第2話 勇者は魔王を知る
一応のヒロイン(予定)の登場です。
『それでは黒甲蟲魔王様、私はここで失礼いたします。今生では二度と会わないように精々頑張って慎ましく暮らしてください』
暗にクローヴィスの死を願っていますと告げたダイアナは一刻も早くそこから離れたいと足早に馬車に乗り込んだ。
しかし、ダイアナはそのまま帰るわけでもなくある目的のために進路を変更する。魔王領ハイドを有するオーブランドの隣国ノーキンダム支部の教会、そこにいるある男に会うために。
「し、シスターダイアナ!? 困りますっ! 私どもが案内するまでお待ちください!」
突然来訪したダイアナにノーキンダム支部にいる見習い修道士たちはギョッとしてなんとか止めようとするがダイアナに気圧されてしまう。それでも少しでも歩みを遅らせようと前に立ちはだかり、近付いては離れるということが繰り返されていく。
ダイアナも今日までは神託を授かっておらず、優秀であったものの扱いはあくまでも見習いという域を出なかった。それでも神託を受けた以上は見習いたちよりも上の身分であり、強引に留めることはできなかったのだ。
ましてや鬼気迫るような勢いで進んでいる様子からただ事ではないということ、さらにはこの状態の時は止められるのはここには一人しかいないこともあって職務に忠実であるべきかそれとも己が身を守るべきかの選択を迫られていた。
そうこうしているうちに目的の人物がいる部屋の前に辿り着いたダイアナは止める声に耳を傾けることなく扉を開け放った。
「ねぇ~、フェルナンド様ぁ~」
「こっちもおねが~い」
「私の方が先ですよね?」
扉を開け放った先で繰り広げられていた光景は一人の半裸の男性に複数人の女性が群がっている光景だった。
なんとか止めようとしていた見習いたちもこれには天を仰ぐことしか出来ず、巻き込まれては敵わないと静かにその場を離れていく。
「――ハッハッハ! 困っちゃうね。僕は一人しかいないんだから順番に――」
「――フェルナンド」
「――ハッ!! だ、ダイアナッ!? どどどど、どうしてここに…?」
扉が開け放たれたことなど一切気付いていなかったフェルナンドは底冷えするような声で呼びかけられたことでようやくそこにいる人物を認識した。
「き、君たちっ! すぐにここから出て行きたまえ! ここをどこだと思っているんだ!!」
先程までの様子から一変、まるで別人のように態度を豹変させたフェルナンドによって追い返される女性たち。そこには女性に囲まれて喜んでいたフェルナンドはおらず、まるで妻に不倫現場を目撃された夫のような姿があった。
「…………」
「……だだ、ダイアッ、ナ! お茶! お茶でも飲まないかい!? ちょうど、いい茶葉を貰ったばかりなんだ!」
「……悪いけれど、今日は別にお茶をしに来たわけじゃないの」
フェルナンドが先程までしていた行為に興味などないと素気なく返すダイアナだったが、フェルナンドとしては気が気でなかった。
フェルナンドとダイアナは元々はオーブランド出身の貴族であり、家が近所で仲が良く将来的には結婚を約束したいわゆる婚約者という間柄だった。その当初、フェルナンドは今のような女性にだらしないわけでもなくダイアナ一筋であり、ダイアナもそれを受け入れており将来は良い夫婦になるだろうと言われていた。
そんな二人の関係が崩壊したのは今から約八年前のこと。
ダイアナの一家を災難が襲いかかったのだ。
その災難とは――魔王。とある魔王の配下がダイアナ一家の住む住宅地を襲った。幸いにもダイアナは家を留守にしていたが、両親を含め使用人もすべて殺されていた。生き残ったのはダイアナを含めても数人。ちなみに、フェルナンドは襲撃の数か月前から一家揃ってノーキンダムに行っており襲撃の事実を知ったのは身寄りのなくなったダイアナが教会に引き取られてからのことだった。
