走る大悪魔
ウキウキする明日野がどこに居るのか?
それは、高品姉妹の部屋の天井裏である。
懲りもせずに悪魔的なストーカー行為に勤しむ明日野だが、下の部屋では姉妹の取り留めの無い話が成されていた。
因みに、別に空間転移はしていない。
明日野は自分の部屋の天井をぶち抜き、体重を極力軽くする事によって匍匐前進のスピードを稼ぎ、尚且つ天井が抜けるという危険を回避し、高品姉妹の部屋の上へと来ていた。
最初はニヤニヤしていた明日野だが、姉妹の話は変テコな自分の話から、もっと切羽詰まった話へと切り替わり、同時に明日野の顔もキリッと引き締まる。
「でも、どうしよう?」そう言う理沙に、咲良は辛そうに笑う。
部屋着なのか、姉はくたびれたTシャツとジーンズ。
妹は若干綻びが見えるキャミソールと無理やり作った様なホットパンツのみという服装から、あまり経済的には恵まれていないようにも見える。
「…………しょうがないよ………お父さんまだ外国行ってるし……」寂しげに言いながらも、洗濯物をする咲良を、明日野は天井裏から心配そうに見ていた。
はっきりとストーカー行為をしている内に、高品家の内情を明日野は知る。
母は既に他界しており、姉妹の父親は諸事情で外国へ行っているらしい。
そんな二人も、なかなか生活が苦しいのか、姉に全てを頼っている妹は気をやんでいた。
それを聞いて、今すぐマモンの銀行を襲おうか悩む明日野だが、部屋の下から咲良の嬉しそうな笑い声が聞こえ、銀行強盗は諦めた。
「ほら、悪い事ばかりじゃないよ? 近くに同い年の転校生……第一、あの人結構格好良かったでしょ?」咲良のそんな言葉に、明日野はかなり不気味な笑顔を浮かべるのだが、理沙の声は辛辣である。
「そう? 引っ越し蕎麦の一つも持ってこない無礼な男だよ?」そんな言葉を理沙が言った瞬間、明日野の姿は天井裏から消えていた。
百メートルを有り得ない速度で走る人影。
つまり、オリンピック選手以上の速さで明日野は走っていた。
そんな彼は今、近所の蕎麦屋を探していた。 無論、蕎麦とは何なのか知らなかったが、カツアゲなどの悪行中の人物を探し、そういった人物を見つけては襟首振り回しながら「おいお前!蕎麦とはなんだ!?」そんな意味の分からない惚けた質問を繰り返していた。
何人か助ける内に分かったのは、蕎麦とはそば粉からなる細長い食べ物であり、引っ越しの際には持ってくるのが一応の礼儀であるらしい。
無論、そんな古臭い話は現代の人間にはどうでも良かったが、明日野に取っては一大事であった。
せっかく名乗り合えた咲良に嫌われるなど以ての外である。
だからこそ、夜の闇にも並み居る悪党にもメゲず学生服の少年は爆走していた。
ようやく明日野が見つけ出したのは潰れかけの蕎麦屋だった。
其処はあまり人通りが無いためか、主は真っ当な職人ではあったが、店を閉めようか悩んでいると、血相変えた少年が勢い良く店の戸を開く。
「…………おい、蕎麦を寄越せ!」
あからさまに脅す様な少年の口調に、【蕎麦強盗】成るモノがこの世に存在するのか店主は悩む。
「あいすみません、そろそろ閉店しようかと思っていたので蕎麦は無いんです」残念そうな店主だが、明日野は店主のシャツを掴んで店主を持ち上げる。
「どぉ言うことだぁ!? 蕎麦屋なのに蕎麦は無いのかぁ!?」
荒ぶる明日野に、店主は泣きながら事情を説明する。
すると、明日野は難しい顔をしてから、止める店主を振り切ってトイレを目指した。
トイレの前で足を止め明日野は少し振り返る。
「おい主。 俺様がなんとかしてやるから、お前は今すぐ蕎麦を作るんだ……いいな?」そう言うと、明日野はトイレに籠もってしまう。
頭のおかしい少年には困ったモノだと店主は思うが、少年の真剣な頼みからふっと笑う。
「…………最後に打つのも悪くないか…………」
そう言うと、店主は蕎麦を打つために厨房へと籠もった。
