チェナ市の山道にて
チェナ市の山道にて
首都ロムールから都市間をつなぐ駅馬車でまる三日ほど南に下る。
王国の公認運送ギルドが運営する駅馬車の終点はナヴァリア市。海に面した小さな町だ。
そこから南岸交通駅馬車に乗り継いで東へ。海岸線に沿いながら六日走ると王国南東の国境の町チェナ市へと到着する。
色彩のない街。
その地に足を踏み入れたときに真っ先に感じた。
老若男女そろって暗い瞳をしててうつろに虚空を見つめてる。道路の端っこで呑んだくれてるヒトも、上等なスーツでめかしこんでるヒトも、見上げる曇天とおんなじようにどんよりしてる。
街の住人はいつかこの街から出ていくことを夢み、もしくはこの街で人知れず死ぬことのみを望んでる。
陽気な顔して街を闊歩してるのは、みんなおんなじ灰銀の鎧に身を包んだ兵士たち。
それと貴金属でしか周囲の価値を量れないような騎士たち。
山沿いの高台に居を構える軍閥貴族らが、潮風に朽ちた下界の屋根を見下ろし哄笑している。彼らはこの地で財を得たのち、首都へと帰る日だけを待ち望んでいる。
この街には諦めしかなかった。
灰色一色に染められた感情に支配されたヒトビトがふきだまる街。
そんな街を俺ら三人歩いてた。
「ヒューマン族特有の格差社会が具現された街だなぁ。」
きょろきょろとまわりを見て、つい口にしてしまう。
「そもそも街の成り立ちからして格差を助長するようなものだったから。名前も曖昧な漁村だったところが、王国の領土拡大に応じて防衛都市として組みなおされた街なのよ。」
独り言のつもりだったんだけど、シェスさんがご丁寧に解説してくれた。
「軍事的な投資はなされても、産業や商業の発展にはまったく投じられない。結果、軍閥の金持ちと漁村だったころから住む低所得者層という、両極端な住人が生活する街となったってわけ。」
「そうね。
ここまで移動手段として使った駅馬車。ロムールからナヴァリアまでの王国公認駅馬車と、ナヴァリアからチェナまでの南岸交通駅馬車との行程距離はほぼ違わないじゃない?
だから、本来ならば同日数で到着できそうなものなんだけど、後者は前者の倍の日数がかかってる。
二つの時間の差って、引き馬の能力と道路状態に起因してんのよ。つまるところ技術と予算の差ってやつ。」
シィちゃんも話をつないで肩をすくめた。
「王国の各都市に対する態度が明確でしょ。
それこそがヒューマン族に根強く残る階級性と格差社会の片鱗ってことかな。」
「シェスさんはこの街が好きなの?」
二人の表情があまりにさえないから、疑問形になってしまう。
シィちゃんはさておき、この街の住人であるシェスさんだったら「この街にもいいとこあるのよ」なんて反論してもよさそうなもんだ。
「好き嫌いっていうより、他の王国都市にいられないから、あたし。
だから住んでるだけ。
それにあたしの家ははるか町はずれよ。」
「あ、そうなんだ。」
いられないから。ですか。
消去法でここですか。
問いただしていいもんか、迷ってしまった。
そしたら
「夜になっちゃうわね。
おなかもすいたし、ちょっとばかり歩くことになるから、今晩は街の別宅に泊まるわ。」
と歩き出したから、モヤモヤした疑問はとりあえず心にしまっておいた。
このどんよりとした街の雰囲気、空気は、地方特有の気候もあいまってだと知る。
チェナの朝は霧深い。
南の海から流れくる湿った空気が、北の山脈から吹き降ろす冷たい風により急速に水蒸気と化していくからだ。加えて、東北部の湿地帯がさらに周辺の湿度を上げていた。
日によっては、視界が一メートルにも満たないこともあるという。
周囲が認識できない状況が続くと、ヒトはどうも疑い深くなるらしい。陰鬱とした空気はヒトの心にも伝播し、結果、ヒトビトは理由づけのできない不安に支配される。
隣の住人は本当にヒトなのか?
口角を上げて近づいてくるアレは本当の家族か?
剣を携え闊歩する兵士の鎧の中身は本当は空っぽなのではないのか?
木々の影に怯え、反響する哭き声に怯え、風に怯え、水音に怯え、白い世界に怯える日々。
観光する時間もテンションも持ち合わせてないから、到着日の次の朝には街を出た。
シェスさんの別宅は北の山のふもとにあった。
ってか、そこを町はずれと表現すべきだと、正直、思う。やたらと犬系の遠吠えが近くで響いてたし。
「なんか異様に緊張したなぁ。」
街を出るなり独りはしゃいでみたけど、二人からの返答はなかった。
目的地はまだ先だってのに、このテンションというか雰囲気はちょっと気まずい。北東に伸びた王国国境となる山脈を、南に見ながら丸一日歩くらしい。
街と山脈を挟んでおいて、町はずれって表現どうよ。
「ねぇ、ホントに幽霊でるの?」
ヒトっ子一人歩いていない寒々しい街道を進みながら、つい言葉に出してしまう。
魔物の住む街ってのがチェナ市とその周辺地域の枕詞だ。
街の暗さと周囲が不気味な暗さをかもし出す自然に囲まれていることに由来する。南の荒れた海、東の霧深い湿地、北の切り立った山、西はうっそうと茂る森が広がる。
遊牧民が羊を追う草原が森に変わる辺りで南の山へと入っていくんだけど、
「そっちは危ないからやめときなよ。」
と遊牧民のおっちゃんに止められた。
なんでも、近くで戦争があって兵士の幽霊が出るとか、廃村に多数の吸血鬼がでるとか、そんな噂があるらしい。
「あら、妖精族でも幽霊コワイんだ。」
道すがらシィちゃんがバカにしたように笑った。かろうじてリアクションいただきました。
「はぁ?
