懐かしい顔馴染み
明日野の思惑がどうであれ、転校初日に周りからキャイキャイ言われてるのを見れば、あまり納得行かない者も出るだろう。
お昼はどうするのと咲良に尋ねられ、明日野は答えに窮した。
腹は減るのだが、弁当一つ持っていない。
どうしたものかどうか悩んでいると、体育の時の様に近藤が明日野の肩をポンと叩く。
「じゃあアレだ、買いに行こうぜ?」言葉自体は特に問題は無い。
だが、教室内から向けられる視線はあまりに良いものではなかった。
若干心配するに、「……あの…高品さん…大丈夫……ですから」相も変わらず咲良にどもる明日野。
今一つ背が低い近藤に連れられ、明日野は教室から出て行ってしまった。
「…………で? こんな所ではパン一つ買えないではないか?」
そう言う明日野が連れてこられたのは、俗に言う校舎裏である。
明日野からすればとっとと買い物を済ませ、咲良との優雅なランチを決め込みたいのにも関わらず、上級生まで加わって明日野を取り囲んでいた。
やいのやいのとアレこれ言われても、明日野の耳には入らない。
陳腐な言葉自体は地獄で聞き飽きていた。
「おい、俺様は忙しいのだ。 とっとと用件を済ませろ」
菓子パンと牛乳でも奢ると言う名目で集ろうとした周りの人間は、明日野が発する怒気に晒され動きを止める。 失敗である。
明日野は確かにオドオドした所やどもる癖が有るが、それは単純に咲良の前だけの話であり、周りの人間などどれだけ死のうが知ったことではない。
お灸を据えんと明日野が一歩足を踏み出したとき、少し離れた所から「そこまで!」と言うハスキーな声が掛かった。
明日野は眉を寄せ、チンピラ一行は助かったと言う顔を浮かべる。
眼鏡を掛け、明日野程ではないが長身の女子は、お付きを連れて歩いてくる。
その長身の女子はあらぬ方向を指さし、端的に「さっさと失せなさい、後は生徒会執行部である僕がこの人に話が有るのでね」そう言うと、チンピラ一行ペコペコと頭を下げていた。
女子とお付きが誰かを知っている明日野は、露骨に顔をしかめる。
「…………それで?何のようだ?」不機嫌隠さず明日野はそう言うと、眼鏡の女子はニッコリ笑って明日野の肩を叩く。
「嫌だなぁ、助けたんだよ? あのままだと全員病院送りにしそうだったからね?」あくまでも諭すように言うその人に、明日野の眉間には皺が寄っていく。
「俺様の質問には答えていないよな? アンドロマリウス伯爵殿?」
明日野が言うアンドロマリウス。
かつてのソロモン72柱の内の一人であり、同時に悪魔でありながら【正義】を貴ぶ物珍しい悪魔である。 盗品の回収から取り分を分捕り、召喚者が【悪】の場合はその場で手を下すという独特の正義感から、悪魔の中でも首を傾げる者が多い。
「嫌だなぁ、伯爵殿だなんて水臭い………後ね、僕は此処では安藤真理と名乗っているんだ、覚えておいておくれよ?」安藤と名乗る女子がにこやかにそう言うと、何故かお付きは明日野を突き飛ばし、両手を広げて安藤を庇う様に立つ。
「真理様! 下せんな悪魔に名乗る必要などありません!」甲高い声と短めの金髪。
だが、その顔には明日野も嫌な思い出が在る。
「…………此処で何をしている、ガブリエル?」そんな事を言う明日野に、小柄な金髪女子はビシッと指を指す。 「此処では違う名前が在るんです! 軽部理恵と呼びなさい!アスモデウス!」
敢えてちびっ子の経歴を語るならば、【妊娠おめでとうさん、旦那が誰かは知りませんけどね】という受胎告知で有名なガブリエルその人である。
四大熾天使の一人であり、遥か過去にはアスモデウスとも因縁があり、何故その人が此処に居るかについては謎である。
伯爵級悪魔と熾天使が何をしているのか明日野は知らないが、出来れば会いたくない二人でなのだ。
ガブリエルについてはそれなりの因縁があり、アンドロマリウスについてはソロモンの一件が絡んでいる。
だが、明日野の心配をよそに安藤は平然と胸を押しつけるように手を組んで来る上に、それに対して、軽部は激しい歯軋りを見せていた。
「相変わらずつれないねぇ?……君は」嫌みに笑ってそう言う安藤に、露骨に明日野は嫌な顔を見せた。
「おい? 俺は男……いやお前が女だろうが付き合う気は無いと何遍言わせるつもりだ?」
明日野の言葉には理由が在る。
かつてのソロモン七十二柱にはアスモデウスも在籍しており、そのソロモン王に反乱を翻したのは、アスモデウスただ一人だった。
どういった経緯かは置いておくとして、この頃からアスモデウスは悪魔の評判が高くなったようである。
言い寄る者の中には男のままから性転換してまで寄って来る者も多く、かのアンドロマリウスも後者であり、アスモデウスを淡々と狙うその一人であった。
そんな風にイチャイチャ?していると、軽部の中で何かが切れたらしい。
「…………おいコラ、チンピラ悪魔。 お前、また洞窟にぶっ込まれてぇのかよ?」
先程までの雰囲気は何処へやら、軽部はドスの利いた低い低い声を漏らす。 熾天使の中でも何故か非常に高い実力である軽部からそう言われ、明日野は蠅野から教わった最終奥義を披露する羽目に陥っていた。
それは、【土下座】である。
