昼下がりの懺悔室にて
昼下がりの懺悔室にて
悲劇のヒロイン?
そんなわけありません。
むしろ、公の場で語れば反感ばかりできっと炎上することでしょうね。
それでもあえて言わせてもらいます。
「あたしはカレを愛していません。」
あたしの言うカレは弟です。
姉弟だから家族に対する愛情のことだと考えた方々へ。
違います。
血をわけた家族だったら愛してあたりまえとおっしゃる方々へ。
家族愛の話ではありません。
カレシカノジョのカレです。
そういう愛情です。
「彼は実の弟でありながら、男女関係でいうカレであり、でも、カレを愛してはいません。」
あたしはそれでもカレ以外に心も体も許すことはありません。
昔も今も。
捻れた母親の愛情は弟の心を壊しました。
優しさに飢えた弟は、捻れた私の愛情に依存しました。
神の御子であるゆえ、真実は闇に葬られ、結果あたしとカレは二人ぼっちになりました。
「あたしはカレを愛していません。なのに、カレから離れて生きることはできません。」
偽りで塗り固められたあたしが、唯一真実を知るカレ以外の誰を愛すればいいのですか?
誰がこんなあたしを愛してくれると言うのですか?
「あたしはカレを愛していません。でも、カレのいない世界で生きていくことはできません。」
それは愛ですか?
「だから、あたしはカレを愛し続けます。」
「光あれ。」
昼下がりの懺悔室にて
子どもは保護者の言うことを聞かなければなりません。
そうでなければ、生きていけませんから。
それは身体の問題もあります。
食べることはもちろん、庇護してもらわなければちょっとのことで死んでしまいます。
でも、生きることより活きることのほうが大変なのです。
私は自由意思で四肢が動かせるようになると、親の庇護を離れます。
次の庇護者が迎えにくるか、そのヒトから逃げだすためです。
次の庇護者、それは叔母なのですが、そのヒトは誰かを殺すことで生きています。
それで稼がないと身体的な意味で生きられないというわけではないそうです。
誰かを殺していないと、精神的な意味で活きられないんだそうです。
そのヒトは、私にも同じ活き方を強要します。
活きる目的を見いだせない私は、そのヒトの活き方に頼らざる得ません。
こんな自分、死んでしまえばいいのに。
「光あれ」
昼下がりの懺悔室にて
ええ。
ヒューマン族じゃないですけど、なにか?
たしかにヒューマン族の神様を信仰していませんが、神様にお祈りして、感謝して、懺悔するのに場所って関係あります?
神様って誰にでも平等なんでしょ?
うわっ!
追い出すか、普通…
神様に赦されたくて懺悔するのに、懺悔もさせてもらえない。
選民思想たっぷりの奴らはホント、ムカつく。
「光あれ」
昼下がりの懺悔室にて
僕の罪状はなんですか?
一人の姉を殺して。
一人の姉を殺し損ねて。
母親を自殺させて。
好きなヒトを見殺しにして。
祖父からの期待のすべてを拒否して。
名家の名を汚し続けて。
父に責任押しつけて。
子どもも誰かに押しつけて。
僕の周りにはなんにもありません。
これ以上捨てられるものも、奪われるものもないはずなのに。
まだまだ失い続けます。
捨てるのは罪。
失うのは罰。
目の前から消える事実は同じなのに。
罪はときに責められ、ときに庇われ。
罰はときに同情され、ときに自業自得と嘲笑されます。
天から地から、そしてヒトから、
絶えず注がれる視線。
これを咎と呼ぶなら、罪状はなんですか?
僕は失い続けます。
これからも。
「光あれ」