ロムール市の街角にて
ロムール市の街角にて
夕刻を迎えた首都のの大通りは空が狭い。
道の両側に整然と立ち並ぶ建物が、薄闇に覆われて灰色の壁となる。東西にまっすぐ続く石畳だけがオレンジ色に反照していた。ぽっかりと開いた西の空は、ミルクとオレンジジュースが境界なく分離したみたいだ。
店頭看板と街灯に灯りが点った。
その一瞬で、種々雑多とした音と声の温度が変わった気がする。
あらゆる世界が光を失う自然の摂理に逆らい、ヒトの世界は寸前で光を再生させる。きらびやかで、毒々しい原色の光におおわれる。
ショーウィンドと広告がいたずらに目路を誘惑する。
誘惑を横目に家路へと人心地につくもの。
待ちわびた夜の喧騒へと飛び込んでいくいくもの。
悲喜こもごもなれどアツい感情の入り乱れる街は、雑多としていながらも週末独特の一体感が感じられた。
そこに異物が投じられた。
「待ちなよ、そこの小娘。」
女はジーンズのポケットに手をつっこんだまま、少女の目の前でとおせんぼした。殺伐とした場というか、うすら寒い空気というか。ざわついていた周囲の音声が急に遠くなった。
ヒューマン族の女が二人、雑踏に立っていた。
二人の醸しだす様相は周囲の雰囲気に比べ明らかに異色であり、さながらカラフルなモザイクにポツンと落とされた墨のようだった。
時待たずして時間と空間が動き出す。
忙しく往来するヒトビトが不審げに、もしくは迷惑げに、十以上は歳のちがうだろう女二人を横目に行過ぎていった。
下校途中の少女がようやく口を開いた。
「おばさん、だれ?」
冷静というか冷淡というか、どことなく上から目線で不遜な口調とはうらはらに、背中の重そうなカバンをヨイショとしょい直す仕草はいかにも小学生のそれだ。
周囲にちらほらと見られる、同じく下校途中の少女らが怯えた顔して、遠巻きにヒソヒソ話してた。
しかし、女を見上げた瞳は、おんなじようなカバンをしょった同年代の子たちよりも、はるかに年齢不相応に落ち着いていた。
少なくとも怯えは見られない。チンピラとまでは言わないまでもきっつい顔立ちで仁王立ちする大人の女性を前にしても、さほど表情が変えることはなかった。
苛立ちは垣間見えたにしても。
しばしにらみ合い。
「光明神官ヴィクセン。
覚えてないわけないでしょ?」
大人の女が先に焦れた。腕組みして仁王立ちする様子を見るに、ヒトさらいの類ではないようだ。
「あぁ…いたわね、そんなヒト。」
たいして気にするそぶりなく少女は淡々と受け答える。
「なにそれ!
ふざけないでよ!」
「大声出さないでよ。あんまり目立ちたくないの。」
少女はうんざりげに肩をすくめた。
彼女の容姿だけで充分に目立っているのだが、それは本人の自覚の問題なのだろうか。
漆黒のいでたち。
烏羽色の長袖のワンピース。膝上丈のフレアスカートが風に揺らめくたび、裾やポケット縁を飾る鈍銀が周囲の色彩を反照する。
対して、漆黒からのぞく四肢は病的に青白い。 白樺の枝みたい。
なんて言ったら確実にボコられるだろうから口には出さないけど、白磁の人形のなめらかさは全くもってない。傷だらけで痣だらけだから。
鈍い銀色が混じった黒髪はおかっぱ。前は眉下で、後ろと横は肩上でまっすぐに揃えられている。
虚ろに瞬く目。小さな鼻と耳。キュッと結ばれた色の薄い唇。
まるで時間に取り残されたアンティーク人形のようだ。
だからこそ、所持品には違和感を覚える。
真新しく真っ赤な革ランドセルと体操着袋。黒と赤と白のコントラストが、隣り合わせた色を鮮やかに際だたせていた。くわえて、腰にぶらさげた朽葉色の木箱が、今度は新旧のギャップを生みだしている。
とにかくアンバランスだった。
ちょこちょこと小走りに歩く姿は子どもなのに、真黒着衣に身を包み、古臭い木箱をプラプラさせて。
まっすぐ前を見つめる瞳は大人のそれなのに、背中でカタカタいってんのは筆箱やキーホルダーだし。
「なにアレ?」
本人イメージが定まらない少女とガラの悪い女性。
はじめは関わらないようにと急ぎ足で通りすぎてたヒトビトが再度足を止めだした。
かくゆう自分もそんなかの一人だった。まぁ、小学校の中でもときたま見かける風景ではあるから、理由は別のところにあったんだけど。
当事者たちは周囲の戸惑いをそっちのけで会話を進めていた。
「変質者?
