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活動報告を花束にして。  作者: ゆずはらしの
古代や中世に思いを馳せる。
10/41

アッシリア2

今夜あげようと思ってましたが、宿題が進まないので投下。七千文字超えてしまったので、切ろうかどうしようか悩みましたが。怪しい古代史雑学、これで終わりにします(^_^;)


アッシリア帝国とほか。いろいろ。パート2。


なんかこう、考え方の違いとかをみていたら、……現代でも会社の合併とかでのごたごたってあるよね。とか思ってしまった。いや、古代世界の話なんで、ちょっとちがってるとは思うんですが。




* * *



宗教観もまた、アッシリアのものは、独特でした。「アッシュール」という、自分たちのホームである小さな村……というか。拠点が最初。


アッシュールは町になり、都市になり、国になってゆくわけですが。


やがて周辺の国々を支配下に置き、巨大な帝国となり。


都がニネヴェに遷都されたあとも、アッシリアの人々は、自分たちの発祥の地であるそこを、ずっと主神とし、自分たちの源、心の拠り所としていました。


初期のころ、商人であるアッシリアの人々は、陸路を通って商売をしていました。旅は、何年もかけたものになったでしょう。


途中、拠点となる集落なんかも作ったでしょう。けれども、どこへ行っても、自分たちのホームは「アッシュール」である、という意識を強烈に持ち続けたようです。


そうして、自分たちの起源となる「アッシュール」の地を神格化し、魂の拠点ともした。


どこで死ぬかわからない、旅を続ける人々にとってそれは、当然の流れであったのかもしれません。


どこで死ぬにしても、魂は故郷に帰る。そこで、親しい人に会える。そういう意識で彼らは、旅に出たのです。


初期のころのアッシリアの王は、自分のことを「副王」と名乗っていた、という記録があります。


アッシリアをおさめるのは、「アッシュール」である。自分は、その次の身分の王である、という。


この辺、面白いです。


古代世界においては、だいたいにおいて、王は神の代理人扱いになります。


王=その国の主神。というイメージです。代理人というのは、そのものと等しいという考え方が一般的なので。


しかしアッシリアでは、主神がまずいて、王はその下にいた。神と王が同一視されていない。


商人として移動する民族だったからかもしれません。王は、遠征に出かけて戦争する人なんで。で、「われわれの起源であるアッシュール」、がホームとして背後にいる感じ?


この辺り、諸国から見れば、「よくわからん」部分だったでしょう。


なんで王と主神が同一視されないんだ、みたいな。一応、王は神にひいきされる人物、みたいな発想はあった、とは思いますが。


政治は、権力が分立みたいな感じで。初期のころは、王の権力は絶対ではありませんでした。


アッシュール市の市長と議会の決定には、王も従わねばならなかったのです。古代ローマの議会制みたいな感じでした。


市民の財産や法をまとめるのがアッシュールの議会と市長で、戦争とか対外的なあれこれをまとめるのが、「副王」である王だったのかもしれません。


国が巨大化するに従い、これも形骸化してゆきますが。


そうして合理的に全てを進めるアッシリア帝国は、だからこその強みをもって国を大きくしてゆきます。


会社を考えるとわかると思います。


小さな町の工場であったら、家族のつながりやら情などを考えて、やりくりしてやっていきますが。


工場がだんだん大きくなって会社の形を取り出すと、経理やら交渉やらの担当する人が必要になってゆき、それまで「こんな感じで良いや~」で終わっていたことを、合理的に、事務的に、整理する必要が生まれます。


