コインとジャガイモ、塩辛と醤油
エブリスタで『魔法小路のただの茶屋』を書いていますが。
今、ファンタジーな世界の人が、お店に来て食事をしています。
ウィルフレッドさん。
中世のイギリスをモデルにした、ミストレイク辺境伯領の騎士さま。
十三、四世紀ぐらいを意識している。一応。
そうしたら、……意外と落とし穴がありました。
* * *
つまずいてしまったのは、食事の内容と物価。これぐらいの時代の騎士さまが、普通に食事したとしたら、
何を食べるんだ。
そうして、値段はいくらぐらいなんだ!
と、なりました。う~~~~~ん……。
フォークが広まったのは十五世紀以降でした。それまでは、基本、手づかみ。
でも、優雅に食べる作法は一応あって、それで教養のある人かそうでないかを見分けたらしい。ローマ時代からの慣習だそうで。
ちなみにナイフは切り分けるために、自前のものを持ち歩いていました、みなさん。
しかし、もろにナイフだったため、酔っ払った男たちの前に、肉の塊をどん、と置いた場合、
確実に流血沙汰になったらしい。
「うまい所は俺のだ~!」状態で、みんなナイフ持って突進するから。死者が出るケースもあったらしい。なんか、そういう法律がありました。食事に七人以上の人間が参加している場合、死者が出ても誰も責任を問われません、仕方ないことにする、みたいな。
どれだけ死傷者が出てたんだ……。
ジャガイモが伝来したのも、十六世紀以降。それまでは、イモ類食べる習慣ないよ。
スパイスは、高価だからね? ハーブ類なら使えるけど、庶民な食事にコショウやクローブやナツメグやらは使えないからね?
貨幣制度は、銅貨はなくて、基本は銀貨。単位はローマ帝国時代の名残。細かい値段の場合は、銀貨を割って支払ったらしい(割ったのか……)。
など。など。
調べたら、おいおいおい、という事がわりと出てきました。
ジャガイモ使えないと、料理の描写をするとき、結構困るんですよ。え、スープとか、どうしよう、みたいな。
確実に使えないのが、フィッシュ&チップス。イモですから。
オートミール使って魚を揚げる料理はあったけど、魚の種類は何を使えば。
フォークが使えないのもちょっと困りますね。熱い料理は出せないね。
そういうわけで、中世の料理のサイトとか、料理の本とか、修道院の料理や薬草に関しての本とか、探し回りました。まあ、それはそれで面白かったんですが。
そうして調べた中世の食事。作品中、出たのは数行。
ウィルさんはきっと、それなりに優雅に料理を指でつまんで食べたでしょう。描写はしなかったけど。
* * *
なんだかそういうところで時間かかってしまって、
今日、わたし、学校の授業でレポートの発表だったんですが。
古代の歴史関係のこと探していたはずが、気がつけば中世に頭が行っているという。えええええ、時間ないよ、調べ物しないとなのにぃぃぃぃ。
などと叫びつつ。
なぜか中世の図書館関連の本とか、中世の書物と記憶についての本の解説とか、読んでました。……関係なかったよ。今日のプレゼンには関係なかったよ!
すごい気になるんだけどね、メアリー・カラザースの『記憶術と書物~中世ヨーロッパの情報文化』。読みたいんだけどね、八千円するんだよ、この本!
