屋敷の客間にて
屋敷の客間にて
朝日が射し込む豪奢な部屋に一人微睡んでいた。
寝返りをうつたびソファのスプリングが軋む音がする。それがやけに耳障りで動くのをやめた。自分自身の呼吸音と胸の鼓動以外に物音がしなかった。
シェスさんはまだ地下の書庫にいるのだろうか。
「昨日の晩のあれってなんだったんだろ。」
シャンデリアにに据えられたガラス細工の燭台を意味もなく数えてみる。
「シータをよろしくな。」
就寝前、木箱の中のシータパパに言われた言葉だ。
「よろしくされる筋合いはない。」
シータはそう言ってたけど。
「そうはいかないよな。」
俺は天井を見つめたまま独り呟く。
木箱の正体はどこぞや民族楽器でカリンバというらしい。
そして、その中にはシータパパが封じられている。さらにシータに呼応して大鎌に変化する。
大鎌はシータパパが昔使ってた武器。
シータパパがモアル・プルートゥと名乗っていたとき、つまりは王国の英雄たちと争いあっていたときに使用していた武器だったとシータパパが教えてくれた。
そう。
シータパパは、シェスさんの話に出てきたロミアン卿やル・ガード家、ロールアン家、そしてミアロート家らの敵だったのだ。
なぜ、そんなヒトがミアロートを名乗るシータの父親なのか、その場では教えてもらえなかった。
大人の事情だって。
昨晩、シータは「眠い」と言ってさっさと自分の部屋にきえた。
よほど精神的疲労が大きかったらしい。カリンバをしまうケース付の腰ベルトを客間ではずして忘れるくらい。
「シータ、だいじょうぶかな。」
「さすがに堪えたみたいだね。」
男性の声で返答が聞かれた。
「あれ?
パパさんってシィちゃんがいなくても他のヒトと話せるんですか?」
「おぅ、話せるぞ。
下手にしゃべるとキミとおんなじようなリアクションをされるから、極力黙っているがね。シータにも叱られるし、無視されるし…」
口調がしりすぼみですけど?
「ほら、シータがそのせいでイジメとか着信拒否とかされたらかわいそうじゃないか。
箱から生まれた娘…箱入り娘?」
もち直した。
口調こそ威厳ある父親じみてるが、内容は情けない。アホ相手にマジメな議論ができるかが不安になる。しかも、娘に無視されるような父親になにか訊くのはしゃくだし。
今はプライドなんて捨てるべきだ。
どっかの妖精さんが語りかけてきた。だよな。頼りどころがここしかないことも事実だもの。
「少し話聞いていいですか?」
木箱に語りかける自分の姿を想像すると友だちのいない子みたいで気が引けた。
「…ぜったい失礼なことを考えていただろう?」
「心が読めるんですか?」
「やはりそうか。
いや、心が読めるわけではない。口調、表情で空気を読む癖がついただけだ。」
あぁ、シータのせいね。
「で、話なんですけど、さっきシェスさんがパパさんの名前言いましたよね?
でも、シェスさんとは直接会ってはいないんですよね?
