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活動報告を花束にして。  作者: ゆずはらしの
古代や中世に思いを馳せる。
9/41

アッシリア1

アッシリアの雑学。


ワードにまとめてたんですが。いろいろあって、あげる気力がなかったので。こんなのあるんだー、ぐらいな感じで流し読んでください。



***



教会の中学生のクラスで、イザヤ書とエレミヤ書をやっています、いま。


その関係で、アッシリアについて調べていました。


アッシリア帝国。紀元前20世紀に国と言うか、拠点の村が生まれ、その後、千年以上も続いた国。


エジプトとの戦争に勝って、オリエントを制覇。世界帝国を築き、でも最後、あっちこっちから反乱が起きて弱体化し、滅んだ国です。


調べていたら、ん? となりました。実はアッシリア、古代を舞台にした小説やらマンガやらにはけっこう出てきます。エジプトの宿敵みたいな扱いで。


そういう作品を見ていると、悪役になっていることが多い。


だいたい、そういう作品では、エジプトやヒッタイトを舞台にしていることが多いので、どうしてもそういう扱いになってしまうのかもしれません。(さらに言うと、旧約聖書で北イスラエルを滅ぼしたのがアッシリアです。だからか、どうしても悪いイメージで見られるみたいです。)


と言うか、理解されにくい民族だったのかもしれない。と思った。調べてて。



わたしも最初、アッシリアのイメージあんまりよくありませんでした。


アッシリア、と言うと、世界で最初に鉄の戦車を乗り回した民族でした。確か。とにかく軍隊が強かった。あと、逆らった者には容赦しないことでも有名でした。


で、逆らう者は皆殺しだぜ、ヒャッハー! みたいな。俺がルールだ! 腕っぷし強いぜ! 拷問も壮絶にやったるぜ! みたいな。


ちょっと危ない感じの脳筋族? みたいなイメージが、どうしてもついて回っていました。(←わたしだけですか?)


だって某マンガのアッシリアの王さまって、そんな感じじゃん……。(○家の紋章の某王さま。)


まあ、そういうイメージだったのですが。改めて調べてみると、あれ? となりました。実は、アッシリアの政治システム。これが、帝国が滅びたあと、台頭してきたペルシャ帝国の政治の基礎になっています。


で、ペルシャはやっぱり、世界に名だたるぐらいの大帝国になった、と。


それで、んん? となりまして。そんなに優れた政治システムだったのか? と。


そこまで優れた政治をしていた国だったら、皆殺しだぜヒャッハー! な民族であるはずがないのです。


しかし評判悪い。とにかく評判悪い。なんでそこまで評判悪かったんだ、と考えてみて。


そもそも、アッシリアの民族って、どういう人たちだったのよ。と思いました。


そして出た結論。


アッシリアの人々の基本的な考え方は、おそろしく合理的だった。


そのため、当時の世界の人々には理解不能な部分があり、


「理解できないものはこわい!」の理屈から、悪口を言われまくった。


(勝った国や生き残った国が、負けた国や滅びた国の悪口を言うことで、自分の方が優れている! とするのは、もう、歴史の中のデフォルトみたいなもんですが)


当時の国で現在も生き残っているのはエジプト。


王朝はごんごん交代したけど。資料もたくさん残っているのはたぶん、エジプト。


で、エジプト寄りの資料などから、「アッシリアはひどいやつ」みたいな印象が世界に広がった。旧約聖書にも、北イスラエルを滅ぼした国、という扱いで悪く書かれているので、これも影響したでしょうね。


その結果、○家の紋章の某王さまは、あのようにヒャッハー! な性格に(←これはどうでも良いか。)


