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活動報告を花束にして。  作者: ゆずはらしの
日常的なあれこれ
34/41

絵の授業

今朝の食事。


玉ねぎのスープ+マンゴープリン


昼の食事。


玉ねぎのスープ+雑穀米+抹茶豆腐



まだちょっと固形物怖い。


玉ねぎのスープは、玉ねぎオンリーにコンソメ入れただけのスープ。


美味しいよね、新玉ねぎ。くたくたに煮込んだら、溶けてなくなっちゃいますが。



なんかなあ、昨日の朝食に、母が焼いたシャケがあったんですが。


焼いてから、タッパーに入れて冷蔵していたもので…、


ひときれだけ食べたんですよ。


珍しく、匂いはあんまりしませんでした。


ただ、妙に油が回ってて。ぬちゃっ、とした感じでした。


何となく気持ち悪かったので、ひときれだけ付き合い程度に食べ、あとは手をつけなかったのですが…、


二時間ほどしてから吐き気が止まらなくなり。


ペパーミントやドクダミなど、体の外に毒を出す力の強い系のお茶飲んで、


吐き気止めになるショウガをかじって、


なんとか宿題しようとするも、集中できない。


まっすぐ座ってられないので、お茶を飲んでは横になり、マシになれば座り、みたいな。


で、授業の時刻が来たのでネットカフェへ。でもヘロヘロ。


お腹はすいてきていたので、水と小麦、塩のみのバタールと、ベーコンエピを買って、むぐむぐ。


ドクダミ茶とミント茶飲んで、授業受けて、


またヘロヘロになりながら帰宅しました。


一晩寝たら、どうにか回復しましたが。



魚怖い。



母の焼く魚怖い。



しばらく、缶詰の魚だけを食べようかと思っています…



***



えーと、で、今日の絵画教室。


永山裕子ながやまゆうこさんという、水彩画の画家さんがおられるんですが、その人のDVDをちょびっと見ました。


本も出しておられます。


この方の教え方は、とてもわかりやすい。


カルチャースクールなどで、主婦のかたに教えておられるので、それでかもしれません。


あと、絵を描くのが、好きなんだなあ、というのが。映像から伝わってきます。


技術的なものは、いろいろありますし。練習したらある程度は身につきますが。



描くのが好きだなあ、とか。


モデルさんに、ありがとうだなあ、とか。


この色が紙の上に出てくれたことが、本当にうれしい、とか。



そういう、気持ち。心。気構え。みたいなのは、教えようと思っても、なかなか教えられない。


口で言ってわかるものでもない。


描いている人の姿を映せるDVDとかは、ありがたいですね。だから。



「永山さんの場合、下書きの段階から、こう描こう、という、出来上がりのイメージが、もうできてるんですね。


だから、それが描けるように、色を作る、技術を使う、という風になります。


プロの方は、みんなそうです。下書きの段階で、仕上がりが頭の中にはっきりあります。


だから迷いなく形をとり、色をぬります。下書きの段階で、半分以上、終わっていると言っても良いでしょう」



うんうん、とうなずきながら、DVDを見る生徒の皆さん。



「この方の場合、


ドロッピング(筆先に絵の具をつけて、ぴっと振って、色の水滴を画面にわざとつける手法)や、


たらしこみ(水分多めな絵の具をぬり、絵を立てて、わざと絵の具のたらーっとたれる線を画面に入れる手法)


