弱点
テクテクと歩く理沙だが、妙な気分ではある。
前を歩く少年の背中は広く、長身も相まって、より、頼もしい。
ましてや、自分を待ってくれていたと在れば、理沙は内心どころか、その顔は、僅かとはいえ微笑んでいた。
いざ、隣に立とうかと悩むが、未だに、其処までの勇気はない。
今はまだ、後ろで良いかと、少女は、自分に我慢を強いていた。
「……痛っ……」ドンと、少女の鼻が明日野の背中にぶつかった為に、理沙は僅かに声を出し、鼻をさする。
「ちょっとぉ…………何で急に止まって…………」
大悪魔様に文句を付けてやろうかと、スイと横へ出る理沙だが、眼前の光景に、少女の口は閉じていた。
何人もの若い男性が、嫌みな視線を明日野に向けながらも、少女を見かけて、各々が口笛を吹く。
そんな、下卑た視線を向けられた理沙は、思わず、明日野の背中に張り付いていた。
「何の用だ? 俺様達は大変忙しいのでな……用が無いならば、さっさと道を明け渡して貰おうか?」
尊大な態度の明日野の声に、一人の金髪の青年は、前へ出る。
白いスーツに、黒色のシャツ、加えて、真っ白なネクタイに、襟には金に輝くバッジと、それを観た理沙は、【あまり関わりたく無い人達】だと、想像していた。
「どぅも……明日野さん……ですよね?」
「おう、そうだが? それがどうした?」
並び立つ両雄は、纏う色が真反対ではあるが、その声は、ドスが効き、有り体に言えば、一触即発の空気を孕む。
「ではと、ご挨拶を。 私、こういう者でして………」そう言うと、男は懐から、ゆっくりと名刺を取り出して、明日野へと渡す。
其処には【天上会直系 主天組若頭 主天組内 権天組組長 イリエル】とある。
「長い………それで? 天使様が何の用だ?」渡された名刺を、ポイ捨てしながらも、明日野は、首を傾ける。
名刺を捨てられたからか、若干顔を歪める男だが、直ぐに顔を作り直すと、明日野に向かい、両手を軽くあげて見せた。
「まぁ、コッチじゃ入江って名前なんですがね………それはそうと、知ってます? その子と、お姉さん……ついでに、あんたにも、賞金が掛かってますよ?」
そんな声を合図に、入江と名乗った男の連れ達は、明日野と理沙を、取り囲む様に動いた。
怯える理沙を、背中に庇いながらも、明日野は、眉を寄せた。
「どういうつもりだ? 天使なら協定無視してと構わん……とでも云いたいのか?」
明日野だけで在れば、下級の天使など、取るに足らず、敵ではない。
しかしながら、余裕こそ見せるものの、明日野は内心焦った。
かの天使が連れるのは、生身の人間であり、特に変わった様子はない。
魔法や、天使の加護も掛けられている様子は無く、あくまでもただの人間に、明日野は、ごく僅かに舌打ちを漏らす。
そんな、明日野の舌打ちを聞いた入江は、フゥンと鼻を鳴らした。
「きょうていねぇ………まぁ、上は大変でしょうがね? 俺らみたいな下っ端が、んなもん気にすると思います? ねぇ、アスモデスウ様?」
相手を舐めた入江の言葉と共に、周りの人間達は、一斉に襲い掛かって来ていた。
「……え…え…なんで?…」訳も分からない理沙だが、そんな少女を、腕で抱き抱える明日野は、「理沙! 決して動くなよ!」と、念を押した。
両手が使えずとも、足裁きだけであろうが、生身の人間程度は、敵ではない。
襲い来る人間を、可能な限り手加減しつつ、明日野は一人を蹴り飛ばした。
「なんでよ!? なんなのよ!? キャア!?」
腕は、喚く理沙を抱える為、使えないが、それでも、明日野は脚を巧みに使う。