恨みも買ってないんですよね?」
「もちろん。
ヴィクセン家ってのは、俺らの後の時代に幅をきかせだした輩だからな。
この姿になってからは見かけたことはあるが、あれら相手に名乗ったことはないな。」
シェスさんは言ってた。シータと戦ったことあるって。だからパパさんの名前を聞いたことはあるのかもしれない。
「だったらどうしてあんなに憎らしげにシィちゃんの名前じゃなく、パパさんの名前を呼んだんでしょう。」
そう。
そこに違和感があった。シータが気づいていたかは知らない。
「シェスさんはパパさんを恨む理由がない。にもかかわらずパパさんを出せって叫んでた。
となるとあれはシェスさんではなく、シェスさんにとり憑いた誰かだったってことになると思うんです。」
あの場ではとっさに一人称の違いで狐憑き扱いしてみたけど、その論理はさすがに強引すぎる。強引だけど、間違ってはいないと信じてた。信じたかった。
シィちゃんと学校の友達のつながりを壊しちゃダメだ。
「俺はシェスさんを信じてる…信じたいんです。
「なるほど。」
「パパさんは、シェスさんが誰かに憑りつかれてたとしたら、その誰かっての見当つきます?」
しばし沈黙する。
「ミサ、ラクリア、オート、ジオ、ファーローン、ヴァル、スクル、ヴィスト。
男だとこいつらとは斬りあったな。
シーア、リヤ、ルーノ、ユース、モリアってのが女だ。
そいつらが俺らの敵対勢力の主力メンバー。
でも、途中仲間裏切ってるから、もとの仲間の可能性もあるか。
ゾーン、ザイン、カーン、ウェザー、デッドウェーズ、ライト。
うーん、心当たりがありすぎてわからん。」
耳にした事のある名前もちらほら。
「裏切った?」
「恥ずかしながら敵の女とねんごろになってな。」
「はぁ…」
「ユース・ミアロート。それが我が愛娘シータスの母親だよ。
シータスも美人だが、ユースって娘も絶世の美女でな。そんなのに目の前で涙をほろりとこぼされてみろよ。もう、目をそらすなんてできっこないだろ?
俺もそれなりに女には困んなかったけど、頭ン中に住み着いてた女は全部吹っ飛んだ。細っこい体をぎゅっと抱きしめてしまってな。
おっと。子どもには早すぎたかな。」
パパさんはおしゃべりなのね。なるほど。
「で、その中で可能性があるのは?」
「ユースではないことは確かだ。」
「…ホント?」
「たぶん。」
おい…
「ミサ、ラクリア、オートも違う。ルーノとモリアもだな。アイツらがやったにしては回りくどいし、アイツらが憑りついたんだったら生霊に憑りつかれたことになる。」
「ヒューマン族だよね。生きてんの?」
「生きてる。
ちなみにファーローンってやつはグレイエルフ族でデッドウェーズってのは冥界族だ。それと、これとこれは親子でこいつらは仲間内でやりあってたなぁ。こいつ、裏切ってコッチについたんじゃなかったか?
いやいや、こいつとこいつって子供のころから仲良かったのに、途中から敵対してた。
そういえば、スクルはロミアン卿のことだから…」
あーややこしい。
相関図をメモしてたのに、矢印やらなにやらでゴッチャゴチャ。
「スクルと会ってんだよな、シェスって娘っこ。」
独り言のようにパパさんが呟いた。
「もしかして、他のも生きてんのか?」
「どういうこと?」
「いや、俺が死んだと思ってるヤツラも生きてんのかもしれないな。となると、憑りつかれたっていうより、死霊術の類で操ってるだけって可能性もでてくんだな、と思ってな。」
おーい、パパさーん。全然絞れてませんが。
「まぁ、こいつらと全然関係ないヤツかもしんないしな。」
「今までの会話、全否定ですか?」
「まぁ、そういうこともあるってことよ。」
うわー、とことん頼りにならないおヒトだよぉ。
さすがに口にはしなかったが、表情には出たと思う。パパさんには見えてないだろうけど。いずれにせよ、おかげで情報整理ができたってことで良しとしようか。
シータへの溺愛具合と娘自慢と嫁自慢と自己愛の部分を差し引いても、ずいぶんシータについて知ることができた。
「これでストーカーし放題だろ?
