第2話 ファウストの人生
ファウストという男が狂人となるまでだが、それは至って平凡な人生だったと言える。
本人が言うにはアレを見つけてから自分の人生は始まった。
――それはファウストがまだ教師だった頃まで遡る。
「せんせー!」
「…おや、ミドル君。どうかしましたか?」
田舎で読み書きや計算、国の歴史などを教える仕事をしていたファウストのもとを教え子の一人が訪れた。
「これ! これ見てよ!」
少年は興奮した様子でずいっと何かを差し出してきた。
「まあ、落ち着いて…」
そうはいっても、子どもが興奮を抑えるのは難しい。
長年の経験でこういう時は早く本題に入るべきだと察したファウストは少年から立方体の物を受け取る。
「……これは、なんでしょうか?」
前後左右に上下と見たり、日に翳してみるが何かが入っているようには見えない。
材質は硬く、鉱物のようでもある。
(たしかミドル君のお父上は鉱山で働いていたのでしたか。…だとすると、これはそこで見つけた物でしょうかね?)
「いやぁ~、降参です。ミドル君、これは一体何でしょうか?」
「えぇ~!?」
これはお手上げと答えを尋ねると少年からは予想外の反応が返ってきた。
「先生にもわからないの!? 先生ならこれが何かわかると思ったのに~」
少年の反応を見て、ファウストはおや?と首を傾げる。
どうやら少年の思惑を完全に勘違いしていたようだ。
ファウストは教師などをやっている傍ら趣味で古代文明などの調査も行っている。その博識さゆえにわからないことはファウストに聞けとこの辺りでは言われているほどだ。
つまり、少年は自慢しに来たのではなく――
(どうやら私にこれが何かを聞きに来たようですね)
そうと決まれば、ファウストは先程よりも真剣に謎の物体を観察する。
「……作りはしっかりしていますし、かなり頑丈」
軽く力を込めてみても一切歪みなどはうかがえない。
触った感触だけではこれが何かはやはりわからなかった。
「ミドル君、これはどこで手に入れたのですか?」
「えっと、今日父さんにお弁当を届けに行って、そこで見つけたんだ!」
見つけたのは鉱山。となると鉱物。
そんな安直な答えではないだろうが、指針としてはそちらの方面だろう。
ファウストは徐に指先に魔力を込める。
パァァと光が集まるが、すぐに弾かれるようにパンッと霧散していく。
「ほぅ…! 魔法も弾きますか」
この段階になると、ファウストの研究者としての顔が浮き彫りになっていく。
喜色満面で様々な手法を試していく。
「魔法を弾くということは、かなり前の文明のモノかもしれませんね…!」
少年が退屈することなどお構いなしに作業に没頭していくファウスト。まるで少年のような表情を浮かべるその人物がもうすぐ五十路とはだれも思うまい。
「これはっ…!?」
作業を開始してからおよそ一時間近く。
日が傾き始めた頃になって、ようやく進展があった。
「どうやら、何かの秘密文書のようですね…」
立方体の表面には六面すべてに文字が浮き上がっている。
数百年前にこのような技法があったことを思い出すファウストは、少なくともそれぐらい昔の物だと推測を立てる。
(これは後からミドル君に案内を頼んでみなければいけませんね)
今後の予定を組み立てつつ、浮かび上がった文字を読んだ瞬間――ファウストの全身に電流が走った。
「ミドル君」
「んっ? なに? もう終わった?」
無邪気な表情を向けてくる少年。
普段ならばファウストも柔和な笑みを浮かべるところだが、今となってはそんなことに興味もない。
「……先生?」
少年の目元を覆うように顔を掴み、ファウストは呟く。
「――忘れなさい」
「……ぇっ?」
少年は小さな声を漏らし、糸の切れた人形のように力なく前のめりに倒れる。
「すみませんね。ですが、必要なことなのですよ」
倒れた少年を受け止め、囁いたファウスト。その瞳は少年ではなくどこか遠くを見据えていた。
ファウストの神から与えられたドロップは記憶を改竄する力。
これは幼少時に目の前で母を失くしたトラウマから身を守る手段として現れた力であり、普段から使用を控えていたので誰にも知られていない力だった。
少年はあの物体のことを今後思い出すことはないだろう。
「見つけたのは今日ということでしたが、念には念を入れておきましょうか…」
――その日、ファウストが住んでいた近所の鉱山で大きな事故が発生し、鉱夫や鉱山の近くに住んでいた住人が多く命を落とした。さらに混乱に乗じるようにファウストは姿を消したのだった。
それからファウストが歴史の表舞台に姿を現すまで約十年の空白がある。
「――教会に関する歴史、および不正を行っている教会の情報を提供に来ました」
突然何を言っているのだろうか?
