傑作と言う名の悪夢
【ベルフェゴール】
七大大悪魔にして、大罪の内【怠惰】司る者だが、その前身たる身分は、神に等しい。
遥か昔、偶々楽しい食事会を開いた際の事。
余程楽しそうなのが羨ましかったらしく、何をトチ狂ったのか、某は疫病を発生させ、二万四千もの死体を作り上げるという大事件が起こってしまった。
この時、酷く心を痛めた彼もまた、サタンに賛同するに至った経緯がある。
ともすれば、女性嫌いという逸話が云々であるベルフェゴールが、コレは、かつて、地上へ降りた際、彼が、貴族社会に紛れていた事に起因する。
裏切り、痴情、嫉妬、そんなモノが渦巻く貴族社会に置いて、ベルフェゴールは【幸福な結婚というものは果たして存在するのか?】という、魔界での議題への回答として、端的に【有り得ない】と述べていが、庶民という下層の人々に触れた際、ベルフェゴールは、人の小さな幸せも知ることが出来、それ以降、彼は陰日向に、地上においては、何かの為に発明に勤しんでいる。
さて、これが、明日野が、かなりざっくりとだが、理沙に説明したベルフェゴールの略歴であった。
「へぇ…………で? 今その人、何してんの?」
欠伸をかみ殺しつつ、理沙がそう言うと、明日野の頭ががっくりと下がった。
「理沙よ…………俺の説明聞いていたのか?」
「私は聞いてたよ? ね、大ちゃん……偉い? 理恵は偉い?」
苦悩する明日野の腕に、相も変わらずゴロニャンとばかりに軽部が抱き付いてしまう。
「いい加減にせよ!? ガブリエル! お前それでも天使か? 少しは慎みを持て、だいたいな…………………」
此処に来て、いい加減明日野も頭に来たらしく、ガミガミと持論を飛ばす。
彼なりの女性という概念と、それに伴う淑女としての嗜み云々を、ガミガミと軽部に語りはすれども、それに対して、軽部は、まるで音楽でも楽しむかのように、完全に聞き流していた。
明日野の苦悩はともかく、彼等を乗せたタクシーは、一軒のごく普通の平屋の前に止まる。
料金は既に、法外とは言え支払っているため、タクシーはとっとと走り去ってしまうのだが、コレについては、明日野の失言のせいだろう。
軽部の正体について、運転手は何か異様なモノを感じてはいても、チッコい外見に惑わされ、わからずにいたが、ガブリエルという単語に付いては、運転手と熟知していた。
大悪魔ならともかく、下級の悪魔では、熾天使など相手に出来る筈もなく、上役には悪いと思いつつも、とっとと逃げてしまったのである。
軽部の身長はおおよそ、百五十程度しかなく、その彼女が、長身の明日野に張り付けば、コアラみたいにも、理彩には見えた
そう思えば、あんまり気分も悪く成らず、同時に、少年とは言え、やはり普通の人間とは違うのかとも、少し感じる。
目測、四十キロは有りそうな軽部を片腕にくっつけたままでも、明日野はびくともしてはいない。
同時に、張り付く軽部にしても、ピッタリと張り付き、今の居場所からは、動く気は無いらしい。
が、明日野のその顔は、非常に不機嫌その物であり、それを受けてか、理彩自身、何故か安心感すら在った。
「いい加減離れろ!? いつまでくっ付いているつもりだ!? 鬱陶しい!」
「や! 大ちゃんが家に理恵を置くって言うまで離れないから!」
会話自体は、それ程変なモノではなく、嫌みなバカップルにも感じる。
だが、腕をブンブンと振り回し、軽部に残像が掛かる程、明日野が腕を振っても、軽部は取れなかった。
ともかく、明日野と理彩、張り付く軽部の三人は、実に平凡な平屋の前に立ち、表札確認。
まるで、蒲鉾板にそのまま、サインペンか何かで書いたらしく、その小さな板には、【代亜隈開発 関係者以外、お断り】と在った。