けれど、だからこそ、見えてくるものもあるし、はたらいている人たちが、働きやすい環境にすることもできるのです。


小さな工場で一人の人が、全てを担当している場合、


「とりあえず、この人に言っておけば良いや~」で全てが通ります。


しかし、この場合、この人の能力に全てがかかります。一人の人には限界がありますし、その人の能力を越えた事態が生じた場合、対応しきれません。


事務仕事などが何人かに割り振られ、責任が分散すると、連絡をきちんと取り合うとか、申し送りをするとかいう手間がかかりますが、


その分、記録をきちんと取る、誰がみてもわかるように仕事をする、といった部分をしっかりしておけば、そこそこの能力を持った人がいれば、会社は回るようになります。


システムができているからです。


アッシリアはそのシステムができていた。


紀元前700年ごろ。バビロニアを支配下に置き、エジプトをくだしたアッシリアは、オリエントを制覇。一大帝国となります。



* * *



アッシリアの支配は、合理的で、ある意味、平和をもたらすものでもあったでしょう。しかし、問題はありました。


ポイントは、「アッシリアの人々は、あくまでもアッシリア人であった」、ということでした。


これはアッシリア人には譲れません。「アッシュールを源とし、つながるわれわれ」というのは、国が生じて以来の、彼らのアイデンティティだったからです。


つまりどういう事かと言うと、アッシリア帝国の支配というのは、


「アッシリア本国」+「征服したよその国」


という形を取りました。


古代世界の大きな国ではままある形の支配ですが、アッシリアの場合、これがかなり、なんと言うか、


絶対に崩せないシステム。


として作り上げられていたのではないかと。


同族経営(特定の家の親族による運営)される本社と、あとから加わった子会社の関係と言えば良いでしょうか。


別にそれでも、子会社の方が納得しているのなら、問題は起こりません。


しかし、アッシリアの場合、歴史の長いバビロニアや、同等の立場にあったエジプトも支配下に置いていました。


そうした国々は、それなりのプライドを持っています。


たとえ子会社として契約していたとしても、それなりの敬意をはらってくれみたいな意識を持っています。俺らの歴史は長いんだ、文化の程度も高いんだ、みたいな。


特にバビロニア。アッシリアのすぐ隣という位置関係もあって、征服された恨みもなかなかすごかったみたいで、帝国の歴史の中で、しょっちゅう反乱を起こしています。


レバノンの歴史をみると、フェニキアの都市群も反乱を起こしまくってますね……。


しかし、アッシリアのアイデンティティである「アッシュールにより、つながるわれわれ」を、アッシリア人は、どうしても、崩すことができなかった。


どういう事かと言うと、アッシリア人の意識には、



「わたしたちアッシリア人」+「アッシリア人以外のよその人たち」



が、常にあったのではないかと思われます。そこが、きっぱり別れていた。


そうして、合理的に。その意識をもって国を運営していた。(だから「わたしたち」以外に対しては、情を持つことなく、結構ひどいこともできたという)


「よその人たち」に分類される、あとから加わった子会社的立場の人々が、本国で、重要な位置に食い込むことは、アッシリアのシステムとして、最初から無理。ということなのです。


どうしても、と言うなら、「アッシュールを信仰して、アッシュール人になりなさい」みたいな? 


ただそれは、諸国の人々からすれば、「えー?」となります。


国によって、神さまの位置づけはそれぞれ違います。アッシリア側からすれば、自分たちの大事なものを、あなたがたも大事だと認めなさい、という感覚かもしれませんが、


よその国では、あなたの祖先をことごとく切り捨てなさい、みたいな意味合いに聞こえる場合もあるのです。


それだけ、古代世界においての国と神との関係は、つながりが濃い。


王家の祖先がどこそこの神さまの子ども、みたいな神話を持っている所もあったでしょう。


リーダーというのは、超自然的な存在にえこひいきされる存在である、というのが、この時代の人々の認識です。


だからリーダーとなれる。だから王になれる。古代のイスラエルにおいてはちょっと変わった方向に行ってますが、他の王国では、ほとんどがそうです。


なのに、そのえこひいきしてくれた超自然的な存在、それまで自分たちを守ってきてくれた(とその国の人が考えている)存在を捨てなさいと言われる。ええー? となります。


そういうわけで、扱いが難しい。


もちろん、アッシリア側も、どうにかしようとはしていました。


付き合いの長いバビロニアに対しては、それなりに優遇(アッシリアの感覚で)しています。


バビロニアの文化は、アッシリアに大きく影響したので、憧れのようなものはずっとあったみたいです。バビロニアの主神エンリルを、アッシュールと同じ神とするみたいな? ことをしてます。


でもバビロニア、むかむかきていた。



「俺らの神さま、勝手に取り上げやがって。しかも認めてやってるぜ、みたいな上から目線じゃんかよ! 


なにかあったら、自分らのやり方に従えって、結局、俺たちのこと無視してるようなものじゃん。


俺らが理解してほしいのは、そういうのじゃないんだよ! もっと情的なものを大事にしてほしいんだよ!」



アッシリア側の言い分としては、こうです。



「おまえたちが大切にしている神を、われわれは認めた。


アッシュールと同じものであるとした。だから、アッシュールに源を置くと宣言し、契約を遵守してくれさえすれば、われわれはおまえたちを保護する。


なぜ、それだけのことができないのか」



バビロニア、きーっとなります。



「そういうことを言ってるんじゃないんだよ! おまえら、なんでも合理的に考えすぎなんだよ! 