怖いにきまってんじゃん。幽霊だよ。不可思議生物だよ。レアキャラだよ。」
「幽霊生きてないし。
それにレアキャラって表現なしでしょ。」
的確なツッコミありがとうございます。
妖精族にとっちゃあ、冥界とか魔界の住人って怖い存在というか、あまりに対極の存在だから絡みたくないんだよな。
なんて心中では本音をこぼす。
そしたら、
「あたしは妖精族ってほうがレアなんだけどね。」
とシェスさんが口を挟んできた。
「そうなんですか?」
「そりゃそうよ。だってさ…
ってあんた妖精族なの?」
とつぜんすっとんきょうな声をあげた。
「反応ニブっ!」
いまさらかい。三人で旅を始めてもう月も半分に近いっていうのに。
「いや、聞いてないし。」
そ知らぬ顔でいるシィちゃんを二人でにらんだ。
「言わなかった?」
「言ってない。子どもじゃないとは言ってた記憶はあるけど、妖精族とは聞いてない。」
「ウォフ、なんで言わないのよ。」
…俺のせいか?
なんか理不尽だ。
子どもの姿なのに子どもじゃないときたら、妖精界出身者とかってに判別してくれるものと思ってたことは確かだけど。それに、
「なんでわざわざアピールしなきゃならないのさ。」
「ヒューマン族じゃないから。」
出自をばらすとたいていそういった返答が返ってくる。
ヒューマン族の種族至高主義はホントいやになる。たいして何かに秀でているわけでもないのに勝手に王国作って、大陸中を壁で隔てて、多種族を土地から追い払う。
「種族差別だ。」
「あら、それは失礼。」
言った本人に悪気がないことはわかってる。それでもイライラすんのはこの街のせいなのだろうか。
いやなら、ヒューマン族と関わらなければいい。
生まれ故郷を離れたとき、そう忠告された覚えがある。
それはそうなんだけど、まれにそうじゃないのがいるから困るんじゃないか。
そう心の中で舌打ちした覚えがある。
種族でなく一個人として関わると、それなりに…そう、楽しいんだ。
「はいはい。じゃあ、紹介するわ、面倒だけど。
小人種ホビット族のウォフ。
以上。」
「ほぅ、その数行が面倒ってかい。」
そっこうで回想から復帰した。俺らのやりとりにシェスさんは軽く肩をすくめた。
仕方がないので、その後は自分でつないだ。
「いまさらですけど、ウォフ・フロウアです。ホントはフリングって名乗ってたんだけど、ここまでハッキリと公言されてしまったからには真名で通します。
王国東の大平原ドゥルム・ランダケア出身のホビット族で、今は魔術師リドルファの下で魔術を学んでいます。
わけあって、小学生として首都で暮らしていますが、ホントは五十年以上この修羅界で生活しています。」
「マジか。
子供じゃないっていっても数歳のサバ読みって思ってた。
ガキだと思ったらりっぱなオヤジじゃん。」
失礼な、と反論しかけたら
「しかも、ドリルランドのドリルファ?
ドリルが好きなの?」
リアクションしづらいことを言われた。ワザとなのか、天然なのか判別しずらいボケはしないでほしいなぁ、なんて曖昧に愛想笑いをしてしまう。
隣でシィちゃんがクスクスと笑ってた。
「おっ、あんたも笑うことあるんだ。」
セリフを取られた。
まぁ、俺が言おうとしたのは皮肉の意味で。
でも、実際言ったシェスさんはホントにびっくりした顔していた。
「失礼な。」
シィちゃんが憮然とした顔して反論する。
「だって、いっつも苦笑か嘲笑しか見たことなかったから。」
「そうだったかなぁ。」
そうだったか?
「いや、シィちゃん、俺をからかってるとき、めちゃめちゃ楽しそうだぞ。」
心底イヤそうな横目を無視して訴えてみた。そしたらシェスさんは意外そうに俺らを見比べた。
「いちおう小学生ぶってんで。」
お、少し顔が赤らんでる。
「ちなみに本人のわずかばかりの名誉のために訂正すると、ドゥルム・ランダケアとリドルファね。
ドゥルムは東の大平原、ちょうど後ろの森を越えたところから広がってる草っぱらに点在する都市郡のこと。小人種と亜人種ケンタウロス族が主民族。
で、リドルファは大陸西端の王国出身の魔術師のこと。
あと質問は?」
シータが動揺を抑えるように早口で説明してくれた。
そう。
そんな表情もする。刹那の気の緩みなんだとは思う。だから、すぐに不機嫌そうな、冷めきった表情に戻る。
たしかに口が悪いし、あまり感情を表情に出したがらない。しょっちゅう不機嫌そうにため息ついたり、舌打ちしたりしてる。クールビューティきどったそれが、彼女なりの自己防衛だということは予想できた。
シェスさんも性格くらいはわかっているのか、軽く肩をすくめて言った。
「ないわ。
にしても、ウォフってずいぶんとグローバルだこと。
まぁ、たしかにシィちゃんにはいい友だちなのかもね。」
今度は俺のほうがちょっと驚いた。そんなセリフは想定外だ。
そしたら、
「いらない。」
とバッサリと切り捨てられた。
さすがにキレそうになった。一発殴ってやろうかと振り上げた手のひらを、シェスさんに止められた。
「だってさ、いくらなんでも全拒否はないでしょ。」
と言いかけて、腕をおろした。
シィちゃんのの呟きが耳に入ってしまったから。
「友だちなんて…いらない…」
うつむいてた。
なんだか悲しげだった。