でもこういう本って、すーぐ絶版になるしなあ……。もうなあ。どうしようかなあ。
* * *
常識というものは、意外と非常識であったりしますが。
当たり前だと思っていることは、歴史が浅い、最近になってからの考えだった、みたいなことは、よくあります。
ライトノベル系で、これをやられると、痛い。というものは、
単位。
異世界で、メートル法を使われてしまった時。
実はメートル法は、人工的に作り出された単位なのです。フランス革命の後に。
この単位が、地球とまったく関係のない異世界で、ごくフツーに自然発生するというのは、ちょっとあり得ない。
ウィキとかで調べたらわかりますが、あれ、当時の学者さんが、地球の円周の四分の一を計測して、そこから割り出して作った単位なんですよ。
当然、誤差はあるし。十八世紀の計測だから。そこから計算して作った単位、というわけで、
これが自然発生して、こちらのメートルとかセンチとかミリとかと、ぴったり合ってしまう世界って、どんなの。
と、なるわけです。かなり難しいと思われます。自然発生。
そうして、異世界でも人工的に作られたのだとしたら。
地球と同じ誤差を出しながら、計測する人が必要になります。
さらに、革命起きてないとです。
人民に平等であるように~! というスローガンで作られた単位なんで。異世界ではその辺りは違っていたとしても、
人間は、楽な方、なじみのある方に流れる生き物です。よっぽどの事がなければ、フツーに使われている単位があるのに、それを取りやめにして、人工的に作った単位をわざわざ使おうなんて思わないです。
それこそ、今までの常識がひっくりかえるような大きな出来事があって。政府なり王さまなりが、強権発動して決めたとかいうのでない限り。ごく自然にメートル法に移行、というのは難しい。
自然発生する単位は、何もない所で何かの大きさをはかろうとしたら、ほとんどの人が、手や指、足など、自分の身体を使ってはかります。そういう、身体を使って出来上がった単位。日本で言うなら尺貫法。欧米で言うなら、ヤード・ポンド法。
だから、異世界の単位を考える場合。多少、誤差のある(ヤード・ポンド法も時代によって大きさ変わってきた)フィートやインチに似たタイプの、手とか足とか使ってはかるところから発展しただろう単位なら、あり得るかなというカンジです。
このあたりのことは、以前、どこかで書いた気がする。
* * *
図書館や、書物に関しても、中世ヨーロッパでの感覚と、現代の感覚とでは、かなり違う。
古代ギリシアのあたりから、本を読む=記憶を想起する=自在に知識を出し入れし、場に応じて使う=文字を書く。
だったらしい。
記憶するためのアイテムとして本があり、本を読む、ということは、知識を実践するのと同じ意味だった。
読み方が現代とかなり違っていた。音読が普通だったしなあ。
たぶん、漫画家の人が本を読む時の感覚に近いんだと思う。漫画家の人が本を読むとき、場面場面で文字を追っているのではなく、
頭の中に、その場面の絵を描いて読んでいるらしい。
読む速度は遅くなるが、記憶は深くなる。そういう事ではないかと。
* * *
で、まあ。ぐだぐだ書きましたが。
ともかく、プレゼン終わったよ。なんとかなったよ。よかったね、わたし!
そして今、肩こりがひどい。
ハリに行きたいッスよ。もう、頭もね。なんかぼーっとしてるしね。背中痛いしね。首もね。
古代と中世がのしかかってたんでしょうかね、わたしの肩に。ダイナミックな肩こりだな~……。
なお、しょうゆや魚醤ですが、順番としては、
塩がしけって保存しにくいよー。なんか保存しやすいものない?
↓
海のものに詰めてみたらどうだろう。あれ、なんか食べ物ができたぞ?
↓
塩辛が作られる。
↓
塩辛からなんか汁が出てきたぞー。
↓
にじみでた汁から、魚醤が作られる。
↓
魚介類ではなく、豆で作ってみてはどうだろうか。
↓
味噌ができる。
↓
なんか液体がでてくるんだけど。
↓
醤油ができる。
ということらしいです。古代文明のあった地域のあちこちに、魚醤が見つかっていますので、塩辛から魚醤までは、わりと発想しやすかったみたいです。また、塩辛自体も、調味料として使われていました。
豆で作ってみよう、から、味噌→醤油になるまでが、千年以上かかっています。マニアックな試行錯誤と偶然が必要だったらしい。このあたりは、醤油メーカーさんのホームページに書いてあったりします。
古代ローマは、宴会などで贅沢なスパイスをどばーっと使うのじゃない限り、日常的な食事の味付けは、日本と似ていました。味付けに使われていたのは、塩と、ガルムと呼ばれる魚醤。
