぱり、力が出ない』
――兄上!?
気が付けば、暗い空間に飛ばされていた。そして、今は亡き兄が筆を持った手をジッと凝視している。これは、生前……それも死を決意した時。
『――ボクは出来る! 絶対に、挽回して見せる!!』
場面が移って、今度は両親に何かを訴えている。こんな場面はムブラハバは知らなかった。
『どうして!? どうしてなんだっ!!』
大きな音を立て、描けないキャンバスを破り、道具が辺りに散らばっていく。
――兄上…。
それを沈痛な面持ちで見つめることしか出来なかった。
『お前が、お前さえいなければ…!!』
次は、幼き日の自分が出てきた。
昼寝でもしているのか近付いた兄に気が付いている様子はない。そして、兄の瞳は見たことがないほどに昏く、ドロドロと濁っていた。
――そうだ。そのまま、殺してくれ…!
この後に起こる悲劇を知るムブラハバは必死に叫ぶ。自分を殺して生きてくれ…!と。
『何を考えているんだ!? 弟は何も悪くない! すべては才能を失ったことが原因なんだ!!』
兄は、ムブラハバを殺すことが出来なかった。
それどころか、ムブラハバを害そうとしたことで余計に心を病み、苦しんでいる。それが何よりも悲しい。ムブラハバの所為ではないと言われると心に刃物を突き立てられているような痛みが走る。
――やめてくれ。儂が、儂が悪いんじゃ…。
『…あぁ、神よ。非才で、その僅かばかりの才も失った私を御許へお導き下さい…』
涙を浮かべ、吊り下がった縄。その輪へと頭を差し入れる。
――やめろぉぉおおおおお!!
「……やめ、て……くれ」
項垂れたムブラハバに神は近付く。
「――さあ、死ぬ必要のなかった兄のために」
そこから先は語らない。
ただ、手を差し伸べるだけ。
まるで救いを差し伸べるかのように。
「…………」
差し出された手に、顔を上げずゆっくりと両手を伸ばす。
「――向こうでお兄さんが待っているよ」
がっしりと握られた手。その感触を感じながら、神は愉悦の笑みを浮かべる。
「そうじゃな。兄上に会いに行こう」
ここに来てムブラハバはハッキリとした言葉を発する。
その時、神は気付いた。握られた手から伝わってくる力強さに。
(逃げられない…!?)
「貴様っ…!」
「……舐めてくれたのぅ? えぇ? 神よ」
ようやく顔を上げたムブラハバ。その顔は好機を得たりと、ニィッとした狡猾な表情だ。
「儂は、あの日々を後悔して来たよ」
それこそ、後悔してもし足りない。後悔しない日は一度たりともなかった。
「だからこそ、儂は世界を変える。その業を背負う! それが儂の大魔王としての在り方じゃ!!」
しっかり握り、離さないという意志を伝える。
そして、大魔王の意思を受けて十の影――その牙が一斉に襲いかかった。