殴り合いに持ち込まれれば、理沙に被害が及びかねないからか、明日野は、相手と間合いを離すやり方を取らざるを得ない。
それでも、不利をモノともせず、大悪魔は足だけで敵を振り払っていた。
『なに遊んでんだ!? 一人百万だぞ!? ひゃくまん!! 餓鬼二人ぐらい、さっさと畳んじまえ!! バカ共が!』
そう言う入江の独特の声に、彼の部下は、蹴り飛ばされた痛みにも関わらず、のそのそと立ち上がる
入江の声の違和感を、理沙は聞き取るが、その違和感は、【天使の呼び声】という、奇跡に等しい。
人間を鼓舞し、勇気を与える筈のそれを、彼は、平然と別のことに使っていた。
そして、再び、周り取り囲まれた明日野も、忌々しげに眉を歪める。
「見たか……理沙……コレが、天使様のやり方だ。 覚えておくと良い」
明日野に抱き抱えられながらも、理沙は、力の入らない手で、少年の衣服掴んでいた。
ただ理沙の目に映るのは、明日野の必死な顔である。
自分を護らんと、懸命に戦う少年の瞳が、僅かに赤く光が、禍々しい筈のソレを見ても、理沙は【綺麗】と、心で唱えていた。
周りの人の気配にもかかわらず、誰もが助けを呼ばず、ただ見守る。
ソレを見て、理沙は不審に感じていた。
少年少女が、複数人に取り囲まれれば、誰の目にも、犯罪的と映る筈なのだが、明日野に抱えられている理沙以外は、入江の力に飲まれている。
【天使の呼び声】の副次的効果として、罪の減衰が在る。
認識をぼやかし、それがいけないかどうかを、考えさせない。
だからこそ、明日野と理沙に襲いかかる者達には躊躇は無く、同時に、それを見ている者達もまた、目の前の光景が【犯罪】とは、決して認識出来なかった。
しかしながら、如何に鼓舞されようと、人は不死身ではない。
意識を刈り取られれば、男達は倒れ伏し、立つことは無かった。
「…っ…カス共が……」部下が全員伸されたのを見て、入江は、忌々しげに唾を吐き捨てた。
残心しつつも、理沙をソッと下ろす明日野は、いよいよと、入江に近付いていく。
「さてさて天使様? どうしてやろうか…………」
そんなおどろおどろしい声にもかかわらず、それを云う明日野に、理沙は頼もしさすら覚える。
だか、次の瞬間には、目を疑った。
無敵の筈の大悪魔は、入江の前に、膝を着いてしまう。
「……き……貴様………」
「あらら……ホントに駄目なんですか?」
悔しげな明日野に対して、入江は、懐からビニール袋を取り出し、その中身を、少年へと見せ付ける。
入江が取り出したソレは、どこかのスーパーに売ってそうな【魚】だった。
但し、見た目にも新鮮さは無く、魚の目は赤黒く濁り、魚体には張りと艶がない。
つまり、生臭かった。
力を失った様に苦しむ明日野の周りを、入江は、手の魚を振り回しながら、ゆっくりと回る。
「はっは…………大悪魔っても……てんでお話になんねぇじゃん? こんなモンで弱く成っちまうのかい?」
入江の言葉はともかく、生臭さに、明日野の額には汗が滲み、吐き気を堪えるのに、必死だった。
過去、つまらない事で【サラ】を失った辛い過去が、明日野を苦しめる。
無論、後先無視して、本性さらけ出せば、この程度ならビクともしない明日野ではあるが、今の彼は、あくまでも、ただの少年に過ぎない。
弱る明日野に関わらず、入江は、魚を持つ手とは、反対の手を、懐へと納めるが、其処からは、ズルリと長めのナイフが取り出されて行く。
「………駄目!!…」
相手が、何をしようとするのかが分かった理沙は、手の中の袋を投げ出し、駆け出していた。