「すみません、勘弁してください軽部さん」と、そんな言葉と共に、咲良の為なら如何なる恥で在ろうがとるに足らない明日野は、中間管理職蠅野直伝の最終奥義を放っていた。
アハハと軽快に笑う安藤と、プンプンとしている軽部の前で、何とも言い辛い光景が広がるが、そんな明日野を安藤は引き起こした。
「ごめんごめん! ちょっとふざけすぎたよ………お昼休み終わる前にさ、ちょっと懐かしい顔に挨拶したくてね……」そう言うと安藤は軽部の頭をなでていた。
「ほら、ご飯買いに行くんだろ? 教えてあげるから付いておいで………」そう言うと、安藤はサッと踵を返し、軽部も明日野に、アッカンベーをしながらそれに続く。
そんな二人に、少し後ろから続く明日野だが、彼の心の中には疑問があった。
【天使が同性愛者でいいのだろうか?】と、そんな風に。
じゃあと手を振る安藤と、中指を平然とオッ立てる軽部という凸凹な二人組と別れた明日野だが、彼の手には牛乳パックとあんパンが握られていた。
今日は奢ってあげるという安藤。
彼女からは「なに、出所祝いだよ」というありがたいお言葉であった。
千年捕まっていた割には何とも安っぽい出所祝だが、今は明日野もカツカツの生活であり、同輩からのそれは心に染みた。
「遅かったねぇ? 大丈夫だった?」真っ当に明日野を心配してくれるのは咲良だけであり、周りは視線だけでこういう【いやいや寧ろ連れて行った奴らを心配してやれよ】と、そんな感じで。
事実、近藤に至っては教室の端の方でチラチラと明日野を見ており、捕食者に狙われたハムスターの如き体を成していた。
だが、そんな周りの思惑とは別に、明日野は変わらない。
「…はい、高品さん……皆さん…あの…良くしてくれますので………」
照れ隠しにあんパンを両手で掴み、ハムハムと食べる大悪魔の微妙な姿に、咲良は嬉しそうな微笑みをうかべていた。
平和な時が流れる中、授業そっちのけで校舎裏で愚痴を垂れる者も多い。
「んだよ…………なんつーの? 殺気? 闘気っーの?」一人がぶつくさと文句を吐きつつ、同時に煙草の煙を吐いていた。
「シメろっていうから、いって見りゃあよー、だよ…………聞いてねーつの」もう一人がそう言うと、周りもウンウンと首を縦に振る。
別段彼らが弱い訳ではない。
そもそも生身の人間が大悪魔と為を張ると言うのが冒険どころか自殺行為に近く、某騎士の如く風車所ではなく最新の戦車相手に裸一つで喧嘩を売る以上なのである。
そんな風に悲しげに溜め息を吐く彼らに、妙な影は近づいて行った。
昼間休みが終わる頃、明日野は震える近藤を見つけ、なるべく友好的な笑みを浮かべながら近づいていく。
理由としては、咲良に余計な心配を掛けない様、釘を刺すためだ。
「やぁ、近藤君!」周りには不自然なまでに爽やかな明日野の姿に、近藤は益々震えるが、それを止めるかの如く、明日野は近藤の肩に恐怖を和らげんと両手を置いた。
そっと笑顔のまま顔を近づけた明日野だが、ニンマリと笑う彼の口からはこんな言葉が漏れていた。
「バスケットの件は大儀であった。 だからこそ、今回の事は不問に処するが…………次は無いぞ? もし、同じ事が遭ったら…………お前は最後に回す。 奴らを料理してから…………最後に丹念に料理してやろう…………」
最早放心状態の近藤に、明日野はしっかりと大木並みの釘を刺していた。
午後の授業中、科学は特に面白そうだと明日野は感じ、何より良いと感じたのは咲良が同じ班に入れてくれた事だろう。
咲良以外の女子もまた、明日野には歓迎の意志を示しており、大悪魔たる少年は何とも言えない感覚を覚えていた。
「でもさー、明日野君て咲良の前だと大人しくない?」
ここでもまた、授業中にも関わらず明日野の隣の女子はさも面白そうにそう言うと、咲良が笑う。
「そうなの? へぇ…ね、明日野君?」そんな風に面白そうに咲良が言うと、明日野は「…えと…あの…はい…」としか返せず、周りの女子は少し小さな声でキャイキャイと騒いでいた。
頬を染めながら、真面目に授業を受ける大悪魔。
周りの女子は笑っていたが、彼の副官辺りが、もし今の明日野の姿を見たら、自分は正気かどうかを疑うに違いなかった。
一方その頃。
明日野の保護者役である蠅野は、事務仕事に追われていた。
彼自身は現在ゴミ処理場の取締役であり、並み居る書類と格闘していた。
何故ゴミ処理施設なのかと他の者が聞いたことが在るのだが、ソレについては彼は一言だけ残している。
「あの香りが良いんだよ…………君には分からないのかい?」
そう言われ、他の大悪魔達は揃って首を傾げていた。
とはいえ、そんな形で仕事に追われる蠅野だが、彼の携帯が羽音の様な呻りを上げた。
「はい、もしもし蠅野です…………は? アスモデウスですか? 今学校ですよ…………え? 今度コンサートに連れてこい? …………ルシフェルさん? …………はい、分かりましたよ。 え? 変な奴が来てる? はい、分かりました、確認してみます…………」
蠅野の電話の相手、特に語る必要も無く有名だろう。
それとは別に、電話の相手は蠅野に忠告を施していた。
電話の相手曰わく、来てはいけない者が来ているらしいと。
心配してもしょうがないのだが、蠅野は心配していた。
一応彼は保護者役であり、その保護されるべき少年が大事を起こさないかどうかを。