第3話 この世界の行く末
「――馳走になった」
クロガネの思惑と反して、どことなく満足気に食器を置くムブラハバに嫌味が通じなかったかと憮然たる思いを感じるクロガネだった。
まあ、これはある意味の意趣返しであり自分にだけ意味が通じていればいいという自己の満足を満たすためだけの行動だったので大した問題ではないが、やはり気分はよくなかった。
(こんなことなら最初に説明をするんだった)
そうした場合、会合が荒れるどころか再び城が戦場になるおそれもあっただろうが、そう思わずにはいられなかった。
「東方の大陸にこのような料理を出す文化があると風の噂で聞いたことがある。実は、この衣装も東方から伝来して来た物でな?」
まるで同志を見つけたかのように語り始めたムブラハバに、クロガネは日本マニアの外国人を思い出し自らの失敗を悟った。
不快にさせるつもりが相手を満足させていたのだ!
項垂れたい気持ちを必死で隠し、本題を切り出した。
「――で、前回と今回。お前は一体なんの用でここに来たんだ?」
返答如何によっては戦闘も辞さない覚悟で尋ねたクロガネはムブラハバの予想外の答えに何をすることも出来なかった。
「おぉっ! そうじゃったそうじゃった」
忘れるところじゃったとひげを擦りながら答えるムブラハバは本来の要件を伝える。
「――どうじゃ? 儂と一緒に神を殺してこの世界を変えてみんか?」
そんな突拍子もなく、不穏な事柄を。
「――何者だ?」
城内にはここの主であるクロガネと眷属のアナ。それに忌々しいが宿敵の大魔王しかいないはず。
クロガネについては魔王ではあるが、どんな存在か理解しているしそんな魔王に従う眷属たちについてもよく知っているイリスはクロガネの命に逆らって眷属が残っているとは考えていなかった。
だとすれば大魔王の関係者である可能性が高くなる。
前回は煮え湯を飲まされたが、二度も続けて遅れを取るつもりはない。
武器に手をかけ、潜んでいる人物を牽制した。
「――物騒な物はしまってくれないか?」
イリスに脅しをかけられた人物は賞賛を送りつつ、その姿をイリスの前に現した。
「さすがは勇者。私の気配に気付くとは…恐れ入るよ」
「質問に答えていないな。私は何者だと聞いている」
姿を現したのは、一人の老人だった。
その身に纏う衣装は教会の物。しかし、魔王領に好き好んで侵入する神官などいるはずもない。イリスは警戒をさらに強める。
「……まあ、そう殺気立たずに」
目元が厳しくなるイリスだが、相手はまったく気にした素振りを見せなかった。
神官として勇者と接してきた経験ゆえか、それともイリスを脅威と見ていないということなのか…。
「私の正体だが、今は明かせない」
神官はイリスを値踏みするかのように見つめ、信頼に足る人物だということは察していた。しかし、だからこそ彼女に真実を伝えることは出来なかった。……今はまだ。
「ただ、これだけは信じて欲しい。……私は君の敵ではない」
「…それを信じろと?」
イリスの答えを聞き、神官は警戒を解く。
彼女の答えから迷いが消えたのを感じたからだ。おそらく、疑ってはいるが、敵対の意思がないことは伝わっている。そう判断するに足る何かを感じ取っていた。
「ここには、偶然やって来たに過ぎない。私の目的は本来、ここにはない」
決してイリスに不信感を与えないように与えられるだけの情報を渡していく。
何がこうさせるのかわからなかった。
ただ、長年たった一人で抱え込んでいた苦悩と使命をこの勇ましい少女にならば打ち明けてもいい――そう感じていた。
もしかしたら、この時すでに先に起こることを知っていたのではないかと死の淵で考えることになるのだが、それはまだ先の話。
ただ一つ言えるのは、神官はこの時自身の後継者を見つけていたということだけ。
(信じていいのか?)
