ネクロメア市にて (シェスの語り 3)
ネクロメア市にて
(シェス・ヴィクセンのかたるところ)
街を歩き始めると、たしかに種族の坩堝だった。
様々な視線がウチらを突き刺す。家々の扉や窓は閉め切られているのに気配はある。
視てる。
姿は見えず、視線のみをひしひしと感じる中を歩くのは、かなりしんどい。それが日常となると、そのプレッシャーっていうかストレスは半端じゃないだろう。
さらに進むと、ちらほらヒトの姿が見えだした。
とはいえ、彼らは隠れるべき家を持たないだけ。嫌悪、好奇、羨望、敵意。蛇足ながら付け加えるなら、見てからに盗賊や物乞いらしきヒトビト。
その先には朽ちたバラックが続いていた。ヒトの数も増えた。
うら寒い空気に身震いがした。これまで見てきた住人らのほうがまだましかもしれない。その他大勢のすさんで濁った、外への興味が感じられないような瞳は怖いくらいに空虚だ。
いくつもの空虚な瞳が、あたしら三人のことををぼんやりと見つめていた。
「ここからはスラムと呼ばれる地域です。」
まず連れてこられたのは、卿の屋敷から東へ向かった区域だった。
「治安もよくないですし、対王国ゲリラ戦を率先して行ったヒトたちが住んでいます。」
四肢の欠損。外界を映さぬ瞳。ぼろ布をまとっただけの服からのぞく肌には、消えることのない傷痕。
そして、首にはタグ付きの鎖。
反逆者らはけっして王国に赦されたわけではないだろう。それでも、生きている。生かされている。人権を奪われた彼らは、ある意味、死刑を待つために生きてるようなもんだ。
王国とつながっている集団と勘繰っているのだろう。物陰からは怒りに満ちた視線が降り注ぐ。
「大丈夫なんですか?」
「何がですか?」
「いや、明らかに歓迎されていないですよね。」
「それはまぁ、そうですね。」
いや、白いローブに身を包んだウチらがもっとも警戒されてんだろうけど。
「一応これでも先の大戦争のときの英雄と呼ばれている戦士の中の一人です。
街のヒトはそれを知っているので、迂闊には私に襲ってきません。
当然反逆しようという住民もいないのです。」
あたしもデルも眼を見開いた。
「大戦争の英雄って…」
いや、初期情報にはあった。何百年と生き続けるヒトビトが王国各地で暗躍している。ロミアン卿もその中の一人であるってことは。
「信じるか否かは、あなたたち次第です。」
いたずらっぽく笑んだつもりなんだろうけど、こっちは笑えない。
何百年生き続けるヒューマン族ってことにじゃない。実際に遇ったことあるし。
過去の英雄が、伝説やら叙事詩ともなってるヒトたちが、そうそう頻繁に顔を出されても困る。ってか、ムカつく。今の時代を生きてんのはウチらだ。
笑えない。
だから、ロミアン卿がホントは何歳なのか、なんてことはどうだっていい。でも、味方か敵かは判断つかなくなる。
もしかしたら、スクル・ロミアンこそ王国とつながってる?
そして、反逆者として連行されんじゃない?
横目で隣に訴えた。
「それは王国とつながっているとみなしていいのですか?」
あまりにストレートすぎんだろ。あたしの思考を読んでくれたのはうれしいけど、その後の展開を想像してパニックになる。
「ちょ、ちょっと…」
しかし、意外にもロミアン卿は穏やかに笑って答えてくれた。
「逆でしょうね。
さっきの大戦争の英雄というくだりも半分ウソです。市民がそんなこと信じるわけないじゃありませんか。何百年も生きるヒューマン族がいるなんて。
ただ、王国の関係者ではある。そう思われることで、にらみを利かすことはできてます。
それに私は王国にすれば、すでに罪人です。だからこそこの街に住んでいるんです。王国には都合のいい厄介払いなんです。
都合よく利用されているだけ。
この街は反逆者の監獄なんです。」
皮肉めいた笑み。
大戦争、短剣戦争と呼ばれる大陸全種族、全民族、全国家を巻き込んだ戦争は、戦後英雄と呼ばれることになる幾人かの戦士たちの戦場でもあった。
魔術ランクが常人とは思えぬ異能者だったり。
一師団を壊滅できるような強大な武器を有してたり。
嘘か真か。真相は闇に葬られた。
らしい。
「先の戦争の英雄は、ローム・トリアール王国を魔に支配された他国から救ったのでは?」
デルは教科書どおりの質問をぶつけた。
だんだんとロミアン卿の浮かべる笑みがどんな種類なのかわかんなくなる。どこまでが真実かもわからんなくなる。
「疑問はごもっとも。
しかしです。
あなた方も王国出身者なら気づいているでしょうが、実際王国の中枢で短剣戦争の英雄とやらを見たことがありますか?」
あたしらは顔を見合わせて、ふるふると否定した。
そもそも英雄はすべて逝去したってのが世間一般の常識だから、ウチらの知りうる現世には存在しない。
はず。
「そもそも、短剣戦争って何百年前のことでしょ?