だから、シータのことよろしくな。」
「父親としてその願いはどうかと思います。」
「そうか。」
「だから黙ってろって言われんですよ。自覚してます?」
沈黙。
いつの間にやらお互い寝落ちしたんじゃないかと勘ぐるくらいの時間が経ってしまった。
「それはさておき、あとヴィクセン家のことなんですけど…」
「さっきも言ったが知らん。」
即答。寝てなかった。
寝てはいなかったけど意味はなさなかった。
まぁ、しかたないか。
「明日、シィちゃんに訊いてみます。」
「役に立てなくてゴメンな。」
心底謝ってるとは思えぬ口調だが、そこはツッコまずにいよう。
それなりに情報は得られた。でも、有用かと問われれば微妙な範囲。残りは夜が明けたら、シィちゃんに訊いてみようとは思っているけど、いったいぜんたい、何をどう尋ねれば彼女が答えてくれるだろう。
きっと拒否られる。悪口とイヤミで本音を覆い隠してごまかされる光景が目に浮かぶ。
ホント、不安ばかりだ。
「怖いか?」
いろいろと話してくれたことに謝辞を述べたら、とうとつにパパが問うてきた。
ズキリと胸を刺す。このヒトはたまに鋭いなと感心する。
答えるべきか。
シータをよろしく、とたとえそれが社交辞令だとしても頼られてしまった。本人が俺のことを信頼してくれていることもわかってる。でも、信頼と依存は違う。
シィちゃんは決して俺に背中を預けない。
シェスさんと対峙したときを思い出す。冷や汗が流れる。
がっかりされたくないな。
「怖いですね。亡霊がいっぱいですから。
自分の見知らぬところで世界が回り続けてるって事実を目の当たりにしてしまった。
なによりもそれが怖いです。」
「たしかに。」
それでも正直に答えた。
パパさんも真摯に受け止めてくれたようだ。とくに責めてはこない。
世の中で最大の恐怖は「知らないこと」だと思ってる。
というより、知らないから怖いんだと思ってる。
そんなことを稚拙な言葉で伝えてみる。
どんなものか。どうすればいいか。いつまで。どこまで。誰が味方で誰が敵か。どれが真実でどれが虚像か。強いのか弱いのか。食えるのか食えないのか。身体能力は。特殊能力は。なにを考えてるのか。なにを見てるのか。
諸々。
「でも、俺はシータと一緒に戦います。」
「おぉ、シータを手篭めにするっていう父親の願いを聞いてくれるのか。」
誰も言ってないし。
わざとなのか?
「いや、そんなんじゃなく。ってか、そんな父親の願いはゴメンこうむります。
あくまで自分の意志で、自分がそうしたいから傍にいることを決めました。」
俺に背中を預けることはないだろう。
でも、いつか背中を預けられる仲間が見つかるまで。そのときに孤独があたりまえって気持ちが、少しでもなくなるように。
「僕はシィちゃんの傍にいますから。」
穏やかに寝息をたてるシータの枕元に木箱を置いた。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
彼女の部屋をそっと出た。
地下書庫の扉が激しく叩かれる音が遠くに聞こえる。
寒々しい廊下の闇が怖い。ナニカが潜んでる気がしてしかたがない。
ブルッと身体が震えた。
一人ひと部屋はあまりに心細かったんだけど、相手が女の子だから一緒の部屋ってわけにもいかないし。
よっぽどホントの小学生だったらよかったのに、なんてことまで考えてしまった。
「詮無きことよのぉ。」
なんて独りごちる。
ソファから身体を起こして、小鳥が餌をついばむ窓越しの庭を眺めながら。
「おい、そこのじじい。」
とつぜん背後の扉が開いて、くだんの少女が現れた。
「シィちゃん、おはよっす。」
「なに縁側で茶を飲むご老人きどってんのよ。」
「いらぬお世話ですじゃ。
で、どうしたの?」
シータの皮肉にももう慣れた。むしろ切り返しをどうしようか、楽しみなくらいだ。
「朝食できたから呼びにきたの。」
思わぬお誘いに戸惑いを隠せない。
「へ?
シィちゃん、料理できたの?」
「バカにしないでよ。これでも独り暮らし永いのよ。
でも、私があんたの朝食をつくる義理はない。」
「あっそ。
じゃあ、なんで来たのさ。シィちゃんが朝飯食うのを指くわえてみてろって?」
「私は鬼嫁か。
シェスが呼んでこいって。でなきゃ、わざわざ来ないわ。
めんどくさい。」
やっぱりシィちゃんはシィちゃんのままだった。諦め、呆れで八割。あと二割は安堵。
俺はそんなシータス・ミアロートを受け止めようと誓う。
「あー、シェスさんの手料理ね。
…え?」
「えぇ。そういうこと。
戸惑うわよね。
てなわけで、いくわよ。」
十割不安に襲われた。
手招かれるままシータについて客間を出た。