人間ってのは、そういうふうに割り切れない部分があるだろう!」



アッシリア、冷静に返します。



「われわれも譲歩している」


「そういうことじゃないって、言ってんだろ~~~~!」



そして破局。


いかん。書いてて楽しくなってきた。


バビロニアの人々は、土地に根付くタイプの考え方をしてきました。まず、自分と土地。そこから周囲につながってゆく。村になり、国になる。


アッシリアの人々は、移動するのが基本です。神格化された故郷=アッシュールさえいれば、わたしたちはどこでもアッシリア人! ほかは全部同じ。どこに行っても同じ。


移動せずに暮らす人々は、天候や季節によって、態度を変える、というのが当たり前です。


人と人との付き合いは、ひいきしたり、手心をくわえたり、というものがあって、たまにはルールを無視せねばならないこともある、という考え方です。


そこから、国同士の関係もできてきます。人によって対応を変えるのが当たり前だから、歴史の長い国ならひいきされるのが当たり前。自分たちは場合によっては、優遇されるべきではないのか。という考えになってゆく。


アッシリアのやり方が、上から目線と感じられても仕方ない。


アッシリアの人々からすれば、バビロニアや他の王国の人々の考え方は、異質です。


自分たち以外の国は、どんな国であっても等しく、「よその国」であるからです。


だから大国であろうが、小国であろうが、同じルールで対応します。それが当たり前なのです。


契約で罰則を盛り込んでも、その時の状況に応じて厳密に適応することをやめ、罰を重くしたり軽くしたりする、場合によっては、相手の身分に応じて契約をなかったことにまでするよその国のやり方は、理解しがたいものがあったでしょう。


ただ、さすがに、自分たちのやり方を押し通すだけではどうにもならない、というのはわかっていたみたいで。アッシリア、最後まで、バビロニアを自分の内側に置くことにこだわりました。


反乱を起こされても起こされても、……処刑やら処罰やらはその時々でやってたと思いますが。再建に手を貸してやり、その文化を尊重する、という態度を崩しませんでした。


アッシリア、ずーっとバビロニアに片思いしてたんじゃないのかね。という気もします。


いやまあ、地理的なあれこれもあったんでしょうが。初期のころに影響受けた歴史とかあったんで、それもあるんでしょうが。理解できないからこそ、愛しかったんでしょうかね。


そうすると、あれですかね。バビロニアは「わたしと仕事と、どっちが大切なのっ!」と言っている彼女ですかね。


……ありますけどね。バビロニアを、おっそろしく金のかかる女性にたとえる表現。宝石もバッグももらっていながら、「もっとわたしを大切にしなさいよ!」と言う彼女……いや、バビロニアの人たちにしてみたら、いろいろ言い分はあるんだと思いますが。


フェニキアの都市群の人々は、地中海で貿易してたし、港を持ち、拠点をあちこちに持っていた部分で、アッシリアの考えに近かったようにも思えますが……


アッシリアは、「わたしたちアッシリア」と「それ以外の人たち」の考え方の構図を、どうしても変えることができなかったみたいです。シドンが反乱起こしてますが、制圧して奴隷にしてます。


帝国の最後の方では、あっちこっちで反乱を起こされまくり、(バビロニアがもう反乱起こす起こす)アッシリアは滅びました。


紀元前6世紀ごろ。国としては千年以上続いていた国です。帝国になってからは、二百年か三百年ぐらい。


滅亡の直接のきっかけになったのは、案の定、バビロニア。


その後、バビロニアはアッシリアの主立った部分を自分の領土にしますが、しばらくしてから台頭してきたペルシャに、あっさり滅ぼされます。


なんかこの辺りも、夫を陥れて会社の利権を手にした夫人、しかし別の会社が台頭してきたことにより、旧態依然な体質だった会社は対応しきれず倒産。みたいな。どこぞのソープドラマっぽいにおいがする……。




~アッシリアとバビロニア、愛と憎しみの劇場。~




カミナリががらがらぴしゃーん! 包丁を持ち、髪を振り乱した美しい女性が夫に迫る。


「高貴な家の出でありながら、成り上がりのあなたに良いようにされてきたけれど。もう我慢できないわ。


わたくしに賛同してくれる重役たち(=支配下にある国々)とは、もう連絡がついているの。彼らは、自分たちに利権がありさえすれば(=独立を認めてくれるなら)、わたくしが社長となるのに賛成してくれるそうよ。


もうあなたに味方なんてない。あとは、あなたを始末すれば、芦理屋(アッシリア会社はわたくしのもの!」


「考え直せ、バビ子! おまえに会社の経営など、できるわけが」


「ばかにしないで! 絵詩太エジプトさんもきっと、わたくしに味方してくれる。あの方も古い財閥の御曹司ですもの。これからは、彼と手をたずさえて生きてゆくわ!」



ぐっさり。



「ば、ばかなやつ……良いように利用されているだけだとわからないのか(ばったり)」


「あなたにできたものが、わたくしにできないはずがないわ」


「どうも~。新参のペルシ屋です~。うちの商品をよろしく~」


「ああっ、なぜ? うちの商品がどんどん返品されて、ペルシ屋のものばかりが市場に出ているわっ、え、絵詩太さん、絵詩太さんはどうして何も手を打たないの……連絡して~っ!」


「なに? バビ子からの連絡? 無視しろ。関わるとろくな事がない」


「絵詩太さん……絵詩太さん~~!」



そして倒産。


……こういうの書いてる人、いそうな気がしますが。いませんか?