妖精族やら魔族やら、神やらでもなければ…って、みんなヒューマン族だったのよね?」
とあたしはデルに訊ねてしまう。
彼は「多分」とだけ答え、ロミアン卿を見やる。
「ロミアン卿は、英雄ってヒトたちはなぜ生き続けるの?」
と、卿の返答を待っていたら、ウチらのほうにトコトコと幼子が近づいてきた。
たどたどしい足取りで、案の定もつれるように転びかける。
「おっと、危ないよ。」
咄嗟にしゃがんでその子の体を支えた卿に、幼子はにんまりと笑んだ。この区域で初めて見た無垢な笑顔に、こっちもつい顔がほころぶ。
なのに、
「す、すみません!」
と、おそらく母親であろう女性が、まるでひっさらうように子供を抱えて家の中へと消え去った。
「なにあれ、失礼ねぇ。」
呆れ口調でぼやいてしまった。怒りをとおりこして、哀しくなる。
「まぁ、これが真実です。
このとおり、この区域の住民が私を襲わない、いや、一応従ってくれている理由は、決して私が英雄だからではありません。
単純に私が何百年も生きている化け物だからです。
得体の知れない化け物で、自分たちより強い。
ただそれだけが、従属の理由。」
再びウチらは顔を見合わせた。
「結局、あなたは化け物なの?」
とあたし。
今度はデルが慌ててあたしの口を塞ごうとする。するりと避けた。
「世のヒトビトは受け入れることはない。
あなたがただって私が本物か疑っているでしょう?
同姓同名かもしれない。
単純に街ビトを従わせる為に、英雄の名を騙っているかもしれない。
王国の主要都市に住んでいるヒトビトにとってさえ、私たちの存在はお伽噺です。
ましてやこの街の住人が信じきるわけがないじゃないですか。
というより、短剣戦争が史実であることすら知らないヒトが半数だと思います。」
卿は怒りもせずにウチらを見つめた。
あたしはゆっくり息を吐いた。
「なんか要領得ない話ね。
結局のところ、あたしたちをどっかに連れ込んでどうにかするつもりなんじゃない?」
「シェス姉、いい加減にしなよ。
シェス姉の方が要領得ないし、いくらなんでも失礼だよ。」
咎められた。で、一人さっさと頭を下げてたた。
咎められたけどムシ。
追い討ちをかけた。
「最初はあたしたちに怯えてんだと思ってたけど、なんか違う。
あの視線って…
街の人たち、怒ってるでしょ?」
立ち止まり、まっすぐ両脇に連なる白壁の先を見据えた。
「しかも、私たちを、っていうか王国を怒ってるわけじゃない。
むしろ、あたしたちがあなたのことを殺してくれんじゃないか、みたいな期待を感じる。
ねぇ、街のヒトたちに何してるの?」
あたしの勘は当たる。
ここまで言わしめたんだ。
それが真実だ。
この街の存在は、王国のさらなる暗部ということだ。
「あなた方は姉弟ということだけではなく、仕事上のパートナーとしても理想的だ。」
話をそらすロミアン卿をキッと睨んだ。
「お姉さんは感覚。弟さんは論理。
動と静。
相反するところだけど、バランスよくお互いをフォローしあっている。
大丈夫。
そんなに睨まなくても話します。
罠もありません。」
そう言いながら、ロミアン卿はようやく一つの建物の前で立ち止まった。