女の度量
アンコールを含めて、全部で十曲。
大凡一時間程で、コンサートは終了した。
「スッゴくない!? ね? お姉ちゃん?」未だに興奮冷めやらぬ理沙は、咲良にそう言うと、隣の姉はと云えば、相も変わらず、のほほんとしていた。
「ん? あぁ……うん…そだね。 ねぇ? 明日野君?」
そのままいなすように、理沙の質問を少年へと流す。
流された少年、明日野はと言えば、「あ、そ、そうだね……咲良…さん」と、惚けた返事を返す。
やっとの事で、割かしら進められて居たはずの二人の距離は、あんまり縮まって居なかった。
キャイキャイとハシャぐ周りに、目を向けながらも、ハッと何かを思い付いた咲良は、明日野の耳に、口を寄せる。
咲良の顔がやって来る。
それだけでも明日野は、古き友達と会うよりも、遥かに緊張していた。
「ねぇ、明日野君……」何処か思わせぶりな、咲良の声に、明日野の心臓は、踊り「は、はひ……」と、声が震えた。
【まさか、いよいよか?】と、明日野はコレまでの苦労を思い出す。
遥か昔、どれだけこの時、この瞬間を待っただろうか。
「………メンバーの人と、知り合いって、ホント?」
だが、咲良の口から出た囁きは、大悪魔には、あんまり嬉しくはなかった。
がっくりと肩と頭を落としはしたのだが、咲良の頼みとあらば、仕方ないと、明日野は、適当なスタッフを捕まえ、言葉を交わす。
そんな、以外に長身など少年の姿を見ながら、理沙はと言えば、姉の袖を引いていた。
「ね、ね………何々、なんなの?」と、そんな理沙の声に、咲良は、思わせぶりな微笑みを返し「……んーとね……内緒?」と、片目を閉じ、人差し指を唇に当てた。
惜しむらくは、そんな咲良の仕草を、スタッフに、ああでもないこうでもないと、話し掛けていた明日野は、見逃してしまった事だろう。
「はぁ……まぁ、聞いてきますけど……明日野って云えばいいんですね?」
どう頑張っても、嫌々そうなスタッフに、何とか話しを通した少年、安堵の息と共に、「御無理を云って申し訳ない」と、微笑みと共に言葉を贈った。
思わず、明日野に釘付けになるスタッフだが、赤くなりそうな頬を隠す様に、ステージ奥へと引っ込んでいく。
少年を筆頭に、高品姉妹を含めた三人を余所に、他の客達は、満足そうに帰るが、その列に飲み込まれない様にと、高品姉妹は、会場の壁に凭れた。
姉と、少年が何を話したのかは知らないが、理沙は、実に複雑な想いがある。
少年が、姉を好きなのは知ってはいるが、自分はどうなのかと。
勿論、邪険に扱われて居るとは言えないが、理沙もまた、少女とはいえ、彼女なりの意地も在る。
姉もまた、此処最近は段々と、少年を憎からず思って居る様でもあり、それが、かえって妹を僅かに、苛立たせた。
しかしながら、この時、周りの喧騒も忘れ、理沙は考えていた。
かの少年が、その姿は擬態に過ぎない事は、理沙も知ってはいる。
だが、此処最近の当たり前の生活から、少年が、その実は全く別の生き物である事は、少女も分かるが、敢えて、今までは考えていなかった。
【好き】に理由は要らないかも知らないが、理沙は、明日野が【どんな者】なのかを、自身の目で観ている。
少し離れたところで、スタッフからの返事を待つという姿だけ見れば、些か背の高めな少年だが、彼の【本気】を知ってるのは、実は自分だけだと、理沙は、姉に対して、優越感を感じていた。
「……おい?…おーい?…理沙さん?」そんな、呼び声に、理沙は気づき、其方を振り向いた。
「何をボケッとして居るのか………スタッフさんからは、良いとの仰せが出たのだぞ?」
尊大な態度にて、自分を見る明日野と目が合い、理沙は、思わず、顔を伏せた。
「ん? どうした? せっかく……【ばんど】とやらと謁見が、叶うと言うに?」
そんな、明日野の声に、「……ん、あんがと」と、理沙は僅かに上擦った声で返事を返した。
眉を上げ、ウンと、明日野の鼻は鳴る。