少し後、トイレから出た明日野は生蕎麦を受け取り、釣りはいらんと一万円札をテーブルに置いて店を後にした。
変な客だと思う店主だが、明日野が出て行った五分後、他の客が現れ蕎麦を無駄にせずに済んだと喜んでいた。
後日、この蕎麦屋は妙に人が入り始め、元々店主の腕は良いためか、その後も店は栄えたという。
特に明日野が何かしたわけではない。 彼はトイレの壁に、小さく古代魔術の基本【人寄せの陣】を小さく書いて置いただけの話であった。
コンコンと高品家のドアは叩かれる。
ハイハイと不用心にドアを開ける咲良だが、其処には片手に生舟(蕎麦を入れる木箱)を抱えた明日野が立っていた。
「あ……あの…えと…さっき…あの……忘れて……たので…ど、どうぞ…………た…高品さん………」どうにも舌がもつれた様な喋り方の明日野は、手に持つ生舟を咲良に渡す。 そんな彼に、咲良もにっこり笑った。
「あ、お蕎麦だ……なんか、ありがとうね明日野君。 そうだ! 明日、学校案内するから」そう言う咲良に、明日野はへらへらと笑って手を振っていた。
姉と不気味な隣人に、理沙は疑いの視線を向けていた。
とは言え、悪いことをされた訳でもないと、読んでいる本に目を戻すが、もう一度明日野を見る。
なぜ今更に成って蕎麦を持ってきたのか。
そもそも、どうやってかは知らないが明らかにどこかの店からそのまんま持ってきたであろう生舟を見て、理沙は首を傾げていた。
ともあれ、高品家の夕飯も決まり、咲良は優しい?隣人に感謝をしつつ夕食の為に鍋を火に掛けていた。
「なんか、良い人そうで良かったよね? 理彩はそうは思わない? あ、早速だけど今夜はお蕎麦にしましょう? 直ぐ出来るから…………」
どうもノホホンと言うか、若干惚けた所の在る姉がそう言うと、妹は首を反対に傾げた。 口には出さず、理沙は思う。
『よくもまぁ、あれだけ不用心なのに変な男に引っかからないモンですなぁ………』と、そんな風に。
同じ頃。一つ飛ばした部屋では、明日野が屈伸に勤しんでいた。
さてもう一度と、天井裏に忍び込もうかと明日野が意気込んでいたが、今度は彼の部屋のドアがノックされる。 もしかしたら咲良かもしれないという期待を込め、ウキウキとドアを開けたのだが、其処には嫌そうな顔をした蠅野が居た。
どうぞと蠅野に差し出されたのは紙コップに水道水。
しかも紙コップは蠅野の持参であり、あんまりな待遇に蠅野はただでさえ痛い頭がより痛くなった。
「好きなだけ飲んでくれ、水しか無いがな」大悪魔らしく振る舞う明日野。
そんな事を宣う同族を一発殴ろうか悩みつつ、蠅野は持ってきた鞄やら教科書やらを部屋にぶちまけた。
「はいこれ、明日から学生ですけど…………何で今更学校なんて行くんですか?」そんな同類の問いに、明日野は意外だという顔を見せる。
「なんで? むしろなんで? お前……俺様の咲良に何かあったらどうする気なんだ? …………とまぁ、そんな事が起きないためにこのアスモデウス様が護るんだがな!」
そう言うと、明日野はガハハと豪快に笑う。
目の前の、ストーカー悪魔が一番の問題だとは言えず、蠅野は思わず、こめかみを押さえた。
「…………ま、まぁ……とにかく……とりあえずは学生ですから…………なんて言えば良いか………普通に生活してくださいね? 私は私で忙しいんですよ!?本当に…………明日、私が保護者役で挨拶だけするんで…………」
胃と頭の痛みに耐えつつ、蠅野は何故自分がこんな事をしなければいけないのか悩んだが、目の前でハシャぐ少年を見て、悪くないかもと思えた。
そんな蠅野の肩を嬉しそうにバンバン叩く明日野。
「良し! 今から酒買ってこようぞ! 祝杯である!! 一緒に飲もう! ベルゼバブ!」
初日以前に高校生らしからぬ不安な事を宣う大悪魔に、同じく大悪魔は激しく頭を痛めた。
余談ではあるが、結局の所少年姿では買えないため、明日野持ちで蠅野が購入。
その晩、二人は豪快に飲み明かしたのは言うまでもないだろう。