ファウストが初めて教会に訪れた時に言った言葉だが、担当した教会の人間は当然のように困惑した。
だが、ファウストが出した様々な情報は確かな物ばかりだった。
一体どうやって…?
疑問もあるし、これが公になれば教会への不信感は留まるところを知らないだろう。
ファウストを捕まえ、拷問してでも情報を聞き出そうとする人間も多かった。――だが、奥へと連れ込まれたファウストに何かを聞き出せた人間は誰もいなかった。
「さあ、次はどんな人物が来るのかな?」
枢機卿までもが何もできずに引き返した際、ファウストが語って言葉である。
かくしてファウストは入信後すぐに異例中の異例の大出世で教皇付きとなった。
経緯こそ異例ではあったが、ファウストは仕事が出来る人間だった。
彼が担当した勇者も少なくないし、救った命は数えきれないほどになる。
ファウストが教皇となったのは前任者からの推薦であったことが彼の仕事に対する誠実さを物語っていると言えるだろう。
「――今日からお世話になります」
そんなファウストが最も教会を驚かせたのはある日、少年を連れて来た時だった。
清々しく挨拶をする少年に、当時の信者たちはファウストの面影を見ていた。
「名はヨーファン。……私の甥にあたる」
端的に説明したファウストだったが、それまで天涯孤独だと思われていた彼の血縁者の登場にしばらく話題が持って行かれたのは言うまでもない。
当時の話題として上がった者の中には当然次期後継者というものもあった。
もうすぐ齢百に至ろうかというファウストはそろそろ引退かということも囁かれていたからだ。まあ、その噂を流した者のほとんどが彼よりもかなり早くに亡くなったのだが…。
「ヨーファン、わかっていると思うがあいつのことは極力口に出すな」
いつどこで誰が見ているかわからない。
教皇の失脚を狙う者は多いと告げるファウストのヨーファンは真剣な面持ちで頷く。
「もちろんです伯父上。あいつのこともですが、それ以上に研究のことも一切口外いたしません」
「…当り前だ」
ファウストはいつか少年から貰った立方体の物質を取り出す。
あの日から肌身離さず常に持ち歩いていたそれをそっと撫で上げる。
「調べた限りでは、今のところこの情報を知る者もあの力を授かっている者もいなかった」
教皇となる以前から様々な手段で情報を集めてきたが一切情報が集まらなかったことを悔しそうに告げるファウスト。
「安心してください」
ヨーファンはそんなファウストの肩にそっと手を置いて微笑みかけた。
「伯父上も立場上動きが取れないこともおありでしょう。――しかし、そんな時のために私が来たのです。これからは伯父上に代わって私が動きます」
私には便利な力もありますので――ヨーファンの言葉にファウストも彼ならば問題なくやってくれるだろうと確信していた。
「今現在わかっている情報はすべて渡しておく。あの力が前回現れたのはいつかわからないが、傾向としては騒乱が多い――神が好む騒動がある地域に多い」
「我々がすべきことは騒動を起こす人物の傍に張り付くこと」
「魔王の監視に多くの眼を割かねばならん。多くの勇者を確保せよ!」
ここまでの準備を整えたファウストだったが、彼が生涯の目的を達することは出来ず後継者であるヨーファンに託されることとなる。
「――必ず神の力を…!」
ファウストのメッセージは教会全体に伝わっているがその真意を理解しているのはたった一人しかいない。
(……おかしい)
内部を駆け回りつつもイリスは妙を感じていた。
事情はともかく、黒幕が教会を長らく支配する教皇である。だというのにあまりにも警備がお粗末。
イリスに言わせればいないのも同然だった。
(まあ、それはそれで助かるからいいが)
そう思いつつもどこか納得できない。
「シスターダイアナ……っ!?」
探し続けてようやくシスターダイアナと思わしき人物を発見したイリスは変わり果てたその姿にかける言葉を失うのだった。