イリスは謎の神官の言葉を信じるべきかどうか悩んでいた。
身を潜めていたことや勇者に対して一切警戒する素振りを見せないということを考えると怪しさは満載だと思う。それなのに、心のどこかで信じていいと感じていることに驚きを隠せなかった。
何がそう思わせるのか?
疑問と困惑を抱えるイリスに、目の前の神官は言葉をかけ続けた。
「本来の目的ではないが、ここに来たのはある人物を追って来た」
誰のことかは想像がつく。おそらく、ムブラハバだろう。
イリスの推測は当然正しかった。
「――かの大魔王の動向を知ることは私の真の目的を達成するためには欠かすことが出来ない。奴の計画の先にあるもの、あるいは途中にあるものこそが私の目的だからだ」
「……大魔王の目的だと? 貴様、何を知っている!」
これには勇者として黙っているわけにはいかなかった。
声を荒げて問い質す。そのイリスの声が誰もいない城内に木霊する。
「…いいだろう。教えてあげよう。奴の目的とは――」
イリスは奇しくもクロガネとほぼ同じタイミングで衝撃の目的を告げられることになるのだった。
「な、なんだって…!?」
クロガネはあまりにも突拍子のないことで、思考が追い付かなかった。
(神を殺す? 一体、何を言ってるんだ…!?)
クロガネとて魔王に選ばれ――それ以前に転生させられた時点で神に弄ばれているような感覚はある。しかし、それでも神を殺すなどという発想は持っていなかった。
この世界は鉄次郎として生を受けていた地球とは違う。
ウィンドゥズの神とは、信仰上にして宗教上で想像される神ではなく実際に存在するモノ。触れてはいけない領域に存在するモノ。それを殺すことでどういう結果になるか、純粋なこの世界の人間よりも別世界を知っている分クロガネには理解出来てしまった。
「自分が何を言っているのかわかっているのか!? 神を殺すということがどういう意味を持つか、その結果どれだけの被害が及ぶか――」
「――わかっておる」
クロガネの叫びをその一言で抑え込んだムブラハバ。気迫のこもった、どこか信念すらも感じさせる言霊にクロガネはそれ以上言葉を発することが出来なかった。
「もちろん、儂とて未来のことは考えておるがそれ以上に今の悲劇を何とかせねばならんとも考えておる」
今の悲劇が何を指すのか、クロガネにはわからない。
「神がいるせいでこの世界は駄目になりかけておるのだ」
《ブーブー! 失礼しちゃうなぁ~。ボクチンがいるせいで駄目になるわけないじゃん!》
この会話を盗み聞きならぬ堂々と聞いている神は憤慨するもすぐにいつもの調子に戻る。
《まぁ、彼の言いたいこともわかるけどねっ☆》
「それに安心せい。神を殺すと言ったが、実際に命を奪うわけではない」
神に命があるともわからんからな、ぼやくように告げるムブラハバはどこか悲しげに見えた。
「儂はただ、神から世界を解放したいだけじゃ」
世界の解放。
囚われた世界の変革を望むという言葉は重くのしかかる。
「そもそも、この世界は変じゃと思わんか?」
「…………」
問いかけに答える術をクロガネは持たない。
そもそも転生などしている時点でクロガネにとっては異常すぎて、すべてが他の人間とは違って見えているのだから。
「神の落し物という割には、制約の大きい力。それに、誰がどのような力を手に入れるかは願いによると伝えられておるが、それが本当かどうか確かめる術を誰も持たん。すべては教会が代弁者を気取っているに過ぎんのじゃ」
「……お前の言うところの、神は教会のことなのか?」
「それは違う」
素朴な疑問。語りどころがまるで教会を悪と決めているような口ぶりに、思わず問いが出ていた。
しかし、変革を望む大魔王は若き魔王の問いを一蹴する。
「教会はあくまでも神の名を騙っているだけに過ぎん。あんなものは放っておいても大したことは出来んよ」