個人宅なのかどうかすら怪しく、それでいて、外観はつまらない平屋。
何はともあれ、明日野は眉間に深い皺を寄せつつ、インターホンを押した。
中学生の理沙には、まさに緊張の時である。
まだ見ぬ大悪魔。
それは、どれほど恐ろしい容貌をしているのかと、色々と想像する。
マルコの様な大仰な狼なのか、それともと、理沙はチラリと明日野の仏頂面の横を盗み見る。
明日野のような、桁違いの大魔神が現れるのか。
理沙の心臓が踊るように跳ねる中、ガラガラと、ガラス戸が開かれた。
「…………はい、どちらさん?」そう嗄れ声で言って、家の中から出てきたのは、小柄な老人だった。
しわくちゃの顔に、牛乳瓶の底の様な眼鏡に加えて、口からもみあげまでを、モサモサとしたサンタ髭が覆う。
期待していた理沙は、なんとなくの肩透かしを貰ったようで、がっくりと頭を落とす。
だが、隣の明日野は実に忌々しいという顔を崩さない。
「久しいな…………ベルフェゴールよ…………」
そんな、ドスの利いた明日野の声に、老人は、眼鏡をクイッと上げる。
「おぉ~、旧き友よ…………いつぞや以来かな………」
本当に大魔神ベルフェゴールかどうなのか、実に怪しい老人は、嗄れ声でそう言うが、明日野は片手を上げる。
「挨拶はよい…………それよりも、キューピットの矢の効果を打ち消す方法を教えてくれないか?」
悲しげな明日野は、片腕に張り付く軽部を、老人に見せ付けるが、コアラ状態の軽部は、他の悪魔が嫌なのか、実に不機嫌そうに、理彩には見えた。
ともかく、軽部の状態を確認した老人はふぅむと唸る。
「ま、中にお入りなさい…………御茶でもって出すよってにな…………」
そう言うと、老人は平屋の中へと消え、明日野もまた、不満げに後に続いてしまった。
さて、後に残された理彩はと言うと、待ってても暇なためか、一言「お邪魔しま~す」と、ガラス戸を閉めるのだった。
唯一の人間である理彩ではあるが、ベルフェゴールの家の中は、実に落ち着ける。
会ったことも無いからか、祖母や祖父、そう言う人達の家に行ったことは無い。
しかし、老人に通され、どうぞと座らされた和室の中は綺麗に片付けられており、なんだか、妙に懐かしいという感覚すら、理沙はおぼえていた。
卓袱台に合い向かいに座る明日野と老人。
この際、腕に張り付く存在を無視して、二人は話を始めた。
「さて、本日は何の御用かな? アスモデスウや…………」
「友よ、何度でも言おう。 挨拶はいいから、このお邪魔虫を、なんとかしたいのだ…………そのために、キューピットの矢の効果を打ち消す様な何かは無いのか?」
静かな部屋の中には、懐かしいゼンマイ時計の針の音が、カッチカッチと僅かに響く。
暫くは静寂が老人を包んでいたが、僅かに咳払いを一つ。
「アスモデスウ…………すまんな、そんなモノは無いんだよ?」
「な!? どういう事だ!?」
老人の端的な声に、明日野は立ち上がり、その際、軽部のスカートが捲れたが、女性である理沙以外、誰も気にしてはいない様である。
「考えてもみんさい…………そんな簡単に、あの矢の効果が消えるなら、そんな愛は嘘っぱちだろう? 一生涯、例えそれが仮初めで在ろうと、確実な愛を作り出すからこそ、あの矢は傑作なのじゃよ…………」
自信満々にそう語る老人こと、ベルフェゴール。
愛という言葉を聞いたからか、軽部は頬を染め、益々明日野の腕に、ウットリと顔を擦り付け始めてすらいる。
「……ふ…ふ…ふざけるなぁ!?」
軽部とは反対に、信じられない事実を付け付けられた明日野は、青ざめながらも、そう絶叫した。