だったら私のほうが大声上げるわよ。」
パッツンにそろえられた前髪からチラチラとのぞく深く刻まれた眉間のしわが、少女の今の感情を如実に語っていた。
女性は少女の発した言葉にちらりと周囲をうかがった。遠巻きに見るヒトビトの好奇の視線に小さく舌打ちをした。
ただそれだけ。
子どもの挑発にのるほどは愚かではない。腰に手をやって、首を横にふる。大きく深くため息をついた。
「わかった。むりやりはつれていかない。
おとなしくついてきて。」
「知らないヒトについてっちゃダメって学校で言われてる。」
言われたほうは「バカにしてんのか」と怒りの表情を見せるが、少女の表情はいたってマジメだった。こんな場面で冗談言えるほど少女にコミュ能力はない。
もちろんそんなことは知るはずもないから、さらに少女は詰め寄られてしまった。にしても、まるで飲み屋の客引きレベルでしつこいヒトだ。
「金?」
「いや、その誘い方もダメだと思う。」
「じゃあ、どうすりゃいいのよ?」
ここまで少女に拒否られてんだから、いい加減諦めればいいのに。
固執する理由がわからない。
ヒトさらいだったら物陰で行うべきだし、年齢差を考えたら痴話喧嘩ってこともないだろう。もちろん姻戚関係のもつれでも、金銭トラブルでもなさそうだ。
新手のキャッチセールス?
いやいや、服装も言動も態度もあまりに無頓着すぎる。
あり得るとしたら…依頼だろうな。にしてはずいぶんと上から目線で語ってくれてるけど。少女のほうの正体が認識できていての依頼者ならば、平伏するまではないにせよ、それなりの言葉使いをしてくる。
「来て。」
「やだ。」
本人たちは千日手状態。
茜色の空はとうに薄墨色へと変わっている。
おんなじように周囲の雰囲気も徐々に変化していた。
いまだ急ぎ足だったヒトが足踏みして横目にしていく。 のんびりウィンドウを眺めながら歩いていたヒトビトはあからさまに立ち止まって二人を見つめてた。ひとだかりの正体を探ろうと背伸びしてんのも増えだした。
郵便だの、配送だの時間厳守のヒトたちでさえ、一瞬足を止めて後ろ髪を引かれるような躊躇いを見せながら去っていく。
あっちのひげ面のオヤジも、隣の女性も。近所の店員までもかわるがわるに店から出てきた。
下校途中の小学生は、少女が同じ学校の生徒だと騒いでいた。
たしかに知った顔がちらほら。いっつも下校時間が重なる隣の中学校の帰宅部もちらほら。
ひそひそ話もしだいに周囲にもれだした。
「あの娘、チンピラに絡まれてるぞ。」
「助けたほうがいいんじゃないか?」
「警邏隊に通報しろよ。」
「学校戻って、先生呼んでこようよ。」
「親は?」
「お前、なんとかしろよ。」
「そっちこそ剣術何段とか言ってたじゃないか。」
「助けるの?」
「まぁ、どっちが悪人かわからんしな。」
とかとか。
なんとも残念なのはごちゃごちゃ言ってる本人たちは全員他人任せなことで、いいオトナがカメラを構えてた。
自ら正義の味方を名のりでるヒトはいないのかしら。
とか呆れつつ、でも、どうせ余計に混乱するのがオチだからそのまま傍観しててくれとも祈りつつ。
幸いにも、半径三メートル以内に近寄るものは、まだいない。
ゆえに今すぐ仲介に入ってとか、公僕が呼ばれたりといったことはなさそうだが、おおかたの反応はオトナのほうに不利な状況だ。
大通りが歩きづらいほどヒトが集まりだして、騒然としてきた。
ただ、当人らは意に介せずにらみ合いを続けている。
「しかたないなぁ。」
二人を仲介してやる理由は見つからない。
大人の女のほうとは面識はないし、少女の方だって仲がいいわけではない。
それでも俺は二人のほうへと歩み寄った。周囲がざわめき、それに合わせて大人のほうが横目で僕を見た。
殺気すら覚えたけど、さらりと受け流しておく。こんなとこで暴れだすほどマヌケなヒトとは思えないし、凶悪犯でもテロリストでも幼児愛好家のおヒトでもなさそうだし。
「シィちゃん。」
疑念と嫌悪のまじった顔でふりむかれた。
わずかでも驚くか、安堵するか、なんて表情を見られると思った自分が甘かった。だから、心の中でチッと舌打ちして、指を鳴らして、会話の対象を変更する。
「あのぉ、とっても目立ってますよ。
とりあえずは、そちらのお姉さんもとりあえず場所を変えませんか?」
そんなこと言いながら、通りのちょっと向こうを指差した。
で、いかにも知り合いのようにふるまいつつ、無愛想極まりない少女の手を取った。
「ケーキ、おごってください。そしたらシィちゃんといっしょにお話聞きますので。」
とても自然な流れを創れた。自画自賛。自己満足。最高の提案ではございませんか。
なのに、つかんだ手首はおもいっきり振り切られた。
「おいこら、ウォフ・フロウア。なんの権利があって…」
「フリング!