この世界が出来上がってからの現状を鑑みてムブラハバは自身の考えを伝える。
目の前の魔王が味方に付くか否か。それはこの際、どうでもいいと感じていた。
若き魔王――まるで変革の兆しのような魔王に大魔王はどこか期待をしていたのだ。
「――儂が力を手に入れた時の話をしようか」
だからこそ、すべてを曝け出して語るべきだと判断した。
――それは、ムブラハバが眷属の誰にも語ってこなかった過去の話。今から百年以上も昔の遠い記憶。
ムブラハバのドロップ取得秘話。
「儂が子どもの頃の話じゃ」
「儂には歳の離れた兄がおった」
憧憬に思いを寄せるように、ムブラハバは語り出す。
「儂の家は代々芸術家を輩出してきた家系じゃった。当然の如く兄は芸術系のドロップを持っておった」
その瞳にどのような光景が浮かぶのか?次第に過去にのめり込んでいく。
「儂の力が目覚めた日も兄は絵をかいていた。いつもと変わらず、ただいつもと違うことに気付かずに……。『兄上の絵は本当に上手いな!』
『ハハハッ、お前も時期これよりも上手い絵を描けるようになるさ!』
兄はいつもこのように言っていた。口癖のように。
まあ、家系的にも芸術家になる者が多かったからの。兄としては儂も同じようなドロップを授かると疑わなかったのじゃろう。
……しかし、それが悲劇を生むことになったのだ」
「兄の絵はまるで風景をそのまま切り取ったかのような絵だったのじゃ」
(写真並みに描くドロップってことか…)
クロガネはこの世界では伝わらないだろうことを考える。この過去話で老獪な大魔王が何を伝えようとしているのか?それだけがクロガネの関心だった。
「あの日も、素晴らしい絵を描き上げていた。
『ほわぁ~、兄上の絵は凄いなぁ~』
兄は最後の仕上げをする前に集中するために席を外しておって、その場には儂しかおらなんだ。
当時は子どもだったのじゃろうな…。兄の描く絵を見ては、美味そうだと思っていたものじゃよ。
その日もそうじゃった。
『……ごくっ。た、食べれないかな?』
兄上が居る時はさすがに作品に触れるわけにはいかんからな。いつもは触らなかったのじゃが…。
そして、触れたことで儂に力が目覚めた」
「初めは力が目覚めた事なんぞ気付かなんだ」
自分も力が目覚めた時は何も感じなかったと思いつつ、クロガネはそれがどういうことに繋がったのかよくわからなかった。
「――後日、いつものように兄が絵を描く姿を見ていた」
己の手を見つめる、大魔王に暗い影が顔に差し掛かる。
「しかし、兄は自分の普段通りに絵を描くことが出来なかった」
ダンッ!とテーブルに拳を叩き付けるムブラハバ。その一打でテーブルにはひびが入り、振動は部屋全体に広がる。
「その日は調子が悪いのかと思ったが、その次の日もまたまた次の日もダメじゃった。……気付くべきじゃった。儂の力が目覚めていたことに。そして、兄は死んだ」
「……理由は?」
「兄は絶望しておった。――死因は自殺じゃよ」
ようやく顔を上げたムブラハバはどこか憔悴したように見えた。
「自殺?」
「…そうじゃ。自身の力が、天から授かった力が失われた――そう考えた末のな」
わかるか?ムブラハバの言葉にクロガネは彼の願いを悟ったような気がした。
「つまり、お前の目的はこの世界への復讐か…」
「…名目的には解放じゃが、間違ってはおらん。そのための手段も着々と集まっておる」
「……それで? 何が望みなんだ?」
わからないのはそこまでの準備が整っているのに、なぜわざわざそのことを告げるのかということ。
「まあ、そこから先は仲間になるかどうかで話すかどうか決めるわい」
(…そんなに甘くない、か。さすがだな……)
「――とまあ、こんな風に話が進んでいるはずだ」
「なんと…! 神を殺す!? そんな大それた、いや考えるのも恐ろしいことを…!!」
勇者になってから初めてイリスは心の底から震えた。