* * *



この辺りの流れを見ていて思ったのは、アッシリア、下手に大きな国にならなかった方が良かったのかもしれん。という事でした。


一番の大国になっちゃったから、いろんなものが硬直化して、どうにもこうにもならなくなっちゃったみたいなカンジがする。


勢力が小さい国だったら、あるいは、自分と同等ぐらいの国が他にいくつかあったなら、他国の考え方とかを読もうとして勉強するし。自分たちとちがった考えの人たちが世の中にはいるんだ、というのを。こう、柔軟に、取り入れたりできたんじゃーないのかなーと。


大会社になるより、小さな会社のままの方が、集中して良い商品を作れるって所もあるよね……。


ナンバー2か3ぐらいの国だったら、もうちょっと長生きしたのかもしれない。帝国も。


でも、あれか。この時代、アッシリアみたいにうまいこと国のシステム作って運営していた国、ほかに……ないしなあ……。


ナンバー1になっちゃうの、仕方なかったのかなあ……なんかこう言うと、ナンバー1になるのが悪いみたいな言い方になっちゃうけど……。


アッシリアの合理性みたいなものは、その後、大国の政治システムに大きな影響を与えました。


紀元前20世紀ぐらいからある国です。帝国になってからは、大きな図書館も作られました(アッシュール・バニパルの図書館)。


いろんな情報や知識を集め、しっかりしたシステムを作って運営されていた国です。滅びた後も、他国から研究されるのは当然だったでしょう。


のちに台頭してきたペルシャ帝国は、アッシリアの政治のシステムを自国の政治に取り入れています。


しかし、そのままではなく。有能な人物であるなら、自国の民族だけでなく、属国出身の人物であっても、取り立てて、政治の中心に置く、という政策を取りました。


アッシュールの源流にこだわって、どこか他民族を拒絶する部分を持っていたアッシリア。そこから反乱を起こされまくりだった末期の歴史を見て、同じ轍は踏むまいと思ったのでしょうか。


そうして、帝国が崩壊したのちのアッシリア人。


あんまり、ダメージなかったんじゃーないかなという気がします。


いや、いろいろと困ったことや大変なことはあったとは思いますが……。首都ニネヴェは破壊されましたし。


でも彼らの基盤は、「アッシュールに起源を置くわれわれ」なんで。帝国が崩壊しようがどうだろうが、「アッシュールに起源を置くわれわれ」は消えてないんで。


あっちこっちにばらけて、大国に従いながら、しぶとく生き残っていったんじゃーないかなーと思います。事実、ペルシャ帝国の官僚に、アッシリア人らしき名前の人が、わりといたみたいです。


一応、現代にもアッシリア人と呼ばれる人々はいて、あっちこっちで暮らしています。


古代アッシリア人との遺伝的なつながりは不明です。で、現代アッシリア人のほとんどはキリスト教徒です。


ペルシャが滅びたあと、イスラムの支配下に置かれ、内乱やら戦争やらでえらいことになって、世界じゅうにばらけました。


その中で、「アッシュール」に重きを置く人々は今もいるようです。現代では神ではなく、発祥の地という扱いみたいですが。


で、結局、なにが言いたかったかと言うと。


古代アッシリア帝国は、皆殺しだぜヒャッハー! な国ではなかった。というのだけ。とりあえず。古代世界での制約みたいなのはあったと思いますが。


そこまで問答無用でひどい国でもなかった。法の整備もされていたし、支配下にある国に対しては、それなりに権利を認めていました。


そうでなかったら、何百年も続かなかったでしょう。


「契約に反した」(反乱を起こした)国に対しては、処罰がすごかったみたいですけどね(^_^;)




追記




アッシリアとバビロニア、愛と憎しみの劇場。


細川千〇子の絵で脳内再生しますと、より臨場感が出て楽しめるのではないかと思われます。


見開きで「バビ子〜!」と叫ぶ芦理屋アッシリアとか。なぜか目の中が真っ白なバビ子とか。



2013年 06月14日活動報告より 2015年1月5日改稿


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