フェルナンドはダイアナの後を追いかけるようにして見習いとなり、神託を受けて神父になったのが五年前。出世としては早い方であり、立場を高めるために身に尽きた処世術で今も多くの女性を囲っているが真実の愛を誓うのはダイアナだけであると公言している。
それゆえにダイアナが気にしていようが気にしてなかろうが関係なく気が気でないのだった。
「……もう知っているでしょうけど、神託を授かったわ」
こちらを気にしてばかりの態度にこのままでは埒が明かないと判断し、本題を切り出した。
神託を受けた情報は教会全体に伝えられるのでこれを知らないはずない。そして、この話題を出せば自分が何故ここに来たのか……それを目の前の元婚約者は理解するという判断を下した。
「僕に何をして欲しいんだい?」
事実、フェルナンドはダイアナの意図を読み、即座に返した。
今でもダイアナを愛しているがゆえにフェルナンドはダイアナの頼みを断らない。むしろ自分に出来ることがあるのならばどんなことでも協力するつもりだった。
思った通りの答えに内心で笑みを浮かべながら要望を伝える。
「あなたの担当している勇者を派遣してほしいの…」
フェルナンドが先程のような教会の風紀に反する行動を許される原因は神託を受けたこと以外にも存在する。教会の身分的にそれが許される身分であるということもあるが、それ以上の理由として複数の勇者を担当していることが挙げられる。
神託を受けるのは一人一回とは限らない。優秀な者や相性の良い者は優遇されやすい。下手な者に大事な勇者を任せて壊されてはたまらないし、意図せぬ方向に動かされてもつまらないからだ。
そして、現在フェルナンドは三人の勇者を抱えている。これは教会全体としてはさほど珍しいことでもないが、信徒になってからの年月を考えると異例の多さであると言える。
勇者は魔王と違って領地を与えられることはない。その代りに、縛られることもない。
勇者は内容は告げられないが、果たすべき使命が与えられておりそれを果たせば勇者を辞することが出来る。辞した後は教会から支給される褒賞で隠居生活を送ったり、教会に所属して後進の育成などに励んだりする。
フェルナンドが担当している勇者のうち一人は役目を終えており、現在は勇者の身分を返上するか今後の身の振り方を考えているので一応はまだ勇者と言える。あとの二人は最初に担当した勇者と新人が一人。
ただ、問題がある。
別に勇者を動かすことが問題なのではない。例え意図的に魔王にぶつけようとも元来勇者とは魔王を倒すための存在であるためにそれに関して神の怒りを買うことはない。問題なのは現在三人ともが国内にいないことだった。
神託を受けた土地に所属する勇者だが、活動に縛りがないために彼らの多くが所属する土地を離れて行動している。指示を受ける時は教会を介せば十分だったりもすることもあり自由気質な者が多かった。
「……少し考えさせてくれないか?」
悩んだフェルナンドは申し訳なさそうに尋ねる。相手がダイアナでなければ、女性は――いや同性であっても見惚れてフェルナンドの意見に従いそうな魅せられる表情。だが、ダイアナにとっては幼い頃より見慣れたものだ。
「駄目よ」
間髪入れずに断られ、これにはフェルナンドも「う゛っ…」とくぐもった声を上げる。
「……理由を聞かせてもらえないか?」
フェルナンドも伊達にダイアナに惚れてきたわけではない。このようにキッパリと告げる時はそれ相応の理由がある時だということは理解している。……ただ聞かなければ教えてくれないのはどうにかしてほしいと思っていたりもする。
「時間がないの」
それに対して返ってきたのはまたもや簡潔な答えだった。
――時間がない。それについて考える。
魔王は制約によって領地から外に出ることが出来ない。つまり、魔王が逃げるということはあり得ない。ならば時間がないというのは魔王の逃亡防止といった可能性は無視していい。
だとすれば何だ?