を、使われますが。


これは、表現したいものがあるから、使っています。


先に、表現したいものがある。だから、技術を使う。


だから、ドロッピングしてたらしこみしている。順番間違えたらダメですよ。


何を表現したいのか。


これが先です。これを、モデルさん見た時に、自分自身に問いかける。


りんごの色が綺麗で、ドキドキする。


あじさいが、ぽんとあるのが、見ていたら、涙が出る。


私は、これを描きたい。これが先です。


それを表現するために技術を使います。


永山さんの場合、このかた、空気を描きたいんですね。


りんごがある。色がある。りんごから伝わってくるものがある。


その、空気が描きたい。


その空気を美しい、かわいい、素敵と思い、


モデルさんに、教えてもらう。


教えてくれてありがとうと思う。


そんな風に描かれてま………、




息をしてください、みなさん!!!」




あわわわわ。となりました。


画面を食い入るように見ている生徒さんの、平均年齢は六十代から七十代。


映像では、細かい部分を細い筆で描いている部分あって、見ている人はついうっかり、自分も息を止めてしまう。


ちょ、貧血起こすよ!な人が続出。ひー。


休憩を強制的に入れながら、DVD見てました。危なかった……マジ危なかった……。



***



私の場合、技術やらなにやらは、秘密にもなんもせず、ぱっぱと見せてしまいます。


技術だけ真似しても、感性は真似できない。似たものに仕上がるかもですが、一人一人、何か見た時の、心は違う。


絵の表現は結局、描く人の心をどう見せるか。だと思っています。そのために技術がある。


だから別に、技術を隠す必要もない。と、思っているのですが。


嫌がる人もいますね。


「そんなぽんぽん、見せないでよ。そういうのは生徒に隠しとかないと」


と、迷惑そうに言われたことあります。


なんかこう、技術をぽんぽん教えたら、生徒になめられるみたいこと言われました。先生は生徒より、一線を画していないとみたいな。


「別に、良いじゃないですか。技術なんか、どんどん見せても。それで生徒も成長するし」


そう言いましたが、嫌みたいでした。ぶつぶつ言われたf^_^;


私に言わせれば、先生がお手本にしている教科書を見て、生徒が先生をなめたり、馬鹿にしたりすると言うのは、



もともとそういう人だった。



としか、思えません。そういう人は、教科書を見せなくても、別の何かで先生を馬鹿にします。


技術的に先生を生徒が抜いてしまったとしても。そりゃ、多少は何かあるかもですが。


私個人の感性は、私自身のものだから、変わりはありません。無問題。


だから、別に良いじゃん。としか思えなかったんですが…f^_^;


まあ、いろんな生徒さんがいますしね。無礼な人多かったら、教えるのが嫌になることもあるかも。


でもま、技術的なあれこれをぽんぽん見せてしまうのは多分、私、変わらないだろなあ。と、思って今日の授業を終えました。


だって、生徒さんから教わること、たくさんあるんですよ。


真剣に言われたことをやろうとしている態度。モデルさんを眺め、自分自身を考える姿。怖いなあと思いながら、色を混ぜるのをトライしてみる。できた色に、ただ喜ぶ姿。


すごくいろんなものを、教わっています。


技術を見せるぐらい、なんだ。という感じです。だから。



コメントへのお返事


見せないと、教えられない部分ありますもんね。


企業などでも似たところはあるかな、と思います。誰だったかな。「言ってきかせる、やってみせる」みたいなこと言ってたの…、


山本五十六でした(いま調べた)


「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、


褒めてやらねば人は動かじ」


渋い。



職業によっては、技術を見せられないとこもありますが(守秘義務あったり)。大抵のところでは、人を育てる時には、教える人間が自分の持っている技術を見せ、覚えてもらうのが普通だと思う。



コメントへのお返事



能力があるのと、その能力を身につけることができるよう、人に教えることができるのとは、違うんですが。その違いがわからないという人は多いです。


人に教える、ということには、それなりの取り組みやら理解やら技術やらを、新たに身につける必要がありますです。だからむしろ、得意なものではなく。苦手なものの方が、人に教える際には、わかりやすく説明することができます。


得意な分野というのは、なぜそのような方法を取っているのか、どうしたら効率的にできるのか、なんて、わざわざ考えないからです。考えなくてもその方法を見つけて使っています。だから、得意なわけです。


