マナーと猫舌と食文化
ヨーロッパの人たちは、ほとんどの方が猫舌です。
アツアツが食べられない。
ラーメンがいま、人気で、いろんな国にラーメンの店が出ているのですが、
日本と同じ温度で出せないらしい。ぬるめのスープでないと、現地の方が食べられないそうです。
なぜ、そうなったのか。という理由を考えてみました。
出た結論。
箸、もしくはフォークを使う文化がなかったから。
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ヨーロッパの方では、長い間、食事は手でするものでした。
手づかみ、と言うと、行儀悪い、と現代のわたしたちは思ってしまうのですが、
厳密には、手づかみではなく。指を道具として使って食べる、文化があった、ということです。
フォークが普及し始めたのは、確か、十五世紀以降でした。だったと思う、確か。
しかしそれも、野蛮であるとされて、なかなか広まらなかった。
ナイフとフォークで食事をする文化というのは、だから、かなり歴史が浅いのです。
それまでは、紀元前あたりから、ナイフで切り分け、指でつまんで食べる方法が主でした。
千年以上、そうやってきたのです。
しかもそれを、芸術的な域にまで高めていました。食事のマナーとして。
この食事のマナーが広まった背景には、ローマ帝国の影響があります。
ローマでは、貴族や王族はよく、宴会を開きました。お客を招いて食事をするのは、懐の深さを見せる意味もあり、規模の大小はあれ、よく行われていたみたいです。
宴会の席では、神々のように食事をする、ということが、重要視されました。
当時の神々の食事風景は、ギリシャの神話やら何やらの影響を受けています。
当然、ギリシャにも、箸やフォークはありません。調理する道具に、似たようなものはあったみたいですが、食事用ではないのです。
つまりは、指で食事。
神々は、ゆったり過ごされます。と、いうことで、寝そべって食べるスタイルです。
神々は、労働をされません。と、いうことで、調理や切り分けなどは、奴隷のお仕事です。調理などという、汚くて汗まみれになる仕事は、神々がご覧になってはならないものなのです。
神々がされるのは、調理済み、切り分け済みのごはんを、つまんで食べる、それだけなのです。
ビール飲みつつピザやポテトチップをつまみ、野球中継を見る、現代のカウチポテトに似ています。
ただし、ローマの場合、これを格調高くやらにゃーならなかったのです。招いた側である主人や奥方が話題をふり、招かれた客は、場合によっては詩を暗唱とかせにゃなりません。
そして、食べ方。
フォークがなかなか普及しなかった理由の一つ。
実は、ローマ帝国時代に、指でつまんで食べるマナーが。ほぼ完成していたのです。
肉をつまむ時には、どの指を使うか。
調味料である酢や塩は、どの指につけるか。
口に運ぶ際の、手の動きは、どのようにすれば優雅に見えるか。
そういった作法が、出来上がっており。しっかりと教えられていたのです。
食事の仕方を見ることで、教養のある人か、そうでないかはすぐわかりました。
食べ方で、貴族か平民かが、わかってしまっていたのです。
……現代のわたしたちがハンバーガーを食べる姿を見られたら、当時のローマ貴族は即座に、教養がないと判断するでしょう。わしっとつかんで、がぶっと食べるものね。
ちなみに、紅茶のカップを持つ時に、小指を立てる人がいますが。あれは、ローマ時代のマナーの名残りだそうです。
話がそれました。ともかく、そのように、マナーが出来上がり、文化として継承されてきていたため、
フォークの普及がなかなか、進まなかったのでした。
フォークを食事の席で使う、というのは。既に完成され、広く普及している、優雅さを見せる意味もある作法。それに対して、ケンカを売るようなものだったのです。
王族がやってたから、普及しましたが。たんに地方貴族がやってただけなら多分、無知で下品なやから扱いされて終わってたでしょう。
そこで、最初の話に戻りますが。ヨーロッパ人には猫舌が多い。これはなぜか。
答 長年、指で食事をしていたから。
やってみればわかると思いますが、グラグラたぎった湯で煮られた野菜とか、麺とか。素手でつかもうとしたら、火傷します。
アツアツの肉まんを手でちぎった時、中の汁が出てきて、熱い! となったことはありませんか?
茹でたてのスパゲティでも、蒸したてのイモでも構いません。うっかり手で触れてしまい、あちち! となったことはないでしょうか。
手で食事をしようと思ったら、アツアツは危険なのです。ある程度、さめてないと。
そういう所から、ローマ時代の食事は、ぬるめになってゆき。
その食文化を引き継いだ国の人たちは、猫舌になっていったものと思われます。
しかし、
指でつまんで食事する。という文化は、
実は、大変なところを肩代わりしてくれる、奴隷階級の人たちがいたからこそ、完成され、維持されてきたものでした。
料理をする、ということは、はっきり言って、重労働です。特に古代の場合は。
生き物をさばくのにまず、体力がいる。
血まみれになりながら、肉を切り分け、そして、調理。
この時、使われる調理器具は、基本、手作りです。かまども、包丁も、何もかも。調味料も基本、人によって乾燥させられたりしたものです。
全てに人手がかかっている。
さらに調理中の熱気。現代のように性能の良いオーブンとかありませんから、熱はそのまんま、調理している人を直撃します。
重い食材をかつぎあげ、切り分け、汗みどろになって焼いたり蒸したり煮込んだりしたあと、
目で見て美しいように整える。
この、目で見て美しいように整える、というのも大変です。古代の美しい食器は、ほとんどが金属製品です。飾りをつけたりしたかったら、どうしても金属製品になる。
重い。
ワゴンなんて気の利いたものもありません。重量のある重たいお皿に、どーんと乗せられた重量のある料理を、
肉体勝負で運ぶのです。ご主人様たちの前まで。(時には、数名で皿をかついで運ぶこともあったらしい。)
このような状態でしたので、神々のように美しく食事をする、という文化を支えようと思うなら、肉体労働者である奴隷たちが何人も何人も必要だったのでした。
フォークが普及しだした背景には、貴族や王族の権威がゆるやかに失墜し、
階級制度社会が変わり始めた、時代の流れみたいなものがあったのではないかな、という気もします。
自分で切り分けて、食べる文化だからね。ナイフとフォーク。
なお、
アツアツの麺類をすする、日本の文化ですが。
あれはあれで美味しいのですが、あまりにも熱いものを食べ続けていると、
口の中の火傷や、喉の火傷が、繰り返されます。
そのうち、感覚がにぶって、火傷しているのに、それでも熱いのを食べるとか、やりだします。
そのせいかどうか、わかりませんが、喉や食道のガンが、日本人、欧米の人より多いそうです。何事も、やりすぎは良くない。と、いうことで、食事の温度も、なるべく中庸をめざした方が良いのかもね。
2014年 09月12日活動報告より 2015年1月5日改稿