まあ……なんと言うか。滅びてしまったがゆえに、反論できません状態に置かれてしまったんじゃーないかねーと。


で、合理的な部分。これ、たぶん、当時の人にはおっそろしく冷酷に見えたと思う。


同時に、理解不能状態だったと思う。言ってみれば、アッシリアの人々の考え方や感覚は、パソコン使って仕事している現代人に近いのです。



* *



アッシリアという国が、どのように生まれたか。元々は、チグリス川のほとりに生まれた、アッシュールという小さな国でした。


この国は、商業を基本にしていた。商人の国だったのです。


小さな国、しかもチグリス川は、ユーフラテス川とちがい、流れは急です。


毎年、川の氾濫が起こりますが、それは神の怒りに表現されるような災害として記憶される。


そんな場所で生き残るには、民族としての結束のようなものが必要となってきます。


アッシュールの国ではそれを、「アッシュール」という国を神格化した宗教としました。


アッシュールに所属し、アッシュールを愛する者であるなら、だれであろうと同胞であり、兄弟である。


だから、どんな土地に赴こうと、その者は、アッシュールに所属する。


そのような発想であったと思います。


わかりやすくたとえるなら、SF作品などで、故郷を失って宇宙をさまよう地球人、というのを考えてもらうと良いかと。


故郷、ホームである「地球」をなつかしむ人々が、宇宙の中をうろうろしている系の話で、「地球」という惑星が、ただひとつのつながりみたいな話になっていたり。


信頼関係を作ろうとするのに、どこ出身だ、みたいな話が出たり。するのではないかと。


そういう話では、「地球の話」はもはや、宗教のような形になっていたりします。


実際に地球に行ったことがなくても、地球という惑星につながる人間、というキーワードで、仲間意識のようなものが生まれたりする。


これに近い。


「アッシュール」という故郷、それをキーワードとして仲間意識を強固にした。古代世界の話ですから、もっといろいろ複雑だったかもしれませんが。


そうしてアッシュールの人々は、商人でした。


定住する人々ではなく、移動する人々だったのです。だから余計、「故郷」、安心して落ち着ける拠点に対する思い入れは深くなったのかもしれません。


同時に、商人としての考え方は、合理性を生みました。


土地をたがやして、何代にもわたって同じ場所に暮らし、共同体を作る人々というのは、「情」を大切にします。


理屈では割り切れないものがある、合理性だけでは人と人との関係は作れないのだということを知っています。


時に、それはあかんやろ、みたいな理不尽なことが起きることもありますが、


反目はできるだけ、起きないように配慮します。


同じ場所で、何十年も顔を合わせて暮らすのです。そういう逃げ出せない環境、逃げ出せない関係の中で徹底的な反撃をしまくったら、とばっちりをくらって、村全体が死んでしまう、ぐらいのことは知っています。


しかし、移動する民族、しかも商売をする民族の場合、そうした「情」は切り離して考えます。


彼らは、そこに住まないからです。なにかあっても、別の場所に移動すれば良いだけの話だからです。


そうした民族は、他民族と交渉する場合、厳密に「法」や「契約」にのっとった行動を取ります。


ある契約を結び、期日までに遂行されない場合、落ち度のある側に罰則を適用する。あるいは、契約不履行の罰金を支払ってもらう。


現代人なら、この感覚はわかると思います。基本、商人の国だったのです。



* *



アッシリアの合理性がどのようなものだったかは、旧約聖書にも出てきます。


戦争に負けた北イスラエルの上層部や、能力のある人間を、ごっそり別の場所に移動。


自分の支配下にある国から、多くの民を、あいた土地に送り込む。というのをやっています。


民族の大移動を、政策として行い、反乱が再び起きないようにしたわけです。


この政策、実は、古代では良く行われていました。


土地に結びついた民族というのは、「情」を大切にするあまりに、なにかあると、お互いに連携して騒ぎを起こしやすいのです。


隣の村の親戚が、反乱を起こした。ちょっと手伝ってやらんといかんかにゃー、みたいなことを、土地に結びついた人々というのはやってしまいます。


そこから、大きな反乱にふくれあがる、ということもあり得ます。


そこまでいかなくとも、そのままにしておいたら、まずいよね。ということで、


一つの村の成人男性を、別の地方の村に無理やり移動させる、みたいな政策を取ることはありました。


しかし、アッシリアのやったことは、規模が違いました。


ほとんど国全体を入れ換えてしまったのです。ここまで大規模に民族を移動させてしまうなんてことは、それまでどの国もやりませんでした。


でもやった。


なんでやったのか。


ものすごく合理的だったから。(←)


国全体を入れ換えるぐらいの財力がまず、ありました。


移動のためにさしむける兵士やら何やらで、お金はかかります。移動する人々の管理費みたいなのもかかります。それをぽんと出せるぐらい、財力があった。


そして、こいつら、このままにしといたら、また反乱起こしそうだよね。だったら、手元において監視しよう。という発想。


これは、当時のどの国でも考えつくことです。


ただし、この場合、「こいつら」というのは、あくまで代表となる「人物」になります。王族の人質を取っておくとかそういう感じです。


それでも反乱は起きる。国の代表者の身内だけを抑えていても。


で、アッシリアは考えました。



「だったら、国全体を入れ換えちったら良いじゃん」



いちいち、どれがどの有力者とか選別しないですむから、めんどくさくないしー。みたいな? ここからこっちへ、民族を移動させて、こっちからはこっちへ移動。はい解決~。


これをやった。マジにやった。一国だけじゃなく、他の国々にもやった。


この考え方は、現代人に近いと思います。現代の人は、人間を数字やデータとして考えるクセがついている。


飛行機が落ちて、百名の乗客が怪我をしました。うち、五名が亡くなりました。というニュースを聞いたとき、


「大変な事故だったね。でも、死んだのが五人ですんで良かったね」と言ってしまう人は、多いのではないかと思います。


しかし、死んだ五人を「名前」で知っている家族や友人であるなら、「良かったね」などとは、口が裂けても言えません。


亡くなったのは、自分の父であり、母であり、兄であり、姉であり、弟であり、妹である「ひとりの人間」だからです。


数字ではない。「名前」で、「人間」として知っているからこその反応です。


当時の世界の考え方では、ほとんどの国において、人というのは、土地に根付くものでした。


そこで生まれて、そこで育って、そこで結婚して子どもを作って、いつかは家族にみとられて、その土地に埋めてもらう。


そこには、祖先もいる。親もいる。だから、安心。こわくない。そういう場所なわけです。


その根っこを切って、別の場所に大移動させたわけですから、……そりゃ、恨まれます。表には出ないとしても、かなり大々的に恨みが残っていったと思われます。


しかしアッシリアの人々には、なぜ恨まれるのか、理解できなかったのではないかという気もします。


彼らにとっては、土地は、ただそこにあるだけのものだったからです。



……長くなったのでここで切ります。


わたしは歴史を専門としているわけではないので、まちがいとかもあると思いますが。アッシリアの考え方とか、巨大化してゆく過程でのごたごた、発想の違い、とか。みていたら面白かったので、書いてみました。


kichaさんという方から、ベネチアに似ているとコメントをいただきました。商人の国だしね。確かにそうかも。


歴史見ていると、似た民族が繰り返し、時代時代で顔を出してくるな〜と思うです(^O^)


2013年 06月11日活動報告より

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