そんな相手に戦いを挑み、こうして生きいてる奇跡に思わず体を抱きしめた。震えを抑えようとすればするほどに爪が肌に食い込み傷つけていく。しかし、それでも震えは収まらない。
「…だが、恐ろしいのはそこから先だ」
「なんだとっ!?」
今聞いた話よりも恐ろしいことがあるのか、とイリスは戦慄した。
己の正しさを見失うなどライオン・ハートを持つイリスにとってあり得ないこと。そのあり得ないはずのことが今起きている。
それでも前回、大魔王と対峙した時のように力が失われた感覚がないことから正常に判断してなお狂気への恐怖が勝っているのだと勇者としての経験が告げていた。そして、目の前の人物が言っていることが嘘でないということも。
「すべては今後の大魔王の行動次第ということもあるからこれ以上の話は今はやめておく」
まるで信頼していないと言っているというのに、イリスは苛立ちよりも先に安堵を感じてしまっていた。おそらく、神官もそれを読んでいたのだ。
今のイリスに話してもこの先の状況について来られるかどうか怪しい、と。
「ただ、一つだけ忠告を――」
最後に大魔王以外に注意すべき人物を告げ、神官は姿を消した。
その時になってイリスは城内から嫌な気配が消えていること、大魔王が立ち去ったということを悟ったのだった。
「…………」
イリスが動けるようになったのはそれに気付いてから一時間ほど経過した時のことだった。
時を少し遡り、ムブラハバとクロガネの会合が終わる頃。
奇しくもムブラハバも謎の神官同様に言葉を残していた。
ムブラハバの場合は忠告ではなく、クロガネが賛同しやすいようにするための情報。つまりはエサとでも呼ぶべき情報だった。
「……一つだけ情報伝をえておくぞい」
「…………」
「神殺しの計画に必要なピース。その最後にして最重要のピースの正体――それに加えて居場所は判明しておる」
「……居場所? つまり、人…なのか?」
言い回しが気になったが、大魔王はそれ以上質問に答えることはなかった。
その代わりとばかりに、ニヤッと笑みを見せそのまま帰って行ったのだった。
「……ふぅ~」
クロガネはようやく緊張感から解放されたことに安堵し、椅子に身を預けた。そのことでずるるっと滑ってもお咎めなし。むしろそれぐらいしなければ緊張は忘れられなかっただろう。
「どうぞ」
「……ああ、すまん。大丈夫だったか?」
健気にもお茶を運んできたアナに労いの言葉をかける。
アナは表面上は笑みを浮かべているものの、ティーカップに添えられた手は震えている。
当然だ。
魔王であるクロガネですら、終始圧倒されていたのだ。眷属を責めることなど出来はしなかった。
「……どう思った?」
だからか、クロガネはいつもとは違い弱気になってしまっていた。普段のクロガネだったら、アナたち……子どもたちにこのような話を振ることはなかったはずだ。
「正直に申し上げまして……恐ろしいと思いました」
「……だよな」
クロガネだって恐ろしい。
この世界の人間が神を殺そうなどとするなんて…そんなことが起こるなんて思いもしなかった。いや、それ以前に神と会話をしたことはあっても、神の存在にどこか不確かさを感じていたのかもしれない。クロガネにとって、神とは存在しても関わりのない存在だったのだ。
「それにしても、あの爺さんの言ってた最後のピースってのは一体…?」
最後に伝えられた情報に思いを馳せるクロガネだった。
魔王城から遠く離れた地で一人の女性が鉄格子から覗く月明かりを見つめていた。
「……フェル、ナン…ド」
ボロボロになり剥き出しになった手足には鎖が繋がれており、肌が見える箇所には至る所に傷跡や痣が見て取れた。
女性から漏れたのは愛しい人を呼ぶ声か、それとも何かしらの関係者か。それはまだわからなかった。
ただ、女性は絶望の中にいることだけは間違いない…。