なんでわざわざ真名でよぶんだよ。」
俺の手をふりほどく勢いもさておき、真名、平たく言うと神様に捧げるための本名で呼ばれた。
明らかに嫌がらせだ。
この国の命名システムを知ってるくせに、公共の場で真名を口にするなんて。
助け舟をだしてやった、なんて恩着せがましいことは思ってないけど、カチンとくる。
「ひどいじゃないか。」
「ウォフ・フロウア。はっきり言うわ。正義の味方きどりは迷惑。」
「だから、真名で呼ぶな!」
さすがに声を荒らげてしまった。
なのに、当人としたらそ知らぬ顔。
「あんたやっぱアホね。自分から真名ってことばらしてる。」
「なっ!」
口角を片方だけ歪めて、皮肉を目一杯詰め込んだため息をつかれた。
なんともかわいくない笑みを浮かべてくれるもんだ。
とはいえ、ここでさらに感情をあらわにしようものなら少女の思うつぼ。俺も大きく息を吐いた。深呼吸深呼吸。心を平静に保つ。
「…まぁいいや。
せっかくお姉さんがおごってくれるって言うんだから、あそこのお店にはいっちゃおうよ。」
「学校帰りに道草しちゃダメでしょ?
補導されるわよ。」
「だいじょうぶ。大人同伴だから。」
女のヒトを見上げニコリと笑顔。コドモの笑顔に気を緩めないオトナなんて、オトナじゃない。
「三流役者。」
と一言いやみで返された。
ヘコむ。一応。でも、まぁ、そんなのだって慣れてる。だから、悪口は無視してごり押しし続けた。
「ね? おごってくれるんだよね。」
戸惑ってる。きれいに整った顔だちが見事に歪んでいた。
俺の乱入によって通りは平穏をとり戻しつつある。
もう一押し。
からんできた女のヒトがおとなしく去るならそれもよし。シータがおとなしくついていくならそれもよし。
「ね、いこ。」
と再度、笑顔。
「あたしから言った覚えはないけど…
まぁ、いいわよ。」
結局そのヒトは諦めてサイフを確認してから周囲を見渡した。
一時期のカフェブームも落ち着いてきたけど、それなりに店は残ってる。チェーンの安価な店でもこの際贅沢は言わないから、早く決定して店内に退避したかった。
そうしなければ、俺もいっしょにさらわれるのではって周囲が判断しかねない。
「あ、ここのおいしそう。」
看板に書かれた手書きのメニューをしばらく眺めてた女のヒトが、扉を開けてさっさと店内に入っていった。
以前、街のガイドブックに載ったこともある名店だ。
ちょっと予想外だった。単価高いし。
「こないの?
それともこの店キライ?」
ぴょこんと顔だけ出して、躊躇う少女を手招く様子は、殺気丸出しだった数分前と別人だ。
今がチャンスだ。
「ほら、シィちゃんも行くよ。」
俺はあらためてその手を取った。ちょっとだけ汗ばんでる掌。
シカトかまして逃げ出すのも一つの選択だったけど、それはそれで後々めんどくさそうだ。どうせ、後日またおんなじことが起きるに違いない。
「なんのつもり?」
「べつに。
タダメシにありつけるから、ラッキーってだけ。」
再び大きなため息。
「あんまり気が進まないのよねぇ…」
そう言って通りの向こうを凝視する。
でも、結局俺のあとをついてきた。