疑問げな顔を見せる少年に、咲良は、思わず微笑んでいた。
笑われてしまったかと、明日野は少し焦るが、彼の動揺を抑える為なのか、咲良は、やんわりと少年の肩に、自分の手を置いた。
「明日野君はさ…理沙のこと好き?」
唐突な咲良の質問に、明日野は固まる。
だが、次の瞬間には首を振って身体を硬直を解くが、その際、咲良の手が触れている肩は、微塵も揺れなかった。
体制と態度を取り戻し、明日野は、咳払いを一つする。
「………俺は…………」
この質問だが、別の意味が在ることを、明日野は知っている。
敢えて【別の人】を壁として立て、その影に隠れるという、恥じらいの一種だが、その答えを明日野が導き出すのは、差ほど難くない。
一言、云えば良いのだ。
「……俺ぅふ!?」言葉を紡ごうとした明日野では在るが、彼のわき腹に、小さい拳がめり込む。
「あらやだ! おそいよー! はやくいこーよー!」
とんでもない棒読みで、そう言うのは、理沙である。
気が抜け、力が入らない所へ、理沙の渾身の拳がめり込めば、如何な大悪魔とて、無事では済まない。
内臓を抉るような鈍痛耐える少年を無視し、理沙は、姉の手を引いていた。
「ね、ちょっと……何であんな事したの?」
困る姉は、自分の手を引き歩く妹の背に、流石に咎めるが、ソレを聞いた理沙は、ゴム製の靴底を、キュッと鳴らす。
「………知ってる? あの馬鹿……私の事をちんちくりんて云ったんだよ? お姉ちゃんさ、余計な事云わないでよ………」
苛つき混じりに、理沙そう言うと、再び姉の手を引く。
困った様に、咲良は、後ろを振り向くが、彼女の視線の先には、その心配そうな眼差しに応えるべく、力強く立ち上がる大悪魔が居た。
「全く…………人間と言う者は、実に不可思議だ……いちいち武力に頼らずとも、一言云えばいいではないか……」
イテテとばかりに、脇腹さすりながらも、少年は眉をハの字にしながら、高品姉妹の後へと、続いていった。
通常、スタッフか、余程の知り合いでもない限り、コンサート後のメンバーが客と会う事は少ないだろう。
それが当たり前だが、同時に、明日野は、生憎とメンバー全員と、古い馴染みと言えた。
バックヤードは、ステージや会場の華やかさとは違い、のっぺりとしている。
だが、控え室前まで来れば、理沙の心臓は、明日野へと向けるモノとは違う、好奇心への思いで踊っていた。
当然のマナーであれば、先ずはノックをと、理沙は片手をあげるが、ソレよりも早く、明日野は、まるで自分の部屋のそれを開ける様に、当然の如くドアを開けてしまった。
連れのあまりの所行に固まる理沙だが、そんな事は気にしないと言うべきか、先に部屋へと押し入った明日野は、軽く腕を上げた。
「久しいな………友よ」
そう言う明日野に、云われた青年、ルシフェルは、抱擁にて返事を返した。
「懐かしいなぁ…………アス…………」その続きを云いそうになるルシフェルだが、友が連れる少女二人を見て、言葉を止めていた。
「や! 友達がお世話になっている様で……おっと」
ポンポンと明日野の背中を叩いて、身を離すと、ルシフェルは、お客様へと、最上級の営業スマイルを贈る。
「これは失礼をば………来てくださり、ありがとう……」
美麗の青年から、紳士らしい挨拶を贈られた高品姉妹は、それぞれが別の反応を示した。
妹の理沙は、単に【格好いい!】という反応からか、指をいじらしくモジモジとし、俯くばかりである。
対して、姉の咲良は、明日野へ贈るのと同じ様な朗らかな微笑みを、ルシフェルへと返し、「コンサート、とっても良かったですよ?」と、世辞を贈った。
知る人が知れば、ヒヤヒヤものの咲良の対応だが、それを見守る明日野はと云うと、実に誇らしげである。
あくまでも、彼のだけだが、将来の嫁さん候補は、大悪魔にも引けを取らないほどの、度量の持ち主なのだと、明日野は、勝手に自得し、勝手に納得してウンウンと頷いていた。