そういうのを時間をとって考えるのは、だから、苦手な分野ですね。


絵を教えることになったとき、改めて、描き方を説明している本を何冊か探して読みました。


作品を作る方向でやってきた人間だったので、教えるのがむずかしいだろうと思ったからです。


描くのを何年もやってる人間の場合、なにか表現したいなと思ったら、何も考えずに今まで習った技術を頭の中から引っ張ってきたり、ちょっと見かけた方法を試しに持ってきたりします。まったく意識せずに。


歩くときにどこの筋肉を使っているかみたいな? 感じで。いちいち意識なんてしない。


ただ、これを、改めて生徒に教えるとなると、むずかしい。説明せにゃならんから。


で、そういう、教えている本を読みました。でも、そういうのを見て、「今になって描き方の本を買っているなんて。あの人、ダメね。たいしたことないのよ」みたいに言う人はいました。


気にせず読み続けましたが。


そういう人は、習いに来ても伸びませんね(苦笑)。先生と呼ばれる立場の人が、わざわざ初心者用の本を読んでいる、という姿を見て、何かあるんだろうな、と思えない。逆に、「能力がない先生」に「わたしが教えてあげるわよ」みたいな態度を取ります。


自分の方が上にいると思っているので、なにか説明されても聞きません。教わるものの態度ではないのです。


最終的には、「わたしが上達しないのは、ここの先生が悪いからよ」と言ってやめてゆきます。いや、話を聞いてくれたら多少は上達したと思うよ…。


で、教える側の方でも。問題ある人は問題ある。


生徒が全員、先生と同じ絵になってしまう人とかいます。


人気は高いのですが。誰に教えても、生徒の作品が先生の絵と同じものになってゆくというのは、ちょっと怖いです。


癖が継承されるみたいなことはありますが。そういうレベルじゃない。生徒の絵なんだか、先生の絵なんだか、ぱっと見ただけではわからないみたいな絵が、何枚も並ぶ。


文句を言ってきたのは、そういうタイプの先生です。教えるの、あんまり上手じゃないですね。


最終的に、生徒の絵にはすべて自分で手を入れています。仕上がりはきれいですが、すべての生徒さんの絵が、同じ人が描いたみたいになります。


わたしはあんまり、そういうの好きではないので、生徒さんの絵にはなるべく、手を出しません。口頭で注意をする、少し手本を見せるぐらいで、あとは生徒さんに任せます。(どうにもならなくなって仕上がらない、というときだけ、ヘルプしますが)。仕上がりはだから、ちょっと雑然としてるね、あんまり上手に見えないね、という風になりますが、


ずーっと継続して来てくれる生徒さんが多いです。ありがたいです。





2013年 06月11日 活動報告より



追記


日本では、学ぶことは、『盗む』ということだ、みたいな説明がされることが良くありますが、


海外で使われる『盗む』とは意味が違います。


海外では普通、『盗む』というのは文字通り、自分のものではないものを、勝手に取っていき、返さないことをいいます。


しかし、日本で、師弟関係において使う場合、この言葉には、


「師匠を自分の親だと考え、子どもが親を愛するように愛し、その技術を真似することで、自分の中に技術を継承させる」


という意味が入ります。


相手を親だと思って、教えてもらう、という部分があるので、教わったあとに、『恩を感じる』部分が必ずある。


自分がそのように教えてもらったから、また、自分の弟子には、子どもを愛するように技術を見せ、伝えるようになります。


そうして、伝えたものをそれぞれの中で昇華させ、新しいものが生み出されれば、共に喜ぶ。


そのような前提があり、『盗む』という言葉が使われます。


海外での意味のように、単に『取る』だけでは、覚えたらさっさといなくなります。下手をすると、自分の利益のために、教えてくれた相手の足を引っ張り、陥れる事すらやり始める。


しかしそれでは、劣化はありますが、昇華も進歩もありません。


わたしは、どの立場に立つのか。


こうしたことを、考えてみてください。『学ぶ』ということについて、どの立場に立つのか。


『盗む』という言葉ひとつについても、意味が違う、ということに気をつけながら、さまざまなものをどうか、見て、学んでください。



2015年2月10日 追記





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