信徒説教
頭が痛い。風邪なんだか肩凝りからなんだかよくわかりません。バファリン飲んでますが効かない。
月曜日はだいたい、脱力気味。日曜日が忙しいんでねf^_^;
気分転換に、パソコンの壁紙を、海の写真に入れ替えました。フィジーがどこかの、海中ホテルのたぶん、イメージ写真。ガラス張りの部屋の外を魚が泳いでる。南国フルーツの皿に、白いシーツのベッド。
実際に泊まるとなると、落ち着かないとは思う。でも綺麗なので。
教会で、牧師以外の人が、聖書のメッセージを語る。というのが、うちの教派(仏教では宗派と言うが、キリスト教では教派という)では、よくあります。
信徒説教と言います。
日曜日、わたしが信徒説教の当番に当たりました。ということで、プロジェクターを使って地図と動画をスクリーンにうつし、エレミヤ書の話をしてきました。
カール・バルト(神学者、牧師)の話も少し入れた。
地図をうつしたのは、話す場所が旧約聖書なんで、紀元前の世界の状況がわかるように、という配慮です。
アッシリア、バビロニア、と言っても、聞いただけでは、なぜ戦争になるのかぴんと来ないし、切羽詰まる感じもわからない。日本は遠く離れていますから、土地感みたいなもの、ありません。
それに、高齢のかたの場合、カタカナの名前というだけで、ちんぷんかんぷん。混乱。という人も少なくありません。
地図を出し、紀元前の世界の、このへんにエジプト。このへんアッシリア。このあたりからバビロニアが。イスラエルはここ。みたいな説明を、まず、しました(笑)。歴史の講義かよ。と自分で自分にツッコミ入れたくなった。
でも意外とね。古代イスラエルが、北イスラエルと南ユダの、二つの王国による連合国家だったとか。知らずに聖書を読んでる人、多いです。
ユダ、というと、裏切り者、みたいな印象があるので、国の名前に南ユダ、とあると、なにこれ、変な国? みたいに思ってしまう。私もそうでした。
で、地図を見せて、北イスラエル(北王国とも)の首都はサマリア、南ユダ(南王国)の首都がエルサレム、
エルサレムのある側がユダ王国、南の方が長く生き残りました。と言うと、みなさん、おおー。という感じで首をコクコク振っていた。
北王国の首都がサマリアだった、というのも、改めて聞くと、いろいろびっくり。みたいです。
新約聖書、イエスの時代には、サマリアは、付き合ってはならない隣人ナンバーワン状態で、エルサレムの人から嫌がられていたからです。
なんでそうなったかは、アッシリアの政策により、混血されてしまったり。いろいろあるんですが。
でも紀元前八世紀ごろまで、サマリアは、北王国の首都として栄え、礼拝のための神殿もありました。預言者の学校、預言者たちの共同体みたいな村みたいな場所も、北王国にはいくつかあって、サマリアを中心にしていたみたいです。
…そこまで詳しいことは言いませんでしたが。話の主題はそこじゃないんで。
動画は、五千年の間の、さまざまな民族の帝国の盛衰を、5分ぐらいにまとめたもの。海外のホームページに、歴史好きな人が作ってあげていたのを見つけて、もらってきました。
古代エジプトが起こり、ヒッタイト、アッシリア、バビロニア、ペルシャ、…と、様々な帝国が興っては滅びる。
イスラエルもありました。
一瞬で次の時代に行くので、時々止めて説明。やっぱり、歴史学か何かの講義っぽい。
でもビジュアルで土地や、国の勢力の変化とか見るのも、たまにはね。わかりやすいから。
そういう感じでした。内容については…、まあ。読みたい人、いるかわからないので。読みたい、と言うかた、いらっしゃったら、まとめてあげますf^_^;
アクシデントは多少、ありました。10分前に慌ててプロジェクタをパソコンにつなごうとしたら、ケーブルがない。中学生がダッシュで取りに行ってくれました。
無線マウスというので、講壇の上からパソコンを動かそうとしたら、動かない。プロジェクタ横に人が待機して、言われた画像を必死に出してくれました。
みなさんに、ありがとうございます状態でした。もう本当に。
コメントへのお返事
聖書のメッセージ、信徒説教、と言います。牧師以外の、信徒による聖書のメッセージ。うちの教派では、よくあるf^_^;
スピーチの場合は、証かな…。自分の経験や感じたことがメインの話。
メッセージの場合は、神様からの言葉を、聞く人に届ける役割を果たすことになりますので、自分のために話す感じではないですね…。
聖書を読んで祈り、資料探して読んで祈り、祈り、そして語る内容を待ちます。それをまとめ、どうにか人前で語る…感じ。
自分の言いたいことを言うために、聖書の言葉を利用する、そんな話になってはならないのです。説教の場合。聖書が語ることを、語る人が聞くことをしないとです。
だから準備大変。責任大。なんですが(>_<)
信徒による説教は、宗教改革のころに、ラテン語だった聖書がその国の言葉に翻訳されて、みんなで一生懸命読んで、これってこういう意味? みたいに話していたらしい。それ以来の伝統?
また、地方の小さい教会の場合、牧師が亡くなったり、退職してしまい、教会はあるけど牧師がいない、という状態になることがあります。
そうなると、教会に集まっている人のうち、年長のかたや、教会執事(事務管理など任されついる人)、長年、教会で奉仕していて信頼されている人などが交代で、日曜日に聖書の話をします。
それでも、神学校でちゃんと学んだ牧師の話が聞きたいので、近くの教会の牧師に、時々で良いから来てもらえないかと頼みます。(来てくれた場合、そちらの教会では、日曜日、信徒説教になります)
牧師が赴任してきてからは安心ですが、今度は別の、牧師のいない教会から来てほしいと頼まれるので、そちらに牧師が行ってる時には、だれか信徒が説教する、という感じです。
プロジェクタを使ったのは、会社員のかたが以前、話すのに使われたのを見て(会社のプレゼンみたいにパワーポイント使ってた)、ああ、こうやったらわかりやすいか。と思ったので。
子供の集会用に、映画とか見せる用の。安いプロジェクタを購入していたんですが。買っていてよかった(^O^)
牧師のいない教会は、日本では良くあります。キリスト教自体がマイノリティなので。
その分、日本のクリスチャンは、勉強する人はやたら勉強するので、欧米から来た人が日本の教会の聖書研究のクラス見たら、驚くらしい。えらい専門的なことやってたりするんで。
おしゃべりに終始してますな、グダグダなところもあるけどねf^_^;
もうひとつおまけに、欧米ではカトリックとプロテスタントは、歴史的なあれこれあって、あんまり仲良くなかったりするのですが、
近所のカトリック教会の神父さんが入院した時、わたし、牧師と見舞いに行きました。
うちの教会の建物が老朽化して、どーもならん状態になった時、そこのカトリック教会、幼稚園の場所を日曜日の礼拝に提供してくれました。
青年の集会開く時、講師にカトリックの神父さんをお願いしたり。
音楽の研修で、修道院の人来たことある。
…と、いうことが起こっています、日本の教会。マイノリティで良かったのかもしれん。
2013年 06月24日 活動報告より