ただ茶屋の紅さんは、一応、お客さまの時代や国を考慮して、食事を出している設定です。
ウィルさんの時代には、ジャガ芋が伝来していないので、その時代に使われていた食材を考えながら、メニュー決めました。
こういう料理だったんだ〜、というのが、調べていたら、なんか面白い。
2012年 05月17日活動報告より 2015年1月5日改稿
追記
現代の感覚からすると、いちばん単位の小さなコインは銅貨が当たり前ですが、
銅は、古代において、けっこう重要な金属でした。
価値がないから単位の小さなコインにしたわけじゃなく。経済の基盤として使われていたから、コインになったという。(古代ローマ。なんか最初は、銅のかたまりで通貨の代わりみたいにしてたらしい)
鉄をきたえる技術が未熟な世界の場合、重要なものは銅で作られます。
武器や防具、生活用品。正確には、青銅ですかね。
青銅は、錫を含む銅の合金ですが。ほとんどの場合、ふつうに採掘される銅には、錫が混じっていました。だから、採掘した銅を加工しようとすると、自然と青銅器になっていったという。
純粋な銅より、錫がまじった青銅のほうが丈夫なので、いろんなものに使われました。
なお、青銅というと、青とか緑の金属を連想しますが。加工した直後の青銅は、ぴっかぴかで、とても綺麗な金属です。
錫が少ないと、赤銅色。(←現代日本の十円玉みたいなの)
少し増えてくると、白銀色。
錫の量が多めだと、黄金色。
時間がすぎると、だんだんくもって色が青っぽくなってゆくわけですが。それでも、加工したての青銅は、ぴっかぴかでキラキラ。金や銀につぐ金属とされたのも当然。でした。
なお、武器や防具に向くのは、黄金色の青銅で、鏡などにされたのは、白銀色の青銅です。硬すぎてももろくなるので、ある程度、錫が混じっていたほうが良かったのです。
掘り出された産地によって、錫の含有量がちがうので、使い分けとかしていたのではないでしょうか。
伝承によると、有名なソロモン王が作らせたエルサレム神殿には、青銅で作られた「海」があったそうです。
白銀色の青銅を使って、ぴっかぴかでキラキラな海を表現してたんじゃーないでしょうか。鏡のように光を反射する、水めいた青銅。すごいね。
鉄はかなりな高温にできる炉が生まれないと、加工できません。ある程度、技術が進んでからでないと鉄の道具は普及できないのです。
そうなると、使いやすい武器とか防具は、青銅になってゆきます。鉄より低い温度で加工できるから。
ものすごく価値のある金属です。
価値がないから、銅貨が作られていたのではなく。信用がおける金属だったから、価値があったから、基本の貨幣にされた。もっとも小さな単位として使用された。という所らしいです。
ごめんなさい。最初、銀貨を強調しようとして混乱した文章書いてしまったので訂正しました。
聖書には、銅貨として、レプトン、アサリオンという貨幣が出てきます。
レプトンはどうも、ユダヤの神殿でだけ使われていた銅貨らしい。外国の貨幣だと、外国の神さまが刻まれていたりするので、ユダヤの神殿では使えなかったのです。
と、言うことは、日常使いの貨幣ではないことになる。
現代の感覚のように、十円をひょいっと使う感じではなかったのです。銅貨を使う時というのは。
古代ローマの貨幣には、アスとかクァドランスとかいう銅貨があります。すべての貨幣の基本、つまりは経済の基本になるのが、アス銅貨。
これを基本にして、銀貨や金貨の価値が決められたみたいです。
銀や金は、武器にも防具にも向きません。やわらかいから。だから最初から装飾用、貨幣用の金属として考えられている。
でも、銅は、古代の世界においては、基本の金属、生活のために必要な金属でした。
銅貨が、取るに足らないものみたいなイメージになってゆくのは、鉄を加工する技術が広くゆきわたり、銅の価値が下がってからになります。
もっとも、鉄の技術が広まったあとも、加工のしやすさから、青銅(銅)は使われ続けていました。銅像とか。窓枠とか。手入れさえすれば、見栄えのよい金属ですし。
で、中世ヨーロッパのあたりだと、最小の単位のものとしては、銀貨がふつうに使われていました。割って(!)使われることも。鉄の技術が広まっていたので、銀という金属に価値が出てきてた、ということでしょうか。
2015年1月22日 追記
2015年2月1日 追記部分を変更
古代のローマで、結婚指輪が鉄でできてたのって、それを考えると、現代のダイヤの指輪みたいな感じだったのかなあ……。