魔王が領内を充実させ、堅牢な作りに変えるまでの時間?そう考えたがそれも違うだろうと首を振る。どんなに堅牢な作りをしようともどこかに綻びはあるものだ。教会の人間ならば自由に魔王領に出入りすることが出来るのだから、じっくりと観察すればいい。勇者へのアドバイスも仕事である以上ダイアナから得た情報を伝えるのは問題にならない。問題があるとすれば情報源となるダイアナが魔王領に行くことを拒む可能性だけだ。
「……降参だ。もっと詳しく教えてくれ」
大袈裟に肩を竦めアピールするとダイアナは渋々と理由を教えてくれた。
「新しく魔王になった黒甲蟲魔王にはまだ眷属がいないからよ」
「…へぇ~、そいつは珍しい」
眷属とは魔王の配下のこと。魔王になるにはそれに相応しい悪事を重ねる必要があるが、魔王になるほどの悪事だと多くが一人では難しく魔王になる者は多くが部下を持っている。クローヴィスの場合は外部との交流もなく、成人したばかりなので存在しなかった。
ここで気になるのは先程のダイアナの発言にあった『まだ』という言葉の意味するところだ。
友人もいない、家族からも疎まれていたクローヴィス。フェルナンドが言ったように魔王城から出られないのならばこれから仲間を増やすことは容易ではないと思われる。
「だけど、『まだ』ってどういう意味だい? もう既にかの魔王は領地に入ったんだろう?だったら、配下が増えるとは思えないけど…?」
「……いいえ。可能性はあるの」
どこか憂いを帯びた表情で否定する。
「魔王の名はクローヴィス・ド・ブリュッセウス。オーブランドの貴族家ブリュッセウス家唯一の子」
正確にはヘイディオという長男がいたので唯一とは言い難いが、現在生存しているという条件を絞り込めば唯一と言ってもいいだろう。
「…有り得ないとは思うけど、ブリュッセウス家が血縁を優先するあまり魔王に肩入れする可能性もあるわ」
「……ブリュッセウス家もしくはオーブランド王国が裏で絡んでくる可能性があるってことか」
フェルナンドはそう推測したが、それはほぼ有り得ないことだった。そもそも実家からの援助なんてクローヴィスが受け入れないだろう。彼からしてみれば実家は自分を見捨てた憎い相手でしかなく、捨てられたことでむしろ清々しているはずだ。
ダイアナ自身も国が絡んでくる大事にはまずならないだろうと予測している。ダイアナが恐れているのはもっと別のことだ。
それは神から齎されたクローヴィスが転生者――それもウィンドゥズとは別世界で生きていたという情報。もしもその世界で生きてきた経験がこちらの世界に悪影響を齎せば……ダイアナが危惧しているのはそこだった。
このことはさすがにフェルナンドといえども打ち明けるわけにはいかない。
教会としてのルールに抵触するというのもあるが、フェルナンドに話すことで誰かに情報が漏れる可能性もある。そうなれば異界の知識を求めてすり寄っていく者が現れないとも言いきれない。それだけ未知の可能性を秘めている。だからこそ早々に潰しておきたかった。
これは世界のため。幼馴染で散々無理を言ってきた元婚約者を謀りにかけるような行いだが、きっと許してくれるだろう。――そう自分に言い聞かせることでダイアナは心の奥底に眠る魔王という存在に対する私怨を肯定していた。
「わかった。勇者たちに連絡を入れてみよう。新人だと不安が残るが、役目を終えるほどの彼ならば成り立ての魔王ぐらいどうってことないさ。な~に、担当として培ってきた絆もあるし最後の仕事だと思えば彼も断らないだろう」
「――ありがとう」
安心させるように告げられた言葉にダイアナはここに来てから初めて緊張を解き、本来の笑みを見せた。
そんな元婚約者に吸い寄せられるようにダイアナを抱きしめ、口づけを交わす。
ダイアナもフェルナンドからの口づけを受け、想いに応えるように服に手をかけゆっくりと押し倒すのだった。行為が激しくなる頃には侵入防止と防音用の結界が張られ、外に漏れることはなくなった。
「――ふふっ、いいことを聞いた」
二人が男女の営みを開始した部屋のすぐ傍で会話を盗み聞きしている人物がいた。
凛とした雰囲気の女性であり、立派な剣を携えているその人物は先程の話題に上がった勇者の一人イリス。
「新入りの魔王、しかも配下はなし。……まさに狩ってくださいと言わんばかりの状況じゃないか」
獲物を見つけた獰猛な獣のような雰囲気を醸し出し始めたイリスは足早にその場を離れていく。その表情はどこか興奮しているようでもある。
「魔王退治は新人の時以来だ。胸が躍る」
今までは遠くの地方で活動していたが、自分のやるべきことが見つからなかった。だから担当であるフェルナンドにより詳しい神託を授かるべく故郷に戻ってきたのだが、そんなことはどこ吹く風。力を発散するための場所を見つけたイリスの足取りは軽い。
だが、ふとその足が止まる。
「……そ、そそ、それにしても」
心なしかその顔色は興奮とは異なる赤みを帯びているようにも見える。
「ましゃか、いきなり子作りを始めるとは……ッ!! こ、こじゅくりゅって!? 一体何を言っているだ私は!! ギャ、ギャー恥ずかしいぃ~~!!」
勇者イリス。成人前に勇者になり、それ以後剣しか振ってこなかった彼女は男女関係についての免疫が全くなかった。その日、ダイアナの態度に恐れをなして避難していた教会の関係者以外は赤面して湯気を立ち昇らせつつ悶える勇者という珍しい光景を目撃することになる。